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規制強化よりも重要な交通事故防止策

2012050401 今年は、JR宝塚線(福知山線)脱線事故から7年が経過したとのことで、テレビでも特集番組が放送されていたが、同じような悲惨な交通事故が短期間に内に相次いで発生した。京都祇園のてんかん暴走事故に始まり、同じく京都亀岡の居眠り暴走事故、そして、関越自動車道での高速ツアーバス事故と、新たな事故が発生する度に、その前の事故の報道が減少していく。事故の規模の大きさと、加害者が未成年でないことも影響しているのかもしれないが、現在、直近の高速バス事故がマスコミで槍玉にあげられている。
 
 京都での2つの事故についての記事は敢えて書かなかったが、高速バス事故については、少々、流言飛語の如く情報が飛び交っているようなので、少しだけ書かせてもらおうと思う。
 
 現在、よく聞くのが、「高速バス事故の原因は規制緩和のせい」というものだが、これは本当に正しい情報だと言えるだろうか? 今回はこの部分にスポットライトを当ててみたいと思う。
 
 今回の高速バス事故の直接的な原因は、京都亀岡の暴走事故と同様、“運転手の居眠り”だった。しかし、そのことが判明した時点で(高速バス事故に限り)その居眠りの間接的原因(または遠因)がどこにあるのか?という犯人探しになり、行き着いた答えが、過酷な労働=“規制緩和”だったという毎度お決まりのパターンである。

 予めお断りしておくと、私は規制緩和が正しいと言うつもりは無いし、世間で言われている市場原理(?)に任せれば全て上手くいくなどという考えも持っていない。
【証拠記事】『市場原理』とは何か?
 
 規制緩和によって価格競争が起こり、バス会社の安全性が低下したというのは、ある意味ではその通りかもしれないが、今回の事故だけでそう判断するのは、あまりにも早計であり短絡的な結論と言わざるを得ないと思う。今回のような居眠り事故が何度も続いたということなら、そう考えざるを得ないかもしれないが、運転手もロボットでない限り個人的な違いがある。個々人の生活リズムも違えば、肉体的な生理現象の度合いも人それぞれ違う。疲労を感じる程度というのも千差万別だし、朝型の人間もいれば、夜型の人間もおり、元々、夜間バスの運転手には向いていない人だっている。そういった様々な運転手がいるにも関わらず、運転手は全て同じという前提で犯人探しが行われているような気がする。
 
 それに規制をどれだけ厳しくしたとしても、それで交通事故が起こらないわけではない。先の京都亀岡の暴走事故を例に出すまでもなく、バスの運転手が無茶な私生活を過ごしていれば睡眠不足で居眠り運転事故を起こす場合も有り得る。
 規制云々だけでなく、実に様々な事情で事故というものは発生する。車の運転は人間が行っているのだから、如何なる方策を講じたところで、全くの無事故にすることは残念ながら不可能だ。極力、事故を避けようと思うのならば、より安全な交通手段を利用するしかないかもしれない。
 
 運転手が2人いたところをコスト削減で1人に減らされたようなケースであれば、確かにリスクは高まるかもしれないが、はたして、夜間バスを利用している人々はそういった安全性リスクが増大していることを認識しているのだろうか? 鉄道を利用する場合と、夜間バスを利用する場合、その料金には大きな開きがあるが、その開きとは一体、何の差だろうか? 運行設備の差だろうか? それともスピードやサービスや快適度の差だろうか? そこには様々な違いが存在するが、実は“安全性”という違いも入っていることに気が付いているだろうか?
 
 「規制緩和がいけなかった」と言うのは、極論すれば、「夜行バスは利用するな」と言っているようなものである。なるほど、バス会社を“安全性”という名目で規制で縛れば、運行料金は跳ね上がり、多くの人はバスではなく電車を利用することになるかもしれない。そうなれば、当然、バスを利用するよりも安全だ。しかし、それで消費者が満足するだろうか? 少しでも安価で旅行することを追い求め、夜行バスを利用し続けている消費者達が、リスク回避のために、高額な交通料金を支払っても構わないということになるだろうか?
 伝えられているところでは、今回の事故が起こった後も、夜行バスの利用客は全く減少していないらしい。結局、彼らは、安全性というものよりも低料金制というものに惹かれて行動していることになる。その感情は規制緩和によって生まれ、規制強化によって消えて無くなるものだと言えるだろうか?
 
 JR宝塚線の脱線事故にしても、規制が緩かったから事故に至ったわけではない。あの事故の場合、「時間厳守」という規則を絶対視するあまり、暴走を招いてしまったとも言える。
 そういう意味ではむしろ、規律厳守という違う意味での日本社会の規制(?)によって事故が起こったとも考えられる。
 もし、数分間、電車が遅れても問題視されない社会であれば、あのような悲惨な事故は起こらなかったと思う。安全性よりも規律制を重視した融通の利かない窮屈な社会が招いた悲劇だったと言えなくもない。
 違った例で言えば、過労死というものがある。これも、価格競争によって過剰な労働を要求されることよりも、その会社を辞めて他の会社に転職することが難しいという融通が利かない労働市場にこそ問題があると言える。
 
 今回、事故を起こしたバス運転手も、運転途中、3回の小休憩を取ってハンドル上にうつ伏せになって眠っていたと伝えられているが、この運転手が恥を承知で「居眠りしそうなので、ドライブインで1時間程、仮眠してもいいでしょうか?」と言うことができれば、今回の事故は起こらなかったと思う。しかし、そのようなことを言えば、「お客様に対してなんて失礼な奴だ!」「こんなバス会社は二度と利用するか!」ということになり、その運転手はクビになり、ヘタをすれば口コミでバス会社も潰れるかもしれない。
 
 あくまでも結果論に過ぎないかもしれないが、バス会社が無理をして安価な料金でサービスを提供していると思うのであれば、少し位はそういったマイナス点も笑って呑み込める位の度量が消費者にも必要かもしれない。元々、料金の違うものに同程度のサービスを要求する社会にも問題が有ると思う。サービスの高低は料金相応というのが、本当の市場原理である。そう考えると、この国では、市場原理がまともに機能しておらず、規律を重んじるという建前が、安全性よりも上位概念になってしまっているとも言える。
 
 規律を守ることは社会人としての常識(マナー)ではあるが、乗客の命を守ることよりも、その規律を守ることの方が大事だというところまでいくと大きな問題となる。
 ということで、規制を強化するよりも、社会の融通性を強化することを考えた方が良いかもしれない。つまりは、建前社会の規制緩和だ。
 
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