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「値切り」から発生する因果応報(合成の誤謬)

2011070201 「1円でも安くモノを買いたい」という人間の欲望は止まることを知らず、そのことを証明するかのように現在では牛丼の250円セールが催されている。私もたまに牛丼を食べに行くことがあるが、牛丼だけを注文するのは悪い(気が引ける)気がして、別の単品も必ずセットで注文している。
 牛丼に限った話ではないが、客寄せの最安値商品だけを注文して「俺はお客様だ」と言わんばかりに偉そうな態度で店員に接しているお客をよく見かけることがある。こういった人物は相当に(心が)貧しい人なのだろうな…と感心することがあるが、私もインターネットが流行る前は、電気街に出かけて商品を値切るということを当然のように行っていた時がある。

 その頃は電気店もある程度の利益を貪っていた時代であったので、店員も値切られても当たり前という感じで律儀に値段交渉に応じてくれた。当時は元々、値切られることを前提に販売価格が決められていたと思われるので、値切らずに商品を購入してくれる真面目なお客はチップを弾んでくれる有り難い上客だったのかもしれない。

 インターネットで商品が売買される時代になると、商品の販売価格の相場が全国的に可視(オープン)化されるようになったので、人々は日本で1番安いショップを探すことが可能となった。中には最安値を知った上で最寄りのショップへ値段交渉に出かけるという人もいるらしい。そこまで強欲(?)だと流石に呆れてしまうが、こういった行き過ぎた安値競争は、結局は消費者自身に跳ね返ってくることも、ぼちぼち考えた方がよい時期なのではないかと思う。

 おそらく大抵の人々は、かつての私がそうであったように、値切ることに成功すると「得をした」というプラス感情のみが芽生えるのだろうと思う。まさか、値切ることによって自分自身も間接的に損をすることになるなどとは夢想だにしていないと思う。

 このことは一般の消費活動に限った話ではなく、仕事においても言えることで、現在の日本企業ではコスト削減の一環で下請け業者に値下げ交渉を行うことなどは日常茶飯事的に行われている。別に値下げ交渉が必要無いというわけではないのだが、これも行き過ぎると、結果的には自分自身に跳ね返ってくることになる。

 例えば、これまで100万円で購入していた原材料を、値下げ交渉の結果、90万円に下げることに成功した場合、その交渉した人物は「10万円得をした」と思うだろう。確かにその会社の利益は一時的には10万円アップするので、会社単位で見れば得をしたことに違いはない。しかし、経済全体として見れば、10万円分経済が縮小したことになる。(正確に言うと10万円では済まないのだが、話がややこしくなるので、ここでは省略する)

 「景気」とはお金がどれだけ動いたかを示す指標でもあるので、100万円の商品が90万円で売買されるようになると、単純に経済規模は10%縮小したことになる。こういうことが全国的に全商品に跨がって行われるようになれば、入ってくる仕事の総量(利益)も90%に近付いていく(=ダウンする)ことになる。
 値切った時には「10万円得をした」と思っていたとしても、巡り巡って1割分の仕事が減少すれば、10万円を値引いた甲斐なく元の木阿弥になってしまうということである。全体としての会社の売上が1割減少すれば、それだけ給料も減少することに繋がるというわけだ。

 もちろん例外はある。しかし基本的には、商品を1割値切って喜んでいる姿というのは、自分自身の給料が1割下がって喜んでいる姿と表裏一体なのである。1割値切れば、巡り巡って別のところで1割値切られる羽目になる。これも因果応報とでも呼ぶべきものなのかもしれないが、一時の自分の利益しか考えない人間は、いずれその利益を気が付かない内に失うことになってしまう。
 
 「そんなことは信じられない」と言う人がいるかもしれないが、残念ながらそれがデフレ思考が蔓延した日本経済の一面であり、ありのままの姿である。本来のデフレ現象だけでなく、デフレ思考によって必要以上に経済が萎縮して、足の引っ張り合いを行わなければならなくなってしまっている。
 良いと思って行っていたことが、結果的に悪くなってしまうことは経済の世界では多々ある。震災が発生して「自粛する」ことも悪になれば、不況下において「値切る」という行為も悪になってしまうことがある。つまり、“値切る”という行為自体も“自粛”行為と同様に行き過ぎると『合成の誤謬』に陥ってしまうということである。

 ここで『デフレ』について少し補足しておこうと思う。

 少し前に、牛丼とデフレを掛け合わせて記事を書いたところ、「牛丼の値下がりはデフレ現象ではない(デフレの定義には当て嵌まらない)」というご批判(?)を頂いた。
 私は牛丼の安値競争がデフレに該当するなどとは思っていないし、一言も書いておらず、全体的な物価が下がるマクロ現象(デフレ)と、安値競争によって物価が下がるミクロ現象を意図的に結び付けて皮肉を書いたつもりなのだが、どうやらそれを曲解されたようだ。
 
 「デフレ」の定義とは、「一般的な物価水準の持続的下落」のことであり、現在、読書中の高橋洋一氏の著書『この経済政策が日本を殺す』にも解り易く書かれている。
 世の中(主にマスコミ)におけるデフレーションとデプレッション(不況)の混同を明確に指摘している書籍は初めてお目にかかった。

 「一般的な物価の値下がり」をデフレの定義とするのは、広義のデフレ論であるが、「牛丼」という個別商品の価格が値下げ競争によって下落するのは、言ってみれば、狭義のデフレ論である。
 現在では「自分をデフレ化する」という言葉もあるように、マクロ(広義)やミクロ(狭義)に関係なく、価値が下がり続けることを「デフレ」という向きもあるので、『デフレ』の定義に拘ること自体が、ある意味でナンセンスなのかもしれないが、デフレーションとデプレッションの違いだけは最低限、明確にしておく必要があると思う。

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コメント

値段が下がれば、消費量が増えるのが経済学のまともな考え方ですが。
本流の考えをひっくり返すくらいの内容は書かれていませんし、単なる誤認なのでは?
決算を見ても、ゼンショーは好調、吉野家は不振ということ、効率的なシステムを作り上げた会社が伸びることに違いはありません。
10%の値下げが生産性の向上を背景とするものであれば、全体として経済は拡大します。

投稿: 前田健太 | 2011年7月 3日 (日) 00時04分

更に書いておくと、物価が1割下がり、給料も1割下がるのであれば、実質的な価値は変わりませんから、経済的に意味はありません。
ただ、全体としては中立であっても、物価が下がる状況では、債務者負担が重くなり、債権者の利益が増しますので、ミクロ的な経済価値の変動はあります。
ただ、上にも書いたように、物価が1割下がって、給料が1割下がったとしても、経済が1割縮小したとは言いません。
なぜ、政府統計では実質GDPを重視するかを考えれば明らかです。

投稿: 前田健太 | 2011年7月 3日 (日) 00時09分

>前田健太

ブログ主さんの本文をよく読みましょう。

>(正確に言うと10万円では済まないのだが、話がややこしくなるので、ここでは省略する)

乗数効果の逆というか、マイナスの乗数効果(造語)の説明を省いた時点で、理屈としては曖昧になりましたが、ブログ主さんの説明したいことは理解できなくもありません。

投稿: クロコダイルPOP | 2011年7月17日 (日) 21時10分

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