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2012年4月

BOOK『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を読んで。

2012042801 現在、どこの書店に行ってもベストセラーとして陳列してある新書『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を遅ればせながら読んでみた。
 挑発的なタイトルからも分かる通り、本書も最近流行り(?)の現代医療批判本であるが、「自然死」のススメ的な内容の本である。著者は現在、老人ホームの医師をされている中村仁一氏。実際に老人ホームで数々の「自然死」を見届けてきた氏の言葉には説得力がある。中村氏は本書の前書きで以下のように述べている。
 
 「私などは、有名人ではないので失うものがない、おまけに先が短いので恐いものがありません」
 
 死を恐れない人物が他人からの批判や中傷を気にせずに本音を書けばこうなるという見本のような本であり、多少、毒々しい言葉遣いが見られるものの、ユーモアセンスのある文体は読み易かった。
 
 近年、「情報弱者」という言葉をよく耳にするようになったが、この言葉は実は医療の世界にも当て嵌まる…と言うより、医療の世界ほど情報弱者が多い(=情報格差が大きい)世界も珍しいかもしれない。
 医療に拘わらず、現代日本でまともな情報を仕入れるためには、本を読むか、インターネットで情報を取得するしか方法がない。インターネットが無くても本を読む習慣がある人はまだ救いがあるが、テレビや新聞だけの情報に頼っているような人は、無条件に「情報弱者」に分類される。この単純な事実を実感できない人のことを情報弱者と呼ぶわけだが、情報弱者が被る被害には、金銭的な被害だけでなく、命の危険に晒されてもそのことに気が付かないという恐ろしい被害がある。
 ここまで読んで「そんなバカな…」と思った人は、生粋の情報弱者だと思われるので、要注意だ。
 
 簡単なところで言えば、ネット販売の経験や知識が無い人は、ネットで買い物をする人よりも割高な値段での買い物を余儀無くされる。これは実際にその通りであることはネット販売経験者なら誰もが知っている。パソコンが利用できないと損をする、しかし、その程度のことなら、特に問題視する必要もない。せいぜい数百、数千円を損する程度なら笑って済ませられるし、そういった人が多い方が実は日本経済にとってもプラスになるという一面が有る。
 ところが、医療における情報弱者になってしまうと、無駄に命を危険に晒すことになり、場合によっては命を失ってしまうという損害を被ることになる可能性も有るので、笑っては済ませられない。
 
 私も数年前に父親をガンで亡くしているので、当時はガン関連の書籍を貪るように読んだ経験がある。その時に初めて気付いたのは、世間のガンに対する認識が必ずしも正しいものではなく、その治療法に至るまで疑問を抱かざるを得ないというものだった。
 不幸にもガンを告知された患者は、その医者からの言葉に絶望し、ガンという自らの病を詳しく知ることもなく、ただ、ガンという病を叩くという対症療法的な治療のみに専念することになる。余程、気丈で腹の据わった人でない限り、ガン告知後に、ガンを知るために自ら本を読もうなどとは思わない。ゆえに、こういった医療関係の本は病気になる前に読んでおいた方が、いざという時に冷静に判断できることになるし、実は病気の予防にも繋がるということを発見した。
 
 昔から「病は気から」という言葉もあるように、病気の多くはストレスによる免疫力の低下が原因であり、病の正体を知らないことによるストレスも病気の原因になることもあるかもしれない。過度な健康検診が逆にストレスになり、免疫力を下げているという本末転倒な事態もあることだろう。
 
 「大往生したけりゃ医療とかかわるな」というのは、「長生きしたけりゃ病院にいくな」という身も蓋もない言葉ではあるが、この言葉はある意味で正しいと思う。医者は神様ではないし、ある程度の病気は自己の免疫力を高めることによって治せるだろうし、生活習慣を改めることによって治せる病気もある。もちろん、治せない病気もあるが、自己責任の結果として生じた生活習慣病を他人である医者に治して貰おうと考えること自体に無理がある。
 
 病気というのは命に関わるものでもあるので、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」と言われても、どう判断するかは、あくまでも自分自身である。たとえ、正しいアドバイスをしていたとしても、それを誰にも強制することはできない。そこが医療の難しいところでもあるが、先にも述べた通り、著者は「恐いものがない」人なので、本音を書き連ねている。意図的にユーモアを盛り込んだのかもしれないが、健康な(若い)内に読んでおいて損はないだろうと思う。
 実際、本書を読んで死の恐怖から解放された人も多いらしい。恐怖心から解放されることが病気を遠ざける効果があることは言うまでもないだろう。
 
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ミサイル打ち上げ失敗から生じる『第二次朝鮮戦争』の可能性

2012042001 北朝鮮がミサイル打ち上げに失敗したことは周知の通りで、世間では、しばしの安堵感が漂っているかのように見える。一時的に地政学的なリスクも遠のいたということで、世界の株式市場も好感を示し、ニューヨークダウも日経平均株価も少なからず上昇に転じた。

 しかしながら、北朝鮮が今回のミサイル打ち上げ失敗に懲りて、このまま大人しく黙って引き下がるとは思えず、どうもキナ臭い空気が漂っているように感じられる。
 北朝鮮側は国連からの非難に対しても「全面排撃」する構えを見せており、依然として予断を許さない状況が続いている。

 米国務省のトナー副報道官は「非常に強力な独自の制裁を検討している」と述べたそうだが、この“非常に強力な”という部分がどうも引っ掛かる。日本政府がこういう言葉を述べる時、それは大抵“お金”(経済的な制裁)を意味するが、アメリカの場合、必ずしも“お金”を意味しないという恐さがある。実際に米国防長官が「戦争の一歩手前にある」とも述べており、軍事的制裁となる可能性があることを仄めかしている。

 このままこの緊迫した状態が続くと仮定すれば、安保理による追加制裁後に発生すると思われる北朝鮮の核実験を機に、朝鮮戦争に発展する可能性も否定できない。
 「窮鼠猫を噛む」という諺の通り、追い詰められた無法国家の独裁者は、時に信じられない行動を起こすことがある。まるで、時代の見えない澱んだ空気に背中を押されるかのような暴挙に出ることがある。戦争というものは、大地震と同様、いついかなる時に起こるか分からないということは、これまでの歴史が暗に示している。

 かつて1950年に勃発した朝鮮戦争では、「朝鮮特需」という言葉が生まれた。日本経済の変遷に少しは興味のある人なら誰もが1度は聞いたことのある言葉である。
 1945年の敗戦からなかなか立ち直れなかった日本経済にとって、朝鮮戦争から派生した「朝鮮特需」は自国の経済を押し上げる大きな原動力となった。『戦争』というものが最大の経済政策であることは、よく知られた(認め難い)事実である。

 あくまでも仮定の話だが、『第二次朝鮮戦争』が起こると、高い確率で『第二次朝鮮特需』も発生することになる。他国間の戦争という予期せぬ不幸な出来事で自国経済が立ち直るというのは、素直に喜べないことではあるが、「この世の地獄」と呼ばれる独裁国家を“まともな民主国家に変える”という大義名分を掲げて、アメリカが戦争を視野に入れている可能性は否定できないと思う。中国との関係もあるので、そう簡単にはいかないとは思うが、アメリカ経済の懐事情も考慮すれば、その可能性は充分に考えられる。

 要は、北朝鮮が自滅的な行動に出れば出るほど、アメリカに戦争(北朝鮮への攻撃)の口実を与えることになるということである。
 これまでにも北朝鮮は、2006年、2009年とミサイルを発射した後に核実験を行ってきているので、今回も同じように核実験を行う可能性は極めて高い。しかしその選択は「三度目の正直」的な危険を孕んでいる可能性がある。
 北朝鮮が再三の警告を無視して三度、核実験を行うという暴挙に出れば、国際世論は誰も北朝鮮を擁護できなくなるので、北朝鮮のオウンゴール(自滅)というシナリオが出来上がったとしても何ら不思議ではない。
 北朝鮮に新たに生まれた20代の若き独裁者が、自らの間違った判断によって国を崩壊に導く確率は高いと言えそうだ。

 『3・11』を日本の『第三の敗戦』ととらえている識者もいるぐらいだから、「歴史は繰り返す」という言葉が本当であるなら、この数年の間に『第二次朝鮮戦争』が勃発する可能性もまんざら否定できない。このキナ臭い空気の正体は“戦争が迫っている”という予兆なのかもしれない。
 
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『ビジネスごっこ』から誕生した日本の給料システム

2012041401 先日、ソニーが全従業員の約6%にあたる「10000人の人員削減を行う」と発表したことで大きな話題となった。ソニーはリーマン・ショック時にも16000人の人員削減を行っているので、これで合計26000人の削減ということになる。
 前回の16000人削減で1000億円のコスト削減になったそうだが、今回の10000人では750億円のコスト削減になるらしい。
 6%ということは、100人の会社で考えれば6人という計算になるので、リストラとしてはそれほど大騒ぎする程のパーセンテージでもないような気もするが、「1万人」という具体的な数字が世間に与えた衝撃は大きかったらしい。新聞の見出しにデカデカと『1万人削減』などという白抜き文字が踊ると、必要以上に大事件だというイメージが刷り込まれ、余計に不安感を煽ることになってしまう。

 かつては「家電」と言えば日本製が主流だったが、今や、アジアの新興国に完全にお株を奪われてしまった感が強い。性能的な品質面では未だ日本製に分があるものの、価格的には全く太刀打ちできないような状況だろうと思う。
 最近は日本の家電メーカーも『MADE IN JAPAN』という看板を捨てて、形振り構わず人件費の安い他国で商品を生産している場合が多いが、本社がある自国の従業員の人件費(下請けの関連企業も含む)が高過ぎるためか、結局、世界を舞台にしたマーケットでは価格競争で負けてしまうことになる。
 先進国と新興国では、その人件費に圧倒的な差が有るため、同じ土俵の上で同じような商品を製造していたのでは、元々、勝ち目は無いに等しい。こういった事態(家電製造業の行き詰まり)を招くだろうことはもう20年以上も前から分かり切っていたことであるので、今更驚くような話でもないのだが。

 日本の労働者と新興国の労働者では、その人件費に10倍から30倍以上の開きが有ると言われている。どんなに器用で迅速に仕事ができる人であっても、流石に他人の10倍以上の仕事を行うのは無理がある。これは喩えて言うなら、100m走で90m以上のハンデを背負って競争しているようなものである。この差はもはや、能力や努力でなんとかなるようなレベルの問題ではない。こんな勝負をまともに行って勝てるのはスーパーマン位のものである。
 如何に日本国民が勤勉で有能であったとしても、モノ作りにおいては人件費の壁を超えることはできない。残念ながら、それがグローバル社会の厳しい現実であり、デフレ経済の中における日本の立ち位置である。
 ちなみに日本で言われている“お金が足りない”という意味での「デフレ」は、デプレッション(不況)のことであり、世界的なデフレ現象とはほとんど関係がない。

 前置きが少し長くなってしまったが、こういった事態を少しでも緩和する術が有るとすれば、それは、日本の労働体系を根本的に改めていくしかないのではないかと思う。
 具体的に言えば、正社員給というような建前給を止めて、日本の全企業が、市場の動向に沿った雇用・給与体系にするしかないのではないかと思う。
 昔の羽振りが良い頃の日本企業では、“仕事ができる人間”よりも“世渡りが上手な人間”の方が優秀な人間だということで重宝されたことがある。一部の公務員の世界では現在でもそうなのかもしれないが、今時の民間企業でそんな世渡りゲームのような真似事をすれば、即刻倒産ということになってしまいかねない。こういったデタラメなビジネスごっこが成り立った背景には、ロクに仕事をしなくても過剰な利益によって会社経営が成り立ったという裏事情がある。

 会社にいるだけで年々自動的に給料が上がっていくというような昇給システムも、このビジネスごっこの範疇に含まれている。しかし、毎月決まった給料が支給されるというシステムは、絶対的な仕事量も利益も保証されているという恵まれたビジネス環境でしか本来は成り立たないものである。
 実際、絶対的な仕事量の確保に躍起になっているのが現在の日本企業の姿であり、そんな状況下では、毎月の給料というものは、仕事量の変化によってアップダウンするのが本来の自然な姿だと言える。つまりは、仕事量によって変化する当たり前の給料体系でしか今後の経営は成り立っていかないということだ。

 ソニーも1万人もの人員をカットするよりも、ある程度、仕事量(利益)に見合った変動制の給料体系になっていれば、数千人の雇用は守られることになっただろうし、技術者の流出も避けられたはずだ。給料が下がって嫌なら、従業員自らの意思によって退職や転職を選択するというのが、まともな労働市場の姿である。
 時代や環境に沿った給料体系に移行することができないことによって、ハードランディング的にいらぬ失業者を生むことになり、全体としての労働市場にも景気にもマイナスの影響を与えることになる。
 
 ソニーの平井社長は「ソニーを変える。私は本気で全力で社員と一丸となって変えていく」と決意表明を声高らかに述べたそうだが、その抽象的な言葉には、どこか空虚さが漂っているように感じてしまう。今後、如何なる新商品を生み出したとしても、現在の雇用・給与体系をそのままの状態で放置すれば、再度、市場からの反作用を食らうことに成りかねないのではないかと危惧する。無論、これはソニーだけでなく、全ての日本企業に当て嵌まることでもある。
 
 「仕事量の変化によって給料が変わる」、これは至極当然の給料システムである。しかし、この当たり前のことができていないのが現在の日本企業の実態である。
 「毎月、給料が違ったら生活が安定しないではないか!」と怒る人がいるかもしれないが、毎月同額の給料が支給されるためには、トータルで総収入以上の利益を生み出していなければならない。グローバル化社会以前の日本では、その条件が幸運にも達成されていたがゆえに、そういったリスクヘッジ型を装った給料体系(経営者側から見れば、ピンハネ給料体系)が維持できていたに過ぎないのである。
 仕事量に比例して給料が変化するという当たり前の労働市場法則が機能していれば、現在の日本の雇用問題も少しはマシになるだろうと思う。現在の日本の労働市場の閉塞感の正体は、自然に逆らった人為的な計画経済に嵌り込んで、そこから抜け出せなくなってしまっていることにある。
 
 最後に、ソニーと言えば、以前、ホリエモンが買収する計画を立てていたことで騒がれた企業である。あの当時では、「なんと大それたことを…」と言う人が大部分だったと思うが、もし本当にホリエモンがソニーの経営を現在行っていたとすれば、どうなっていただろうか? これは私個人の推測だが、おそらく「世界のソニー」という言葉は現在でも通用していたのではないかと思う。
 彼はソニー買収によって iPhone的な商品を製造して流通させるという青写真を頭に描いていた。そして現在の大画面テレビ事業が不振に陥ることも既に見抜いていたフシがあり、「大画面テレビ事業は海外メーカーに売却する」というようなことも述べていたそうだ。
 ホリエモンを刑務所の中に閉じ込めた反作用は、日本経済にとっては無視できない悲劇を齎すのかもしれない。
 
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「地獄への道は消費税増税論議で舗装されている」

2012040101_2 民主党内での愚にもつかない消費税増税論議をよそに、北朝鮮のミサイル(?)打ち上げは着々と進行しており予断を許さない状況が続いている。
 北朝鮮のミサイル問題という喫緊の課題を後回しにして、未だに消費税増税論議に花を咲かせている危機錯誤な政治家達の姿を観ていると、なにをかいわんやの感がある。
 この現状を喩えて言うなら、タバコの不始末で自宅が出火した時に、その火を消そうとせずに夫婦喧嘩をしているようなものである。火事になった時には消防署(アメリカ)が消してくれるという他人任せの平和ボケ思考が招いた悲劇とも言えようか。

 野田総理は以前から「消費税の増税に政治生命を賭ける」というようなことを述べており、自らが日本の将来を背負ったヒーローにでもなったかのような気分でいるのかもしれないが、これはかつての小泉元総理の「郵政の民営化に政治生命を賭ける」と言うのとは全く方向性が逆である。
 富裕層に重くのしかかる税金は別として、庶民に等しくのしかかる税金に反対しない国民はいない。ゆえに、消費税を上げるという行動は、一見すると民意に反しているように見え、その波に逆らうことができるのが勇気ある政治家の姿だと思っている人がいるかもしれない。しかし、消費税を上げる目的が、過剰な福祉政策に繋がっているのであれば、結果的には民意に沿っているわけだ。しかして、その民意とは、善良な民意ではなく、悪徳な民意、つまり既得権益の維持に繋がる民意である。
 
 「郵政民営化」というものは(その実効性はともかくとして)一応、既得権益構造の破壊(=国益)という名目があったが、「不況下の増税」というものは、どう考えても国益に適っていないことは明らかであり有害無益でしかない。「既得権益構造の破壊に政治生命を賭ける」と「増税に政治生命を賭ける」とでは政治的な立脚点が全く違うということを知る必要がある。
 
 誰に吹き込まれたのかは知らないが、「不況下の増税」などという狂った政策を疑うことなく実行できるということは、何者かに洗脳され思考停止状態にあるとしか考えられない。
 「民主」という言葉の通り「国民が主役」だと考えるのであれば、現在の不況下で行われるべきは「減税」であり、民主党の党主が本来述べるべきは「消費税の減税に政治生命を賭ける」でなければ政党名と矛盾していることになり辻褄が合わない。
 
 巷では「消費税は自民党がもっと前に上げるべきだった」というような説も聞かれる。確かに経済成長期やバブル経済時に消費税を上げるべきだったという見解には一理あるかもしれない。しかし、その理由によって、現在の与党である民主党が消費税を上げなければならないという理屈にはならない。
 仮にバブル経済時に消費税を10%に上げていたとしても、現在、採るべき手段は減税でしかない。現在の消費税率が何%であろうと、『好況期に増税は有り得ても、不況期には減税しか有り得ない』という基本的な原理原則が変化するわけではないからだ。
 
 この不況下で減税を行うという、ある意味で狂気とも受け取れる行動を民意に反して断行してこそ、真の政治家だと言える。それができてこそ、「名宰相」として歴史に名を残すことができると思われるのだが、このままいくと野田総理は歴史に汚名を残すことになる可能性が極めて高いと思われる。
 消費税の増税はまだ決定したわけではないが、既に閣議決定まで進んでしまったわけだから、仮に消費税増税がギリギリのところで食い止められたとしても、もはや汚名を返上して美名に変えることは不可能に近い。おそらく後世の人々からは「平成の悪代官」の1人として認識されることになるだろう。残された可能性は、中途半端な悪人で終わるか、極悪人になるかの違いだけだろうと思う。
 
 「地獄への道は善意で舗装されている」という有名な言葉があるが、「消費税増税によってハッピーになる」などという言葉を信じていると、行き着く先は間違いなく地獄である。消費税増税論議に花を咲かせている最中に、北朝鮮からのミサイルが飛んで来て対処できないということにでもなれば、国民はまた別の意味での地獄を見ることになる。まさに「地獄への道は消費税増税論議で舗装されている」である。
 
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