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2013年7月

不況を長引かせるハイパーインフレ予言者達

2013072601■「トラブルメーカー」というレッテルを貼られた元総理

 参議院選挙が終わり、大方の予想通り、自民党の圧勝ということで決着がついたが、惨敗を喫した民主党内では、選挙前にいざこざ問題を起こした菅・鳩山両元総理に対して離党勧告が行なわれ、場合によっては除籍処分も有り得るということだったが、どうやら数ヵ月間の議院資格停止で済まされるらしい。敗戦時における戦犯処分の如く、トカゲの尻尾切りが行われるのかと思われたが、結局、茶番ということになりそうだ。

 菅・鳩山両元総理は、単なる「ダメ総理」というだけに止まらず、自らが所属する政党からも愛想を尽かされ「トラブルメーカー」というレッテルを貼られてしまった格好だが、多くの国民が内心思っていた通り、両氏共に1国の総理を務めるような器ではなかったということなのだろう。国益を考えようとしない市民運動家空想的平和主義者を総理に祭り上げると、どういう結果を齎すことになるのかということが骨身に染みてよく解ったのではないかと思う。

 昔から野党というものは、与党を批判することが生業であり、とにかく何でもかんでも「反対」「反対」と言うのがお決まりの相場だった。しかし、既に「株価の回復」と「行き過ぎた円高の是正」という結果を出しているアベノミクスという政策に対しての愚直な「反対」は、さすがに無理があったと言わざるを得ない。
 どうせなら、アベノミクスよりも消費税増税に焦点を絞って反対するべきだったと思われるが、民主党の場合、元々、消費税の増税には賛成の立場なので、結局、アベノミクスに反対するしか道はなく、自ら抱えた政策的矛盾によって袋小路にハマってしまったというわけだ。

 一方、自民党の方もアベノミクス発表後、まだ1年も経過していないというのに、「景気は回復したので消費税を上げる」などという時期尚早発言を行っているが、こういった明らかに矛盾した部分を野党の立場から正確に追及することができていれば、もう少しは票数を獲得できたはずだ。

■アベノミクス以上の政策を思い付かない政治家達

 野党が言うところのアベノミクス批判というのは、どれもこれも「アベノミクスで日本は衰退する」というものだが、現実に目を向ければ、仮に一時的であったとしても、景気が上向いた業界があることは誰の目にも明らかだ。一般国民の間にその実感が無いとしても、もう少し待てば本当に全体的な景気が良くなっていくのではないかという微かな期待感が持てる。この部分が非常に大きい。

 逆にアベノミクス批判を行っている政党や評論家の言うことに従えば景気が良くなるのか?というと、全くそんな代替案が有るとは思えないし、座して死を待つだけなら、アベノミクスに賭けてみる方が理に適っている。
 この自民党が用意した「アベノミクス」という名の巨大な盾を破るためには、無謀な突進は無意味だったと言える。こういう場合は、巨大な盾を突き破ることを考えずに、その盾を飛び越えることを考えるのが正攻法である。つまり、「アベノミクスではまだ足りない」という批判を行えばよかったのである。例えば、以下のように言えばいい。

 「アベノミクスでは200兆円のバラマキを行うと言っているが、それでは足りないので、我が党は500兆円のバラマキを行います

 こんなことを言う政治家が現れれば、またぞろ、「そんなことをすれば、ハイパーインフレになってしまう」と批判されることになるのだろうが、500兆円と言っても、アベノミクス同様、いきなり全額バラまくわけではないし、絶対的に500兆円バラまくわけでもない。毎年、50兆円ずつバラまき、景気が改善すれば数年で打ち止めにしても構わないわけで、あくまでもMAXが500兆円という意味である。
 国民の心理に与えるインパクトは大きければ大きいほどいい。たとえ嘘であったとしても、国民心理を動かすことができれば、景気は良くなっていく。本当に景気が良くなるのであれば、政治家の嘘は許される。それが「嘘から出た実」の意味でもあるが、現在の政治家のほとんどはこの逆で、“嘘を言って景気が悪くなる”という許されない事態を自ら演出してしまっている。言わば、「嘘から出た大嘘」だ。

■1人200万円でハイパーインフレになるか?

 以前、麻生元総理が1人につき2万円の『定額給付金』というバラマキを行ったことがあったが、総額2兆円程度では需給ギャップを埋めるには及ばず、役所の焼け太りを助長しただけの「世紀の愚策」と呼ばれたことは記憶に新しい。国民1人1人に定額(2万円)のお金をバラまいたはいいが、元々、お金を使う気のない人にお金を配っても預貯金に化けるのが関の山だ。2兆円程度なら、現金よりも必ず消費される『買い物券』でも配るべきだった。
 アベノミクスは定額給付金のように1人1人に現金を給付するわけではなく、総額ではその100倍のバラマキを行うことになる。お金の流れに敏感な人は、真っ先に期待資金が流れてくるであろう株式市場に我れ先にと資金を投入し、本来、1人が得られる200万円以上のお金をごく短期間で手に入れた。不労所得を手に入れた人間は大抵、そのお金を使用してくれるので、どんどん儲けてもらえばいい。

 さて、ここでアベノミクスの200兆円のインパクトについて考えてみよう。
 「10年間で200兆円」と聞くと物凄い大金のように聞こえるが、1年間に20兆円ということは国民1人当たりせいぜい年間20万円だ。4人家族であれば年間80万円ということになるわけだが、はたしてその程度のお金が懐に入ってきたとして、あなたの消費意欲はコロッと変化するだろうか?
 10年間で1人当たり200万円入ってきたとして、それで1円でも安い商品を買うことに熱心な人々(あなた)のデフレ根性は矯正されるだろうか?

 個人的な感覚で言えば、200兆円程度では足りないのではないかとさえ思える。一時的に消費活動が活発になり、その間接的影響で少しは物価が騰がるかもしれないが、それが良いインフレと呼べる代物であるかは疑わしいと思う。況して、「ハイパーインフレになる」などと言うのは、取り越し苦労もいいところだ。
 化石燃料の高騰と円安の影響で一部の物価が騰がっているだけでインフレと呼ぶのはまだ早い。適度なインフレにするのも至難の業である状況下でハイパーインフレなどを心配するのはナンセンス以外のなにものでもない。

■悲観的な人物をリーダーにすることの不幸

 日本のデフレ不況は「お金が動かないこと」が主因なので、お金を使う気の有る人にお金を配った方が景気に与える影響は大きくなる。これは『パレートの法則』的にもそう言える。景気の良し悪しとインフレ・デフレは本来無関係だが、お金の量も景気の良し悪しとはあまり関係がない。正確に言えば、景気の良し悪しに大きな影響を及ぼすのは、「ストックした(貯めた)お金の量」ではなく「フローする(動く)お金の量」の方である。
 どれだけのお金をバラまけば、どれだけのお金が動き続けるのか? 問題とするべきは、その1点であり、その正確な答えが判らないのであれば、誰にも「ハイパーインフレが起こる」などという予言はできない。

 さらに言うと、一国の景気を作り出しているのは、お金の総量ではなく、その国に住んでいる国民の集団心理である。お金の量というのは、その集団心理が向かう方向性に影響を与える手段に過ぎない。単にお金の量を増やせば景気が良くなるのではなく、お金の量が増えることによって集団心理に良い変化が生じれば景気が良くなる
 景気が良くなるという現象は、集団心理における自己実現現象のことであるので、実際にお金をバラまかなくとも、先んじて景気が良くなることは有り得る(実際にそうなった)。経済が期待で動くというのはそういう心理学的な意味を含んでいる。

 要するに、一国の景気を左右するのは“お金の量”ではなく“国民の精神状態(思考)”なのである。ゆえに同じ政策を採ったとしても、その国の国民性によっては違った結果が生じることになる。日本のように「ハイパーインフレが起こる」などという不幸な予言を行っている人々が多い国では、それだけ不況から脱するのも難しくなるわけだ。

 最後に民主党に話を戻すと、「最小不幸社会」などという悲観的な言葉を聞いて、国民の集団心理が良い方向に向かうはずがない。実際に民主党時代に景気が悪くなったのは、間違った自己実現が叶ったと言うこともできる。企業であれ政治であれ、悲観的な目標を掲げる人物をリーダーにしてはいけない、これは万古不変の鉄則でもある。

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一億総「非正規雇用」社会の到来

2013071401■「正社員」という肩書きは必要か?

 総務省が発表したところによると、2012年度の非正規労働者数は2000万人を超えたらしく、全労働者に占める割合も40%に迫る勢いであるらしい。
 この分だと、半数である50%を超えるのは時間の問題とも言えそうだが、そんな時代を迎えることになると、正規労働者(正社員)雇用という制度で成り立っていた企業年金制度なども、ほとんど機能しなくなるだろうことは想像に難くない。

 年金は国家公認の「ねずみ講」だと言われることがあるが、企業年金も、制度的には同じ「ねずみ講」のようなものでもある。年金制度は人口が増えていく前提で創られたものだが、企業年金制度というものも、正社員が増えていく(または維持される)ことを前提に創られたものであるので、このことは否定の仕様がない。

 年金制度は国がお金を刷って騙し騙し継続していくことは可能だが、企業年金となると、まさか企業がお金を刷るわけにはいかないので、年金制度のように破綻を先延ばしすることはできない。先延ばしするためには、景気が良くなり、企業業績が上がり、企業年金が適用される正社員数を維持していくしか方法が無く、日本に再度、高度経済成長時代でも訪れない限り、クリアするのは相当の難題だと言える。

 現代の日本では「正社員」という何時何時(いつなんどき)剥奪されるかも分からない肩書きを、まるで一生安泰に過ごせるパスポートだとでも思い込んでいる人々が大勢おり、半ば身分制度のようなものだという捉え方が一般化してしまっている感がある。
 現在、正社員として雇用されている人々も、勤めている企業の業績が低迷すれば、正社員という肩書きどころか、職を失い、収入すら失うリスクもある。無論、退職金や企業年金を満額得る機会も喪失するリスクも常に抱えているというのが、現代を生きる大部分の労働者が抱えた現実でもある。

 そんな不安定な社会で必要なことが、「正社員」という肩書きを手に入れることになっているというのは、どう考えても可笑しな風潮だと言える。喩えて言うなら、企業自体がタイタニック号のように事故で沈む可能性が高くなっている時代に、タイタニック号の乗車券を手に入れて最終目的地に到着したかのような錯覚に喜んでいるようなものだとも言える。

■最も優先順位の低い「正社員」という肩書き

 現代の労働者に対し、次のようなアンケートを取れば、どんな結果が出るだろうか?

 「あなたにとって最も必要なものは次のどれですか?

 1、「正社員」という肩書き
 2、どこの会社でも務まる「能力」
 3、一生暮らせる「お金」
 4、「景気」が良くなること

 このアンケートで「1」を選択する人がどれだけいるだろうか?
 私なら迷わず「2」か「3」を選択する。ハッキリ言って「1」などはどうでもいい。「1」を選ぶぐらいなら、アンケート項目にはないが「健康」を選ぶ。
 「2」の能力が有ったとしても、その能力を活かす仕事が無ければ話にならないので、労働者にとっては「4」も非常に重要になる。この「4」が政治経済的に叶えられないとなると「3」を望むしかなくなるが、「1」は現在勤めている企業でしか通用しないものなので、優先順位は必然的に最も低くなる。

 マクロ的に言えば、「景気」→「能力」→「お金」→「健康」→「正社員」という順番になると思う。
 「健康よりもお金の方が大事なのか?」という疑問は多いと思うが、この場合のお金というのは「最低限のお金」という意味である。ある程度のお金が無ければ、健康を維持することはできないし、その「ある程度のお金」も基本的に仕事が無ければ得ることができない。大金は必要なくとも、最低限のお金は必要だ。
 昔から「衣食住足りて礼節を知る」と言うように、「お金足りて健康を知る」とも言える。「健康であってこそ仕事ができる」というのは正論だが、その逆もまた然りである。

■労働者全員を非正社員にするという逆転の発想

 現代の多くの正社員サラリーマンは、仕事が忙しかろうが暇であろうが、時間通りに出勤し、有給休暇は実質無し、どれだけ仕事をしてもほとんど収入が変化しないという、どこか共産主義社会のような労働体系の中で過ごしている。そんな社会が継続可能であれば、それも良しかもしれないが、先程述べた企業年金と同様、そんな夢(悪夢?)のような制度が永遠に続くとは到底思えない。

 日本では、企業側が「正社員」という肩書きを労働者に与えるという行為は、その労働者がその企業にとって必要な人間(辞めてもらっては困る人間)という意味合いで与えられる称号のようなものとされており、長らくその制度は普遍的なものであると思われてきた。ゆえに、その身分を得ることに異常なまでの執着を燃やすことになるわけだが、本来、肩書きだけで食べていけるのは、今も封建制度の中で生きている公務員だけである。民間企業で働く労働者が「安定」というものを手に入れるために必要なことは「仕事をする能力」であって「肩書き」ではない。こんな当たり前のことが当たり前で無くなっているのが、現代の日本の労働環境である。

 景気が悪い(仕事が無い)から、仕方なく正社員という肩書きを追求するということなら、まだ筋が通るのだが、問題は景気の良し悪しとは無関係にそうなっているということである。

 率直に言えば、正社員制度というものが有るという前提で話を進めても、一向に何も変わらない(良くならない)のではないかと思う。既に4割近くもの労働者が正規雇用制度から外れており、今後もその割合が改善することなく拡大していくと仮定するならば、労働者全員を正社員にするよりも、むしろ労働者全員を非正規社員にすることを考えた方が理に適っているような気もする。

 一応お断りしておくと、ここで述べていることは「下山の思想」ではない。「正規」や「非正規」などという言葉や区切りを無くし、もっと自由度の高い労働環境に移行した方が良いのではないか?という単純な提案だ。学歴や年齢に拘るのは公務員の世界だけにして、民間企業はそういった制度から離脱し、“能力”や“やる気”という仕事をしていく上で最も必要なものを優先する雇用制度にした方が良いのではないか?という当たり前の話である。

 そんな当たり前のことができずに、俎上にも載せることができなくなっていることこそが、非正規労働論の最大の問題点なのだろうと思う。

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株式市場にある2種類の「ざまーみろ」

2013070701■悲観的予測に傾く天気予報エコノミスト達

 株式市場が再度、活況を呈してきた。先日の急落(調整)場面で「アベノミクス相場は終わった」と自信満々に宣っていた評論家達は急に静かになってしまった。
 もっとも、以前にも述べた通り、現在の株高はアベノミクスの影響だけで騰がっているわけではないのだが、そのことが解らない近視眼的な評論家がいかに多いかが証明された恰好となった。

 株式相場の有名な格言に「天井3日、底100日」という言葉がある。この言葉は、その字義通り、株価が高値を付ける時は30分の1程度しかないということを意味しており、確率的には“下げ”に賭ける方が儲かる可能性が高いということでもある。早い話、株を高値で売り抜けるのはそれだけ難しいということを示唆している。
 無論、この言葉が全ての株式に当て嵌まるわけではないが、株価を評論する人々からすれば、「騰がる」と言うよりも「下がる」と言った方が当たる確率が高いことになる。「騰がる」と言って下がれば怒られるが、「下がる」と言って騰がっても誰も文句を言わないので、大抵のエコノミストはリスク回避のために悲観的予測に傾くことになる。これは天気予報と同じで、「雨が降る」と言って晴れても問題にならないが、「晴れる」と言って雨が降れば文句を言われる。

 実際、先日の株価急落場面で、これから「騰がる(反転する)」と言っているようなエコノミストや評論家はほとんどいなかった。嵐の真っ只中にある時に「嵐は去って快晴になる」とはなかなか言えない。バブルの渦中にある時、誰もそれがバブルだということに気付かないが、逆にバブルでもないのに「バブルだ!」と言っていた人々も、バブルでないことが判らないのである。

■貧しさを招く嫉妬の言葉「ざまーみろ」

 株価が急騰している時は、「株式を持っている人は儲かって良いですね」というような羨望を装った嫉妬混じりの言葉がよく聞かれたが、株価が急落した時にも必ずと言っていいほど、次のような言葉を吐く人々が現れる。

 「株価が急落した、ざまーみろ!

 これも同じく、嫉妬心が表面化した言葉だと言える。この言葉の裏には、「驕れる者久しからず」というような戒めの意味も少しは入っているのかもしれないが、大抵は、他人(成功者)の足を引っ張って、引きずり下ろすことで満足を覚えるという妬み根性が根底にあると思われる。
 「他人の不幸は蜜の味」とも言うが、成功者が失敗する姿を観て喜びを感じるというさもしい心は、自分自身を貧乏にする。この場合の「貧乏」というのは、金銭の多寡の問題ではなく、「心の貧しさ」を意味している。

 「なんだ、心が貧乏になるだけで、実際に貧乏にならないのであれば大丈夫じゃん」と思った人がいるかもしれないが、それは考えが甘い。心が貧乏であれば、実際に貧乏を招き寄せる場合がある。
 その証拠になるかは分からないが、自分の周りにいるお金持ちをよく観察してみると、「株価が急落した、ざまーみろ!」などと言っているような人は不思議といないことに気付くと思う。

 「そんなの、株を持っている人が言うわけないじゃん」と思った人もいるかもしれないが、株を持っていようが持っていまいが、そんな貧しい言葉を吐く成功者はいないことに気が付くはずだ。もし、いるとすれば、それはただの成金だと思って間違いない。

 「株価が上昇して喜ぶのは株主だけ」というような意見もよく耳にするが、株価の上昇は巡り巡って間接的に最大多数の最大幸福を齎す。株価が騰がれば、単純に消費も投資も雇用も増え、景気が良くなる。
 「それは上場企業だけの話だろう」と思った人もいるだろうが、それは違う。上場企業の業績が潤えば、当然、未上場の中小企業にもその恩恵がある。
 株価が下がって喜んでいる人々は、結局、自分自身で貧しくなる選択をしていることになるわけだ。これこそ、見事なまでに貧乏を招き寄せているよい例だ。

 私は金持ちではないが、進んで貧乏にはなりたくないので、意識的に貧しい言葉はあまり言わない(思わない)ように努めている。冗談で言う分には構わないとは思うが、本心で言うと本当に貧乏を招くことになるので要注意だ。
 こんなことを書くとまた、「自己啓発的」などと言われそうだが、私は自己啓発セミナーなどとは無縁の人間なので、誤解のないように。

■もう1つの「ざまーみろ」

 ただ、私もたまに次のように思うことはある。

 「株価が急騰した、ざまーみろ!

 これは主として、株価が下がることで喜ぶ空売り投機家(俗に「売り方」とも言う)や自虐思想に被れた左翼評論家に対しての感情である。
 この場合の「ざまーみろ」は嫉妬から発したものではない。

 空売り自体が悪いとは言わないが、自国の株式市場が低迷することで喜ぶ姿勢というものにはあまり感心も共感もできないので、私自身は一生、空売りとは無縁だろうと思う。信用取引自体もリスク的観点からもあまり手を出したいとは思わない。

 「そういう意地っぱりなところが逆に金持ちになることを遠ざけている」と突っ込まれれば返す言葉がないが…。

 本来、株式投資というものは、船旅に成功して無事に返ってきた場合に報酬を受け取るという「投資」から始まったものだとされているが、その船が遭難することに賭けるという姿勢は明らかに「投資」ではなく「投機」だ。
 そう考えると「株式投資は博打だ」というのは、半分は当たっているのかもしれない。

 しかし、今後しばらくの間は、「株価が急落した、ざまーみろ!」よりも「株価が急騰した、ざまーみろ!」と思う機会の方が多くなりそうな予感がする。調整を繰り返しながらも上昇トレンドを描いていくのではないかと思う。“北朝鮮や中国が暴走しない限り”という条件が付くことは言うまでもないが。

 民主党時代の相場は「天井0日、底100日」(=売る機会が無い)というような有り様だったが、これからはせめて「天井10日、底100日」という格言ができるような、まともな株式相場になってもらいたいと思う。

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