« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月

「日本病」の処方箋『景気連動政府』

2013042601■公務員の給料が下がらないのは民間企業のせい?

 現在の公務員の給与水準は、一応は民間企業をベースにしていることになっているが、そのモデルとなる「民間企業」というのは「大企業」を意味していることは周知の通りである。民間企業全体の平均年収は400万円程度だが、大企業の平均年収となると700万円以上ということになり、一気に2倍近く跳ね上がることになる。

 公務員が国民全体の奉仕者であることを考えれば、確かにこれでは筋が通らない。そのため、不況になると「公務員の給料を下げるべきだ!」との批判がよく聞かれる。しかし、マクロ的な視点で観れば、公務員の給料を下げても、全体としての景気が良くなるわけではなく、また、給料分以上の仕事をしている公務員も少なからず存在するため、公務員の給料を一律に減額するというのは、必ずしも公平とは言えないし現実的でもない。
 庶民的(ミクロ的)な視点から「公務員だけが優遇されるのはおかしい」というのはその通りだが、公務員の給料を下げたからといって、その下げた分がそのまま民間企業に流れてくるわけではないので、根本的な解決策にはならない。残念ながら、闇雲に公務員の給料を下げるだけでは、お金の巡りが更に悪化することになり、景気が更に悪化する可能性も否定できない。

 人間誰しも「一度手にした既得権は手放したくない」というのが本音だろうから、如何に仕事に対してべらぼうな収入を得ていたとしても、その既得権を無理矢理に奪おうとすれば、激しい抵抗に遭うことになる。公務員であろうとなかろうと、生活を抱えた人間であることに変わりはないので、如何に不条理であろうとも、正攻法では、この現状を簡単に変えることはできない。

 ではどうすればいいのか?
 考えられる上で最も無難で現実的な方法は、公務員の給料を『景気連動型』に変えることである。これなら公務員の人でも納得できると思う。
 先に、公務員の給料は大企業に倣っていると述べたが、まずその大企業が景気や業績によって収入が大きく変動するという給料体系にすれば、自ずと公務員の給料体系も変わっていかざるを得なくなる。公務員の給料が不景気であっても下がらないのは、民間企業(この場合は大企業)の給料制度にも原因があるということである。

■ゲーム感覚で国家を運営する官僚達

 景気が良くなれば給料が上がり、景気が悪くなれば給料が下がる。この当たり前の給料制度を公務員社会に適用するだけで日本経済は正しく甦る可能性がある。
 現在の公務員を含む官僚組織の給料体系は、景気連動型にはなっていない。いや、景気連動型になっていないというのは正確ではない。正確に言えば、景気が悪くなればなるほど、仕事が増えて給料が上がるという民間企業とは表裏一体の関係になってしまっている。言わば、『景気反動型』とも言える。この歪んだ構造が齎す悪弊は如何ともし難いものがある。

 例えば警察が、ある上場企業の社長を冤罪で逮捕することによって、株式市場を破壊し、景気を悪化させ、就職できない人や自殺者が激増したとしても、その警察官は減給とはならず、逆に昇給となって栄転するというような社会を考えれば分かりやすい。本来、公務員がそのような失態を演じれば、減給どころか、クビになるというのが真っ当な社会の姿である。

 景気が悪くなれば給料が下がり、景気が良くなれば給料が上がる。その当たり前の法則が機能していれば、官僚も政治家も不景気になるようなことはできなくなるので、どうすれば景気を良くすることができるのかを真剣に考えるようになる。逆にそういった当たり前のシステムが機能していなければ、どんなミスを仕出かそうと痛くも痒くもないので、官僚達はまるでシムシティ(という昔流行ったゲーム)でもプレイしている感覚で国家を運営することになる。国家運営に失敗してもリセットボタンを押すだけで、何のペナルティも無ければ、やりたい放題の悪政が罷り通ることになる。
 景気が悪くなり過ぎると職を失うという至極当然の公務員システムが機能すれば、日本経済は良くなっていく。これまた至極当然の帰結である。

■深層心理で国民の生活が良くならないことを願う人々

 現在の「公務員」と「一般人」の関係は、Win-Win(ウィンウィン)の関係ではなく、また、Lose-Lose(ルーズルーズ)の関係でもなく、公務員は負け知らずの独り勝ちWin状態になってしまっている。この歪んだ関係を見直す必要がある。
 この関係は株式投資で言うなら、空売り投機家と現物株投資家の関係に似ている。無論、公務員は空売り投機家の方である。
 空売り投機家とは、株式が騰がって喜ぶ投資家とは逆に、株式が下がれば喜ぶという人々である。ある程度、株式が騰がったところで空売りをしかけ、下がったところで買い戻すことで利鞘を儲ける。そして投資家が意気消沈しているところに付け込んで更なる焼け太りを企む。まさに「空売り天国(公務員天国)」というわけだ。

 現在の官僚組織は、景気が良くなって国民の生活が良くなることを良しとしない。しかし、別に彼らは悪気があるわけでも精神的に捻くれているわけでもない。現状の国家システムでは、そうならざるを得ないのである。この矛盾は国家というものができた頃からの宿痾(持病)とも言えるが、この慢性的な病気を治さない限り、日本経済の真なる持続的な発展は無い。
 表面的には景気の回復を喜んでいる振りをしながら、潜在意識の深奥で日本経済の持続的な発展を嫌う権力者がいるわけだから、これも当たり前の話である。『景気連動政府』というのは、その歪んだ精神を矯正するシステムであり、国家病(日本病)を治す1つの処方箋でもある。

にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『当たり屋国家』と駄々っ子を放置する日本

2013042101 日本は景気が少しずつ良くなってきつつあるものの近隣の“北朝鮮の暴走”という地政学的リスクが目の前にぶら下がっているため、いつ何時、景気の腰を折られるかも知れないという不安感は払拭できずにいる。日本の株式市場も大相場に突入しつつあるように思われるが、いつ梯子を外されるか分からないため、1日たりとも気が抜けず、短期(短気)売買に甘んじている投資家も結構多いのではないだろうか。

 テレビや新聞でも毎日のように北朝鮮関連のニュースが伝えられている。先日も米韓両国に対して「すべての挑発行為の即時中断と全面謝罪」を求めたそうだが、完全に善悪の立場が逆さまになってしまっている。ミサイルをチラつかせた挑発行為を行っているのは北朝鮮の方であり、謝罪しなければならないのも北朝鮮の方だ。
 金正恩氏はそのルックス(風体)から「駄々っ子」と形容されることがあるが、その政権の本質は、差し詰め「当たり屋」と言ったところだろうか。

 北朝鮮は、自分達から表立って攻撃を仕掛けるつもりはサラサラないが、韓国側(アメリカも含む)が北朝鮮の挑発に乗って先に攻撃を仕掛けてくることを虎視眈々と狙っているようにも見える。
 喩えて言うなら、何度も何度も急ブレーキを踏み、後ろを走っている「韓国」という車がオカマ事故を起こすのを待っているような状態かもしれない。もし仮にその思惑通りになったとしても、事故(戦争)の原因は明らかに北朝鮮にあるのだが、結果的に事故(戦争)を起こしたのは韓国側ということにしたいのだろう。まさに「当たり屋」の思考そのものだと言える。

 一党独裁国家では情報が遮断された自国の国民には真実が分からないのをよいことに、他国への駄々のこね放題が罷り通ってしまう。多くの死傷者を出した中国の天安門事件などでも、未だそんな事件が有ったことさえ知らない中国人も大勢いるぐらいだから、中国以上に閉鎖された北朝鮮なら、誤った情報で国民を洗脳する程度のことはお手のものだろう。
 何発も空砲を打って威嚇したのが北朝鮮であったとしても、先に実弾を発射したのが韓国側であれば、「戦争の引き金を引いたのは韓国側だった」という歴史的捏造がいとも容易く為されてしまう。

 ほとほと、難儀な国が近隣にあったものだと感心してしまうが、もはや、北朝鮮は国家と言うより、山賊と言った方が近い。他国を脅すことでしか自国を維持できない盗人根性丸出しという感じだが、こんなカルト教と化したような国でも、そこに住んでいる多くの人々は大して疑問を感じることもなく、国家に隷属することを当然のことだと認識しているというのだから、国を統治する基になっている(誤った)思想というものはつくづく恐ろしいものだと思う。

 正しい情報を遮断するだけで、これほど簡単に人心を操れるのだから、情報機関(マスコミ)の在り方次第で国民は如何様にも変わるということを意味しているが、人間の精神構造というものも、ある意味で騙されやすくできているということなのかもしれない。この世に生まれ落ちた時に、自らの周りに空気のように存在している思想が、その人物の人格形成に与える影響は計り知れないものがある。その国が発展するか衰退するかは一国の思想にかかっているとも言えるが、北朝鮮を統べている思想は明らかに衰退思想(破滅思想)だと言える。

 話を株式市場に戻そう。
 アベノミクスによる今回の大相場に冷や水を浴びせることになるのは、おそらく次のうちのどれかだろうと思う。

 1、官僚のバブル潰し
 2、政治家の消費税増税
 3、北朝鮮での戦争勃発
 4、中国との軍事衝突

 1と2、3と4はそれぞれ1セットとも言えるが、このままいくと、の北朝鮮絡みのニュースとなる可能性が最も高そうだ。「駄々っ子」に命運を握られても厳しく叱ることのできない日本、その姿は、どこか体罰(叱ること)を禁じられた教師の姿とダブって見える。

 暴力的な不良生徒=北朝鮮
 事勿れ自虐教師=日本
 モンスターPTA=中国

 この自虐的な構造をなんとか変えられないものだろうか…。

にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「未知の活断層」と「未知の宇宙」

2013041601 2013年4月13日午前5時33分頃、淡路島を震源とする最大震度6弱の地震が発生した。幸い、死者は出なかったものの、この想定外の大きな地震が発生したことによって、主に次の4つのことが真しやかに囁かれているようだ。

 1、南海トラフ地震との関係性(予震)
 2、阪神大震災との関係性(余震)
 3、東日本大震災との関係性
 4、未知の活断層の可能性

 東日本大震災を「1000年に1度の大地震」と言っておきながら、「近いうちに南海トラフ大地震が起こる」と言うのは、どう考えても矛盾していると思われるのだが、世間一般のそのような素朴な疑問はどこ吹く風で、地震が起こる度に当たりもしない地震予知論が巻き起こる。

 今回の淡路島地震が発生したことで1つだけ確定的に言えることは、残念ながら「現代の人間(または科学)では地震の予知は不可能」ということに尽きると思う。
 日本各地のどこで地震が発生しようとも、毎度その地震は「寝耳に水」の事態となる。この冷厳な現実を見れば明らかなように、現代の地震予知学というものは、未だ非科学的な推定学の域を出ていない代物だとも言える。
 こういった現代の科学では全く予測不可能な出来事に対して、いくら(科学的に見える)予測を立てたところで、それは、非科学的な推論にしかならないことは、これまでの地震でも今回の地震でも明らかだと思う。そのうち科学的に地震のメカニズムが明らかにされる日が来ることは否定しないが、現代の科学では土台不可能な話であり、専門家が顔を突き合わせて真面目に論じ合うこと自体が滑稽にすら見える。それは恰も、太陽系すら未だ未知の領域である人類が、銀河系の星の数を言い当てっこしているようなものかもしれない。

 ところで今回の淡路島地震は「未知の活断層の可能性がある」というようなことも伝えられている。

 こう聞くと、「活断層は危険だ」と受け取る人が多いかもしれない。しかし、この発表で明らかになったことは、「活断層は危険」ということではなく、「活断層はどこにあるか判らない」ということであり、逆に言えば、「活断層が無い所も実はハッキリとは判っていない」ということである。

 「活断層は危険だ」という危機ロジックが成り立つためには、地球をレントゲン撮影したが如く、活断層がどこにあるのかが明確に判明しているということが大前提であり、その前提条件が崩れてしまえば、「活断層」の危険性を論じることが無意味化してしまうということでもある。もっとも、「活断層が危険である」という前提すらも未だ科学的には証明されていない仮説だそうだが…。
【関連記事】2013年「活断層バブル」の危険性

 いつどこで起こるかも判らない地震と、どこにあるかも判らない活断層、こんな未知の危険性を未だ無知な現代人がどれだけ熟考したところで正確な解答など出てくるはずもない。況して、その危険性を煽ったとして、一体どんなプラス効果が有ると言うのだろうか?
 無論、地震対策を行うことは必要だが、殊更に危機を煽り、当てずっぽうな予測をすることに、あまり意味が有るとは思えない。
 日本経済の破綻を煽ることを生業にしている人々がいるように、日本の地震危機を煽ることを生業にしている人々もいるのかもしれないが、そういった危機論が蔓延る背景には、リスクをゼロにしなければ気が済まないという人々の歪んだ需要が存在していることも1つの大きな原因だろうと思う。

 少々オーバーな例えで言うと、宇宙からの巨大な隕石が地球にぶつかる危険性も無いとは言えない。しかし、そのような危険性が有るからといって、「人類は隕石の危機から逃れるために地下深くに住むべきだ」と言う人が出てくれば、あなたはその人をどう思うだろうか? 何万年か何百万年後に起こるかもしれない万が一の危険性の為に、地上での太陽光を浴びる健全な生活を放棄し、地下深くに潜ることに意味があると思えるだろうか?

 「万が一のリスクも受け入れることができない」というような理想論を、この地上で本気で実現しようとすれば、そこに生まれるのは滑稽なSFの世界でしかない。万が一のリスクのために地底人になることが正しいと言うのであれば、それはまさしく狂気の世界だ。

 「未知の活断層」は「未知の宇宙」に相通じるものがある。未知の領域を探究することは重要だが、未知であることを無視して判りもしないことを判ったように振る舞うことの危険性も併せて考えるべきかもしれない。

にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マーガレット・サッチャーの知られざる名言

2013041101 長らく認知症を患っていると伝えられていたイギリスのサッチャー元首相が亡くなった。サッチャーは「イギリス病」を退治したことで有名な女性の政治家だが、その辣腕ぶりから「鉄の女(Iron Lady)」と呼称されたことでもよく知られている。彼女は政治家ならではの多くの名言を世に残した。

 誰もが知っている有名な言葉に以下のようなものがある。

 「お金は天から降ってこない、地上で稼ぎ出さねばならない

 「お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちにならない

 そして、日本ではあまり伝えられないサッチャーの名言の1つに以下のようなものがある。

 「労働組合が若者から仕事を奪っている

 サッチャーと労働組合との対立は有名な話で、サッチャーは「ストライキを頻発させて合理化に抵抗する労働組合こそがイギリス経済の元凶である」とまで言っていた。

 まるで現代の日本にもそのまま当て嵌まりそうな言葉だ。昨年に観た映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で、この台詞を言う実録シーンを見かけたが、日本でこんな台詞を公衆の面前で堂々と言える政治家が果たして何人いるだろうか?

 サッチャーは学生時代にハイエクを学んだことでも知られるハイエキアンであり、小さな政府を理想とする政治家でもあった。ゆえに、サッチャー自身は、労働組合という組織自体が必要ないと思っていたのかもしれないが、ここでは、労働組合は必要との前提(中立の立場)で話を進めたいと思う。

 サッチャーの言うところの「労働組合が若者から仕事を奪っている」というのは、主として不況期で問題となる話である(不況期の公務員バッシングと同様)。労働組合の仕事内容というのは、本来であれば、好況期不況期では違ってくるはずなのだが、その違いが明確になっていない(あまり考えられてこなかった)ため、様々な矛盾を生むことに繋がり、批判されることになったのかもしれない。

 現代日本の労働組合の役割も、基本的には「正社員」という身分と、その待遇を守ることにあるとされているが、単に現状を維持するだけでなく、給料や待遇のベースアップをこそ主たる目的としている。
 しかし、いかなる経済環境にあろうとも給料や待遇のベースアップを目指すというのは、土台無理な話で、労働者の雇用を守ることが最優先であるのならば、時にはベースダウンの交渉も行わなければならない。

 日本中の全ての中小企業(労働者)が労働組合の傘下にあるのであれば話は別だが、残念ながら、労働組合というものは中小企業には全くと言っていいほど存在していない。そういう意味では、「労働者のための組織」というよりは「大企業の労働者のための組織」だとも言える。
 特定の企業や集団にしか存在しない組織であるため、労働組合が活躍すればするほど大企業と中小企業の労働格差がどんどん拡大するという矛盾を齎すことになってしまう。
 よく、同じ仕事をしても給料が違うという「同一労働同一賃金」問題が取り沙汰されることがあるが、労働組合が頑張れば頑張るほど、皮肉なことに「同一労働同一賃金」の実現は遠離ることになる。

 労働組合の本来の役割というのは、景気の良い時は、労働者の待遇を良くするべき活動をし、景気の悪い時には、労働者の雇用を維持するために、逆に待遇を下げて雇用を調整するという役割(悪役)を演じなければならない。しかし、現実はどうなっているのかというと、不況期であろうと無かろうと、待遇を良くすることしか考えていないようにさえ見える。

 本来、労働組合というものは、経済成長があってこそ、その役割を果たすことのできる組織であるので、経済停滞を憎み、経済成長を支持する団体でなければ可笑しいことになるのだが、どういうわけか、この国では、労働組合に拘わらず、経済成長を必要とする組織に限って、経済成長を否定するという矛盾した構造になってしまっている。

 この矛盾した構造が「イギリス病」ならぬ「日本病」の元凶の1つであることは言うまでもないが、この矛盾を解決する(覆い隠す)手段は、皮肉ながら経済成長しかない。

 サッチャー風に言わせていただくと、
 「経済成長を否定しても、日本経済が元気になるわけではない」のである。

にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »