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間違いだらけの「体罰批判」【“いじめ”と“いびり”】

2013011101 「いじめ問題の次は体罰問題だ」と言わんばかりに、突然、表面化した格好の庶民ネタに各メディア(特にマスメディア)は大騒ぎになっている。少し前の、「いじめを隠蔽していた学校」という言葉を「体罰を隠蔽していた学校」に置き換えたいだけのような煽情的かつ短絡的な報道が繰り返されている。

 毎度思うことながら、現在の報道を観ていると、なにやら「体罰」という言葉だけが独り歩きしているように感じられる。今回の事件の場合、「体罰という言葉を使用するのはおかしい」という比較的冷静な意見も聞かれるものの、では何がおかしいのかということになると、「暴力だ」「虐待だ」と言う意見が多いようだ。
 しかし、肉体への体罰を「暴力」だとし、それが生徒を自殺に追い込んだ原因であるから体罰を禁止しなければならないと言うのであれば、少しお門が違っている。

 暴力には、暴力を伴わない「言葉の暴力」というものがある。もし、今回の事件が物理的な暴力を伴わずに「言葉の暴力」のみで自殺問題に発展していた場合は何と言うのだろうか?

 この質問に対して「体罰だ」と言う人はおそらく誰もいないだろう。つまり、今回の問題は「体罰」ではなかったということになる。
 では何と言うべきなのか? 答えは「いびり」である。

 既に多くの人が述べていることだが、そもそも論として、「体罰」というものは、何か悪いことをした生徒に対して罰を与える行為を意味するので、単に試合に負けたとか、能力が足りないといった理由で生徒に暴力を振るうことは「体罰」では有り得ない。なぜなら、生徒を殴ったり蹴ったりしても、その生徒の能力が向上するわけではないからだ。こういう因果関係を無視した暴力行為は特訓的な意味合いの「しごき」にも該当しない。

 いじめを行ったという理由で、
   「顔面を平手打ち(ビンタ)」・・・・体罰

 試合に遅刻したという理由で、
   「校庭を100周走らせる」・・・・しごき

 能力が足りないという理由で、
   「生徒を殴る・蹴る」・・・・肉体的いびり
   「生徒を罵倒する」・・・・・精神的いびり

 簡単にまとめると以上のようになると思うが、教師が生徒に対して、その行為を行うことによって、事態の改善に繋がることであれば、体罰やしごきを特に問題視する必要もない。鼻血が出るとか骨折するような体罰や、健康を害するとか死の危険が伴うようなしごきは問題だが、通常の体罰であれば、有っても構わない…と言うよりも、全く体罰が無い学校の方が危険だと言える。

 例えば、生徒によるいじめ事件があれば、教師がいじめを行った生徒を平手打ち(ビンタ)することは仕方がない。それは必要悪というものである。
 まずは言葉で注意すべきであることは言うまでもないが、言葉で言っても解らない人間には、暴力をもって教えるしかない。他人の痛みが解らない人間には、自らも痛みをもって解らせるしか方法がない。
 正気を失った犯罪者を警官が暴力行為によって諌めるのと同様、他人を傷付けても心が痛まない異常者には正義の鉄槌が時には必要だ。学校には子供を叱るべき親がいないのだから、親に代わって教師が体罰を与える行為は事情によっては認めるべきだ。

 まともな体罰までも禁止にすれば、元々、事勿れ主義で無法化している学校が更なる無法地帯と化し、野獣の如く野放し状態となったいじめっこは、ますます手が付けられなくなってしまい、いじめによる自殺問題は更にエスカレートすることになるはずだ。そんな地獄のような学校なら、存在自体が悪であり、もう必要無いということになってしまう。「体罰は絶対悪」と言っているような人は、学校の更なる地獄化を望んでいるとしか思えない。

 家庭内でキッチリと子供の教育ができない不出来な親が「教師が生徒を殴ってはいけない」などと言う資格は無いし、教師がそんなクレーマーのような親の存在を許しておく必要もない。教師も生徒も言いたいことをハッキリと言える学校にすることこそが、今回のような問題を防ぐには最も重要なことである。

 今回、自殺した生徒も、おそらくは多くのいじめ自殺者と同様、「逃げ場が無い」と思ったのだろうと思う。単に暴力が嫌だったのではなく、クラブのキャプテンという責任ある立場(または将来ある地位)にいながら、期待通りにいかない状況に不安を感じ、そこに教師からの体罰という名のいびりが重なり、自殺に追い込まれたのだろうと推察する。
 実際はもっと複雑が事情が絡んでいるのかもしれないが、結局のところ、いじめ自殺問題同様、閉鎖された教育空間が齎した悲劇であることには違いはないだろう。


【追記】2013.01.12
 毎度のことながら、トンデモない曲解をしている人がおられるようなので追記しておくと、私は今回のクラブ顧問の教師を擁護しているわけではありません。念のため。

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教育問題」カテゴリの記事

コメント


激しく同意。

スポーツは擬似戦争として人間の闘争本能を安全に発散させるという意味合いがある。ここを理解しないと暴力行為を理解できない。戦争の心理状態に近づいているから攻撃的になる。戦争では時として全滅を避けるための暴力は許されるが、スポーツでも擬似的に敗戦を暴力以上に恐れる。スポーツで暴力がある程度許容されるのは、自分或いは相手のこの攻撃的な心理状態をコントロールする術を学ぶ場でもあるから。統計は分からないが、暴力を伴う厳しいスポーツを経験した人の方が怒りの感情をうまくコントロールでき、社会人として他人を傷つけない傾向があるように思う。

ただ、推測はよくないけど今回の件は暴力を多用しすぎているようにも思う。暴力というのは劇薬なのでもっと慎重に使うべき。

部活は自殺の原因のひとつかもしれないけど、すべての理由ではなかろう。最後に感情を揺さぶったものが遺書に書き記されているのであって、それ以外の要因の積み重ねではなかろうか。

投稿: radish | 2013年1月12日 (土) 09時54分

一人の将来ある若者が命を絶ったのは
事実です。私は体罰(言い方は適切ではないかもしれません)肯定派というか年代的に悪いことをすれば殴られる、教科書の角でガ~ンとやられる時代でした。
しかし、生徒の心情はわかってくれていました。
この教諭は強豪校というラベルに漫然と乗り、
生徒の気持ちを思うことなく、自己保身、自己満足のみで暴力という形で自信の力、気持ちを誇示したのではないでしょうか。

投稿: ATU | 2013年1月12日 (土) 18時37分

虐待は「暴力」と「言葉の暴力」と「無視、無関心」がある。
つまり暴力にも「暴力」と「言葉の暴力」と「無視、無関心」がある。

投稿: | 2013年1月12日 (土) 18時52分

体罰は犯罪です。。。

投稿: | 2013年1月12日 (土) 20時37分

たとえ、とんな理由があれ暴力を正当化しうる立場など存在しませんよ!

投稿: | 2013年1月12日 (土) 20時42分

あなた様の意見も先走りしていますね。 顧問は、これから楽
 しいことが一杯待ち受けていた若者の命を奪ったのですよ。

 体罰・いじめ・いびりの違いを説明している時ではないです。

 顧問は「殺人者」です。校長も「共犯者」です。
 市長が、弁護士である橋下さんで良かったです。
 
 まず、顧問・校長そして見て見ぬふりをしていた者を裁判に
 かけ、有罪にしてからの話でしょう!

 ですから、顧問の名前だけでも公表すべきです。
 今頃、顧問は酒を飲みながら、「あの野郎、いい迷惑だ!」
 と、また誰かを殴っていることでしょう。

投稿: 上司からパワハラを受け、鬱になった者 | 2013年1月12日 (土) 21時43分

間違いだらけの(間違いだらけの「体罰批判」)ですね。
鼻血が出るとか骨折するような体罰や、健康を害するとか死の危険が伴うようなしごきは問題との事ですが、あなたの言う必要な体罰をおこなった結果そのような鼻血や健康を害する結果につながる可能性が確実に否定できない以上、自己矛盾して論理破綻してますよ。平手打ちでも鼓膜破れたり簡単にしますよ?場合によっては脳内出血などで命にかかわります。
たまたま怪我しなかったから許されるのであれば、それはただの結果論です。

犯罪者に正義の鉄槌とおっしゃってますが、そういった輩を罰するために法律はあるのであり、学校側が退学・停学・司法への届出・出席停止処分(義務教育でも可能です)を行うことにより防止は可能であり、教育機関に擬似的な司法権を与えて体罰を正当化する必要はまったく考えられずあり得ません。

投稿: あ | 2013年1月12日 (土) 21時52分

残念ながら、この世に人間の命より価値のあるものなど存在しないんですよ。

投稿: | 2013年1月12日 (土) 23時27分

コメントが抽象的すぎて、理工系の私には分かりにくいです。私は、人として必要なのは、心技体だと思っています。体罰は、どちらかと言うと心の鍛錬を生徒にさせることに対しては有効な手段と考えます。ただ、心の鍛錬を重視するあまり「技、体」を赤の他人がが傷付け過ぎて体育活動をPlayもしくは行動できなくなってしまうまで叩くことは、良くないと思います。
 私の経験側ですが、概ね在日や同和出身者は、精神的な物理的なプレッシャーを私に与えていたように思います。私的には、プレッシャー与えられるだけ恐れられていると思われていることを自慢にしていましたが、普通の子は、がっくり傷ついてしまうでしょう。
すくなくとも、今回の桜ノ宮高校の事件に関しては、国籍をはっきりしないと議論の仕様がないと思います。

投稿: しげさん | 2013年1月13日 (日) 00時22分

↑しげさん
あなたのあまりにインテリジェンスの無いコメントに唖然としてしまいました。あなたは御自分で理系であるか仰っておられますが、そのような問題ではなく、あなたの脳には理系だの文系だの言う前に、学問としてのロジックが全くありません。

投稿: とげ | 2013年1月13日 (日) 01時02分

人の命を軽く弄ぶような考えは今すぐ捨てなさい!

投稿: | 2013年1月13日 (日) 01時19分

あほ、自由人で煽動ブログを書くな。間違いだらけの意見で、自分よがりで、つまらん、くだらん意見を言うな、バカタレ

投稿: | 2013年1月13日 (日) 03時54分

こいつは本当にアホですよ。

投稿: | 2013年1月13日 (日) 03時55分

学校教育法
第11条
校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

法律は守られるべきです。

投稿: 愛国無罪的意見に対して・・・ | 2013年1月13日 (日) 05時49分

たぶんブログ主さんは法治主義に懐疑的で、国家が国民に対して犯罪を行ったりするのも、目的が正しければ正当化されるという考えの持ち主なのでしょうが、私は子供をそのように教育するのは、社会秩序に重大な影響を与えると思います。

投稿: 愛国無罪的意見に対して・・・ | 2013年1月13日 (日) 06時07分

この星がどこへ行こうとしてるのかもう誰にも分からない
権力と権力のシーソーゲームから降りることさえ出来ない
人は一瞬の刹那に生きる子供は夢見ることを知らない

昨日の絵の具で破れたキャンバスに明日を描く愚かな人
売れる物ならどんな物でも売るそれを支える欲望
恐れを知らぬ自惚れた人は宇宙の力を悪魔に変えた

投稿: | 2013年1月13日 (日) 17時19分

自殺は殺人行為です。暴行から逃れる方法はいくらでも有るのに殺人行為を選択した責任は、暴行した教師の責任より圧倒的に重大です。同じ状況で高校生が教師を殺したのと同罪です。自殺者を擁護すると「自殺は善なるもの」と勘違いして安易に自殺という殺人行為を働く人が出るかもしれません。

ここまでは暴行が自殺の原因という仮定で書きましたが、それは違うはずです。名門高校運動部のキャプテンを志すほどの意志の強い生徒が暴力ごとき小さな原因で殺人行為に及んだと断定するなど、見くびるにも程があります。自殺へと最後の1mmを後押ししたのが暴行なのかもしれませんが、遺書に書かれていない大きな心の葛藤があったのではないでしょうか。教師は少しやり過ぎたかもしれません。しかし教師の行為が原因と断定するなど、この高校生を軟弱で軽率と貶めるに同じです。私は強い高校生が何か他の原因で弱っているところに運悪く暴行が重なったと信じてあげたいです。

人間は十人十色です。中には絶対に手を上げてはいけないタイプもいれば、少々殴った方が殴らなかった場合よりもずっといい人生になる人もいます。暴力を一概に肯定するのも否定するのもよくないと思います。教師という不完全な人間が知力の限り生徒のタイプを見分けることを模索していると信じたいです。貴方や貴方の子供と違うタイプの人間がいるということもこのブログ主さんの言いたかったことではないでしょうか。

投稿: hash | 2013年1月14日 (月) 02時25分

>>hash
世の中はお前みたいな勝ち組ばかりじゃねえんだぞ。
俺も昔、イジメられてて死のうと思った事がある。
確かに自殺は絶対にしてはいけない行為だ。
だけど、"死にたい"と思った事のない奴に安易に自殺を否定されたくない。
お前に自殺した奴の気持ちが解る訳ない。というより解ってたまるか!

投稿: | 2013年1月14日 (月) 12時06分

はじめまして。
BLOGOSの記事を読んで、来ました。

今回の事件とは一応区別して論じるとすれば、「生徒によるいじめ事件があれば、教師がいじめを行った生徒を平手打ち(ビンタ)することは仕方がない」かどうか、ということになると思います。
いわゆる「体罰」に該当することに異論はないようですので、「体罰」の定義論は省きます。

ここで自由人さんは、単に道徳的に「仕方がない」というだけでなく、法的にも「仕方がない」すなわち「実質的な違法性がない」とおっしゃりたいように見えます。

議論の前提として、現状における「平手打ち(ビンタ)」の法的評価を確認すると、(刑)法的には少なくとも暴行罪が成立します(刑法208条)。
まず、「暴行」とは「人の身体に対する物理力の行使」を意味するところ、「平手打ち(ビンタ)」はまさにそれに該当します。
しかし、形式的に「暴行」に該当するとしても、実質的に違法性がなければ犯罪は成立しません。

では、「平手打ち(ビンタ)」が教員の正当業務行為(同35条)として実質的な違法性を失うことがあり得るでしょうか。
学校教育法には「教員は(中略)体罰を加えることができない」(11条)とあります。
また、最高裁も「教師の生徒に対する殴打は、懲戒のためであっても、違法性を失わず、暴行罪が成立する」(最高裁判決昭和33年4月3日)としています。

これはつまり、目的は手段を正当化しないということです。
したがって、現状において、もし教員の生徒に対する暴行が認められるとすれば、正当防衛状況がある場合くらいだということになります(刑法36条。なお、正当防衛は他人の権利を防衛するためでも認められます)。


そこで、以上を前提として、自由人さんとしては、法解釈論または立法論として「体罰」の必要性と許容性とを論証なさることになると思います。
しかし、自由人さんの想定しておられる生徒像が、私にはいまいち分かりません。

たしかに、「正気を失った犯罪者を警官が暴力行為によって諌めるの」は、正当業務行為でしょう(警察比例の原則によって、そうそう「暴力行為」が認められるわけではありませんが)。
しかし、それは実質的には「侵害の急迫性」によって一般人の「暴力行為」さえ正当化され得る状況と思われます。

もしこの場合と「同様」、生徒が文字通り「他人を傷付けても心が痛まない異常者」であり、「野獣の如く野放し状態となっ」ているのならば、「平手打ち(ビンタ)」程度で抑えることはできないでしょう。
むしろ、「自傷他害のおそれ」ありとして、隔離すなわち措置入院(精神保健福祉法23条ないし31条)の対象になり得ます。

措置入院はさすがに大げさだと感じられるとしたら、それはそもそも「正気を失った」、「異常者」、「野獣」という言い回しが大げさだからだと思われます。


私はやはり「体罰」は法的にも道徳的にも許されないと考えます。
理由は、まず、目的の善し悪しや手段の相当性による線引きが難しく、今回のような事件の温床になり得ることです。

次に、教育の義務・責任に裏打ちされた権限としての「体罰」が、必要論の大きな根拠になっているような気がします。
ならば、いっそ教員に過大な義務・責任を期待することのほうを諦めるべきだと思います。

最後に、私は武道の経験者ですが、そういう私からすると、必ずしも暴力の玄人ではない教員が「体罰」なんて、逆に恐ろしく感じます。
警察官による容疑者の圧死事件まで発生しているのに、もし誤って殺傷してしまったらどうするのかと。
それでも体罰が必要だとすると、これからの教員には「まともな体罰」の練習が必要ということになりそうです。
しかし、それよりは言葉による説得の練習をしたほうが健全ではないでしょうか。

長文失礼いたしました。

投稿: Recht | 2013年1月14日 (月) 20時09分

その理屈って「体罰でいじめは解決する」っていう前提で話してるけど体罰でいじめが解決するならいじめ問題なんてとっくに根絶されてるし、現状そうでないことからも体罰ではいじめは解決しないことは明らかですよね。
最初の前提が完璧に間違ってるしあなたも例の体罰教師と根本は同じですね。「問題を解決する」という結果と「体罰」という方法の因果関係がないのにその因果関係があると勘違いしていることが根本的な問題で、あなたはまさにその典型的な例ですよ。

投稿: | 2013年1月17日 (木) 15時10分

「体罰で生徒の技術が向上する」という発想と「体罰で生徒のいじめがなくなる」というのは全く同じメンタリティーですね。
体罰によってなぜいじめが解決するんですか?「叩くと曲がった精神が叩き直される」ということですか?実にナンセンスですね。
あるいは「叩けば叩かれるのが嫌でいじめをしなくなる」ということですか?それは教育とは呼べない代物ですし、ならば「見つからないようにいじめる」だけの話ですよね。
実際いじめを目撃すればほとんどの場合先生は注意するし、いじめの現場は大人の目から隠れて行われてます。体罰によって返っていじめの実態が把握しづらくなる危険性すらありますよね?

「いじめの解決手段としての体罰」というのがあるのでしたら、その論理をぜひお聞かせください。大変興味があります。

投稿: たっくん | 2013年1月17日 (木) 15時21分

教師が体罰を使って、生徒を自殺に追い込んだ事例が一回でも起きれば、体罰の必要性が議論されるのは必然だと思います。
今現在は教師に体罰を実行できる権利を持たせると、加減が出来ず事件を起こしてしまう事件が、
多発してしまうと思います。
今回の事件はいじめっ子で無く、とても善良な生徒が犠牲となった事件です

投稿: 小池 | 2013年1月17日 (木) 18時30分

>自殺へと最後の1mmを後押ししたのが暴行なのかもしれませんが

バカなの???
高所で落ちれば命は無い場所に立っている人が居るとしよう。
ギリギリのバランスで生きている人間の例えである。
 立っている人間を、1mmであろうと後押しして落下死亡させた場合、押した人間は「殺人罪」か最低でも「業務上過失致死」だよね。

投稿: Alleycat | 2013年1月28日 (月) 18時46分

罵倒もケースバイケースというか
個人によってどう受け取るかかわりそうですね
たとえば危険な行為をしようとした人間を
馬鹿呼ばわりしてでもどなって止めるようなことは必須だと思いますけど
無駄に心を折るだけのチクチクいやらしい責め苦等はだめでしょうし

>生徒を自殺に追い込んだ事例が一回でも起きれば、体罰の必要性が議論されるのは必然だと思います。

本当に、いまって議論できてますかね?
逆に俗にいう体罰で危険な行為をしようとした生徒を戒めて助かった命の証明はできないでしょうから議論が歪んでるんでしょうな。

自分も部活のときに用具で今思うとあぶない行為を中学のころしたことありますが
面白さ>危険と予測される結果の想像
の時期があったので普通にひっぱたかれたのは正しかったと思いますけどね。

投稿: U | 2013年1月31日 (木) 00時12分

「しごき」だの「いびり」だの、言葉遊びの域ですよ。議論のレベルが深刻なほど低いです。まともな学術書を数冊精読されてから記事を書いてください。

投稿: | 2013年2月 2日 (土) 22時40分

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