« 「決断できない日本」の政治家達 | トップページ | タバコ増税で判明したタバコ1箱の妥当価格 »

キューバ改革と「自由と公平と博愛の精神」

2011100501 社会主義国家であるキューバが自国経済を再建するために「市場原理を導入する」と言い始めたことは周知の通りで、先日も「キューバ国内での自動車売買を自由化する」との報道があったばかりだ。そのニュースを聞いていると、次のような言葉が耳に入ってきた。

市場原理を導入すると格差が大きくなる可能性があるので問題視されています

 ウッカリしていると聞き流してしまいそうだが、これはトンデモないジョークである。
 格差というものは、むしろ市場原理が正しく機能していない場合にこそ大きく拡大するものである。市場原理とは言わば、一物一価の法則のことであり、その原理を導入することで格差が拡大したとして、はたしてそれが悪いことなのだろうか?

 「一物一価」とは、分かり易く言うなら、「同一労働同一賃金」と同じようなものであり、同一労働同一賃金で格差が拡がるのなら、特に問題視する必要はない。他人の2倍の仕事を行って2倍の収入になるのであれば、それは喜ぶべき社会の姿であり、決して批判されるべき社会の状態ではない。

 格差問題の本質とは、他人の2倍以上の仕事をしても半人分の収入しか得られないとか、他人の半分しか仕事をしていないのに2倍の収入を得ているというような不公平な差別社会(つまり同一労働相違賃金)にあるわけで、決して“結果の不平等さ”にあるわけではない。

 「公平」と「平等」という概念は似ているようで全くの別物であり、どちらかを優先できるというような代物ではなく、どちらかを実現しようとすれば、どちらかを捨てるしかない。
(注意:ここで述べている平等とは「機会の平等」ではなく「結果の平等」を意味する)

 フランス革命で有名な「自由と平等と博愛の精神」という言葉も、「自由と公平と博愛の精神」とした方がスッキリすると思う。なぜなら、「自由」と「平等」という概念もまた、現実的には同時に実現することは不可能だからである。

 「公平」と「平等」…両立不可能(「機会の平等」であれば可能)
 「自由」と「平等」…両立不可能(「機会の平等」であれば可能)
 「自由」と「公平」…両立可能

 「市場原理」という言葉を使うとややこしくなるので、「自由競争」という言葉に置き換えよう。
 「自由競争」を行えば、企業であろうと個人であろうと、結果的には必ず差が生まれる。自由に競争させて結果が平等になるなどということは通常では有り得ない。受験競争であっても実際にそうなっている。
 「自由と公平」なら両立するが、「自由と平等」は本来、両立しない。こんなことはわざわざ書かなくても誰もが理解していることだと思う。ついでに言えば、「不自由と平等」なら両立する。それがキューバを含む共産主義国家の姿である。

 「機会の平等」→「自由競争」→「公平な結果」なら有り得るが、
 「機会の平等」→「自由競争」→「平等な結果」は有り得ない。

 経済を発展させるためには、自由という概念は絶対条件であり、その自由を活かすためには公平性というものが必要条件になる。公平性が保証されてこその自由競争であって、結果の平等を必要条件にしてしまうと、自由競争では無くなってしまう。

 具体的に言うなら「談合」などというものも、自由競争下において結果の平等を追求したものである。それゆえに市場経済では「談合」は悪と見なされる。
 正直なところ、個人的には「談合」が全て悪だとは思わないが、全体的に見れば自由競争の掟に反していることは明白である。

 キューバが部分的に自由競争を取り入れたとしても、「平等」という概念を「公平」に置き換えるつもりがないのであれば、改革は失敗に終わるだろうと思う。共産主義国家に「平等」は付き物だが、自由主義国家に必要なものは「平等」ではなく「公平」である。つまり、公平な競争による格差は容認しなければならないということである。

 「自由」の名のもとに「結果の平等」を追い求めると、いずれ、その矛盾が露呈して、不公平な悪平等社会が誕生する姿を見ることになる。「不公平な悪平等社会」のことを別名「格差社会」と言う。現在の日本で問題となっている格差社会もこの状態であることは言うまでもないが、オバマに率いられたアメリカも、あるいはこの状態に突き進んでいるのかもしれない。
 
にほんブログ村 経済ブログへ

|

« 「決断できない日本」の政治家達 | トップページ | タバコ増税で判明したタバコ1箱の妥当価格 »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

ということは、日本は公平でも平等でもない国ということになりますねぇ。

日本の年金制度は、極めて基本的なネズミ講の模倣でしかなく、今後10年で枯渇すると監督官庁の関連団体がこっそり表明してますし。

「老害大国日本。」

不本意ながら、この言葉が今後歴史に刻まれることになるのでしょう。

投稿: ao | 2011年10月 9日 (日) 01時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/52918445

この記事へのトラックバック一覧です: キューバ改革と「自由と公平と博愛の精神」:

» 「自由と公平と博愛の精神」…基本的に賛成だな [草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ]
 格差問題の本質とは、他人の2倍以上の仕事をしても半人分の収入しか得られないとか、他人の半分しか仕事をしていないのに2倍の収入を得ているというような不公平な差別社会(つまり同一労働相違賃金)にあるわけで、決して“結果の不平等さ”にあるわけではない。  「公平」と「平等」という概念は似ているようで全くの別物であり、どちらかを優先できるというような代物ではなく、どちらかを実現しようとすれば、どちらかを捨てるしかない。 (注意:ここで述べている平等とは「機会の平等」..... [続きを読む]

受信: 2011年10月27日 (木) 18時07分

« 「決断できない日本」の政治家達 | トップページ | タバコ増税で判明したタバコ1箱の妥当価格 »