株式市場にある2種類の「ざまーみろ」
株式市場が再度、活況を呈してきた。先日の急落(調整)場面で「アベノミクス相場は終わった」と自信満々に宣っていた評論家達は急に静かになってしまった。
もっとも、以前にも述べた通り、現在の株高はアベノミクスの影響だけで騰がっているわけではないのだが、そのことが解らない近視眼的な評論家がいかに多いかが証明された恰好となった。
株式相場の有名な格言に「天井3日、底100日」という言葉がある。この言葉は、その字義通り、株価が高値を付ける時は30分の1程度しかないということを意味しており、確率的には“下げ”に賭ける方が儲かる可能性が高いということでもある。早い話、株を高値で売り抜けるのはそれだけ難しいということを示唆している。
無論、この言葉が全ての株式に当て嵌まるわけではないが、株価を評論する人々からすれば、「騰がる」と言うよりも「下がる」と言った方が当たる確率が高いことになる。「騰がる」と言って下がれば怒られるが、「下がる」と言って騰がっても誰も文句を言わないので、大抵のエコノミストはリスク回避のために悲観的予測に傾くことになる。これは天気予報と同じで、「雨が降る」と言って晴れても問題にならないが、「晴れる」と言って雨が降れば文句を言われる。
実際、先日の株価急落場面で、これから「騰がる(反転する)」と言っているようなエコノミストや評論家はほとんどいなかった。嵐の真っ只中にある時に「嵐は去って快晴になる」とはなかなか言えない。バブルの渦中にある時、誰もそれがバブルだということに気付かないが、逆にバブルでもないのに「バブルだ!」と言っていた人々も、バブルでないことが判らないのである。
■貧しさを招く嫉妬の言葉「ざまーみろ」
株価が急騰している時は、「株式を持っている人は儲かって良いですね」というような羨望を装った嫉妬混じりの言葉がよく聞かれたが、株価が急落した時にも必ずと言っていいほど、次のような言葉を吐く人々が現れる。
「株価が急落した、ざまーみろ!」
これも同じく、嫉妬心が表面化した言葉だと言える。この言葉の裏には、「驕れる者久しからず」というような戒めの意味も少しは入っているのかもしれないが、大抵は、他人(成功者)の足を引っ張って、引きずり下ろすことで満足を覚えるという妬み根性が根底にあると思われる。
「他人の不幸は蜜の味」とも言うが、成功者が失敗する姿を観て喜びを感じるというさもしい心は、自分自身を貧乏にする。この場合の「貧乏」というのは、金銭の多寡の問題ではなく、「心の貧しさ」を意味している。
「なんだ、心が貧乏になるだけで、実際に貧乏にならないのであれば大丈夫じゃん」と思った人がいるかもしれないが、それは考えが甘い。心が貧乏であれば、実際に貧乏を招き寄せる場合がある。
その証拠になるかは分からないが、自分の周りにいるお金持ちをよく観察してみると、「株価が急落した、ざまーみろ!」などと言っているような人は不思議といないことに気付くと思う。
「そんなの、株を持っている人が言うわけないじゃん」と思った人もいるかもしれないが、株を持っていようが持っていまいが、そんな貧しい言葉を吐く成功者はいないことに気が付くはずだ。もし、いるとすれば、それはただの成金だと思って間違いない。
「株価が上昇して喜ぶのは株主だけ」というような意見もよく耳にするが、株価の上昇は巡り巡って間接的に最大多数の最大幸福を齎す。株価が騰がれば、単純に消費も投資も雇用も増え、景気が良くなる。
「それは上場企業だけの話だろう」と思った人もいるだろうが、それは違う。上場企業の業績が潤えば、当然、未上場の中小企業にもその恩恵がある。
株価が下がって喜んでいる人々は、結局、自分自身で貧しくなる選択をしていることになるわけだ。これこそ、見事なまでに貧乏を招き寄せているよい例だ。
私は金持ちではないが、進んで貧乏にはなりたくないので、意識的に貧しい言葉はあまり言わない(思わない)ように努めている。冗談で言う分には構わないとは思うが、本心で言うと本当に貧乏を招くことになるので要注意だ。
こんなことを書くとまた、「自己啓発的」などと言われそうだが、私は自己啓発セミナーなどとは無縁の人間なので、誤解のないように。
■もう1つの「ざまーみろ」
ただ、私もたまに次のように思うことはある。
「株価が急騰した、ざまーみろ!」
これは主として、株価が下がることで喜ぶ空売り投機家(俗に「売り方」とも言う)や自虐思想に被れた左翼評論家に対しての感情である。
この場合の「ざまーみろ」は嫉妬から発したものではない。
空売り自体が悪いとは言わないが、自国の株式市場が低迷することで喜ぶ姿勢というものにはあまり感心も共感もできないので、私自身は一生、空売りとは無縁だろうと思う。信用取引自体もリスク的観点からもあまり手を出したいとは思わない。
「そういう意地っぱりなところが逆に金持ちになることを遠ざけている」と突っ込まれれば返す言葉がないが…。
本来、株式投資というものは、船旅に成功して無事に返ってきた場合に報酬を受け取るという「投資」から始まったものだとされているが、その船が遭難することに賭けるという姿勢は明らかに「投資」ではなく「投機」だ。
そう考えると「株式投資は博打だ」というのは、半分は当たっているのかもしれない。
しかし、今後しばらくの間は、「株価が急落した、ざまーみろ!」よりも「株価が急騰した、ざまーみろ!」と思う機会の方が多くなりそうな予感がする。調整を繰り返しながらも上昇トレンドを描いていくのではないかと思う。“北朝鮮や中国が暴走しない限り”という条件が付くことは言うまでもないが。
民主党時代の相場は「天井0日、底100日」(=売る機会が無い)というような有り様だったが、これからはせめて「天井10日、底100日」という格言ができるような、まともな株式相場になってもらいたいと思う。
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コメント
私は元企業調査マンの視点からブログを書いてます。
私が現場から得た情報の範囲では増税前の駆け込み需要を、
景気回復の兆しと誤認した、というのが結論です。
私が現場の調査マンや銀行の融資担当者から得た情報の範囲では下記の状況です。
・マンション・住宅関連は好調だが、消費税導入前の一過性の需要である。
・製造業、半導体関係は壊滅的で、Windows8.1も発売次期が消費税増税の直前のため
駆け込み需要となり、大きな期待はできない
・個人消費者は景気回復の実感が無いため、生鮮食料品を扱うスーパーなどでは
相変わらず価格競争が続いている。
このため体力が無くなった地方スーパーが危ない。
・金融機関は融資の姿勢は示しているものの、模様眺めであり
「融資、即回収」の姿勢がみられる。
・投資戦略についても海外設備投資は行われるだろうが、
生産レーンが余っている企業も多く、国内設備投資は当面望み薄
・バブル時代の教訓から、経営者は投資に消極的
・このため金融機関は債権査定を厳しくしおり、既に一部の金融機関では
「通常債権」が「要注意先債権」に判定が変わった動きがあります。
現場からの声をお聞きください
投稿: 孤独な虎 | 2013年7月16日 (火) 22時05分