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浜岡原発停止から派生した『ストレステスト』

2011070901 菅総理が突然(?)言い出した原子力発電所へのストレステストによって、危惧されていた大幅な電力不足という事態がより一層、現実味を帯びてきた。
 ストレステストを実施する理由は、「住民の安心感を得るため」ということになっているが、当の住民達は、逆に電力不足による経済的な悪影響を心配しており、実質的には「住民の不安感を煽るため」の政策になってしまっている感がある。
 
 少し前に菅総理は、最もリスクが大きいということを強弁して無理矢理に浜岡原発の停止に踏み切ったわけだが、舌の根も乾かぬうちに「全国の原発でストレステストを行う」などと述べるのであれば、浜岡原発もストレステストだけで済ませばよかったのではないか?と言いたくもなる。
 
 元々、浜岡原発だけが危険などという理屈は成り立たないとは思っていたが、そういった矛盾を孕んだ政策を疑いもせずに受け入れてしまった国民が招いた悲劇の1つが、今回の『ストレステスト実施』だとも言える。そう考えると、今回のような事態を招いたのは、政府の責任というよりも国民全体(浜岡原発停止賛成論者)の責任だとも言える。
 しかし、浜岡原発の停止を了承した時点で、このような事態を招くだろうことは大凡の予想はできたはずである。浜岡原発の稼働リスクだけに目がいって、浜岡原発の停止によって招くリスクというものを考えていなかったことが招いた人災だと言っても決して言い過ぎではないと思える。
 
 そもそも我々国民は、望む望まないに拘わらず現在でも原発で生産された電気を使用している。現在、「原発を即刻廃止せよ!」と大声で叫んでいる活動家も、電気を使用せずに生活しているわけではなく、少なからず原発に依存した生活を送っている。それは現在だけではなく、過去も同じで、これまで原発に依存してきた生活に何一つ疑問を感じることなく満ち足りた電気生活を謳歌してきたわけだ。そんな人物が、原発で事故が発生した瞬間に180度性格が反転し、私は被害者だと言わんばかりに原発を否定する人間に豹変してしまう。これはよく考えると非常に都合の良い精神構造だと言える。なぜなら、こういった人達には“自らを反省する”という姿勢が全く感じられないからだ。
 
 自らが原発の危険性に全く無頓着であったにも拘わらず、「原発が危険だということを隠してきた国が悪い!」と、何でもかんでも国が悪い、国のせいだ、そして自分自身は全くの被害者だという発想は、一般的に「左翼」と呼ばれる人達の精神構造と全く変わらない。そのように見えてしまうのは私の錯覚だろうか?
 
 原発で再び事故が発生すれば確かに危険であり、そういった事態を避けなければならないという考えは充分に理解できるが、これまで原発行政を批判することもなく、電気を使用し続けてきた人間であるならば、自己責任として、そういった事故が発生するリスクは甘んじて受け入れなければならないとは考えられないのだろうか? そして、原発に依存した生活を謳歌してきた人間であるならば、原発に依存しない生活を送れるようになるまでの間は、嫌でも原発に依存した生活を我慢するしかないという自責の念を感じないのであろうか?
 
 少なくとも私は、現在も過去も、そして未来も少なからず原発に依存した生活を送らなければならないと思うので、原発に変わる新しいエネルギーが開発されるか、代替エネルギーが確保されるまでは、「原発を即刻廃止せよ!」などという恥知らずで無責任な言動を起こそうとは思わない。実際に事故が発生するまでノホホンと過ごしてきた人間であるならば、自らの非を認めてリスクを受け入れる、それが最も現実味のある妥協案ではないかと思う。
 
 以前にも何回か述べたが、そもそも今回の原発事故が発生した根本的な原因は、原発行政と電力会社の危機管理が甘過ぎたことにあるわけで、原子力発電技術に問題があったわけではない。しかし、仮に大震災が起こる前に、国が「30mの津波が来ると危険なので、30m以上の防波堤を建造するために、税金を上げる必要があります」などとアナウンスすれば、どうなっていただろうか? 国民はそういった忠告を素直に受け入れただろうか? おそらく大部分の国民は、「そんな津波が来るわけがないだろう、税金を上げるための詭弁だ!」と言って反論していたはずである。今でこそ、30mの防波堤に疑問を抱く人はいないが、わずか半年前では10mの防波堤ですら現実味のない話だったのである。
 
 こんなことを書くと「被害者でもない人間が偉そうなことを言うな!」というような批判を頂戴することになるかもしれないが、そんなことを言ってくるような人は今回のような事態(ストレステストが実施される事態)を招く可能性があることを予測できたのだろうか? それが結果的に産業の空洞化という極めて性質(タチ)の悪い悲劇を齎すという危険性を少しでも予測し得たのだろうか? あるいは、原発さえ無くなれば、日本経済(自分自身の生活も含む)などどうなっても構わないとでも言うつもりだろうか?
 
 更に「現実が見えていない机上の空論だ!」とお叱りを受けそうだが、現実が見えていないのは、むしろ、闇雲に「原発を廃止せよ!」と叫んでいる人々の方ではないだろうか? 目先のトラブルだけに心を奪われ冷静さを失い、将来的な国の姿や国民の生活を考慮せずに政府を否定するだけという都合の良い責任転嫁思想に囚われている人々の方ではないだろうか?
 
 「被害者でもない人間が善人面するな!」と言うのであれば、“被害者でもない人間が被害者面している”ことにこそ目を向けるべきかもしれない。そういった偽善者達が間接的かつ無意識的に日本経済を破壊しているという現実をこそ直視し批判するべきなのだ。

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コメント

社会が悪いという前に、自分自身が悪いことを認識すべきなのに、私は悪くないと、天に唾しているようで・・・でも、そういったら、非難されました。(笑)

投稿: 桜下老人 | 2011年7月10日 (日) 17時17分

livedoorに乗っちゃって恥かいたね。
ここで吼えてるだけじゃ誰も見なかったのにね

投稿: お前誰? | 2011年7月10日 (日) 18時12分

少数派かと思いますが、わたしも原発をやめるのは無茶な話だと思います。ただでさえ日本の経済規模は縮小していくのが必至なのに。さらに電気のコストが上がれば日本という国はもうかなり危険ですね。今までと同じ暮らしなんて出来なくなります。でも社会で大多数を占める被雇用者という立場では物事をそんなに広い視点では見ることは出来ないので、どうしても自分の生活には全く影響が無いと、誰かが何とかしてくれると思ってしまいます。そしてそれが理解できないのか何なのか‥ そのことを国民に伝えていないマスメディアに問題があるのかと思います。結局のところメディアも被雇用者の集団にすぎないのでしょう。

投稿: | 2011年7月23日 (土) 11時21分

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