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『原子力発電』と『原子力爆弾』を混同する菅総理

2011080701 8月6日、民主党の菅総理は広島で行われた平和記念式典に参加し、「原発に依存しない社会を目指す」と改めて表明した。
 
 この平和記念式典での菅総理の発言には、多くの疑問の声があがっている。その理由とは、「なぜ原発と原爆を同一線上で扱わなければならないのか?」というもので、簡単に言えば、「原発問題と原爆問題は違うのではないか?」という素朴な疑問である。
 
 原子力爆弾というものは、最初から人命を奪う目的で開発された殺傷兵器であるが、原子力発電所は人を殺すために作られたものではない。事故が発生すれば、最悪、同じような結果を招きかねないことは事実だが、作られた目的は全く違う。
 目的性においては、原発というものは、自動車や飛行機と同じようなものである。自動車も事故が起これば人を殺してしまう危険性があるが、本来は人々の生活の利便性を目的として開発されたものであり、決して交通事故を起こすことを目的に製造されているわけではない。
 
 そもそも原爆問題の場合、加害者はアメリカであって日本ではない。ゆえに平和記念式典の目的は被爆者への追悼であって、反省ではない。菅総理の発言を聞いていると、まるで原爆を落としたのが日本人で、二度と同じ過ちは犯してはならないというようなメッセージに聞こえてしまい、諸外国に対して変な誤解を与えてしまいかねない。
 原爆を落とした加害者が「二度と同じ過ちは犯しません」と懺悔するならともかく、被害者である日本の総理がなぜ加害者のような発言をしなければいけないのか理解に苦しんでしまう。
 
 例えば、アメリカの同時多発テロ事件でテロに利用された飛行機によって多くの犠牲者が出たが、その飛行機会社が数年後に悪天候が原因でフライト事故を起こしたとしよう。その場合、大統領がテロ犠牲者の慰霊式典に参加して、「飛行機に依存しない社会を目指す」と表明するだろうか?
 これはどう考えても場違いな発言であり、被爆者への冒涜と言っても過言ではないと思う。原発に依存しない社会を目指すのは結構だが、発言する場所を間違えている。追悼の場で反省を行うこと自体がそもそもの間違いなのである。

 平和記念式典にまでポピュリズムを持ち込めば、国民の反感を買うのは当然であり、見え透いたパフォーマンスに騙されるほど国民も馬鹿ではない。実際、この表明を聞いた参加者の拍手もまばらだったらしく、拍手をしていたのはサクラか左翼だけだったという笑えない噂話も飛び交っている。

 他の国でも、「脱原発」を表明している国(例えばドイツ)はあるものの、流石に「脱核兵器」をセットで表明している国は存在しない。なぜなら、核兵器とは、戦争抑止力を持つ唯一の護衛兵器であることが理解されているからだ。世界では、戦争を回避する唯一絶対的な手段として核を所有している国がほとんどで、戦争を起こすことを目的にしているのは一部の独裁国家だけである。そういった独裁国家の暴走を事前に阻止するための切り札として核兵器を持たざるを得ないという現実がある。言わば、必要悪として核を保有しているわけだ。
 
 そういった理由から、原発問題を原爆問題と同列に扱っている菅総理の姿は、諸外国の笑い者になっているというのが実際のところだろうと思う。日本はアメリカに庇護されているがゆえに核兵器を持たずに済んでいるという現実がまるで見えていないと思われているのである。

 “原子力発電”と“原子力爆弾”を同一視するような発言を公式の場で行うようなリーダーがいる国は、世界広しと言えども、おそらく日本だけだろうと思う。
 これは笑い話で済めばいいのだが、実は外交上、非常に危険な言動だということを知らねばならない。

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