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「橋下氏憎けりゃ、一族まで憎い」人々の考察

2012102301 現在、巷では橋下 徹氏と週刊朝日(佐野眞一氏)の対立問題が話題となっており、マスコミでも、大々的に取り上げられている。このような展開になることを意図して記事が書かれたわけではないだろうが、事勿れ主義に徹してきたはずのマスメディアが随分と思い切ったことを仕出かしたものだ。
 無論、橋下氏にとっては迷惑この上ない話であって、自身の政治問題とは直接的にも間接的にも関係のない事柄で時間を割かれるのは堪ったものではないだろうし、その気苦労は察するに余りある。

 この数日間、この問題を論じている人々の意見を興味深く観察してきたが、「反橋下」を標榜する人々というのは、結局のところ、「橋下憎し」という感情だけが先行し、論理的な思考ができない人々なのだなということが改めて理解できたような気がした。彼らは普段から、「人権」やら「平和」やら「生命(いのち)」などと御大層な綺麗事を並べている割には、「差別」という認識については全く意に介さないらしい。いや、意に介さないと言うよりも、「橋下憎し」という感情が邪魔をして、論理的な思考力も理性的な判断力も麻痺していると言った方が正解かもしれない。
 常識的に考えれば、彼ら(人権論者達)こそ、橋下氏を擁護するべきだと思われるのだが、なぜか思想的な立ち位置が全く逆さまになっており、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」を見事に演じてしまっている。

 当の週刊朝日の記事は私も全て目を通してみたが、客観的な視点で見れば、どう考えてもまともな内容の記事とは思えなかった。「ハシシタ」という表題からして常軌を逸しており、こんな差別意識丸出しの記事を出版して問題にならないと思う方がどうかしていると言える。
 この週刊朝日の記事も結局のところ、「橋下憎し」という思いが先に有り、批判のための批判記事にしかなっておらず、正直、読んでいてあまり気分の良いものではなかった。橋下氏のイメージダウンを狙った記事であることは一目瞭然であり、そこかしこにあからさまな印象操作の跡が観て取れる記事だった。字面を目で追っているだけの人では分からないかもしれないが…。

 『言論の自由』とは、『書きたい放題の自由』のことではないので、このような記事を発表した週刊朝日側は公器の報道機関(?)としての責任を自覚し猛省する必要があると思う。
 
 当の記事を書いたとされる佐野眞一氏は有名なノン・フィクション作家であるらしいが、私は彼の本は偶然にも読んだことがない。佐野氏はソフトバンクの孫 正義氏を題材にした『あんぽん−孫正義伝』という本も出しているが、聞いたところでは、その本も孫 正義本人よりも家族の方がメインで描かれているらしく、元々、血筋や一族などを重視する作家であるらしい。
 機会があれば読もうと思っていた本だが、幸か不幸か、もう読むこともなさそうだ。ちなみに、孫 正義氏のことを描いた本なら私も何冊か読んでいる。中でも『志高く 孫正義正伝』は読後感の爽やかな面白い本だったので、この場を借りてオススメしておきたい。

 それにしても、個人の本質を、血筋や遺伝等で本当に解明できると思っているのだとすれば、その貧困な発想自体が信じられない…と言うより、その発想自体が差別を生むということを知る必要があるだろう。個人の本質を、そのようなもので判断しようとするのは、人間を単なる“動物”か“モノ”としてしか見ていないという証左でもある。
 個人の自助努力や精神性を正当に認めようとしない左翼御用達の朝日らしい記事だと言えるのかもしれないが、人間をモノとしてしか見れない人の文章というのは、如何なる綺麗事が書き並べられていても何も心に響かず、なんの説得力も感じることができない。なぜなら、それは空虚な偽善でしかないからだ。

 元々、人間の本質が見えない人間が、人間を評しても、同じタイプの人間からしか賛同を得ることはできない。「同類相通じる」というやつで、同じく人間を“モノ”としてしか見ていない人間からしか評価されることはない。つまり、差別論者の言うことに共感を覚えるのは、同じく差別論者でしかないということである。おそらく、今回の週刊朝日の記事にも同じことが言えるのだろうと思う。

 橋下氏に不満があるのであれば、日本維新の会の政策内容や、彼の今までの言動にのみ焦点を絞って批判するべきである。経済問題や外交問題を題材にすれば、いくらでも正当な批判をすることは可能だと思われるが、それができないがために、なんの関係もない出自やら家族を持ち出し、感情的で卑怯な批判を行うことになるのだろう。

 一般的に自由主義論者というものは、公平を望むものなので、差別を嫌う傾向にある。これに対し、反自由主義論者というのは、公平であることを願わず、平等というものを望む傾向にある。
 しかし、平等こそは、不公平の同義語であり、差別を生む思想であることを知る必要がある。
 反自由主義論者達は、人間の存在自体を偶然論でしか見ることができないがために、個人の生まれつきの才能や努力して勝ち取った名声や富を否定し、心の内に嫉妬の炎を燃やし成功者を妬むことになる。
 今回の事件は、そのことを如実に証明する格好のケーススタディになってしまったように思える。感情論でしか橋下氏を批判できない一部の「反橋下」派に、反自由主義論者が多いのは偶然ではなさそうだ。

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朝日新聞グループと週刊朝日よ、しっかりと検証して、全てネットで無料公表せよ。 - 10月22日〜23日のツイート 日本維新の会・橋下徹代表の主張をツイログから部分的に転載する ... [続きを読む]

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