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2012年8月

シャープのリストラ考【計画経営の終わり】

2012082501 経営の悪化で5000人のリストラを発表していたシャープが新たなリストラ策を追加発表した。中国とメキシコのテレビ組立工場(従業員も含む)を提携先の鴻海精密工業(台湾)に売却することになり、合計8000人規模の人員削減となるらしい。国内の削減は3000人ということなので、海外は計5000人削減ということになる。
 シャープの国内外の従業員数は57000人(その内、シャープ単体の従業員数は21000人)程度なので、現状では約14%の人員削減になるわけだが、パーセンテージで言えば、先のソニーやパナソニックを超えている。

 ソニーやパナソニックのリストラ発表時にも少し触れたことだが、こういったハードランディング的な経営悪化によって大幅な人員削減を行わなければならない理由は、世界的(主にアジア)な安値競争の激化だけでなく、硬直した日本企業の給料制度にもその原因を求めることができる。
 “仕事量と利益が不安定なのに、給料だけが安定している”という経営上、最大の矛盾を放置したままで歪な経営再建策を練っているというのが現代日本の大手赤字企業の姿だと言える。
 相継ぐ大手企業の人員削減によって、日本の終身雇用神話は崩壊していることが明らかとなったが、もう1つの神話だけは未だに生きている。

 給料が安定して支給されるためには、仕事量も安定していなければならず、支払う給料よりも利益が上回っていなければならない。もしくは、赤字を補うだけの蓄え(内部留保)や資産運用益が無ければならない。これは、企業であれ家庭であれ、経済活動の常識であり、端的に言うなら「無い袖は振れない」ということである。しかし、この当たり前の常識が通用しないのが日本企業(主に大企業)の難儀な所である。

 “仕事量と利益が不安定なのに、給料だけが安定している”という子供が考えても理解できるような非常識な経営には目もくれず、ただひたすらに人員削減によってのみ帳尻を合わせようとする。その歪な再建策による悪影響は当然、下請け企業や関連企業にも及ぶことになり、行き過ぎたコスト削減の悪循環を齎し、場合によっては経営破綻を余儀無くされる企業や、失業者の山を築いていくことになる。…と書くと、なにやら共産党や労働左翼のように思われるかもしれないが、本記事の目的は大企業批判ではないので、誤解のないように。

 本来、蓄えのない借金経営の企業が大幅な赤字に転落した場合、赤字の穴埋めの為に人件費を削減することは止むを得ないことだが、平均年収(シャープの場合、約700万円)にはほとんど手を付けずに人件費(人員)のみを削るというのは、どう考えても不自然であり可笑しいと思う。
 無論、それだけの報酬を得るに足るだけの仕事をこなしている人は別だが、「パレートの法則」を持ち出すまでもなく、大抵の従業員は元々、給料分に見合うだけの仕事は行っていないのだから、少なくとも大幅な赤字経営の間は給料も大幅に減額するべきなのである。それができないために、いきなり大幅な人員削減ということになってしまうわけだ。

 大体、この世界的なデフレ経済下で、平均年収700万円も稼ぐということがどれだけ大変なことなのかをよく考える必要がある。日本でしか製造できない付加価値の高い製品を供給しているということなら高収入も頷けるが、そうでない場合、平均年収700万円などというのは(海外メーカーと比較すれば)非常にべらぼうな平均値だということを知る必要がある。

 とはいえ、日本の企業が順序だったまともなリストラ策(給料減額)を採ることができないのは、個別の企業が悪いと言うよりも、自由度の高い融通性のある経営ができない日本社会の問題だとも言える。
 現代という時代は、ソニー、パナソニック、シャープを見るまでもなく、計画的に会社経営を行うことが不可能な時代であり、どのような安定企業であっても数年先にはどうなるか分からないような変化の激しい時代である。そんな時代にあって、未だに前世紀に流行った計画経済から脱皮しようとせずに、あくまでも計画的な雇用・給料システムを維持することだけを良しとする空気がこの国を支配しているかに見える。

 幸か不幸か、現代は“勤務時間の長短”も“給料の高低”も“休日の多寡”も“賞与の有無”も、もはや計画的に運用できる時代では無くなっているのである。
 昔、「モデル賃金」という言葉をよく耳にしたが、これも現代では通用しなくなっている。家族の構成自体も現代ではバラバラで統一されていないのだから、30歳だから年収○○○万円、40歳だから年収○○○万円というような「モデル賃金」もあまり意味をなさなくなっている。「未婚の人」と「結婚して子供が3人いる」というような人を比較すれば、年間に必要となる生活費は全く違ってくる。良い悪いは別として、昔のように、誰もが結婚して子供を産み、平均的な人生を歩むという時代ではなくなっているため、「年収をモデル化(=計画化)すること」が無意味化しているのである。

 誤解を恐れずに言えば、現代のような時代は、全員が全員決まって8時間働く必要もなければ、単位時間当たりの給料の上限や下限も決める必要がないと思う。よく最低時間給というものが話題になるが、時給500円でも働きたいという人がいるなら、それで構わないと思う。
 「他人の半分しか仕事をしませんので、給料も半分でいいです」というような人や「余剰資金が有るので、社会勉強のために時給500円で働かせてください」というような人がいたとしても不思議ではない。しかし、最低時間給などというものを国が勝手に決めてしまうと労働者の選択肢が狭められてしまうため、自由度の高い勤務を求めている人は、自動的に排除されることになり、返って不自由な労働環境が整備されることになってしまう。
 現代の日本の労働環境というのもこれをスケールアップしたようなもので、何から何まで計画的に決められてしまっているため、極めて不合理かつ非効率な労働環境が整備されてしまっているように思える。今回、シャープが大幅な人員削減に至った理由も、そうせざるを得ない不自由な労働環境が整備されてしまっているからだとも言える。

 結論を一言で述べるとすれば、「民間企業に公務員的な給料体系は適用できない」ということである。元々、計画的な給料体系などというものは、公務員社会の専売特許であり、民間企業には向いていないのである。つまりは、前世紀における日本の民間企業はほとんど公務員と同じだったということであり、「一億総公務員思考」が蔓延したことにより、非常識な経営が常態化してしまったのである。この間違った常識を非常識だとする空気が一般化しない限り、日本企業の無用な人員削減は延々と続いていくことになるだろうし、日本の労働者は身も心も不自由な労働環境から脱することはできない。まさに計画経済(計画経営)の失敗から齎された悪夢である。

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“度胸試し”に利用される弱腰事勿れ国家『日本』

2012081901 終戦記念日である8月15日、尖閣諸島の魚釣島に香港の活動家14人が不法上陸したという衝撃的なニュースが流れたが、数日経っても各メディアではこの話題でもちきりとなっている。
 逮捕後、わずか2日で強制送還という毎度の大甘な事勿れ外交も批判の的になっているが、このニュースを観ていて個人的に気になったのは、逮捕された活動家達の顔つき(と言うより目つき)と言動である。

 揃いも揃って暴力団を思わせる粗暴な第一印象は言うまでもないが、彼らの言動を観ていると、確信犯的な雰囲気(演技のような印象)が漂っており、極めて悪質な空気を感じた。喩えて言うなら、「アタリ屋」のそれである。
 それと、逮捕されてもすぐに釈放されるだろうことを見透かしているかのような不自然なまでの自信が漲っており、なにやら度胸試しでもしているかのような錯覚を覚えた。要するに、感情的なデモ活動ではなく、リスクを試したテスト行動のように見えたということである。

 伝えられているところでは、この活動家達は香港の右翼的存在であるらしく、本来であれば中国政府を批判する立場にある人物達らしいのだが、今回の度胸試し(?)で強制送還(帰国)されると英雄扱いになっているそうだ。そして、「10月にも再度、尖閣上陸を目指す」と仄めかしているらしく、今回の海上保安庁巡視船の阻止行動についても「衝突は2、3回しかなかった」と冷静に分析しており、まるでゲーム感覚でインタビューに応じている。
 気になるのは、中国政府を否定する立場にありながら、「中国の建国記念日にあたる10月1日ごろに再び島に向かいたい」と述べているところである。単なるリップサービスかパフォーマンスとも考えられるが、実に怪しい団体とも言える。

 尖閣諸島が日本国領土であることは論を待つまでもないことなので、ここでは敢えて言及しない。しかし、その尖閣諸島が中国の政治的なプロパガンダに利用されていることに対して毅然とした態度で反論できない左翼的な政府というのは、観ていて実に情けない。

 この辺のところは、イジメが有っても無かったことにしたい教育委員会と同じようなものだとも言える。
 イジメが有っても自殺者が出るまで動かない…いや、正確に言うなら、自殺者が出ても重い腰を上げようとしない教育委員会と同じメンタリティーを日本政府も抱えているのだとすれば、非常に恐ろしいことである。

 今回の活動家達の行動が、本当に先に述べた“リスクを試した行動”に繋がっているとすれば、事は極めて重大である。彼らが“リスクは無い”と判断した時、中国による日本イジメが始まる可能性もまんざら否定できない。その時、事勿れ政府は、イジメを観ても碌に注意しない事勿れ教師の如く「あまり、やり過ぎんなよ」とでも言うつもりだろうか?

 お断りしておくが、これは冗談ではない。傍若無人な活動家達の行動を見て見ぬふりすることは極めて危険な態度であり、危機的状況に追い込まれる可能性が有ることを正しく認識し真摯に考える必要がある。

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BOOK『財務省のマインドコントロール』を読んで。

2012081201 『社会保障と税の一体改革法案』のメインとなる『消費増税法』が8月10日に参院で成立したものの、なぜかその翌日、消費増税法成立に一役買ったとされる財務省事務次官の勝 栄二郎氏が退任を発表した。
 勝氏は「十年に一人の大物次官」「最後の大物次官」「影の総理」などと言われてきた財務省(と言うより官僚)のドン的存在であり、民主党の野田総理を影で操ってきた人物とも目されていただけに、なにやら意味ありげである。

 消費税増税に至る背景には財務省の暗躍があったことは、既に多くの識者達が述べているが、その1人である江田憲司氏の『財務省のマインドコントロール』を昨日ちょうど読み終えた。私は積読&輪読家(複数の本を同時並行で読む)なので、読み終えるまでに時間がかかってしまう。

 本書は江田氏の実体験を元に綴られた本なので、大蔵省時代からの財務省の姿が平易かつ克明に描かれており、その内実がよく解る構成になっている。憶測で書かれた書物ではないだけに、財務省批判の決定版とも言える内容になっている。

 中でも驚いたのは、IMF【国際通貨基金】をも財務省が操っているという事実だった。日本政府はIMFに巨額の出資を行っており、その見返りとしてIMFが『国際的な天下り先』になっているということらしい。
 よく新聞などで、IMFが日本の財政状態を分析し「消費税を上げる必要が有る」などという記事が掲載されるが、こういった発表の影にも財務省の暗躍があるらしい。IMFの天下りポストに就いた人物から「IMF声明」として日本に情報を送っているというものだった。
 もしこれが本当のこと(だと思われるが…)であれば、日本は実質的に官僚に情報を遮断コントロールされた完全な鎖国国家だということになってしまう。
 国際機関である「IMF」の発表であれば正しいのだろう…と思って信じてきた国民は数知れないだろう。「日本が財政破綻するかもしれない」という情報も、ある意味でフィクションだったという疑いすら浮かんでくる。

 消費税増税の目的は「財政の健全化」が建前となっているが、まさかIMFからの情報まで操って消費税増税の必要性を国民の心に刷り込んでいたとは驚きだった。

 そういえば、8月9日に行われた日銀総裁会見でも日銀の白川氏が「財政の健全化」という言葉を述べていた。白川氏は、記者の「消費税増税は日本の景気にどういった影響を与えるか?」という質問に対して以下のように述べていた。

 「消費税の増税は財政の健全化に向けた取り組みであり、長期金利の上昇を防いでいくことにも繋がり、経済に対しても好影響。

 国民の多くが消費税増税に疑問を抱き反対している中、公式の場で堂々と「消費税を増税することが経済に好影響」などと述べる神経には驚かされるが、この言葉が間違っていることは数年後に判明することだろう。そうならないこと(=消費税増税が中止されること)を祈りたいところだが、残されたタイムリミットは短い。その短い間に、はたしてどれだけの国民が増税教のマインドコントロールから脱することができるだろうか…。

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“加害者”と“被害者”を混同する人々

2012080901 昨年の8月、菅総理が広島で“原爆”と“原発”を混同した演説を行ったことで話題となったことは記憶に新しいが、今年になっても相変わらず、こういった曲解をしている人々が後を絶たないようだ。

 朝のテレビ番組でも、ある女性コメンテーターがこんなことを言っていた。

 「日本は世界で唯一の被爆国なので、放射能の危険性を訴え続けていかなければなりません

 一見(一聴)すると、至極当然のことを述べているように見える(聞こえる)。おそらく「この発言のどこが可笑しいの?」と思った人がほとんどだろうと思う。しかし、この発言には、“原爆”と“原発”を混同している以前に、実は別の思い込みによる混同が存在している。それは、「なぜ、被爆した国のみが放射能の危険性を訴えなければならないのか?」という点である。つまり、“加害者”と“被害者”の混同である。

 話を解りやすくするために、オウムのサリン事件を例に述べよう。
 オウムが地下鉄でサリンを散布したことによって、数千人という被害者が出たが、その被害者達がサリンの危険性を訴えるだけで充分と言えるだろうか?

 上述した女性の意見を少し変えて考えてみよう。

 「日本はサリン被害国なので、被害者はサリンの危険性を訴え続けていかなければなりません

 こう聞くと、何か不自然な感じがしないだろうか? サリンの危険性は、当時の事件を知る人であれば誰もが皆知っている。別に被害者だけがサリンの恐ろしさを知っているわけではないし、実体験した人しか危険性を訴えてはいけないというわけでもない。
 かなり誤解されそうなことを書いたかもしれないが、私がここで言いたいことは、サリンの本当の恐さを知っているのは、実は加害者であるオウムの方であり、被害者だけがサリンの危険性を訴えるというのは、よくよく考えると筋が通らないということである。

 例えば、通り魔にナイフで刺された人がいたとすれば、その被害者だけがナイフ(凶器)の危険性を訴え続けるというのは不自然だ。なぜなら被害者がナイフの危険性を訴えたところで、通り魔がいなくなるわけではないからだ。ナイフの危険性を訴えるべきは被害者ではなく、むしろ加害者である通り魔なのである。この納得し難い理屈が理解できるだろうか?

 このことは、昨今話題になっている「いじめ」についても言える。イジメによる暴力(精神的暴力)によって傷付いた生徒が出た場合、「イジメはいけないことだ」と訴えるべきは、本来であれはイジメを行った加害者であるべきなのである。なぜなら、その罪深さを1番知っているのは、イジメを行った当人であるはずだからだ。

 ここで例に挙げたものは、全て“加害者が反省(懺悔)する”という前提条件が必要となることは言うまでもない。罪を犯した加害者が正気を取り戻す(=悔い改める)ことによって、その罪の源泉となった物(凶器・狂気)の危険性を訴えるというのが本来のあるべき姿だということである。

 「イジメは恐いものだ」と思うのが“被害者心理”であり、
 「イジメは悪いことだ」と思うのは“加害者心理”である。

 そう考えると、「イジメはいけないことだ」と訴えるべきは、やはり加害者の方だということになる。被害者は罪を犯したわけではないので、イジメ行為に対して反省する理由が無いためだ。
 もちろん、加害者である元イジメっこが「イジメはいけないことだ」と訴えたところで、イジメが無くなるわけではないが、被害者が言うよりも加害者が言う方が理に適っている。

 原爆(化学兵器)もサリン(神経ガス)もナイフ(凶器)も同じであり、「いけないことだ」と言うべきは、実は加害者の方であり、被害者のみが言うべきだとする感情は、非常に屈折した思い込みなのである。分かり易い言葉で言えば、「自虐的な感情」ということになるだろうか。

 まだ納得がいかないという人のために、今度は「日本」(被害者)という言葉を「アメリカ」(加害者)に置き換えてみよう。

 「アメリカは世界で唯一、原爆を使用した国なので、放射能の危険性を訴え続けていかなければなりません

 これなら綺麗に筋が通っており疑問を抱く余地が無い。これこそが真っ当な自己責任論だと言える。

 “被害者”と“加害者”を混同している人々は、その思考形態上、どうしても“核兵器”と“原子力”を同一線上で結び付けようとする傾向にある。その思考形態のことを違った言葉で表現すると「思考停止」と呼ぶ。「感情」のみで物事を判断しようとする人々の総称である。
 悪気が無いとはいえ、こういった人々の言説には気を付けないと、知らない内に間違った方向にミスリードされることになるので、注意が必要だ。

【関連記事】『原子力発電』と『原子力爆弾』を混同する菅総理

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32インチ液晶テレビをパソコンで使用する贅沢

2012080401 ほんの数年前までは、「液晶テレビ」と言えば、ソニー、パナソニック、シャープといった大手国内家電メーカーの独断場だったと記憶しているが、今や韓国や台湾メーカーに主役の座を奪われつつあるのは誰もが周知の通りである。つい最近もシャープが大リストラ策(人員削減)を発表したばかりだ。
 …と前置きしたが、今回は、ソニー、パナソニックに続いて、シャープのリストラ批判をするつもりで記事を書き始めたわけではなくて、少し液晶テレビ関係の個人的な記事を書かせてもらおうと思う。

 私は先月まで、自宅では24インチの液晶ディスプレイを使用していた。つい5年程前までは17インチや19インチのディプレイを使用していたことを考えると、随分と画面も大きくなり便利になったものだが、更に大きなディスプレイを使用してみたくなり、30インチ以上のディスプレイを物色してみた。

 調べてみると、パソコン用ディスプレイでは30インチ以上のものはほとんど出回っておらず、価格的にもかなり高い。32インチのフルハイビジョン(1920×1080)対応の液晶ディスプレイは最低でも10万円以上することが判った。27インチのディスプレイが2万円で販売されている時代に、32インチで10万円では割高と言わざるを得ないので諦めることにし、今度は家電用の液晶テレビを調べてみることにした。
 フルハイビジョン対応の液晶テレビであれば、パソコンでも使用できるという噂は耳にしていたので、32インチのフルハイビジョン対応の液晶テレビを検索してみた。すると、現状では18機種しかないことが判った(2012.8現在)。

 ちなみに、大抵の32インチ以下の液晶テレビはハイビジョン(1366×768)にしか対応していないので、解像度的にもパソコン用には向かない。では、フルハイビジョン対応の液晶テレビであれば、パソコン用ディスプレイとして遜色なく使用できるのか? これが今回のテーマである。しかし、こういったことは他人の噂話を信じるより、実際に自分で使用してみないと納得がいかないものなので駄目元で試しに購入してみることにした。

 私が今回選んだ液晶テレビは非常にリーズナブルなもので、ピクセラというメーカーが製造している3D&録画対応のLED液晶テレビ(PRODIA PRD-LH132BA)。価格は3万円程度ながら、偏光タイプの3Dメガネと320GBの録画用ハードディスクまで付いている。
 「ピクセラ」と聞くと、中国のメーカーだと思った人がいるかもしれないが、実は日本のメーカーであり、東証1部上場企業でもある。この液晶テレビも日本で設計されており、製造が中国という、今どきの大手電機メーカーと同じ製造工程を辿った製品である。
 ピクセラ社は、もともとパソコン用の製品を開発しているメーカーなので、テレビ背面にはパソコン用のアナログケーブル端子も付いている。ただし、アナログ端子で接続した場合はフルハイビジョンにはならないので、表示画面は小さく(23インチ以下に)なってしまう。

 一応、WindowsとMacの両方にHDMIケーブルで繋げて確認してみると、なるほど、確かに32インチのパソコンディスプレイとして使用できるようだ。このブログ記事もそのディスプレイで書いている。解像度がそのままで画面だけが大きくなったせいもあるのか、テキストの表示等は若干パソコンディスプレイよりは鮮明さに欠けるような気がするが、文字が大きくなった分だけ見やすいとも言える。非常に細かい作業や色の微妙な調整が必要な作業には向かないかもしれないが、普通に使用する分には特に問題はないと思う。あまり近付き過ぎると問題かもしれないが、50cm程度離れて見れば、すぐに慣れてしまう。

 あと、昔の400カウントマウスでは、使用に難が生じたので、1100カウントのレーザーマウスを購入した。カウント数の低いマウスでは、32インチには向いていないようだ。
 それとMacの場合、フルハイビジョン設定で「1080I」と「1080P」のどちらかを選択できるのだが、1080Pにするとマウスの動きがおかしくなるという経験をした。(ちなみに、「I」はインターレス、「P」はプログレッシブの略)
 同じようなトラブルに遭遇している(またはこれから遭遇する)人がいるかもしれないので、念のため付記しておきたいと思う。

 余談ながら、本機はテレビとして使用する分にも充分に満足のいく製品だった。
 パソコンをしながらテレビを同時に観るという芸当はできないが、3万円程度で“大型パソコンディスプレイ”と“地デジ液晶テレビ”と“録画機”が同時に手に入ることを考えると、非常にコストパフォーマンスに優れた製品であると言える。

 ということで、私と同じように、32インチの大画面ディスプレイでパソコンを楽しみたいという人がいれば、参考にして頂ければと思う。一般的な家電量販店には置いていないようなので、実物が観たいという人は、イオンの各店舗で確認して頂きたいと思う。

 日本メーカーの液晶テレビが海外勢に圧されている中、価格的にも品質的にも海外製品を凌駕する日本メーカーの液晶テレビが有ったことを発見できたのは、思わぬ収穫だった。

 最後に、私はピクセラやイオンの利害関係者(回し者)ではありません。念のため。
 
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『検察不況』の終焉と『リクルートの上場』

2012080101 昨年は東日本大震災の影響もあって、IPO【新規株式公開】を果たした日本企業は37社にとどまった。東証の今年(2012年)のIPO目標は50社であるらしいが、現在(8月1日現在)のところ20社となっており、このペースでいけば、昨年と同程度になると予想されている。
 日本の株式市場のIPO件数は、2007年から減少し始め、リーマンショック後の2009年には、19社にまで減少して底打ちし、2010年から増加に転じた。細かく表記すれば以下のようになる。

 2006年…188社
 2007年…121社
 2008年… 49社
 2009年… 19社
 2010年… 22社
 2011年… 37社
 2012年… 50社(目標)

 早ければ、今年の9月にはJALが再上場されることなっているが、来年にはさらに大きな話題となりそうなIPOが控えている。なぜか、あまり話題になっていないが、2013年には、あのリクルートが上場される。時価総額は1兆円を超えると言われており、久しぶりの大型IPOとなるらしい。

 リクルートと言えば、24年前に未公開株式の贈収賄容疑で話題となり、一大スキャンダルに発展した「リクルート事件」が有名だ。と言っても、今やこの事件は「冤罪だった」という認識が一般化しつつあり、本来であれば、リクルート社はもっと早い時期に上場されて然るべき企業だったと思っている人は案外多いのではないかと思う。
 リクルート事件が起こったことによって日本経済に与えたマイナス影響は計り知れないものがある。時はバブル景気真っ只中、時代の寵児として現れた江副氏を日本経済の表舞台から退場させた反作用は、バブル崩壊と時を同じくし、日本経済を更なる不況に陥れるに充分な理由となった。

 ところで先日、このリクルートの上場ニュースが流れた時、テレビの某コメンテーターが以下のようなことを述べていた。

 「リクルートもこの20数年の間に膿みを出し切ったので、上場が認められることになったのでしょう

 このコメンテーターが本気で言っていたのかどうかは定かではないが、私は全く逆の感想を持っている。それは、膿みを出したのはリクルートではなく、リクルートを捜査した側の膿みが徐々に出つつあるため、リクルートの上場を認めざるを得なくなったというものだ。

 当時、リクルートを捜査したのが、かの有名な「東京地検特捜部」だった。今でこそ、検察の無理筋捜査は有名となったが、当時はインターネットもまだ利用されていないような時代だったので、御用聞きメディアと化したテレビと新聞、週刊誌の偏った報道だけでは、誰もが江副氏を悪人と判断せざるを得なかった。個人メディア(ブログ)も囁きメディア(ツイッター)も無い時代では、逮捕された当人も弁解する場が与えられず、魔女狩りに遭遇したような状況に追い込まれるのがオチだった。
 しかし、江副氏の暴露本『リクルート事件・江副浩正の真実』などを読めば、江副氏がどういう人物であったかは大体の察しがつく。この本の感想は以前の記事にも書いたことがあるが、読んでいて吐き気を覚えた。無論、この本で描かれている検察の横暴さに対してである。

 現在、検察について書かれた本は事欠かないが、佐藤 優氏の『国家の罠』、田原総一朗氏の『正義の罠』と抽象的な言葉を用いて「罠」が表現されてきたが、森ゆうこ氏の『検察の罠』によって、ついに具体的な言葉で語られるようになってしまった。こういった本が売れている背景には、明らかに検察の信用失墜という社会的な現象が一般大衆にまで浸透化しつつあることを示している。

 バブル景気が発生すると、その時代を象徴する人物が必ず現れる。いや、現れるというのは正確ではない。正しくは、祭り上げられる人物が必ず現れる。そして、そういった人物が現れる度に、その都度、その都度、東京地検特捜部が登場し、バブル景気の腰を砕いてきた。まるで、大富豪や億万長者の存在を許さないと言わんばかりに。
 プライドの高いお役人は、金持ちになった民間人を貧乏にすることで自己顕示欲と嫉妬心を満足させ、金持ち批判を生業としている嫉妬深い人々は、成功者の没落を見ては溜飲を下げてきた。その結果として日本社会は貧乏になっていった。そうなってしまった根本的な原因は、多くの国民が無意識の内に貧乏を愛したためである。(言っている意味が解らないという人が多いかもしれないが…)

 2007年にIPO件数が減少に転じた理由も、おそらくは2006年にライブドア事件があったからである。
 「ライブドアへの強制捜査があった2006年のIPO件数は増加しているでは?」と疑問に思った人がいるかもしれないが、本来であれば2006年度は新興市場のミニバブルによって大幅なIPO件数の増加が見込まれたはずだったので、実質的には減少したと見るのが正しい。
 本来、IPO件数が増加することは日本経済にとってプラスのはずで、東証自体もそのことを認めているがゆえにIPOの目標件数を設定しているわけだ。

 これまで、“正義の遂行”と“市場の浄化”を掲げ、東京地検特捜部が動く度に、皮肉にも“市場は萎縮してきた”という経緯がある。そのことはIPO件数に如実に現れている。現在のように、検察の捜査に疑問が呈され、検察の立場が弱くなっている時には、IPO件数も増える傾向にある。なぜなら、市場に開放感が生まれるからである。
 『リクルートの上場』と『検察の信用失墜』は、表裏一体の関係にある。検察が二度と同じ過ちを繰り返さないことを願う。
 
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