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転換期を迎えたフリービジネス《デジタル社会の著作権》

2012010401 昨年は、違法ダウンロードを行った者への罰則強化や、自炊代行業者への訴訟問題等、著作権問題というものがクローズアップされた1年でもあったが、おそらく今年も引き続き、こういった著作権問題が少なからず取り沙汰されることになるのだろうと思う。
 書籍や音声や動画などがデジタルデータ化されることによって、オリジナルの著作物が全く劣化せずにコピーができるようになったのは、つい最近のことであるように思われるが、この10年か20年の間に市場に出回った著作権を無視したコピー商品は膨大な数にのぼるだろう。
 
 一時、「フリービジネス」という言葉が流行り、商品を無料で市場に出回らせることによってその商品の認知度を高めることができれば、結果的には大きな収益に繋がるというようなことが喧伝されたことがある。しかし、違法コピーが罷り通っている現代社会にあって、紙媒体からデジタルメディアに移行するだけのビジネスモデルでは、あまり意味はなく、その先の新メディアに展開していくことができないものは、いつまで経っても収益が上がらないというケースも多かった。
 
 例えば、ある漫画家が人気作品の1つを無料でネットに公開すれば、その漫画家の知名度は飛躍的に向上する。もしその漫画が本当に面白く、多くの消費者に受け入れられるだけの品質を有していれば、別の(有料の)コミックが売れることに繋がるというのが、このフリービジネスのポイントだった。それは要するに、無料でできる先行投資であり、無料でできるコマーシャルだったわけだ。
 
 しかし、その新しく消費されるべきコミック自体がコピーで手に入るものであるなら、そのコマーシャル効果は意味を為さなくなる。無料で行うコマーシャル商品と、有料で販売する商品の明確な分別があれば、こういったマーケティング手法は確かに大きな成果を生む可能性が高いが、その垣根があやふやになってしまうと、全く成果を生み出さないばかりか、逆にマイナスになることも充分に有り得る。
 
 現在のように膨大な違法コピーデータが氾濫している状態の中で、フリービジネスが高い確率で成功するためには、その漫画家が漫画を書くだけでなく、別のメディアに進出するというような離れ業が必要になってしまう。例えば、その漫画がアニメ化されるとか、映画化されるとか、あるいは漫画家自身が芸能人のようなタレント活動を行うといった具合にだ。しかしそうなると、もはや「フリービジネスにおける成功」と言うのは、こじつけに近く、単に無料の宣伝効果から波及した「当たり前の成功例」と言った方がピッタリとくる。
 
 デジタルメディアの最大の利点はコピーフリー、つまり、コマーシャル費用が限りなく0に近いことにある。例えば、新聞の折り込みチラシのようなものをPDFデータで全国にメール配信すれば、印刷費用も発送費用も広告料金も一切不要という夢のような宣伝媒体と成り得る。しかし、どのような宣伝媒体であろうと、それを作成するのは人間であり、作成したものには著作権が生まれる。デジタル社会では、この著作権というものが無いに等しいという向きもあるが、著作権を完全に無くすことはできないだろうし、無くすべきではないと思う。デジタル社会であるからこそ、著作者の著作権というものを明確に定義する必要性も有るのではないかと思う。
 
 グーテンベルクが活版印刷技術を発明したことによって、それまで手書きで高価だった書物が複数の人に配ることが可能となった。それは、著作者、仲介業者、読者、その誰もが恩恵を受けることのできる革命的な出来事だった。
 しかし、IT革命に始まったデジタル革命は、同じ革命的な出来事であっても、少し違った。グーデンベルクの印刷革命は、書物の概念を「1 対 多数」に変えた。一方、デジタル革命は、書物というものを「1 対 無限」に変えた。(この場合の「」は著作者を意味する)
 
 「多数」と「無限」では何が違うのか? 「多数」の場合は、限度があるので、値段が付けられるが、「無限」の場合、値段を付けることができない(又は付ける必要が無くなる)ということである。オリジナルの原稿を書くのは人間であるが、データのコピーには全くと言ってもいいほど人件費はかからない。人件費がかからないがゆえに違法コピー業者が入り込む余地(スキマ)が生まれるわけだ。あるいは著作物が高過ぎる場合も、そのスキマを狙って違法業者が出現することになる。しかし、どちらの場合も著作権自体が無くなるわけではない。
 
 先月、電子書籍を否定しているスペインの有名な女性作家が、作品の違法ダウンロードに業を煮やして断筆宣言を行ったというニュースがあった。作者が苦労して書いた作品を無料で手に入れることが当たり前になっている世の中に対しての警鐘の意味も込めての行動だったのだろうと思われる。
 私は電子書籍はもっと普及させるべきだと思うし、自炊代行も別に構わないと思う。そのどちらも、結局のところ、著作権というものがあまりにもデタラメな扱いになっているがために、作家達の反発を招いているだけだろうと思う。
 デジタルデータ化されることによって、発行部数は飛躍的に伸びても、収入比率が比例して伸びないどころか、全く無視されているところに問題が有るというだけの話だろうと思う。
 
 実現の可否はともかくとして、デジタル社会における著作権というものを明確に定義することができていない現在の社会に対する疑問が行動となって現れることは今後も続いていくことになるだろうと思う。その行動を起こすことで明確な答えが用意されるとは限らないが、これまでに氾濫した膨大な違法コピーデータの全てをフリービジネスの過程における“先行投資”だと考えるならば、昨年の一連の出来事は、その投資資金回収の時期が近付いて来たということの証(シグナル)なのかもしれない。
 
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