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“いじめ空間”と化した公立学校の悲劇

2012071301_2 大津市の中学校でのいじめ問題は予想外に大きな騒ぎとなり、ついには警察まで動き出すという異例の事態となってしまった。この問題のせいもあってか、民主党のドタバタ劇も鳴りを潜め、政治情勢のニュースは陰に追いやられた格好だ。

 私も前回の記事で大津市“いじめ”問題を取り上げてみたが、初日の(BLOGOSの)PVが28000を超え、これまでで最高のアクセス数を記録した。「いじめ」問題というのは多くの人にとって政治問題よりも身近な関心事であるということなのかもしれない。

 今回のいじめ問題で明らかになったことは、教育委員会の無能ぶりと保身の構図であることは、もはや誰の目にも明らかであり、この期に及んで、教育委員会を擁護しようなどという酔狂な評論家は誰もいないようだ。マスコミの御用学者達もさすがに今回は分が悪いと判断したのか、比較的良心的な意見を述べているように感じられる。

 現在の教育委員会のインタビュー等を観ていると、映画『それでもボクはやってない』に登場した小日向文世演じる裁判官の姿がオーバーラップしたのは私だけではないと思う。この映画では、保身のために感情を失った冷酷な裁判官の姿が描かれていたが、あの異様な光景が頭に浮かんだ。大津市教育委員会がいじめを隠蔽しようとする目的も、まさにあの映画と同じ構図である。
 
 日本の教育界のトップに君臨するのは、言わずと知れた文部科学省であり、学校における教育問題の報告は単純化すれば以下のような順序で行われる。

 学校の教師 → 校長 → 教育委員会 → 文部科学省

 こういう順序で報告が行われるだろうことは誰でも想像がつくと思う。この序列は民間の製造業で言えば、商品の欠陥報告のようなものであるとも言える。言葉を置き換えれば、次のようになる。

 従業員 → 工場長 → 役員 → 経営者

 「日本の教育管理者にとって『いじめ』報告とは、企業における『商品の欠陥』報告と同じようなもの」という前提で話を進めよう。

 製造業では当然のことながら欠陥商品は少ない方が評価は上がる。工場等では「不良品0」というような目標を掲げたポスターをよく見かける。しかし、民間の製造業と同じ感覚で教育機関が「いじめ0」を目標としているのだとすれば、一歩間違うと非常に恐ろしいことになる。

 例えば、自動車会社で製造している商品に欠陥が発見されると直ぐさまリコールとなる。商品に欠陥が有ったことはマイナスだが、未然に大きな事故を防いだということにもなるので、マクロ的に見ればプラス評価にもなる。
 欠陥商品が市場に出回ることによって重大な事故でも発生すれば、大きなクレーム問題となり更なる被害や損害を齎すことになるため、民間企業では欠陥商品を発見すれば、そのことを隠すわけにはいかない。仮に隠していたことがバレた場合、その従業員がクビになることはもとより、会社経営自体が破綻しかねないからだ。

 しかし、公立学校の場合、『いじめ』という欠陥が見つかっても、そのことが表沙汰にならなければ、大きな問題にはならない。
 教師が校長に「いじめが有ります」と伝え、校長が教育委員会に、教育委員会が文部科学省に伝えたとしても、「いじめは有っては困る」「いじめが有れば減点だ」というような絶対的な減点主義が蔓延っていたとすれば、その組織内では、いじめを隠すことが最も無難な対処法だということになってしまう。現在の教育委員会の姿を観ていると、まさにそのまんまであることは疑いの余地がない。
 つまり、現在の公立学校では、「いじめを発見し、いじめを無くすことが評価される」という当たり前の教育原理が機能していないのである。「いじめを無くす」ことではなく、「いじめが無い」ことが評価されるというデタラメな評価基準が誰にも指摘されることなく罷り通っていることこそが問題なのだ。
 自浄作用が働かない組織で「いじめ0」運動などを行うのは無理があり、非常に危険なことなのである。

 私立学校の場合、いじめを行う生徒がいれば、いじめを受けた生徒や親は学校に文句(クレーム)を言うことができる。もし学校側がそのクレームを無視すれば、その学校の評判を口コミで世間に広めることもできる。例えば、「あの学校は酷いイジメがあっても誰も注意もしないような学校だから行かない方がよい」というような噂が広まると、その学校は死活問題となってくるので、酷いイジメっ子がいれば退学にすることも辞さない。
 私立学校では、いじめが有ると、生徒だけでなく経営者自身が困ることになる。もし学校内で殺人事件やいじめによる自殺などがあれば、誰も新しい生徒が入学して来なくなり学校自体が潰れてしまう危険性が有るからだ。そういう意味では、私立学校では当たり前の教育原理が機能していることになる。
 
 ところが公立学校の場合、どんな事故や事件があっても、生徒は新たに入ってくるし、学校が潰れることもない。もっと言うなら、公務員としての教師も失業するリスクが無いため、「いじめを無くさなければならない」というモチベーションが生まれない。もちろん、正義感の強い立派な教師がいることも否定しないが、そういった当たり前の教師が浮いてしまうことになる。
 結果、学校内の正義は失われ、不正義が支配する地獄のような教育環境が出来上がることになる。このジメジメとした陰鬱な空気が、いじめの温床となり、いじめが有っても、誰も注意せず、注意した者は生徒はおろか教師ですら仲間外れにされるというイジメ社会が構築される。言わば、学校自体がイジメ社会になってしまうわけだ。学校でいじめが有ることが問題と言うより、学校そのものが“いじめ空間”と化しているのである。
 その証拠に、今回のいじめ事件でも、教師は未だ誰一人、いじめが有ったことを認めようとしない。「いじめが有った」と言えば、仲間外れにされる(公職を失うことにも繋がる)からである。
 
 「なぜ、いじめを無くせないのか?」という意見をよく耳にするが、公立学校でいじめが無くならないのは、むしろ当然の帰結であり、この“いじめ空間”を健全な空間に変化させる力が働かない限り、未来永劫、悲劇は繰り返されることになる。
 現代の教師や教育委員会が無能なのは、その人物が元からダメ人間なのではなく、教育システム自体が間違っているため、誰もが無能にならざるを得ないところにある。

 悪事を無くそうとする善人の声が届かず、悪事を行う悪人の好き勝手が罷り通る。昔からそういう不条理な悪夢のような世界のことを人々はこう呼んできた、「地獄」と。
 いじめが原因で自殺した被害者の声が届かず、いじめを行った加害者の好き勝手が罷り通る現在の教育界は、やはり「地獄」という形容が似つかわしい。この歪んだ教育システムを根本的に改革しない限り、日本の公教育に未来はないだろう。

【追記】
 BLOGOSのコメント欄を見ていると、何人か誤解や曲解をしている人がいるようなので、少し追記しておきます。
 本記事では、“人間のいじめ”を“工場の商品”に喩えて書いていますが、私自身が、人間を“モノ”として認識しているわけではありません。むしろその逆で、私自身は、人間を“モノ”として認識しているかに見える現代の教育に異を唱える者です。本ブログ読者におかれましては、誤解・曲解の無いよう、お願いしておきます。
 
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教育問題」カテゴリの記事

コメント

無能はあなただ

投稿: | 2012年7月14日 (土) 11時33分

まさしく、その通りだと思います。
私の子供の通っている小学校(広島市安佐南区)でも教師が生徒を陥れたり、生徒いじめをしたり、事実が明るみに出たら隠ぺい工作に必死です。
そんな最低な学校にも関わらず管理職および教師は「良い学校をつくりましょう。私たちは良い先生です」というアピ-ルをし、保護者や地域の人を平気で騙し、何食わぬ顔で教師を続けます。
子供はそんな教師、校長、教頭、主幹、担任を見て「あんな大人にはなりたくないし、教師にはなりたくない」と言っています。
本人たちは本性がバレていないと思っているようですが、見え見えですし、プライドが高く、とても幼稚です。まさに悪の組織です。

投稿: | 2012年7月14日 (土) 12時09分

根拠もないことを自分の思い込みだけで公表するあなたがたこそが幼稚で害だ。お願いだからばかは発言しないでくれ。

投稿: | 2012年7月14日 (土) 13時22分

私は現在36歳で、親の考えにより中高と私立に通いました。理由は小学校で同級生から暴力を受けたからです。

しかし私立ではむしろ虐め(ひらがなやカタカナのいじめ・イジメは犯罪性をごまかす言葉だと思う)はひどくなった。盗難、暴力、悪口…。
思いだすのも辛い。
私は担任に相談したが、「お前にも原因がある」「お前たちの学年は最悪だからしょうがない」「学年が変わる4月まで我慢しろ」
としか言われなかった。

なぜ私立なのに、と思った。
理由は私立の教師は労働者意識が強い、ということだと分かった。私立だからこそ、虐めや犯罪があっては困るので身内で処理する傾向が強いのだ。
私が学生当時、宮城に中高一貫の私立で男子生徒が通える学校は一つしかなかった。競争相手がいない故、危機意識が全くなかったのだ。今は競争相手が何校化増えたが、その学校は地元で名門、または大学に推薦で入れる、などの現実があるので何もせずとも人が集まってくるので余計に自助努力をしないのだ。

卒業してもう20年近くになるが、私はこの学校の卒業アルバムやあらゆる書類を23歳の時に全て処分した。学校からの書類も自宅に届かないようにした。
過去の嫌な思い出を処分しても消えない位、今も辛い日々である。

公立私立問わず、教師が隠ぺいする体質を現状の大系では改めることはできない。
国家機関の警察や自衛隊、あるいは弁護士などが介入しないと無理だ。
学校という聖域を壊さないといけない。

投稿: miyagikenjin | 2012年7月14日 (土) 23時21分

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