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「触らぬ生徒に祟りなし教育」の行く末

2013020201 正直なところ、体罰問題は一過性のもので、1ヶ月もすれば収束に向かうのだろうと高を括っていた。しかしその考えは甘かったようで、未だ全く騒ぎが収まる気配がなく、マスコミの煽り(過剰報道)のせいもあり、ますますエスカレートしつつあるように見受けられる。
 テレビを観ていても、連日のように「体罰を受けた」という生徒が名乗り出て、教師を訴えるというようなニュースが報道されており、オリンピックの柔道女子選手までもが、監督を告発するというような前代未聞の事態にまで発展してしまった。
 と言っても、私も柔道における暴力的な指導を肯定するつもりはないので、これに関しては行き過ぎた指導であったのだろうと思う。もともと、レスリングや柔道というような肉体を武器にしたスポーツ選手は血の気の多い人が多いと思われるので、少々暴力的な指導になるのは職業病だと言えなくもないが、選手から「ノー」を突き付けられたのであれば、謝罪するしかない。

 無駄な誤解を避けるために、まず始めに根本的なことをお断りしておくと、私は体罰は絶対的に必要だとは思っていない。悪い(または危険な)行為をした生徒を叱ることは必要だとは思うが、体罰制度を設ける必要が有るとは思わない。しかし、同時に「叱る」という行為の中には、暴力が伴ったとしても、それは仕方が無い場合も有ると思っている。

 こう書くと、「体罰は法律で禁止されている」という筋違いの反論が返ってくることになるのだが、「生徒を叱る」という行為を無条件に「体罰」だとするのは間違いだ。こういう反論をしてくる人は、まるで《生徒が全員、体罰を義務付けられる》というような錯覚(強迫観念)を抱いているのかもしれないが、大部分の真面目な生徒は体罰とは無縁だということを見失っているのではないかと思う。悪いことをしない限り、誰も教師から暴力行為を受けることはない。それは法律が保障している通りだ。しかし、犯罪行為を行った生徒にまで教師は指一本触れてはいけないということであれば、それはただの無法社会である。
 法律を盾にする人間が無意識的に無法社会を望んでいるというのだから、自己矛盾も甚だしい。

 現在、いじめ問題も大きくクローズアップされていることは周知の通りだが、多くの人がこう言っている。

 「いじめは犯罪行為だ!

 その通りだ。しかし、そうであるなら、いじめという犯罪行為を行った人物を「体罰は法律で禁止されている」というような理由で擁護することは明らかに矛盾している。
 「いじめは犯罪行為だ!」と言うのであれば、そのいじめを行った生徒は法的に裁かれなければならないということになるが、犯罪行為を行った生徒にすら手を出してはいけないということであれば、「いじめっこに対する体罰も法律で禁じられている」ということになる。こんな都合のよいデタラメな法律解釈があるだろうか?

 「いじめは犯罪だ」と言いながら、一方で「いじめっこも法律で保護されている」と言うのであれば、ただの詭弁でしかない。
 法律を犯した人間を裁くのは法律であるというのは理解できるが、法律を犯した人間を制止するのに同様の法律を適用するのは筋違いというものだ。

 少し前までは、「生徒と先生のスキンシップ」というものが大事だと言われていたが、この調子でいくと、教師は生徒に触れることもできないというような、教育におけるアンタッチャブル社会が構築されてしまうのではないかと心配になる。

 他人の所有物を盗んだとか、危険な行為を行ったということで、教師から拳骨や平手打ちされるような光景は何度も見たことがあるが、今後はそういったことまで「体罰」と見なされ、法律を犯した犯罪者のような扱いになってしまうのだろうか?
 もしそうだとすると、現在の教師達はまさに痴漢の冤罪者予備軍になったような気分だろうと思う。

 これまで教師と生徒との触れ合いを重要視してきた教育熱心な人権主義者達は、「体罰(と言うより暴力)事件」を境にして、生徒との触れ合いを禁ずるという、全く逆さまの価値観を伝播するに至ってしまった。
 そんな価値観が常態化するのであれば、もう生身の教師など必要無いということになってしまう。今後は、生徒は全員、学校などに行かずに、ネット中継されたテレビ画面の教師から教育されるというスタイルに切り替えた方が、教師にとっても生徒にとっても幸せかもしれない。学校に行かずに自宅で学習できるなら、いじめ問題は根絶するし、教師も生徒に触れて訴えられる危険性が無くなるし、良いことづくめかもしれない。まさに「触らぬ生徒に祟りなし教育社会」の到来だ。

 いじめも暴力も一切無い理想的な教育社会、それこそ彼ら人権主義者達が夢想したユートピアなのかもしれない。(無論、皮肉だが)

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教育問題」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
すでに少し前から、教師はそんな状況に置かれていますよ。

>他人の所有物を盗んだとか、危険な行為を行ったということで、教師から拳骨や平手打ちされるような光景は何度も見たことがあるが、今後はそういったことまで「体罰」と見なされ、法律を犯した犯罪者のような扱いになってしまうのだろうか?
 もしそうだとすると、現在の教師達はまさに痴漢の冤罪者予備軍になったような気分だろうと思う。

投稿: 一教員 | 2013年2月 2日 (土) 16時16分

正直、主張のレベルが低すぎます。事実誤認・論理の飛躍、もはや議論のていをなしていません。

>犯罪行為を行った生徒にまで教師は指一本触れてはいけないということであれば、それはただの無法社会である。
―― 現行法化であっても教師が生徒に指一本触れられないなどということはありませんよ。文科省通知によれば、「児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる」としています。犯罪を行った生徒に指一本触れられないという仮定がそもそもありえないのです。ろくに事実関係を調べずに、勘違いな仮定をもとに論を進めるから、意味不明な記事となってしまうんですよ。

>大部分の真面目な生徒は体罰とは無縁だということを見失っているのではないかと思う。
―― こうした主張は先生は悪いことをした生徒にだけ体罰をするだろうという楽観論に基づいていますが、実際には先生が嫌いな生徒をいじめるために恣意的に体罰を行うことだってある。またひとたび体罰が濫用されると生徒の身体が危険にさらされています。だから、体罰は禁止されているのではないです。先生なんていまどき誰でもなれる職種です。毎年、わいせつ事件で何十何百の先生が逮捕されている現状において、先生が適切に体罰を行うだろうと思っているのであれば、相当な能天気です。

>法律を盾にする人間が無意識的に無法社会を望んでいるというのだから、自己矛盾も甚だしい。
――法律を盾に体罰を否定している人は、犯罪行為を行った生徒に関しても、”合法的な手段で懲戒・制裁しろ”と主張しているのですよ。学校を無法化しろなどと主張している人はいません。

>他人の所有物を盗んだとか、危険な行為を行ったということで、教師から拳骨や平手打ちされるような光景は何度も見たことがあるが、今後はそういったことまで「体罰」と見なされ、法律を犯した犯罪者のような扱いになってしまうのだろうか?
――犯罪行為をした人を警察官が拳骨・平手打ちすることは許されるのでしょうか?いいえダメです。私的制裁は法律上禁止されているからです。裁判所が法律にのっとって判断するのが我が国の司法制度です。「今後は」と書かれていますが、現行法下において体罰は禁止されており、拳骨・平手打ちは違法行為です。体罰以外の方法によって懲戒しなければなりません。立法論として論じるならともかく現行法では違法なものは違法です。

もし立法論として体罰を合法化するなら、体罰が教育的に有効だと立証しなければなりません。しかし、心理学・医学的な研究で体罰は有害と判明しています。体罰などという前時代的な懲戒手段はその存在理由を失ったと解するのが相当です。

投稿: | 2013年2月 2日 (土) 22時13分


体罰は有害と判明しているのですか? 証明されたのですか?

スキーのジャンプやラグビーのタックルなど、踏み込む勇気がない怖がりの子供だけに、ビンタ程度の体罰というより強い恐怖を与えることで踏み込む思い切りをさせる場合はどうでしょうか。誰にでも有効とは思いません。一回成功体験を得ればそれ以上恐怖を与えなくてもできるようになります。体罰のこんな使い方も有害と証明されているのですか? これと暴力の乱用を並列で語られているような気がします。

体罰には賛成しません。しかし使い方次第で有用な場合はあると思います。全員に対して有用とは思いません。しかし特定の人格や心情下で有用な場合もあると思います。

くず教師は大勢います。でもさじ加減のできる教師も大勢います。すべての教師に対して体罰を禁じるとか、すべての生徒に対しての体罰を禁じることが異常だと思います。

じゃあどうやって線を引くのか。ダメな教師が体罰と称して感情的に暴行したらどうするか。

なぜすべての生徒が同じくらい幸運になると信じるのです? 体罰に限ったことではありません。学力や人格形勢や運動技能を上手に引き出す教師もいればまったくダメな教師もいます。いい教師、相性のいい教師とめぐり逢うのも持って生まれた運です。能力のない教師や相性の悪い教師にあたれば悪運を呪うしかありません。体罰だけ排除してどうなるものでもないでしょう。

体罰と暴行は違います。後遺症を残すような暴行は犯罪です。軽度の体罰は相手と場合によって教師の裁量範囲を残すべきでしょう。あくまで最小にすることがいいのであって、ゼロがいいとは思いません。

体罰を最小にするのは議論ではなく、体罰を使わない指導者が結果を出すことです。結果が伴わない議論など正論であっても現実の前では無力です。各スポーツの優勝、学校の学力の上昇、補導件数の減少など、体罰なしで結果を出しつづけることが体罰を減らす近道だと思います。

きつねなど野生動物の親は子を攻撃することで従順にさせると聞きます。善悪以前に動物に備わっている本能も関係する問題ではないですか?

投稿: jump | 2013年2月 3日 (日) 03時40分

jump様

 コメント、有り難うございます。

>体罰は有害と判明しているのですか? 証明されたのですか?

 体罰が有害・無害とか、体罰が合法・違法とかいうような明確な基準を作って学校教育を運営すること自体がナンセンスだということです。「体罰」という言葉や概念は、この際、忘れてもらって、昔のように、悪いことをした生徒は叱るという当たり前の制度で良いのではないかということです。
 教師を単なる教育ロボットと考えているような左翼や、人間性よりも法律を重んじるような人間味の無い人々の批判に耳を傾けても無駄だということです。

 あなたも言われているように、人間というものは千差万別であり、あらゆる出来事はケースバイケースで対処するしか方法が無いわけです。ゆえに、何が善で何が悪かというような細かい取り決めを行っても、何の解決にもならないどころか、むしろ有害(問題は更に悪化することになる)だということです。

投稿: 管理人 | 2013年2月 3日 (日) 11時55分

jumpさんへ。

ハーバード大の調査だと、体罰を受けた人は脳が体罰を受けていない人よりも1~2割ほど小さいそうです。体罰を受けると人間はストレスホルモンを分泌し、脳の発育を妨げるのです。心理学の調査だと、体罰を受けた人は、攻撃性が高く、精神病への羅漢率が高く、反社会的行動、異常行動などが見受けられるそうです。

>後遺症を残すような暴行は犯罪です。
――これはただの結果論。あなたは「踏み込む勇気がない怖がりの子供だけに、ビンタ程度の体罰というより強い恐怖を与える」場合は叩いてもいいといいますが、ビンタされてさらに委縮する可能性もあるでしょうね。

>生徒が同じくらい幸運になると信じるのです? 悪い教師にあたれば悪運を呪うしかありません。体罰だけ排除してどうなるものでもないでしょう。
――身体への危害を加えるという危険行為を禁止すべきだという主張に対して、悪運云々の話はどういう反論か意味不明です。

投稿: 体罰否定派 | 2013年2月 3日 (日) 16時41分

管理人さん

>体罰が有害・無害とか、体罰が合法・違法とかいうような明確な基準を作って学校教育を運営すること自体がナンセンスだということです。
――ナンセンスなのはあなた。グレーゾーンがあるからトラブルが起きて、最悪訴訟なるんでしょうが。明確な基準がないからこそ、先生が委縮して指導出来ないのでしょうが。

>昔のように、悪いことをした生徒は叱るという当たり前の制度で良いのではないかということです。
――この程度の思考力でよく記事を書こうと思いますね。まず、昔っていつですか?青少年の犯罪発生率が現在の数倍もあった昭和30~40年代ですか?もう少し具体的に論じられた方がいいと思いますよ。「教師を単なる教育ロボットと考えているような左翼」と書かれていますが、どういうことか意味不明です。もはや理解レベルが低過ぎてお話になりません。

投稿: | 2013年2月 3日 (日) 16時58分

ブログ主さんの意見に賛成です。

 いろいろ意見されてる方がいますが、体罰を事細かに事前規制するような枠組みを作ったら、必要な体罰も出来なくなるでしょう。

 それでは学校のジャングル化が進みます。
 そして、まともな子まで弱肉強食の行動原理で動くようになる。
 悪いことも見てみぬ振りをするようになる。

 体罰については教師に任せ、事後チェックで良いと思います。
 事後チェックがあれば、行き過ぎた体罰、不公正な体罰をする教師はいませんよ。

 体罰の事前規制強化では実質、体罰禁止になります。
 重箱の隅をつつく議論に引きずり込んで、正しい考え、行為(ここでは体罰容認)を邪魔するのは左翼カルトの常套手段ですねえ。
 公立学校は日教組(左翼カルト)の巣窟。
 体罰実質禁止は怠慢な労組教師にとっては好都合でしょう。
 

投稿: joju | 2013年2月 3日 (日) 17時22分


よく読んでください。体罰には基本的に反対しています。しかし有用である場合を否定しきれません。

ハーバード大の調査は正しいでしょう。その前提において。継続的に親が体罰を課した場合ですよね? 私の出した例と似ていますか? 心理学分野は解明されていないことが多いのに、なぜ如何なる前提においてでも体罰が悪と言いきれるのですか?

体罰で萎縮などの悪影響を受ける人に体罰を与えるのは間違いです。そう書いたつもりです。

法律で交通事故をゼロにできないように、教育・指導分野でも不幸な偶然をゼロにできません。体罰の悪用は起こるでしょう。しかし体罰が有用な場合があるのであれば禁止すべきではないと思います。

体罰が有用なはずがないと仰るかもしれません。それは体罰を使わない指導者が体罰ありの指導者より優れた結果を出すことでしか証明できないのですよ。

投稿: jump | 2013年2月 4日 (月) 01時45分

「悪い(または危険な)行為をした生徒を叱ることは必要だ」という主張には、私も賛成です。
学校教育法11条本文も「懲戒を加えることがでる」としています。
現行法上、自由人さんの主張と対立し得るのは、同条但書だと思われます。
すなわち、自由人さんが「『叱る』という行為の中には、暴力が伴ったとしても、それは仕方が無い場合も有る」と主張しておられるのに対し、同条但書は(懲戒権を認めながらも)「体罰を加えることはできない」としています。

おそらくですが、ここで自由人さんが「『体罰は法律で禁止されている』という反論」を「筋違い」のものだと思われるのは、解釈論にせよ立法論にせよ、この反論が「なぜ体罰は法律で禁止されるべきなのか」という実質的な議論に触れていない(ように見える)からではないでしょうか。
そこで、以下では、なるべく実質的な議論になるように努力して書いてみましょう。

「いじめ問題」を取り上げておられるところからすると、自由人さんの想定する「仕方が無い体罰」というのは、「単純な暴力」というよりは、生徒の不正に対するいわば「制裁としての暴力」とでも言うべきものだと思われます(「暴力」という表現には結論の先取り感がありますから、「制裁としての有形力」と言い換えてもよいです)。
だとすると、生徒の不正に対する制裁としての「いじめっこに対する体罰も法律で禁じられている」というのは「都合のよいデタラメな法律解釈」と見えるかもしれません。

しかし、誤解を恐れずに言えば、同条但書(およびその解釈論)が主張しているのは、「悪いことをしない限り、誰も教師から暴力行為を受け」てはならないというのは当然として、まさに「いじめっこに対してこそ体罰を加えてはならない」ということだと思われます。
ご都合的というよりは、最初からそれを狙った法律なのです。

では、なぜそんなことが(考え方として)正当化されるのかというと、やはり体罰の必要性と体罰の弊害とを比較考量した結果、後者を重く見て、体罰を禁止することにした、ということでしょう。
だから、考え方の筋道そのものは、「詭弁」とまで言うほどのものではないと思います。

なお、現行法においては「指一本触れてはいけない」のかといえば、そういうことではないようです。
最高裁も、公立小学校教員が悪ふざけをした生徒の胸元をつかんで注意した事件について、「その目的,態様,継続時間等から判断して」、同条但書の禁止する「体罰」にあたらない、としています。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=37554&hanreiKbn=02

これを、そもそも「体罰」にあたらないとするか、それとも「体罰」にはあたるが国賠法上の「違法」とまではいえないとするかは言葉の問題とも言えそうですが。
ともあれ、判例というのは、当該紛争を解決するものであるだけでなく、今後、現場の行為規範となるものです。
だから、法律の議論が無駄であるかのようなおっしゃりようは、ちょっと拙いと思われます。

しかし、「拳骨や平手打ち」までは認められないでしょう。
これらは、「今後」だけでなく、今までも「体罰」であり「犯罪」でした。
自由人さんの定義でも、「体罰」になるはずです。
どうやら、この「拳骨や平手打ち」あたりが見解の分かれ目でしょうか。
個人的なことを言えば、私が「拳骨や平手打ち」がどうも気に食わないのは、私が打撃系の武道をやっていることによる同族嫌悪かもしれません。

最後に、「生徒は全員、学校などに行かずに、ネット中継されたテレビ画面の教師から教育されるというスタイル」というのは、個人的にはべつに問題ない気もします。
それほどディストピアですかね。

長文失礼いたしました。

投稿: Recht | 2013年2月 4日 (月) 02時02分

>jumpさん

 仮に体罰に、特殊な場合において一定の教育的効果があるとしましょう。そうだとしても、体罰を禁止しないと、不当な体罰行為が行われた場合に、体罰は違法であるという規定がないと、違法だと認める範囲が縮小されてしまい妥当ではありません。つまり、法的保護から漏れる生徒が出てくるのです。禁止されている現在でも体罰を理由に処分される教師は400人超。体罰を禁止しなければ、不当な体罰を生徒が受けても、何を論拠に教師を提訴すればいいのか。懲戒権の範囲に体罰が含まれるとすれば、裁判所は救済のしようがありません。禁止規定はあくまで生徒が不当に体罰をふるわれた時に生徒を保護する時に機能します。
 有用な体罰で、生徒もそれを仕方がないと受け入れるぐらいの信頼関係が先生の間にあれば、そもそもそれは問題として表面化しないので、そんな場合を想定して体罰容認というのは筋違いです。体罰を禁止すべきではないという人は、もし不当に体罰をされた場合に、どうやって生徒を保護する気なのでしょうか。

 「有用な場合があれば、禁止すべきではない」というのであれば、多くの犯罪行為は合法化されなければおかしい。経済活性化になるんだから賭博だって自由化すべきでしょう(パチンコ・競馬はすでに合法です)。大人の社会でも殴らないと分からない奴もいるから、そいつに分からせるために暴行罪もなくしましょう。もしかしたらレイプされて嬉しい女性だって少しはいるかもしれないし、例えば犯罪を犯した女性がレイプされることで更生するかもしれない。じゃ強姦も合法化しましょう。こんな議論が成立しますか?しませんよね。今日において犯罪行為だとされている行為にも、一定程度有用性はありますよ。しかし、犯罪行為によって生じる社会的不利益の方が圧倒的に大きいから禁止されているのです。体罰が生み出す微々たる有用性よりも、体罰によって生じる児童への身体の危険性の方が遥かに大きいから禁止すべきなのです。

投稿: wwww | 2013年2月 4日 (月) 12時09分

jump様

 再度、コメント、有り難うございます。

>なぜ如何なる前提においてでも体罰が悪と言いきれるのですか?

 私は体罰を絶対悪とも絶対善とも書いていませんが。

>体罰の悪用は起こるでしょう。しかし体罰が有用な場合があるのであれば禁止すべきではないと思います。

 私も基本的にはそう思います(体罰というものに限定はしませんが)。しかし、現在の世論を見ていると、「体罰」という言葉を聞いただけで拒否反応を示すという思考停止状態に陥っている人々が大勢います。そんな人々に「体罰は(場合によっては)必要だ」などとストレートに言っても理解していただけないわけです(実際に以前の記事で書きました)。
 だから、シンプルに「人間として悪いことをすれば叱られるのは当たり前」でいいのではないか? それでもダメだと言うのであれば、もう学校など行かずに自宅で学習すればいいのではないか?ということです。
 自分の子供や家族が公の場で他人に迷惑行為(犯罪行為)を働いたのであれば、恥ずかしい(叱られて当たり前)と思うのが正常な人間の感覚です。そこに法律がどうだこうだと言うこと自体が馬鹿げているということです。(これはあなたに対しての反論ではありませんが)
 この件は機会があれば、また記事としてまとめたいと思います。

投稿: 管理人 | 2013年2月 4日 (月) 20時24分

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