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2013年6月

「Money is food.【お金は食べ物なり】」で考える量的緩和

2013063001■「食べ物をたらふく食べれば肥満体になる」?

 現代の世界経済の景気の動向は、全て量的緩和次第ということなのか、アメリカが今後もこれまで通り量的緩和(金融緩和)を続けるかどうかということに世界中の注目が集まっている。
 そんな中、なぜか日本だけは「量的緩和を行えば経済が破壊される」という真逆の意見が多く聞かれる。彼ら量的緩和反対論者の言い分は次の一言に収斂する。

 「量的緩和(金融緩和)を行えばインフレ(ハイパーインフレ)になる

 もはや、お題目と化したこの言葉を信じれば本当に功徳が有るのだろうか? もしこの言葉が空念仏だとすれば、我々は全くの杞憂を抱かされていることになるわけだが、果たして真相はどちらなのだろうか?

 「お金の量が増えるとお金の価値が下がり、物価が上がる(=インフレになる)」というのは確かに理屈の上では正しい。では、その理屈通りに市場経済が動くかというと、そう簡単には行かないのが難儀なところであり、また面白いところでもある。このことはガチガチの理屈で考えてもよく解らないと思われるので、簡単な喩えで考えてみよう。

 「お金」を「食べ物」に、「経済」を「人体」に喩えてみると、「お金を大量に刷ればインフレになる」というのは、「食べ物をたらふく食べれば肥満体になる」というのと同じようなものだと言える。
 しかしながら、世の中には、いくら食べても太らない人もいれば、少し食べるだけで太る人もいる。その違いを一言で言えば“栄養分をどれだけ吸収できるか”ということであり、栄養分を吸収せずに食べた物のほとんどが胃腸を素通りして便となれば太らない。逆に、食べた物が無駄無く吸収され、栄養として人体に取り込まれるのであれば、少量の食事でも太ることになる。

■肥満(インフレ)体質 or 細身(デフレ)体質

 市場経済というものもこれと同じようなもので、お金をどれだけバラまいても、インフレにならない市場もあれば、少しのお金をバラまいただけでインフレになる市場もある。
 その違いも、人体と同じように、市場がどれだけそのお金を無駄無く取り込む(循環させる)ことができるかによる。

 では、日本市場は、どちらの体質に属するのか?
 肥満(インフレ)体質か、それとも細身(デフレ)体質か?
 答えは人それぞれ違うかもしれないが、個人的には、後者の細身体質だろうと思う。

 お金をどれだけ刷っても、そのお金がほとんど市場の栄養分とならずに、預貯金に化け、投資にも回らないようでは、そう簡単にインフレ(肥満体)にはならない。未だ1円でも安い商品を買うことに執着している消費者と、安値競争に喘いでいる企業を観ていても、そのことは如実に実感させられる。ダイエットすることばかり考えている人間がそう簡単に肥満体になるとは考えにくい。

 「食べ物をたらふく食べれば肥満体になる」と言っても、太る心配が無いのであれば、たらふく食べても構わないことになる。
 これを逆の論理で言えば、太る心配の無い人に「食べ物をたらふく食べれば肥満体になる」と言って、食べ物を与えなければ、その人物は栄養失調になる危険性があるということだ。かつての日銀主導の反量的緩和政策は、まさにそんな状態だったと言えるのかもしれない。

 リフレ派は「インフレにするために量的緩和を行わなければならない」と言い、反リフレ派は「量的緩和を行えばインフレになる危険性がある」と言うが、私は「インフレになる可能性は低いので量的緩和を行うべき」だと思う。

■「人体は皆同じ」と考えるヤブ医者達

 統計的に、胃下垂は食べても太らず、痩せている人に多いらしいが、日本経済は慢性的かつ複合的なデフレ状態が20年以上も続いたままなので、ほとんど「胃下垂経済」化しているとも言える。(胃下垂の人には失礼な言い方かもしれないがご了承のほどを)
 そんな状況下で、食べ物を与えないような政策を行えば、日本経済が栄養失調によって衰弱していくことは火を見るより明らかだ。

 目の前の医療ベッドに栄養失調で痩せ衰えた患者が横たわっており、その患者を見守る家族に対して、「食べ物をたらふく食べれば肥満体になる」と言って、食べ物(栄養)を与えない治療を施している医者の姿を想像してみよう。あなたの目には、その医者が名医に見えるだろうか? それともヤブ医者に見えるだろうか?

 「人体は皆同じ」と考えるデタラメなヤブ医者が金融弛緩策を行っていた時に、突如出現したのが、アベノミクスによる金融緩和策だった。
 栄養分が即吸収される健康体に金融緩和策は無用かもしれないが、栄養失調に陥っている患者には、取り敢えず、金融緩和策を試してみることは必要だ。予想に反して、もし太り出せば、食べ物を与えない(金融引き締め)ようにすればいいだけの話である。
 大事なことはインフレになる心配があるから金融緩和はイケナイのではなく、インフレになる心配がほとんど無いからこそ金融緩和を行わなければいけないのである。

 こう言うと、ヤブ医者達は開き直ってこう言うかもしれない。

 「病気は自力で治すものだ

 これもある意味、正論だ。その意味とは、自力で回復できるだけの体力があればという意味である。しかし、瀕死の重傷患者を前にして自己責任論は何の助けにもならないというのも真実だ。時と場合によっては、他力も必要なのである。

 ちなみにアメリカのバーナンキ氏は「アメリカ経済が健康体に戻ったので金融緩和を縮小する」と述べているが、そのうち、再度、金融緩和路線に戻るのではないかと思う。バーナンキ氏の姿は、「取り敢えず、一度、食事量を減らしてみて様子を観てみよう」という白衣の医者の姿を想像させる。
 アメリカ経済がそれほど簡単に完全な健康体に戻るとは思えないので、多分、短期間のリップサービス(茶番?)ということになるのではないかと予想している。

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『魔女狩り』政治の行方(思考停止論の危険性)

2013062301■言葉狩り(魔女狩り)に飛びついた政治家達

 7月の参議院選挙が近付いてきたこともあり、そろそろ始まる頃かもしれないな…と思っていた矢先、案の定とも言うべきか、計ったかのようなタイミングで与党への“言葉狩りバッシング”が始まった。「言葉狩り」と言うより「魔女狩り」と言った方が近いのかもしれないが、毎度のことながら、子供じみた政治ごっこには辟易としてしまう。

 今回、魔女狩りの対象となった高市氏の発言「原発事故による直接的な被爆死亡者はいない」は、橋下氏の従軍慰安婦発言と同じように、ポロッと本音が出てしまった格好だろうと思う。
 実際のところ、「原発事故による直接的な被爆死亡者はいない」というのは事実なので、普通に考えると、特に問題視する発言とも思えないのだが、ある種の人々は、与党の人間と電力会社の人間を同一視する傾向があるため、無責任な発言と受け取られてしまったということなのだろう。
 野党の政治家からすれば、与党を批判する絶好の機会を与えられたわけで、「千載一遇のチャンスだ!」と言わんばかりに、言葉狩り(魔女狩り)に飛びついた格好だ。

 正直なところ、大部分の良識ある大人からすれば、「また馬鹿な茶番が始まったな…」というところなのではないかと思う。騒いでいるのはマスコミと一部の人間だけで、多くの有権者は冷静な目で観ているのではないかと想像する。
 当の政治家からすれば、政治生命を賭けた戦いでもあるので、恥も外聞もないということなのかもしれないが、こんな下らない建前批判しかできないような体たらくな政治家にだけは投票したくないものだとつくづく思わされる。

 このような茶番で得票数を伸ばすことができると本気で思っているのだとすれば、読みが甘いと言わざるを得ない。世間の空気を読んだつもりになって、我こそは正論者だと言わんばかりに得意気に批判を行っているのかもしれないが、おそらくは前回の衆議院選挙の時と同じように、その仮面の下の偽善をあっさりと有権者に見抜かれてしまい、得票数を減らすという皮肉な結果を呼び込むことになるような気がする。

■全ての罪を原発事故に結び付ける思考停止論

 高市氏の発言は、原発事故によって避難を余儀無くされている人々への配慮を欠いた軽率な発言だったということになっている。この点は納得できるにしても、ではなぜ、避難を余儀無くされているのか?ということに対しての言及があまりにも乏しく短絡的だ。彼らの批判の根拠となっているものは以下のようなものだ。

 「原発事故さえ起こらなければ、避難する必要はなかった

 これは確かにその通りではある。しかし残念ながら、この意見は、避難が解除される可能性を無視した「思考停止論」である。(「避難する」が「避難し続ける」に置き換わっているという意味)
 この言葉が抗い難い正論であると仮定するならば、全ての不幸を原発事故のせいにすることができてしまう。これは一見、正論を装ってはいるが、極めて危険な思想である。
 こんな乱暴な論理が通用するなら、以下のようなことも言えてしまうことになる。

 「神が人間を創造しなければ、人間が罪を犯すこともなかった

 「犯罪者が罪を犯すのは、その犯罪者を産んだ母親のせいだ

 少々、オーバーな例かもしれないが、全ての悪の責任を原初にまで遡って決めつけるという意味では同じようなものである。こういった全ての悪を原初に結び付けるという無責任な論理は、一部の人間には適用できても、全員に適用できるわけではない。
 人間が罪を犯すのは必ずしも神の責任とは言えないし、犯罪者が罪を犯すのも、必ずしも母親(父親)のせいとは言えない。それを十把一絡げで単一化してしまうことは、思考を停止した乱暴な言説と言うしかない。
 ここでは「罪」ということで述べたが、「病気」や「ストレス」などの原因も必ずしも原初に有るわけではない。

 こういったことを指摘すると、おそらくは「原発事故によって避難を余儀無くされている人々への配慮を欠いた軽率な発言だ」ということになってしまうのだろう。私個人は避難を余儀無くされた人間ではないので、何を書いてもそう受け取られてしまうことになる。ゆえに、もし自分自身が避難する立場にあったとすれば、どうするのかを書いてみたいと思う。

■思考停止が招く魔女狩りの悲劇

 もし、私が原発事故現場の近隣に住んでいたとして、政府から避難するように伝えられたとすれば、おそらく仮設住宅には住まずに、もっと離れた所に一時的に借家でも借りて住んでいたと思う。
 「住居費はどうするのか?」という疑問を抱いた人もいるかもしれないが、仮に地震や津波で自宅を失っていたとしても、現金を全て自宅に置いていない限り、少なからず銀行口座に貯金がある。その貯金を使用して取り敢えずは賃貸マンションにでも住むことを考えていたと思う。
 そして、地震や原発に関連する書籍などを貪るように読み、本当の正しい情報を自分なりに拾集して自分なりに現状を分析していたと思う。その場合、バイアスのかかったテレビや新聞の情報はアテにしないことは言うまでもない。

 そして、避難する必要が無い(多分、そう判断していたと思う)と判断すれば、「自宅に戻ってもよいか?」と政府に確認することになっていたと思う。

 ただ、政府は今更、「避難する必要はありません」とはアナウンスできないだろうし、近隣の人々も全て避難しているような状態なので、実際は住むことができないという現実を突き付けられることになっていただろう。個人的に安全だと判断したとしても、国(マスコミも)が安全ではないということにしているので、結局、元の家に戻ることも住むこともできないということになる。

 そうなると、私としてはかなりのストレスだ。ではそのストレスの原因は何だろうか? 原発事故が起こったからか? それとも、国が避難を強制しているからか?
 
 少し仮定の話を述べてみたが、実際に避難した人の中にも、もしかすると、このシミュレーションと同じような足跡を辿った人もいたかもしれない。
 住むことができるのに住むことができなくなっているのだとすれば、その原因はどこにあるのかをもう1度、冷静になって考えてみる必要がある。

 「全ては原発事故が起こったせいだ!」と言いたい気持ちも解るが、本当にそれだけが原因で全ての悪(ストレス、病気、自殺)が発生しているわけではないのではないだろうか?
 「原発事故が発生しなければ住めていた」と言うのは、全くその通りであり否定のしようがないが、原発事故後の対応次第では、現在とは違う結果になっていた可能性も否定できない。

 全ての原因を単一化するというロジックは、先に述べた魔女狩りのロジックと同じでもある。本当の原因を深く考えることなく、風評や噂話を頼りに悪と決めつける行為は、かつて中世で流行った魔女狩りと同じく、思考停止が招く悲劇であり、その行為自体に悪を拡大再生産していく危険性が有るということも併せて考える必要がある。

 条件反射的に魔女狩りに加担するような愚かな政治家に国の将来を託すことが、どれだけ危険なことであるかは言うまでもないだろう。

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「株価」という厄介な生き物

2013060901■悲観論と楽観論の間を行き来するカメレオンのような人々

 アベノミクスの期待効果も手伝い1本調子で騰がってきた日本の株価も早々に調整局面を迎えたようで、情け容赦のない急落場面に直面し、冷静さを失った投資家(投機家?)も多かったのではないかと思う。
 日経平均株価は一時、16000円に迫り、偶然にもニューヨークダウ平均を超える兆しを見せた時に急落し始めた。まるで、それがイケナイことであるかのように…と、ついそんな疑惑を感じてしまうほどに、絶妙のタイミングで調整入りした日本の株価だった。

 こういうことを書くと、また陰謀論者だと曲解する人が出てくるかもしれないので、予めお断りしておくと、私は陰謀論者でもないし、また反米論者でもないので誤解のないように。

 実際のところは、単なる急激な株価上昇に対する急激なスピード調整に過ぎなかったと思われるが、株価が急激に暴落したことで、テレビニュースのコメンテーターなどは、踵を返したかのように、突然、悲観論に傾き始めたかに見える。経済関係のテレビ番組などを観ていても、その日によって意見をコロコロと変え、全く一貫性のない付和雷同型のコメンテーターが多いようだ。
 昨日は楽観論だったのに、今日になると悲観論に変わっているという、その日の株価次第でカメレオンのように変化する風見鶏評論が懲りずに繰り返されている。

 「本日の株価予想」ということで毎朝、エコノミストから発表される予想株価も、前日の株価にプラスマイナス100円程度増減しただけという、誰もが考えるような当たり障りのない無難な意見しか聞こえてこない。毎度のことながら、あんな株価予報なら小学生にでもできるのではないかと思う。

■株価の先行きは神様に聞いても分からない

 昔から「株価の先行きは神様でも分からない」と言われる。経済を動かしているのは神様ではなく人間なので、自由意思が与えられた人間の思考をコントロールできない限り「経済」や「株価」の先行きは神様でも分からない。それはその通りだ。
 ついでに言うと、人間の思考及び行動をコントロールして経済を動かそうとするのが「計画経済」というものだが、これも人間が自由意思を持った存在で有る限り、いずれコントロール不能に陥り失敗することになる。かつてのソ連が良い例だ。
 共産主義者が計画経済を好むのは、基本的に人間をロボットと考える(≒人間を神と考える)思想がバックグラウンドに有るからである。計画経済下では、まるで計ったかのように「神に代わる独裁者」が誕生するのは、そのためである。

 仕手集団や大口ファンドが一時的に株価を動かすことができたとしても、ずっと先の株価までは分からない。
 最近の株価の激しい値動きを見ても分かる通り、短期的な株価というものは企業の業績だけで動くものではないため、理性的な人間知が通用しない場合も多々ある。追いかければ逃げられ、捕まえたと思えば消えてしまうという、まるで砂漠の蜃気楼のような厄介な代物でもある。

 株式を売買したことのある人なら実感として解っていただけると思うが、株式を売買していると、まるで誰かが自分の買った値段を知っていて、売らさないようにイタズラされているのでないか?とさえ思える時がある。ちょうど上手い具合に逃げられるので、そういう錯覚を覚えたことのある人は結構いるのではないかと思う。
 無論、これも陰謀論とは関係がない。人間心理(株価を売買したいと思うタイミング)というものは基本的に同じようなものなので、その重なり部分が、そういった錯覚を齎す役目を果たしているだけのことだろうと思う。ゆえに、集団心理に迎合しない人ほど株式投資では成功する可能性が高くなるわけだ。

■「バブル崩壊」を叫ぶのはまだ早い

 先週は黒田氏の「異次元の金融緩和」発言が行われた頃の株価まで急降下し、一時的なバブル崩壊を意識した人も多かったのではないかと思う。一時、円は95円台(米国市場では94円台)まで下落(高騰)したが、米国雇用統計の微妙な結果(=米国の量的緩和継続)が幸いしてか、一時99円台まで戻し、97円台に落ち着いた。
 為替は当面、95円から105円の間のボックス相場になるだろうことは以前からも様々なところで言われていたことなので、結果的には、予想通りの展開(想定の範囲内の調整)だったとも言える。株価や為替に「絶対」という言葉は無いが、この程度の調整で「バブル崩壊」をイメージするのはあまりにも早計だろうと思う。

 最近、「安倍総理の第三の矢発言が失望されて株価が急落した」という意見をよく耳にするが、安倍総理が一言発した次の瞬間から、いとも簡単に株価が暴落するわけがない。逆に発言が失望されなかったら、株価は16000円を超えていたとでも言うのだろうか?
 結局こんなことを言っている人々も、「株価」という生き物に囚われ、「株価」という生き物に踊らされているだけなのかもしれない。そもそも論として、株価というものはアベノミクスだけで動くわけではないという根本を忘れてしまっているのではないかと思う。

 奇しくも、そんな付和雷同な人々を嘲笑うかのように、急激な調整が終わったことを暗示する形で、ジョージ・ソロス氏の日本株購入再開が発表された。世界中の投資家は、ひとまず円高と株安のターニングポイントを迎えた(調整が終わった)と判断したことだろう。今週の株価が大幅反転上昇する可能性が高いことは、神様でなくとも分かる。

 最後に一言、「株式投資は余剰資金と自己責任で」(本記事は買い煽りではありません)

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