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『人命』という名の錦の鎧を纏った新左翼誕生仮説

2011052701 世の中には「左派」と「右派」という言葉もあるように、どのような言論も2つの方向に極端に分かれることになる。その例に漏れず、原子力発電についても、原発肯定論者と原発否定論者は恰も水と油のように真っ二つに分かれている。
 ではこの両者はどちらが正しいのか? 極論するならば、どちらも正しい。この問題の受け止め方は、その人物の視点(思想の立脚点)によって大きく違ってくるため、いつまで経っても意見が対立し平行線を辿っているというのが現状だろうと思う。

 まず、「原発は危険なものか?」と問うなら、当然、危険なものである。
 では、「安全でクリーンな発電方法か?」と言えば、エネルギーを得る工程に於いてはその通りだが、いざ問題が発生すると極めて危険なものであることも事実であり、そのことに疑問を挟み込む余地はない。そういう意味では、「原発は危険だから廃止しろ!」というのは、至極真っ当な意見であると言える。しかし「危険だから廃止しろ!」と言うだけであれば、それは小学生の論理と同じだということもまた然りである。

 人命を最優先に考えるならば、原発廃止は正しい選択だ。しかし、人命以外のものまで含めて総合的に考えると、原発廃止は正しくないという結論が導き出される場合も有り得る。原発肯定論者と原発否定論者の意見の食い違いはその認識のズレから生まれているだけであり、どちらも人命を軽視しているわけではない。

 左翼の如く、「人命」というものを錦の御旗に掲げられると、大抵の人々は思考停止に陥り、見て見ぬふりをするようになる。この世で何よりも尊い「人命」というもので自らの思想をバリゲードすれば、その鎧は誰にも傷付けることができない鋼鉄の鎧と化してしまうため、反論する意欲自体が消失してしまうことになるからだ。
 ゆえに、この原発問題というものも、一旦、その鎧(人命という名の錦の鎧)を脱いでもらわないと話が非常に偏ったものになるということである。

 日本は世界で唯一、原子力爆弾で被害を被った国でもあるので、原子力を極度に恐れるのはトラウマ的にも仕方がないとは思う。絶対的に安全だと言われてきた原発で事故が発生すれば、その事故がいかに不可抗力的に発生した事故であったとしても、トラウマが蘇ったかのように必要以上にヒステリックになるのも止むを得ないとも思う。
 もともと、リスクというものを極度に嫌う…と言うよりも、リスクというものを考えなくてもそれなりに生活することができた有り難くも珍しい国が日本という国である。そんな平和な国にあって、これ以上ないという位に目に見える形で現れた巨大な国民的リスクに対して拒絶反応を起こしてしまうのは至極当然の帰結だったとも言える。

 多くの国民は自らが“ノーリスク教の信者”になっていたことに気付かずに人生を謳歌してきた。善いか悪いかに拘らず、アメリカの庇護の下、国際情勢や外交問題などを考える必要もなく、ただ経済成長のみを追求することに専念してきた。
 しかし、現代は国際警察(?)としてのアメリカのパワーも減退し、日本という国を近隣のテロ国家から守るという安全保障条約も希薄になりつつある。そんな国際情勢下において、日本は経済成長を放っぽり出し、外交を無視し続けたまま、増税のみによって国家の衰退に歯止めをかけようとしている。

 これは何を意味するのかと言えば、日本はアメリカにとって、もはや“守るメリットの無い国”に自ら成り下がろうとしているということである。喩えて言うなら、老年になった親が、収入のない引き蘢りの子供の面倒をいつまでもみることはできないという理屈と同じようなものである。

 自然エネルギーでもなく、原子力エネルギーでもない第3の新エネルギーを研究開発すると言うならともかく、今更、自然エネルギーに回帰(先祖返り)することによって、日本経済に本当に悪影響は及ばないのか? 自然エネルギーに依存することによって、国家の衰退へまっしぐらということにならないか? もしそうなってしまうのであれば、これは極めて危険な左翼思想と成り得るのだということも併せて考える必要があると思う。

 人命は何よりも大切だというのは確かにその通りではあるが、日本経済が衰退することによって、自殺者が3万人から4万人に増加してしまっては、元も子もなくなってしまう。
 人命を最優先する政策によって、将来、間接的に多くの人命を失ってしまっても、その原因が経済成長を無視した『人命至上主義』にあったということには、ほとんどの人は気が付かないだろう。

 日本が本当にそんな悲劇的な社会にならないことを祈りたいところだが、そうなる可能性は無いとは言えない。現在の日本は地震の二次被害としての原発問題だけでなく、原発問題から生まれるだろう三次被害というものも考えなければならない状況に陥っている可能性があるということである。
 
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コメント

現在は豊かさは空気のようなものです、意識しなくても豊かさを享受できます、それ故に安全、平和、人権を声高々に唱えることが出来るのです。

これが無人島の洞窟で生活するとどうなるでしょう?この水は安全が100%確保できるまで飲みませんとか、ワニに向かって話せば判るとか、外は危険なので外出禁止とか、武器は平和的でないから捨てろとか、そんなことを言っている場合ではないですよね、そもそも今暮らしている洞窟も怪しいものです。

人間が生きて行くためにはリスクと隣り合わせなのです、道理が通用しないワニと戦うためには武器も要ります、無人島で川の水を飲むのもジャングルに食べ物を探しに行くのも危険を冒さないと生きて行けないのです、その上で安全だが近くの怪しい泥水か、危険だが遠くの清水かを判断するのです。

有史以来人類はリスクと隣りあわせで文明を発展させてきた、今の文明があるのは先人の犠牲によるのもと言っても過言ではない。少なくとも危険だからとなにもしない人間からは何も生まれてこないのである。
危険だからと未知の航海に出なければアメリカ大陸も発見されなかった、ダイナマイトは危険なニトログリセリンを何とか人類の役に立つようにと発明された。
現在でも大なり小なり危険と隣りあわせで生活している、飛行機、電車、車、河豚、牡蠣、ユッケ、リスクを承知で豊かな生活を享受しているのである、死と隣りあわせで漁業していただき我々は魚を食べさせていただいていることを忘れてはいけない。

投稿: | 2011年5月28日 (土) 22時40分

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