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経済音痴政党の「野党下野宣言」

2012111801 11月14日、自民党の安倍総裁との党首討論の場において、民主党の野田総理が「衆院解散」発言を行った。この突然の出来事により、政界だけでなく日本国中に激震が走った。しかし、それは悪い意味での地震ではなく、多くの国民が待ち望んでいた心地良い震動でもあった。

 その心地良い震動(マッサージ)によって日本経済の肩凝りが治る兆しが見えたのか、翌日からの日経平均株価は上昇に転じ、あれよあれよという間に9000円台を回復した。
 よく「株式相場は実体経済の半年先を行く」と言われるが、おそらくは事実上、半年後には民主党は野党になっていることを見越してのことだろう。如何なる政党(左翼政党は除く)が次の政権の座に着いたとしても、民主党ほど酷い政治にはならないだろうとの予測が立ったためだろう。経済音痴政党の党首自らの表舞台からの「退場宣言」を、市場は素直に好感したというわけだ。

 通常、誤解される政治家には2種類のタイプが存在する。1つは、正論を述べているのに、国民がそのことを理解できずに誤解(嫌悪)されるタイプ、そして、もう1つが、自らが間違ったことを述べているのに、そのことを国民が理解できずに誤解(支持)されるタイプ。
 では、野田総理は、このどちらに該当するのかというと、どちらにも該当しない。強いて言えば、後者に分類されるという感じだろうか。

 日本の景気を良くするためには、先ず、国民の消費意欲と投資意欲を喚起しなければならない。ところが、民主党の野田総理は、消費税を上げ、国民から富を奪うことによって景気を回復させようとした。これは言い換えると、国民の消費意欲を減退させる施策でしかなく、どう考えても景気が良くなることは有り得ない景気衰退政策である。
 消費税を上げなければならない理由を単純に考えれば、消費量が足りないからである。それならば、消費量を上げる方向に舵を切らなければならない。消費税を上げるのではなく、消費量を上げるような政策を採らなければいけないのである。「民主」を名乗るのであれば、次のように言うべきだった。

 「国民の皆さん、どうか消費量を上げてください。このまま消費が減退したままでは、消費税を上げなければならなくなりますので、どうか消費量を上げてください。そうすれば、消費税を上げる必要は無くなります。その場合、累進課税ならぬ累進消費でお願いします。お金持ちの人はどんどんお金を使ってください。そうすれば景気は必ず良くなります。」

 上記は冗談のように聞こえるかもしれないが、国民が今よりも何割か多くお金を使用すれば、日本の景気などは直ぐさま回復する。消費税も上げるどころか下げることも可能となる。しかし、多くの国民は消費するお金は持っていても、国や自分の将来が不安なために、財布の紐を固く縛り、極力、消費活動を行おうとしない。その影響から、企業は安値でモノを売ることばかり考え、必要以上の安値競争(薄利競争)に明け暮れることになる。そして、国民の集団心理を解さない無能な政治家の経済音痴政策が、国民のマイナス感情に更に火を注ぐことになり、出口の見えない悪循環スパイラルに陥っていくことになる。
(注意:ここで述べた「安値競争」とは、グローバル経済下における安値競争のことではなく、必ずしも必要性の無い安値競争のこと)

 もし、野田総理が「消費税を下げることに政治生命を賭ける」と言っていたのであれば、国民に誤解される政治家であったとしても、正しい政治家として支持できたかもしれない。しかしながら、実際のところはこの逆で、消費税を上げることに政治生命を賭けていたことは周知の通りだ。
 税率を上げて経済を動かそうという考えは、国民の意思を無視した経済政策であることを否定できる人はいないだろう。「民主」を名乗る政党の党首であれば、国民に選択の自由を与えた政策を採らなければならない。消費を拡大して消費税収を上げる政策を執り行うのが本来の姿であるはずだ。しかし、野田総理は、税収を上げるために税金を上げるという本末転倒な手段を選んだ。この時点で既に「民主」とは言えず、間違った政策を国民の意思を無視して断行しようとした暴君でしかない。
 国民の自由意思を無視した政策は、所詮、どこまでいっても社会主義政策であり、いずれは破綻することになる。「経済は感情で動く」という言葉の通り、国民感情を良い方向に動かすことができなければ、経済も良い方向に動くことはない

 21世紀の経済学とは、実は半分は「心理学」の領域であり、集団心理というものを捉えることができなければ、経済を語ることが無意味となる時代でもある。このことは大前研一氏の著書『心理経済学』でも触れられていたが、政治家にもそういった能力が求められる時代だということでもある。

 例えば、経済用語に「合成の誤謬」というものがある。「合成の誤謬」とは、「個人が善かれと思って行ったことが、全体としては悪になる」という皮肉な経済現象のことを意味するが、よく使われる例として、「個人が貯蓄することは善だが、国民全員が貯蓄に走ると経済に悪影響を及ぼす(結果的に収入が減少する)」というものがある。(現在の日本はこの状態にある)
 企業で言えば、景気の良い時に一部の仕事をサービスで請け負うようなことを行ってしまうと、いざ景気が悪くなった時に、そのサービス仕事のみが残ることになり、経営を圧迫するような事態に陥る場合もある。経済においては、善かれと思って行った行動が裏目に出ることは多々ある。倫理的に正しい行動だと思っていても、その行為が必ずしも良い結果に結びつくとは限らない。要するに、善意が裏切られる結果になることが多いということだ。

 また誤解を招くかもしれないが、もっと卑近な例で言うなら、「脱原発を願うことは個人の考えとしては善かもしれないが、国民全体(国)がその状態を目指すと、経済に悪影響を及ぼす(結果的に電気代が大幅に上がる&国家が衰退する)」ということになる。(現在の日本は実際にこうなる段階に差し掛かっている)
 この辺のところが経済という生き物の非常にややこしいところでもある。

 こういったマクロな経済現象を捉える視点を持たなければ、これからの政治家は時代に置いていかれることになるはずだ。現代という時代は、過去の統計やら経験則など、ほとんど何の役にも立たない無用の長物と化す時代でもある。そんな時代であるから当然、経済を計画的に動かそうなどということも不可能になる…と言うより、既に不可能になっている。消費税率を上げて消費税収を上げようなどという社会主義的な政策は、短期では成功したかに見える場合があったとしても長期的には成功するはずがないのである。

 大衆に靡(なび)くポピュリスト(政治屋)ではなく、人心を掌握した政治家が必要な時代には、経済音痴政党も無用の長物と化す運命にある。この度の経済音痴政党の「野党下野宣言」は日本経済にとっては、明らかなプラス現象であり、当然の成り行きだと言えるのかもしれない。

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