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2013年5月

マスコミはなぜ「事勿れ主義」に陥りしか?

2013052601■男を上げた橋下氏と男を下げた渡辺氏

 参議院選を前にして、いつになく『従軍慰安婦問題』が大きな話題となっている。事の発端は維新の会の橋下氏の慰安婦発言からであるが、言っている内容の方はともかくとして、この問題が取り上げられることは長い目で観れば(事の真相を究明するためにも)良いことなのだろうと思う。

 橋下氏の一連の発言に対しては賛否両論で、ネット上では支持する派が多いみたいだが、相変わらず、大マスコミ側は一部を除いて総否定の論陣を張っているかに見える。まるで、この問題に触れることがタブーであるかの如く思想的なバリゲードを張っている。紙でできた新聞というのは、戦後からそのバリゲードの役割を見事に果たしてきたということなのだろうが、ここにきて、その鉄壁のバリゲードにも亀裂が入り、脆くも崩れようとしているかのようだ。

 私は現在の維新の会を応援するつもりはないが、今回の橋下氏の行動が、もし計算された上での大博打だったのだとすれば、かなり評価が高いと思う。現在、圧倒的支持を得ている自民党にまともに対抗しても勝てる見込みはほぼゼロなので、本人が意図するしないに拘らず、無意識的に、やぶれかぶれの戦法に出てしまったのかもしれないな…と推察している。
 仮に、口が滑って、つい本音をしゃべってしまったという偶然が引き起こした事件であったとしても、長期的に観れば、橋下氏は男を上げたなと思う。逆に、みんなの党の渡辺氏は男を下げたな(と言うより、下げざるを得なかった)と思う。

■衆愚政治環境が齎した予期せぬ悪夢

 実際のところ、現在の日本の政治環境下で、渡辺氏が橋下氏の意見に同調してしまうと、選挙では100%落選することになる。たとえ渡辺氏が本音では支持したかったとしても、建前上は支持できないという哀しい現実がこの国にはある。
 正論(暴論?)を堂々と述べると選挙に落ちるという倒錯した建前政治を体現している日本では、結局、長い物(世論)に巻かれた政治家が賢いという衆愚政治に陥ってしまう。衆愚政治に陥っていることを見抜ける人々は古今東西、圧倒的に少数派(マイノリティー)なので、票を獲得したい政治家は、結局は長い物(愚かな民の意見)に同調するしかなくなってしまう。

 そう考えると、今回の橋下氏の言動は、それが正論で有る無いに拘らず、協力の姿勢を見せていた「みんなの党」にとっては、迷惑以外の何ものでも無かっただろうと思う。計らずも、みんなの党にとっては改革者としての「踏み絵」になってしまった恰好だ。
 仮にも既存の政治システムを破壊することを目的としていた政党が、長い物に巻かれることを、苦渋の選択ながら認めてしまったことになるからだ。皮肉ながら、みんなの党にとっては、まさに衆愚政治環境が齎した予期せぬ悪夢であったに違いない。

 さて、では、なぜ日本では本音や正論が語れない衆愚政治に陥ることになるのか? その根底にはマスコミの事勿れ主義が存在していることは言うまでもないが、では、なぜマスコミは事勿れ主義に陥ってしまったのか? それが、今回の本題である。

■独り歩きし始めた「事勿れ主義」の呪縛

 最近は憲法改正論議も活発化しているので、その問題とも重なるが、日本のマスコミは敗戦後、GHQによる政策(WGIP)の一環で、「日本のことを悪く書かなければ戦犯として死刑にする」というようなことを伝えられたとされる。そのため、日本のマスコミは徹底して「日本は悪い国だった」という自虐報道を繰り返した。
 マスコミはその恐怖観念に支配されたまま思考停止で現在を迎えてしまったがために、現在に至っても未だに自虐報道を繰り返している。当のGHQは、もうなんとも思っていないと思われるのだが、まさしく「事勿れ主義」が独り歩きしている状態に陥っているのが現在のマスコミの姿だとも言える。

 当時のGHQの洗脳プログラムにコロッと引っ掛かってしまった左翼達はマスコミが垂れ流した自虐思想に染まり、21世紀を迎えた現代でも未だに「日本は悪い国だ」としか言えない見えない空気に支配されている。「日本は良い国だった」と言うような政治家が現れると、メディアスクラムを組んで、その政治家を潰しにかかる。それがこの国の思想的現状だとも言える。過去の恐怖に支配された事勿れ主義が有りもしない幻影(注:従軍慰安婦のことではない)を作り出しているのである。

 ただ、ここで大事はことは、もうかつての「恐怖」は存在していないということである。自虐報道を繰り返さなくても、死刑にされる心配はないのだが、なぜかGHQに洗脳された人々と、日本国民の無知に付け込んで、かつての恐怖を現代でも利用しようとする近隣の左翼国家に上手い具合に利用されているというのが、この国の現状なのだろうと思う。
 しかし、まず個人としての国民が事勿れ主義を打破しない限り、マスコミの抱えた呪縛は解けそうにない。マスコミも政治家も、所詮は国民の合わせ鏡でしかないからである。

(注記)本記事は陰謀論ではありません。私は陰謀論の類いに興味はありません。

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「金融緩和みんなでやれば恐くない」の論理

2013051601■「赤信号みんなで渡れば恐くない」経済

 1ドルが100円の大台をあっさりと超えてきたことで、さすがに『異次元の金融緩和』の影響を無視するわけにはいかなくなってきたらしく、一頃流行った「欧州経済の安定化が円安を齎している」というような意見はどこかへ消し飛んでしまったようだ。
 現在の円安は、好調なアメリカ経済(ドルが買われるため)等も影響していると思われるが、日銀の量的緩和発言の影響が最も大きいであろうことを否定できるようなエコノミストは流石にいなくなりつつある。

 とはいえ、依然として量的緩和政策については異を唱える人々は大勢いるらしく、またぞろ右翼と左翼の喧嘩のような罵り合いになってしまっている。書店を覗いてみても、アベノミクス礼讃本とアベノミクス批判本が綺麗に真っ二つに分かれており、さながら現代の天動説・地動説論争でも観ているかのようだ。
 しかし、未来に明確な答えの用意されていた天動説・地動説論争とは違って、この問題はどちらが正しいのかを考えても、おそらく堂々回りをするだけで、一向に解答が出ないのではないかと思える。なぜなら、双方ともに間違ったことは言っていないからである。

 「えっ?」と思った人が大半だと思われるので、その理由を以下に書いてみたいと思う。

 「赤信号みんなで渡れば恐くない」という有名な言葉は誰もが御存知の通りだが、現在の量的緩和政策というものも、実はこれに近いと言える(理由は後述)。「赤信号」という言葉を「金融緩和」に置き換えてみると、「金融緩和みんなでやれば恐くない」となるわけだが、現代の世界経済はまさにこの状態だとも言える。

 もし日本が鎖国でもしていて、1国だけで経済が動いている場合、「お金が足りない」という理由で大量にお金を刷れば、真面目に働いて納税している人がバカを見てしまうことになる。そうなると、「怠け者を救うために安易にお金を増刷するとは何事だ」ということになってしまうかもしれない。
 これは、喩えて言うなら、企業の『株式増資』とも似ている。企業の経営が芳しくないからと言って、安易に株を増刷してしまうと1株当たりの株式価値が希薄化する(実質的な配当金額も下がる)ことになり、既存の株主から非難を受けることになる。ちょうど数年前にあった東京電力の増資のようなものだ。(注意:東日本大震災が起こる以前の話)

■お金の“量”と“価値”の逆転関係

 しかしながら、現代の日本は鎖国はしておらず、世界には「円」以外にも様々な通貨が流通している。そんな状況で日本以外の国々が、株式増資のような感覚で次々とお金を刷り増やしていけばどうなるか?
 当然、物量的に日本の円だけが減少することになり、相対的な比較において、円のみが独歩高になる可能性が高くなる。そこに、誰もお金を使おうとしないデフレ環境が加わると、更に円高に拍車がかかることになる。(実際に日本はそうなった)

 1国単位で経済が動いている場合は、「お金を安易に増やすことは許されない」という理屈は成り立つかもしれない。しかし、経済が世界単位で動いている場合は、全体的な(流通している)通貨量というものはある程度、バランスを一定にしなければ、歪な経済になってしまうことになる。世界経済が統一の基軸通貨で動いているのであれば少し事情が違ってくるかもしれないが、現在のようにドル、ユーロ、円など、国によってバラバラの通貨であれば、せめて通貨量だけでも統一しなければならないわけだ。

 簡単な喩えで言うと、米国人と欧州人と日本人の3人の子供がいたとして、米国人と欧州人の子供のお小遣いがどんどん増えているのに日本人の子供だけがお小遣いが固定のままであれば、どうなるかを考えれば分かりやすいかもしれない。
 そうなると当然、日本人の子供はお金を使わなくなる。なぜなら、お小遣いの価値が上がることになるからだ。
 お小遣いの量が増えないがゆえに、お小遣いの価値は上がるという屈折した現象が生じる。つまり、これが金融緩和を行なわなければ円高デフレ経済に拍車がかかるという意味でもある。
 もっとも、金融緩和だけでデフレが解消するわけではないが、1つの大きな原因であることに違いはない。

 話が少しややこしくなるが、先述した「歪な経済」とは先進国と新興国との間に既に開いている時代的な格差のことではない。先進国と新興国の間には物価や賃金において歪な格差が開いているが、元々、そのような歪な時代的格差が有るからこそ、その時代的格差の調整過程を緩やかにするための方策(=量的緩和)を実施しなければ、違う意味で「歪な経済」になってしまうという意味である。

■「赤信号みんなで渡れば恐くない」は善か悪か?

 世界中の国々は「赤信号みんなで渡れば恐くない」という言葉の通り、「金融緩和みんなでやれば恐くない」を実施している。もちろん、赤信号を渡ることは違反行為だ。しかし、世界の他の国々が赤信号を渡っても問題ないとしている状況下で、日本だけが「赤信号は渡ってはいけない」と頑に意地を張っていても仕方がない。黒田氏が世界の舞台で円安にしたことを批判されないのは、そんな批判をすると批判した国も困ることになるという単純な理由からだろう。
 「赤信号を渡ってはいけません」と注意すれば、注意した本人も赤信号を渡れなくなってしまうのと同じ理屈である。

 「赤信号を渡ってはいけない」と言うのは確かに正しい。しかし、前提条件によっては必ずしも正しいとは言えなくなってしまう場合がある。「無理が通れば道理が引っ込む」という諺も有る通り、如何に掟破りなことであっても、世界中が無理を通せば、日本も道理を引っ込めなければならなくなる。残念ながら、それが現代の世界経済の姿であり、先進各国は、苦渋の選択としての量的緩和を行なわざるを得なくなっているわけだ。

 リフレ派「みんなが赤信号を渡っているのだから我々も渡るべきだ

 反リフレ派「赤信号は危険だから渡るべきではない

 ちょうどこんな感じだろうか? これでは意見が噛み合わないのも無理はないが、確かにどちらも言っていることは間違っていないのである。

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「株を持っている人はいいですが…」という空虚な台詞

2013050901■「株式投資とは無縁」と思い込んでいる人々

 アメリカのニューヨークダウ平均株価が15000ドルの大台を突破したことも手伝い、アベノミクス相場にも拍車がかかってきたようだ。年初に多くのエコノミストが予想していた通り、日経平均株価は14000円を突破した。
 株式投資に「絶対」という言葉は無いので、単に運が良かっただけだとも言えるが、私も「12000円を超えると14000円まで真直ぐ騰がる」と予想していた。この辺りまでなら私のような素人でも予想が付くレベルだったということだろう。
(該当記事→バブルの功罪【アベノミクス・ユーフォリア】

 この先、株価はどこまで騰がるのか?
 地政学的な外交リスクと消費税増税問題さえ無ければ、「2万円超え」と言いたいところだが、そんな予想を公言するのは地震の予知と同様、ほとんど無意味なことなので、これ以上は控えておこうと思う。

 民主党から自民党に政権交代し、日経平均株価が2倍になったことで、最近よく耳にする言葉に以下のようなものがある。

 「株を持っている人はいいですが…

 この言葉を具体的に翻訳すると、「アベノミクスで景気が良くなったと言っても、現状では株価が騰がっているだけで、株式投資とは無縁の一般人には関係がない」ということになるのだろうが、よくよく考えると、これも可笑しな話である。

■誰にでも等しく儲けるチャンスの有る株式市場

 確かに数千万円、数億円単位の株式を保有している人であれば、株価が騰がれば相当の値上がり益を享受できる。しかし、それは値上がりしている優良な銘柄を持っている人に限られる。リーマンショック前から保有しているような株は未だ含み益が出ていない銘柄も結構有るだろうから、株式を持っているからといって、全員が全員儲かっているわけでもない。と言うよりも、むしろ儲かっていない人の方が多いのではないかと思う。実際、電力株を大量に保有していた資産家などには大損した人も多い。

 そう考えると、場合によっては今から株式投資を始めるという人の方がプラスのスタート地点に立てることになる。現在、含み損を抱えてマイナス地点にいる投資家からすれば、「株を持っていない人はいいですが…」と言いたくなるわけだ。
 それに株式は売らない限り、現金は手元に入ってこない。株価がいくら買い値より騰がっていようとも、利益確定しない限り、ただの含み益だ。配当が目的の長期投資家は値上がりしても売るとは限らない。株価が数十倍になって株式分割するような銘柄(例:ガンホー等)であれば話は別だが。

 「株を持っている人はいいですが…」と言っても、現在は1株当たりの株式の購入額は(ホリエモンの株式分割騒ぎのお蔭もあって)安価になっているので、個人でも株式を購入することは十分にできるし、その環境も十二分に整っている。
 ネット証券を利用すれば、昔のようにわざわざ証券会社に出向いて購入する必要もなく、電話で売買注文する必要もない。加えて、手数料も大幅に安くなっている。10年程前のネット証券の売買手数料は700円程度だったと記憶しているが、現在では10万円以下の株式なら100円程度まで手数料が下がっている。

 先の例で述べたガンホーなどは、1年足らずで株価が実質50倍になっている。物凄く先見性が有り強運の持ち主であるなら、2万円で購入した株が、100万円に化けた人もいることだろう。
 ガンホーは例外としても、数万円程度の資金とネット環境さえあれば、誰にでも等しく儲けるチャンスが有るというのが現在の株式市場の実態だ。「株を持っている人はいいですが…」と嘆く姿が如何に心の貧しい台詞か分かる。

■「株は怖い」という『嘘から出た実』

 無論、株式投資にはリスクが付き物だが、極めて敷き居の低い世界であり、個人が参入することを阻む勢力もない。
 現代は、誰でも資本家になれる時代であるのと同じように、ほんの少しのリスクを取ることのできる人であれば、誰でも株式投資家になれる時代でもある。そんな時代にあって、「株を持っている人はいいですが…」と嘆くのは、未成年者の台詞としか思えない。少しの勇気を持って自らも株を買えばいいだけの話なのだが、大の大人からなぜ、このような言葉が出てくるのか不思議としか言い様がない。
 「リスクが有ってはいけない」という人々は株式投資とは無縁かもしれないが、大抵は「株は怖い」というような思い込みが邪魔をしているだけではないだろうか?

 「株は怖い」という言葉も誰が広めたのか知らないが、およそ実体とは掛け離れた言葉である。「株は怖い」よりも「パチンコは怖い」「競馬は怖い」「宝くじは怖い」の方がまだ現実に即しているように思う。株式投資では余程のことがない限り、元本が0にはならないが、パチンコも競馬も宝くじも高い確率で元本が0から10%になる。
 「株式投資で借金を抱えてしまった」というような話は、信用取引に手を出して失敗した人の話であり、余剰資金で現物株を売買している限り、大損することはあっても、借金を背負うことは絶対に有り得ない。
 そもそも借金したお金で株式の売買を行なうという行為は博打であり、まともな投資活動とは言えない。そんな稀な失敗談を元に「株は恐い」という噂話が真実になってしまったのだろう。「嘘も百回言えば真実になる」という言葉は、身近な日本国内にもあったというわけだ。
 「株は怖い」と同じように「お金は汚い」「お金は醜い」というような心の貧しい思い込みを常日頃抱いていると本当に貧しくなる場合があるので、そういった洗脳から脱皮しよう。現在の株式相場には、その洗脳を解く力が有るかもしれない。

【注意事項】
 本記事は万人向けの株式投資のススメではありません。リスクゼロを愛する人に株式投資はオススメしません。呉々も株式投資は自己責任でお願いします。

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日本国憲法を『不磨の大典』にした人々

2013050501■日本国憲法が内包した『諸刃の剣』

 5月3日に参議院選前の憲法記念日を迎えたことで、政治家を中心に憲法論議が盛り上がりつつあるようだ。憲法改正に前向きな自民・維新・みんなの党等の影響もあり、これまで平和憲法として『不磨の大典』と化していた日本国憲法にもようやくメスが入りそうな雲行きになってきた。

 現在の日本国憲法というのは、日本が独立国として自ら作成したものでないことは周知の通りで、第二次世界大戦で日本の軍事体制を心底恐れた戦勝国(米国)が、日本が二度と戦争を起こさない(歯向かわない)ようにするために起草したものであることもよく知られている。
 具体的に言えば、自分の命も惜しまずに特攻してくるような、現代で言えば自爆テロリストのような人々に恐れをなしたわけだ。良い悪いは別にして、そういった軍人を作り出した日本の精神を骨抜きにすることを目的に作られたものが現在の日本国憲法であり、その狙い通り、日本は自ら戦争を起こすことはなくなった。おまけに熱烈な護憲派(主に左翼)が誕生したことによって、その目的は米国の意思に関係なく日本人の手によって半自動的に遂行されていくことになった。
 実際のところ、現在のアメリカ政府は日本国憲法のことなどもうほとんど意識していないかもしれない。平和ぼけした日本に憲法9条など必要ないことは、とうの昔に見抜かれていることだろう。

 アメリカから憲法を与えられたことについては、軍事国家(軍部の暴走)を縛るという意味では善だったかもしれない。しかし、他国からの軍事的脅威というものに対しても全く無力になるという諸刃の剣を内包した欠陥憲法でもあった。
 東西冷戦時代は、アメリカが世界の警察を気取り、実際にその役割を果たしていたため、日本はアメリカの庇護の下、経済発展だけに邁進することができた。当時はアメリカに歯向かって勝てる国など皆無であったため、アメリカとの安全保障条約さえ機能していれば、日本が戦争に巻き込まれるような心配もまた皆無だった。

■戦争で殺される心配をする時代の到来

 ところがアメリカ経済にも翳りが見え始め、軍事費の縮小を余儀無くされる時代を迎え、時を同じくして中国の軍事大国化が騒がれ出した。中国だけでなく、北朝鮮でも核兵器の製造が為されるようになり、日本は近隣国家の軍事的脅威に晒され始めた。
 「アメリカが軍事費を縮小し、中国が軍事費を拡大している」ということが、将来的に何を意味するのか理解できない平和主義者達は、アメリカとの安全保障条約を否定しながら、アメリカに押しつけられた自国も守れない憲法を有り難がっているという誠に滑稽な姿を世界に晒し続けている。その姿を嘲笑うかのように、中国にチョッカイを出されているのが現在の日本の状態だ。

 はっきり言うと、憲法9条の内容に関係なく、日本の誰も戦争など起こしたいとは思っていないだろうし、戦争に参加したいなどとも思っていない。ただ、戦争で死にたくないからこそ、憲法の改正を訴えているだけだろうと思う。現在の日本では、“憲法を改正することが戦争に繋がる”という心配よりも、“憲法を改正しなければ戦争で殺される”可能性の方が高く成りつつある。そのことが理解できるリアリストであるからこそ、リスクを回避するために憲法の改正(自国の防衛)を訴えているのだろうと思う。
 この時代の変化を感じ取れない政治家や評論家がいるなら、その人物は相当鈍感なオメデタイ人物だと言える。そもそも現在の日本に自国から戦争を起こさなければならない理由など微塵も無いので、「日本が軍国主義化する」だの「右傾化する」だのという批判は全くの杞憂でありお門違いだと言える。そんな批判は日本ではなくて、中国や北朝鮮に向かって言うべきだ。

■ホリエモンは外交オンチ?

 ところで先日、録画していた『朝まで生テレビ(ネット世代は日本を変える?)』を観ていると、ホリエモンが「安倍総理は戦争をやりたいと思っているの?」という質問をしていた。普段はホリエモンを擁護している私も、これにはさすがに呆れてしまった。
 彼の言うことは傾聴するべき正論も多いのだが、こと外交問題については田原氏も突っ込まれていた通り「勉強不足(認識不足)」なのかもしれない。おそらく悪気は無いのだろうけれど、知らないが由にあんなことが言えるのだろう。

 ホリエモンは「日本政府は立場を悪くするようなことを行わなければいい」というようなことも述べていたが、これもホリエモンらしくない矛盾した意見だなと感じた。
 彼が検察に対して粉飾決算を認めなかったのは「自分は罪を犯していない」という固い信念があったからだろう。外交問題もそれと同じで、自国が間違っていないという認識があれば、たとえ立場が悪くなろうと信念を貫かなければならないし、最低限の言うべきことは言わなければならない。もちろん、デリケートな外交問題だけにストレートに感情を曝け出すと問題をこじらせることに繋がるので、老獪な姿勢も重要になる。
 その辺の外交問題と正しい歴史認識と国家観を持っていないことがホリエモンのマイナスポイントになっていると思う。

 当ブログをホリエモンが閲覧することもないと思うが、これは批判のための批判ではないことだけは付記しておきたいと思う。

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『電力赤字主義』を強要する人々の愚

2013050201■インフレとは無関係な電気代の高騰

 関西電力の今年度3月期決算は最終損益が2434億円の赤字(前年は2422億円の赤字)となり、2年間で5000億円近い赤字を計上したと伝えられている。原発事故の発生した東京電力だけでなく、全国の全ての原発がこんな調子なのだろう。主たる原因は言うまでもなく、原発稼働率低下に伴う火力発電費用が膨張したためだ。このまま原発を停止し続けていると、関電だけでも毎年2000億円以上の赤字となり、その赤字の補填は我々一般国民が電気代として負担し続けなければならないことになる。

 この負の連鎖を断ち切る方法は基本的には次の2つしかない。

 1、原発を稼働させる。
 2、電力会社を倒産させる(=日本経済の崩壊を意味する)。

 まともな思考判断のできる人であるなら、上記の2つのどちらを選択するかは考えるまでもないと思う。原発は危険だという感情論はひとまず横に置いておいて、取り敢えず「」の原発稼働を選択し様子を見るというのが最も賢く無難な方法だろう。
 原発を今後どうするのかは原発が稼働している状態で考えればよい。その程度の微かなリスクも受け入れられないと言うのであれば、日本を捨てて原発の無い国にでも移住していただいた方が良いのではないかと思う。
 電力会社の株主でもなく、原発稼働に反対していない人間までインフレとは無関係な電気代の高騰(電力会社の赤字)を受け入れなければならないというのは不条理かつ理不尽極まりない話である。
 一応お断りしておくと、ここで言うところの「電力会社の赤字」というのはあくまでもミクロの話であって本題ではない。マクロ的な本質は「日本経済の衰退」を受け入れるか否かということを意味している。たかが数千円の電気代の話ではなく、「景気の悪化」をみすみす受け入れなければならないことが不条理だという意味である。

■「不合理な火力発電を強要する」という社会主義

 よく原発反対論者達は、原発容認論者に対して「国を擁護する社会主義者だ!」と罵っているが、これはトンデモない勘違いである。社会主義が齎す悪弊の第一義は、「非効率な全体システムを個人に強要することで発生する不合理社会」だが、まさに原発反対論者の行なっていることが、その社会主義の強要に他ならない。「全体」という言葉を「火力発電」に置き換えてみればよく分かる。

 「非効率な火力発電システムを個人に強要することで発生する不合理社会

 これこそが、まさに社会主義であり、現在の日本が置かれている状態だ。効率化を願う原発容認論者の意見を無視し、非効率な火力発電システムを強要することで不合理社会が齎される。国民全てに電力会社の無駄な赤字補填を強要するというシステム自体が既に社会主義なのである。

 逆に原発の場合を考えると以下のようになる。

 「効率的な原子力発電システムを個人に強要することで発生する合理社会

■21世紀をリードするのは「国家個人主義」

 昨日、安倍総理が国の営業活動(中東外交スピーチ)の一環で、サウジアラビアのサルマン皇太子に対して「世界一安全な原発の技術を提供できる」と言ったことで物議を醸しているが、実際に日本の原発技術は世界中が認めている。認めているからこそサウジアラビアも原発の発注に合意したと考えるべきであり、これが中国や北朝鮮のような国であれば、どこの国でも信用しないだろう。
 1回の事故やミスで、やり直しがきかなくなる社会というのは日本のお家芸だが、それを世界の常識だと思ってしまうのはあまりにも早計だ。
 ここ最近の報道を観ていても、この国のマスコミは一体どこの国のマスコミなのか?と疑いたくなる。猪瀬知事に対しても、安倍総理に対しても、国内で批判するのは結構だが、なぜ他国に対してまで自国の評価を下げるようなことばかり宣伝しなければいけないのか甚だ疑問である。日本以外にこんな自虐的なことをしている国が他にあるだろうか?
 自国を良く見せるように努めるのが本来のマスコミの姿であり、たとえ猪瀬氏が暴言を吐いたとしても、“オリンピックを誘致する”という目的のために精一杯、猪瀬氏を擁護するのが本来のマスコミの仕事ではないのだろうか? 国益というものを無視し、単なる1個人のような認識で批判する姿勢には違和感を感じざるを得ない。反省しているという姿勢を他国にアピールしたいというならまだ理解できるが、単なる言葉狩りに堕しているような気がしてならない。

 この国には、「個人主義者」を名乗る人は数多いが、ほとんどが国家観を持たない個人主義者(リベラリスト)だということが原発事故で明らかとなったように思う。リベラリスト達は、国家社会主義を批判するが、自分達も個人社会主義者であることが解らないらしい。

 外交リスクが増大しつつある現在および今後の日本に必要なのは、国家観を持ちつつも、個人を尊重するという「国家個人主義者」だろうと思う。マクロな国家観とミクロな個人、その両方の視点を持ち併せ、国の発展と個人の成長を同時に考えることのできる人々こそが21世紀をリードするに相応しい。(ちなみに「国家個人主義者」というのは私の造語なので辞書には載っていません)

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