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『川下り安全庁』はいらない。

2011081901_2 静岡県の天竜川で川下り船が転覆し、2名の死亡者が出たことにより、またもや、「安全神話が崩れた」と言わんばかりに、事後の安全対策案が練られているようだ。

 聞いたところでは、ここ20年間に天竜川で川下り船が転覆したことは無かったらしく、今回が初めてのケースであるらしい。20年間で1度の発生頻度であるなら非常にレアなケースであると言える。しかし、今回の安全対策は天竜川だけでなく全国に跨がって行われている。
 死亡事故が発生した天竜川で安全対策が取られることは人道上、仕方がないとしても、全国の別の川下り船まで全て対象にする必要が有るのだろうか?

 これまで全く問題が無かったにも拘わらず、1度こういった痛ましい事故が起きてしまうと、ここぞとばかりに、お役人が登場し、安全管理チェックを行い、規制を強化してしまう。毎度、事故が起こった時に、安全確認のためと称して大勢の人員が狩り出されるが、こういった人々は普段、事故の無い時は何をしているのだろうか?

 今回の事故により、既に救命胴衣を着用することを決める方向で話が進んでいるみたいだが、天竜川以外で川下り船の営業を行っている人々にとっては正直、有り難迷惑な話だろうと思う。
 乗船客もこのクソ暑い中、いくら安全のためとはいえ、救命胴衣を着用しなければならないとなると、乗船意欲を削がれてしまうこと請け合いだ。救命胴衣を着用することによって、川下りの風情が損なわれるというのも大きなマイナスポイントである。
 天竜川で事故が発生したことによって、別の川で行われている川下り船の利用客まで激減するのであれば、なんのための規制強化か解らない。過剰な規制を行うことによって不景気を齎すという毎度のパターンである。

 ここで着目すべき点は、「川下りは危険だから止めておこう」ではなく、「川下りは暑いから止めておこう」というような本末転倒な理由になってしまっていることである。“事故が発生したので危険だ”という真っ当な理由で乗船を遠慮するのではなく、規制によって間接的に発生した“暑い”という関係のない理由で乗船を遠慮することになる。
 これでは全国の川下り船事業者は商売上がったりであり、ヘタをすると、売上が激減し、『川下り』という夏の風物詩が消えてしまう可能性も否定できない。数年前にも遊園地で死亡事故が発生したことがあったが、当の遊園地はその後、客足が激減して閉園になってしまったことは記憶に新しいところだ。

 商売上がったりになる理由が“川下り船は危険”なら諦めもつくだろうが、“救命胴衣は暑い”とか“救命胴衣は格好悪い”というような理由では納得できないだろう。

 ご存知のように、原発事故では『原子力安全庁』なるものが新たに創設された。まさかと思うが、川下り船事故をきっかけに『川下り安全庁』を創設ということにはならないと思うが、事故や事件が発生するたびに、規制を管理し取り締まる省庁を作っていたのでは、財政を圧迫する一方である。

 多くの人は気が付いていると思うが、お役人というものは基本的に、不幸な事件や事故を糧として膨張していく存在でもある。彼らは民間の一般庶民とは全く正反対の行動原理を有しているということを知る必要がある。
 一般庶民は景気が良くなれば仕事が増えて喜びを感じるものだが、お役人はこの逆で、景気が悪くなればなるほど仕事が増える。事件や犯罪が増加すれば警察は忙しくなるし、天災が起これば、政治家は忙しくなる。この行動原理はマスコミにもそのまま当て嵌まる。

 誤解を恐れずに言えば、彼らにとっては、事件や事故は、自らが肥え太るチャンスであり、言葉とは裏腹に心のどこかで平和を願っていない部分があったとしても不思議ではないということである。社会が安定して平和であればあるほど、彼らは自らの存在価値を失ってしまうことになるからだ。無論、お役人は悪人だと決め付けているわけではないのだが、実質的にそういう側面があることは否定できない。このことは、日本だけの問題ではなく、『国家』が生まれた時からの万国共通のテーマでもある。

 事件や事故が多い時、政府は必ず『大きな政府』状態になる。これとは逆に事件や事故が少ない平和な時には、政府は必然的に『小さな政府』状態へと向かう。
 『大きな政府』と『小さな政府』のどちらが良いか?というような質問があるとすれば、答えは考えるまでもなく『小さな政府』に決まっている。平和を望まない庶民がいないのと同様、『大きな政府』を庶民が喜ぶ道理はないからだ。

 事件や事故が発生する度に、規制を強化するというようなことを無条件に受け入れていると、その先に待っているのは自由のない『大きな政府』である。
 大震災によって一時的に大きな政府が出現することは仕方がないにしても、川下り船が事故を起こした程度で大きな政府の出現を許していると、最終的に、そのしっぺ返しを喰らうのは一般庶民であることを忘れてはならない。
 
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