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パナソニックのリストラ考【真の聖域とは何か?】

2012060201 ソニーに続き、今度はパナソニックが本社従業員7000人のリストラ策を発表した。「経営の神様」と称された松下幸之助氏の影響も手伝ってか、これまで「聖域」とされ、誰も手を付けようとしてこなかったパナソニック本社にまでリストラの波が及んだことをマスコミは大々的に報じている。

 今期(2012年3月期)の連結決算で国内製造業至上最悪の7721億円にものぼる赤字を経常したパナソニックにとっては、大幅なリストラの断行は止むを得ないとは言える。しかし、今回の場合もソニーと同様、対症療法的な中途半端なリストラ策であることは否めない。

 ソニーの1万人削減の時にも少し述べたことだが、人員削減だけがリストラではない。「リストラ」と聞くと条件反射的に「解雇」という言葉を思い浮かべる人がいるのかもしれないが、それはリストラの一部に過ぎない。
 リストラとは、リストラクチャリング(Restructuring)のことであり、ビジネス用語に訳すと、「経営構造を再構築する」という意味合いになるが、人員削減というのは、「経営構造の再構築」と言うより「経営規模の再構築」を意味する。

 「構造」と「規模」では少し意味合いが違う。「構造」の中に「規模」を含めることはできるが、「規模」の中に「構造」を含めることはできない。
 具体的に言うと、ここで述べた「規模」とは“従業員数”のことであり、「構造」とは“給料制度”のことである。なるほど、確かに人員数を削れば、全体的な人件費は抑えることができる。しかしそれでは順序が逆さまであり、本来であれば、人員数を削る前に人件費を削るのが筋である。

 新興国の安価な労働力に対抗するためには、人員数ではなく、人件費を削らなければ意味が無いことはよく考えれば誰にでも解るはずである。年功序列給与制度によって過剰なまでに膨らんだ管理職や高年齢者のバブル給制度を破綻処理せずに、対症療法的に人員数を削ることによって調整できると本気で考えているのだとすれば、相当甘いと言わざるを得ない。(注:人員数を削ることが甘いと言っているのではなく、人件費に手を付けないことが甘いという意味)
 
 世界がグローバル経済に移行してから既に20年以上が経過し、新興国製造業の技術力がどんどん上がり、先進国に追い付こう追い抜こうとしている現代にあっては、人件費が高く成り過ぎた日本企業の給料制度を見直さない限り、この先、まともな競争などできるはずがない。本来であれば、赤字経営の間は一時的にでも従業員全員をアルバイトにする位の抜本的な構造改革を行わない限り、新興国相手には太刀打ちできなくなる時代がそのうち到来する。いや、既にそういう時代を迎えているがゆえに、日本を代表する大手家電メーカーがこぞって大赤字に転落しているとも考えられる。
 新興国と同じような商品を製造している限りにおいては、もはや余剰人員をカットすれば、どうにかなるレベルの問題ではないのである。

 思えば、この国ではすべてがこの調子である。司法、行政、立法に始まり、教育、マスメディア、大企業から中小企業に至るまで、ほとんど全ての組織が時代にそぐわないことが解っていながら、のらりくらりと騙し騙し問題を先送りし、建前と既得権益を維持するがためだけにスケープゴートごっこを繰り返すだけで、ほとんど何の改革もできずにいる。建前だけでやっていける時代はそれでもよかったのかもしれないが、現代は建前だけでは経営が成り立たないことに誰もが薄々気付いている。しかし、それでもまだ建前だけに拘ろうとする人間が後を絶たない。
 
 世界中の先進国や新興国が柔軟にどんどん経済社会システムをアップグレードしている時代にあって、日本だけが、いつまでも旧システムに拘っているように見える。その姿をコンピューターシステムに喩えて言うなら、Windowsであれば、Windows3.1、Macintoshであれば、漢字トーク7.1を使用し続けているようなものである。
 
 日本は識字率が世界一と言われ、国民の平均的な教育水準は非常に高いとも言われている。しかし、如何に優秀なオペレータを抱えていても、システムが旧いままでは、その能力は発揮されない。新興国が、Windows7やMacOSXをバンバン利用している中、先進国である日本がWindows3.1やMaxOS7.1を使用している姿を思い浮かべてみよう。そんなガラパゴス社会で未来に夢や希望を抱けるだろうか?
 
 現代の日本に必要なことは、システムのアップグレードであり、旧システムの再構築ではない。旧システムの再構築を行うよりも、旧システムを廃止し、新しいシステムをインストールすることの方がより重要であるはずだ。
 
 ここで先のパナソニックの人員削減に話を戻そう。「人員削減」というものを同じようにパソコンに喩えると、不用なファイルやキャッシュデータを消去しシステムをデフラグするようなものとも言える。しかし、そういった作業をする前にまずシステムを新しくする必要があるということである。旧システムの再構築を行ってから、新システムをインストールするというのでは順序が逆さまである…と言うより全く無意味だ。
 本来であれば、新システムに入れ替えた後(=給料制度を変更した後)に、それでも不安定であれば、デフラグ処理(=人員削減)を行うというのが筋なのである。
 
 つまるところ、本当の「聖域」とは、“パナソニック本社”のことではなく、旧システムに依存した“日本の労働システム(給料制度)”のことなのである。この本丸に手を付けない限り、日本の製造業の更なる発展は有り得ないと考えるべきである。

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