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『自分自身が可愛くて可愛くて仕方がない人々』の考察

2012030101 ブログ記事で、たまに「右翼」や「左翼」という言葉を使用すると、「時代遅れ」というような反論(というより批判?)を頂戴することがある。こういった言葉ができたのは随分と昔(フランス革命の時代)のことなので、現代的ではないということなのかもしれない。

 私自身は右翼でも左翼でもないが、「右翼」や「左翼」という言葉が古い過去のものだとは思っていない。両極端な思想というものは、いつの時代にも存在し、東日本大震災が発生してからは、むしろ、最も新しい言葉(概念)の1つであるとも思っている。
 以前の記事で、「原発事故によって新左翼が誕生する」という仮説を述べたことがあるが、現在は仮説ではなく、実際にその通りだったという思いが日に日に強くなっており、図らずも「左翼」というものの精神構造がこれまで以上によく解るようになった。

 結論から先に言うと、左翼と呼ばれる人々というのは、“自分自身が可愛くて可愛くて仕方がない人々”のことだということが、なんとなく感覚的に解るようになってきた。これはあくまでも私見なので、誰かに無理矢理納得してもらおうという気はさらさらないが、誰か同じような考えを抱いている人がいるかもしれないので、誤解を恐れずに書き留めておきたいと思う。

 右翼と左翼の内面的な違いというものは、一言で言うなら“精神的支柱”とも言うべきものを、心の内に持っているか否かという違いである。自分自身を捨ててでも守るべきものを持っているかどうか、つまり、自分の存在以上の価値を心の内に見い出しているか否かという違いである。

 右翼と呼ばれる人々が、天皇や皇室を敬っているというのも、結局のところ、自分を超えた存在(または価値)というものに帰依しているということである。現代の右翼が全てそのような人々かどうかは定かではないが、潮 匡人氏の著書『日本を惑わすリベラル教徒たち』に出てくる言葉を借りれば、保守と同じく「垂直軸」を持った人々のことを基本的には右翼と呼ぶ。つまり、天を仰ぎ見るという謙虚な姿勢が有ることを意味する。

 ところが、左翼という人々は、この逆で、これといった精神的支柱というものを持っておらず、自分自身を捨ててでも守りたいもの(肉親は除く)も持っていないため、必然的に自己中心的になる。
 自己保存欲から派生した口先だけの綺麗事を並べることには長けてはいるが、自分(人間)以上の存在(概念)や価値を心の内に見い出していないため、現在ただいまの自分自身の生活を脅かすものや、自分自身に危害が及ぶものなどには過剰なまでに拒否反応を示すことになる。
 彼らにとって大事なことは、現在の私生活の安寧を守ることであるため、将来の日本がどうなろうが、子孫の未来がどうなろうが関係なく、あくまでも自分自身の生活が最優先されることになる。

 左翼思想とは要するに、『自分教』のことであり、人間より偉いものは無いという「人間が神様」という思想なのである。

 こういった人々は、現在の原発を廃止することによって、将来的に日本がどうなるかなどは全く考えようとはしない。「子供達の命の安全が大事」などと言っても、将来的に日本経済が衰退することによって、その子供達の生活が困窮するかもしれないということには考えが及ばない。ただ、現在の自分達の生活(または命)さえ守ることができればそれでよいという、ある意味で極めて自分勝手な思想なのである。

 このことは原発問題だけでなく、年金問題や福祉問題に置き換えても同じことが言える。
 将来的に子孫達がどれだけ膨大な借金を抱え込むことになろうが、現在の自分達が生きている間さえ安定していればそれで良いというのが、この思想の悪しき特徴である。
 彼らの言うところの「人間の命が大事」という言葉は、正確に翻訳すると、「現在の自分自身が大事」という意味になる。
 崇高な理想のために自分自身を犠牲にして、子孫達の将来を守るというのではなく、ただ現在、目の前に現れた危険を取り除くことができれば、それが正義となる。

 彼らは一見、保守的なことを述べているように見えるが、その実、国の将来を憂いることなく、国の繁栄を願う心も無く、ただ“自分自身”という御本尊を守るために、自らの眼前に現れたリスクを100%排除しなければ気が済まない。まさしく、自分自身が可愛くて可愛くて仕方がないというわけだ。

 この過保護な思想こそが、左翼思想というものの本質的特徴であり、この1年間、原発事故の成り行きを第三者の立場で観察することによって改めて感じたことでもある。

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コメント

 お前のようなアホ丸出しな煽動に煽られる低能橋下徹支持者に言ってやっても無駄だろうが、一応忠告してやるよ。
 橋下徹とかいうアホは自分が民意だとかアホ丸出しにほざいているが、橋下に反対する意見も民意だろ。橋下はそれを悪だと決めつけて自分が正義の頂点とか思わせているんだよな。正にヒットラーのやり方そのものだよ。大阪では維新の会のクズ議員共が横柄な態度で評判が悪いらしいが、橋下徹がその原因だということは、たかがタレント上がりの3流弁護士ごときの橋下徹には理解不能だろうな。

投稿: 下等生物に言ってやる | 2012年3月 2日 (金) 00時30分

ああ、なるほど。
河村たかし氏の歴史に対する発言での報道を思い出しました。

自 分 自 身 と 意 見 が 融 合 し て る か ら 、 不 愉 快 だ と 感 じ た = 正 し く な い 、 っ て こ と に な る ん で す ね 。

正しいことが、自分にとって不愉快なことである可能性を、まったく想定していないっていうか。

投稿: クロコダイルPOP | 2012年3月 2日 (金) 00時35分

なるほど、面白い切り口ですね。
一つだけ指摘させていただければ、あなたが仰っているのは「左翼と右翼」では無く、現代の日本においては、やはり「サヨクと保守」では無いでしょうか。
 家族、地域、学校や職場などのコミュニティの中で自分が必要とされ、またそこに自分の居場所がある人は、そのコミュニティとコミュニティの中の人たちに対する愛着を持ち、そこでの信用と和を守ろうとします。
 しかしこのようなコミュニティの欠点は、同じコミュニティに属する他人の過ちに対して良くも悪くも寛大であり、日本的な「なあなあ主義」が形成されやすいことや、また外の人間からみれば「閉鎖的なムラ社会」と見られるとことです。
 
現代日本の「保守」とは上記で述べたような帰属すべきコミュニティを、多少の犠牲を払っても守りたいと考える人たち。それが大きな意味で、「日本」という自分の生まれた国家への愛着、その国家の象徴である天皇陛下と日の丸君が代への敬愛へと繋がっているのだと思います。
 一方で、私が知っている「サヨク活動家」と称される複数の方々の言動を見ても、サヨクの場合は自分が帰属するコミュニティが、同じサヨク集団以外には極端に少ないか、または存在せず、結果「自分自身の存在」が全てとなります。
 サヨクは、ジェンダーフリーや夫婦別姓により家族制度や地域のコミュニティを破壊し、ありもしない「過去の戦争犯罪」使って、コミュニティの集合体である日本という国家を解体することを何とも思わないのです。彼らは自分さえ良ければ良いのですから。
 民主党が色々とサヨクの実態を証明してくれましたが、皮肉なことに民主党もその支援団体である自治労も、身内の不祥事には寛大なところだけは、きわめて「日本的」であると言えますね。 

投稿: けいすけ | 2012年3月 2日 (金) 21時54分

なるほどですね。
どこが違うのっ?。て聞かれて答え切れなかった部分が、解った気がします。

なるほどですね。
ゲンバツ自体は発電としてはいらないと思ってますが。

なるほどなって思いました。

投稿: こんばんは。 | 2012年3月 2日 (金) 23時10分

わかりやすい解説ですね。

投稿: ハーバードナンパスクール佐藤エイチ | 2012年3月 4日 (日) 21時06分

こんばんは。
最初は?でした。
単純に、
右 =日本好き
左 =どうでもいい
と思っていましたが、左と思った人が日本好きだったり、右と思った人が親米だったり混乱して自分の位置が分からなくなったりしていましたが、これは実に納得です。
 また、「エコノミスト系の人は大抵ネオリベ派だ」とも思っていましたので意外な内容もありましたが、心地いい論説でした。

投稿: にのい もちみ | 2012年3月 6日 (火) 01時38分

興味深い考察ですね。

> 右翼と左翼の内面的な違いというものは、
> 一言で言うなら“精神的支柱”とも言うべきものを、
> 心の内に持っているか否かという違いである。
右翼も左翼も、過激な人になればなるほど、精神的支柱がないように思います。

過激な左翼「(心の内に精神的支柱がないから)俺を助けてくれ、守れ!守らないお前たちは間違っている!!」
過激な右翼「(心の内に精神的支柱がないから)俺は天皇(や国粋主義やリバタリアニズム)の正しさにすがっている。その正しさを信じろ、守れ!守らないお前たちは間違っている!!」

投稿: | 2012年3月20日 (火) 23時27分

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