« 不況を長引かせるハイパーインフレ予言者達 | トップページ | 『有給休暇制度』撤廃のススメ »

『効率化』の功罪【無意味な“効率化”に喘ぐ日本の製造業】

2013080401■「効率化」と「IT化」によるデフレ現象

 「効率化」という言葉がある。
 仕事が滞り無く増え続けた高度経済成長時代は、効率的に仕事をこなすことによって、1人が行える仕事量が増大した。バブル経済崩壊後も、膨れ上がった無駄な仕事を削減するという意味での効率化が行われた。この違う意味での2種類の効率化は時代の要請として必要不可欠なことだと認識され、無条件に受け入れられた。

 バブル崩壊の傷痕が癒えないまま無常(無情)に時は流れ、日本は否応無しにグローバル経済に突入していくことになった。時を同じくしてIT技術が飛躍的に進歩し、インターネットのブロードバンドが全盛となる時代を迎えると、それまでアナログ的に作業されていたことがどんどんデジタル化され、データに置き換え可能なモノを扱う仕事に従事してきた人々は、コンピューターと新興国の人々に徐々に仕事を奪われていき、効率化を良しとしてきた日本の労働モデルは一部では成り立たなくなっていった。

 データがデジタル化されたことによって仕事が奪われるという現象が表面化したが、その影に隠れて大量の違法コピー商品が蔓延ることになり、生産者が本来得られるはずの利益を消費者に盗まれるというアングラ経済が水面下で進行した。そういったモラルハザード的な状況がどういった結果を招くことになるのかはあまり問題視されず、罪の意識を隠してしまうかのように都合良く「フリービジネス」という言葉も生まれた。
 この現象によって最も被害を被ったのは、世界的にも汎用性の高い商品(ゲームやアニメ)を製作しているクリエイター達だったことは言うまでもないだろう。

 本来、生産者が得るべき利益が大量に消費者に移行したことで、お金の動きが緩慢になり、雇用するべき生産者も縮小されることになっていった。かくして、無料でコピー商品を入手した罪の意識を持たない消費者達は、因果応報的に“自らも生産者に成れない”という就職難現象を創り出すことになってしまった。一方、生産者の方も作業単価が低下し、長時間労働を余儀無くされるという悪影響を被ることになった。

 「IT化がデフレの原因だ」と言われている人もいるが、確かに、IT化によって副次的に齎された負の現象も日本のデフレ不況を助長する一因となっていることは疑いようのない事実だ。

■「効率化」によって得られる果実とは?

 前置きはこの辺にしておいて、「効率化」に話を戻そう。(以下は主に正規雇用の製造業を対象に述べる)

 本来、1人の人間が8時間で行える平均的な仕事量が「10」であった場合、効率化によって得られるものは次のようなことである。

 A、8時間で「13」の仕事ができるようになる。
 B、6時間で「10」の仕事ができるようになる。

 「A」は仕事量を基軸に考えた場合であり、「B」は労働時間を基軸に考えた場合である。
 「A」は仕事が有り余っていた高度経済成長時代、「B」は仕事が減少していくバブル崩壊以降(現代も入る)に該当する。

 仕事量が有り余っている場合、「A」の効率化は絶対的に正しい。8時間でできる仕事が10から13になるのであれば、会社は儲かるし、従業員の給料も上がる(かもしれない)。

 では逆に、仕事量が減少している場合はどうだろうか?
 6時間で10の仕事ができるようになるということは、8時間でなら13の仕事ができる計算になる。しかし、それは仕事が有る場合の話であって、それだけの仕事量が無いのであれば話が違ってくる。
 その場合(仕事が無い場合)、企業が採るべき手段は、仕事量を増やすために営業努力をすることは言うまでもないことだが、社会(あるいは業界)全体の仕事量が減少している状況では、企業努力にも限度というものがある。そんな状況下で仕事の奪い合いをしても、際限の無い安値競争に陥るだけで、結果として社会(または業界)全体が得られるはずの利益もシュリンクしていく(=利益が消費者に移行する)という悪循環(デフレスパイラル)に嵌まっていくことになる。

 では、現在の日本企業はそういった現状にどう対応しているのかというと、次のような感じになっている。

 「6時間で10の仕事が出来るにも拘わらず、8時間で10に満たない仕事を行っている

 つまり、逆に非効率化を行っているわけだ。なぜそうなるのかと言うと、労働者は8時間労働をするものだという決まり事が常態化し、8時間分の給料を支払うという制度自体も変えることができずにいるからだ。そういった硬直した制度が仕事も無いのに無意味に会社に居残りを強要される人間を生み出し、その影響で新たに雇用されるべき新卒者が職に付けず、ひいてはブラック企業を作り出す原因にもなっているのではないかと思われる。

 6時間で10の仕事ができるようになったのであれば、ズバリ6時間で帰れるようにすればいい。それが本来の効率化によって得られる果実のはずである。しかし、会社全体としての就業時間が8時間と決まっているため、それは非現実的かつ非常識な話になってしまう。
 しかし、よくよく考えると、それは元々、仕事が有り余っている時代に構築された労働システムが単に現代という時代に対応できていないというだけの話なのだが、多くの人々は就業時間が有る(8時間勤務)ということが空気のような常識だと思い込んでいる。

 「就業時間というものが定められているのに、途中で帰れるわけがないだろう」と思った人は案外多いかもしれないが、その就業時間というものも仕事が有り続けることを前提として決められたものであることを見落としている。社会主義国家でもない限り、仕事が無い時代であれば、就業時間を固定することはできないはずだからだ。仕事が有り続けた時代だったからこそ、就業時間を設けることができたのである。

■2種類の報酬(「収入増」or「自由時間増」)

 仕事が効率的にこなせるようになれば、収入が増える時間に余裕ができるかのどちらかが達成されるのが本来の理想だと思われるが、諸々の事情により、このどちらも達成できていないのが現在の多くの日本企業の実態ではないかと思う。

 8時間で13の仕事ができるのであれば、平均を超えたプラス3つ分の仕事で得られる利益の一部が労働者に支払われるべきだが、13の仕事をこなそうにも10の仕事しか無い場合、お金の代わりに時間としての給料を支払う(労働時間が短くなるという意味)、それが本来の労働市場原理というものである。

 グローバルデフレ社会(新興国の安価な労働力との競争社会)によって、先進国の製造業に携わる労働者の給料がある程度下がっていくのは仕方が無いにしても、企業側も労働者側も、『8時間労働』というものに固執するあまり、一見、バランスが取れているように見えながら、実態は非常に歪な労働環境が出来上がってしまっている。

 長々と書き連ねてしまったが、簡単に要約すれば、次の通りである。

 「仕事量に応じた臨機応変な労働システムにすれば、本当の意味での効率化が達成され、少しはまともな労働環境が構築される

 効率化することによって人間が行う仕事量が減少していくのであれば、効率化することがメリットになるシステムでなければ、なんのための効率化かが分からなくなってしまう。
 「効率化」という言葉は良い意味で使われることがほとんどであり、それが悪いことだと言うつもりは毛頭ないが、残念ながら「好況時の効率化」と「不況時の効率化」では、全く違った結果を齎すことになる。この違いを認識せずに、闇雲に「効率化は良いことだ」と妄信してはいけない。

 これに近いことはケインズも言っていたことである。『アベノミクス』が『現代のケインズ政策』に成り得るかどうかは未だ不明だが、時代環境や経済情勢によっては「効率化」の意味が変わるということを正しく認識しなければ、無意味な効率化に喘ぐだけの不毛な社会になってしまうことになる。

にほんブログ村 経済ブログへ

|

« 不況を長引かせるハイパーインフレ予言者達 | トップページ | 『有給休暇制度』撤廃のススメ »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/57928822

この記事へのトラックバック一覧です: 『効率化』の功罪【無意味な“効率化”に喘ぐ日本の製造業】:

« 不況を長引かせるハイパーインフレ予言者達 | トップページ | 『有給休暇制度』撤廃のススメ »