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2013年10月

BOOK『本を読んだ人だけがどんな時代も生き抜くことができる』

2013102701_2■1年間で8万冊の新刊が出る国での読書術

 世の中には「読書家」と呼ばれる人々がいる。その定義は定かではないが、狭義の一説では1日1冊以上のペースで本を読んでいる人のことを指す言葉でもあるらしい。また、これと似たものに「活字中毒」と呼ばれる人々もいる。以前、なにかの本に書かれてあったことだが、活字中毒の人の中には、お風呂に入っている時でさえもシャンプーの裏書き(注意書き)を読まなければ気が済まないという人もいるらしい。まさに1日中、活字を読んで(見て)いなければ落ち着かないという感じだろうか。ここまでくるとまさしく、中毒(ジャンキー)である。
 インターネット社会は無料の活字倉庫でもあるので、そういう人であれば、例えばネットニュースや掲示板、BLOGOSに掲載されている記事などもジャンルを問わずに全て目を通しているのかもしれない。

 ところで、毎日新しく発売される新刊というものは200冊から300冊にも及ぶらしく、年間では8万冊近くになるとも言われている。「出版不況」と言われて久しいが、なぜか新刊の発刊点数は毎年増加する傾向にある。(注:発行部数と販売金額は減少している)
 その8万冊でさえ一生かかって読める人はほとんどいないだろうから、一般人が一生かかって読める本というのは、実に限られていることになる。
 1日に5冊を365日、それを50年間続けても9万冊程度だ。1年間に8万冊の本が発刊されるということは50年間で400万冊ということだから、仮に一生に10万冊の本を読む読書家であろうと、発刊された本全体の2.5%しか達成していないことになる。

 1日5冊(雑誌や漫画は除く)も本を読めれば、新たに書評ブログでも立ち上げられるかもしれないが、幸か不幸か、現在の私にはそれほどの余剰時間も速読能力も無いので、読む本は自ずと厳選しなければならない。その厳選手段の1つは、読書家の意見を参考にするというものである。
 世の中に出回っている本は玉石混淆で、読んでも時間の無駄にしかならない本というのは実際に有る。そんな駄本に出くわす可能性を低くするには、多くの本を読んでいる読書家の書評を参考にすれば、幾分かは時間の節約になる。

 先日、読書家として有名な千田拓哉氏の書評本『本を読んだ人だけがどんな時代も生き抜くことができる』を読んでみた。(ちなみに千田氏の本を読むのはこれが2冊目)
 千田氏は大学生時代に10000冊の本(1000万円以上)を読んだことでも知られている人物で、近々発売される本にも『1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く…』とあるので、これまでにおそらく10万冊近い本を読破されているのだろうと思う。
 氏の年齢は不明だが、本書の中に「作家の伊坂幸太郎と同世代」と書かれてあったので、おそらくアラフォー世代なのだろう。ということは、学生時代に10000冊+卒業後約20年間で(10冊×365日×20年=)73000冊となるので、単純に合計83000冊は読んでいる計算になる。

 それだけ大量の本を読んだ人物が厳選(フィルタリング)して推薦する25冊ということだから、きっとハズレは無いだろうと思い参考にさせていただくことにしたが、その厳選された25冊の内、数冊は私も既読の本だった。
 本書で特に興味を惹かれたのは、『残酷な社会で「目利き」になれる本』という章で、5冊中2冊の本は読んでいた。

■2人の正論者(近藤 誠氏と小室直樹氏)

 1つは『医者に殺されない47の心得』、もう1つが『日本国民に告ぐ』という本だった。
 どちらの本も本当のこと(?)が書かれ過ぎているためか、一般的にはタブー視される類いの本でもあるが、前者の近藤 誠氏は昨年(2012年)『第60回 菊池寛賞』を受賞したことで大きく注目された人物だ。近藤 誠氏の本については以前にも書評のブログ記事を書いたことがあるが、このての本がベストセラー(100万部突破)になったのは驚きだった。
 最近、この本に対抗した『「医療否定本」に殺されないための48の真実』(長尾和宏著)という本が出たそうで物議を醸している。12月には『絶対に、医者に殺されない47の心得』(岩田健太郎著)という本も出るそうなので興味の有る方は3冊とも読んで、どれが正しいかを考察するのも面白いかもしれない。

 千田氏は近藤氏の本の書評で最後にこう述べている。

 「本書すらすべてを鵜呑みにして、決断まで依存し切ってはならない。正しい情報を獲得した上で、決断は自分でするものだというのが著者の主張だ。

 これは、ある意味で私も同感だった。敢えて具体的に書かせていただくと、近藤氏のガン理論は、あくまでも人体やガンというものを物理的なものとして捕えた上での正論(結果論)であり、メンタルな面での考察(原因論)は乏しいと感じられる。病人を勇気づけるという意味での配慮も少々欠けており、少しニヒリズムに傾倒しているところがマイナスポイントということになるだろうか。

 後者の小室直樹氏は、本書にも書かれてある通り、残念ながら何の賞も贈られず言論界から干されてしまった人物だが、その功績はいずれ高く評価されることだろう。
 小室氏の『日本国民に告ぐ』は、平成8年(17年前)に出版された本だが、未だその輝きを失っておらず、むしろ、現代でこそ読むにはピッタリという感じの本だ。こういう本こそ「時代を先取りした本」というのだろう。知的好奇心を満足させたい人には、まさに打ってつけの本だと言える。

 近藤氏と小室氏の本は私も半分以上は読んでいるので、たまたま千田氏とダブった…と言うよりも必然的に重なったと言うべきなのかもしれない。

 千田氏のセレクト本25冊は、25冊全て読もうとまでは思わなかったが、半分程度は読ませてもらおうと思った。「これは」と思う本があれば、改めて書評記事を書かせてもらおうと思う。

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アメリカの債務不履行【デフォルト】という茶番劇

2013102001■「アメリカがデフォルトする」という空騒ぎ

 メディアでも大々的に取り上げられたアメリカ政府の債務不履行問題がようやく(一時的に)沈静化した。沈静化したと言っても、こういう結論(デフォルト回避)になるだろうことは端から分かり切っていたことなので、特に問題視する必要性もないのだが、マスメディアでは「リーマンショック以上の衝撃」というような悲観的な報道がまことしやかに伝えられていた。

 もし本当にアメリカがデフォルトする可能性が高いということなら、ニューヨークの株式市場も日本の株式市場も千円単位の暴落を演じていたはずだが、特に暴落するような気配は感じられなかった。
 市場というのは正直なもので、その情報(米政府のデフォルト)の信憑性は、世界各国の株式市場を見れば一目瞭然だった。株式市場を確認するまでもなく、まともな思考ができる人からすれば「茶番」であることは暗黙の了解事項だったとも言える。
 実際に多くの人々が「茶番だ」と言っていたが、著名な米国人投資家ジム・ロジャーズ氏も、この空騒ぎを無視していたらしい。

 確かにアメリカ政府が本当に債務不履行に陥れば、リーマンショックどころの騒ぎではないかもしれない。しかし、現在のアメリカがデフォルトするなどということは、およそ現実味のない話である。ギリシャ等のローカル国家のデフォルトは有り得ても、アメリカのデフォルトは基本的に有り得ない。
 基軸通貨国であるアメリカがデフォルトするということは、世界経済崩壊の引き金を引く危険性を伴うということだから、それはオバマケアの批判を行っている当の共和党自身にとっても決して喜ばしい事態ではない。こんなことは子供が考えても解る理屈だ。

■「民主党」と「共和党」の夫婦喧嘩

 「Too big to fail(大き過ぎて潰せない)」という言葉通り、アメリカ経済は大き過ぎて潰せない。それが基軸通過国の優位性というものである。もしその優位性が本当に失われる危険性が有るということであれば、どんな強攻策を用いてでも命懸けで阻止されることになっていただろうし、そもそも輪転機を回せば無尽蔵にお金を刷れる国が内輪の政争問題でデフォルトに至るはずがない。「デフォルト騒ぎ」と「真のデフォルト」を混同してはいけない。

 ではなぜ、こんな不可解なデフォルト騒ぎが発生したのか? おそらくそれはガス抜きのためだろう。アメリカ政府が自らの借金体質に気を遣っているという姿勢を各国に対し自作自演でアピールできれば、他国からの批判も弱まることになる。借金取りがうるさくなる前に、夫婦喧嘩を演じたと考えれば解りやすいかもしれない。
 このようなガス抜きと思われることはどこの国でも大なり小なり行われている。

 では日本はどうだろうか?
 日本でも安倍政権が原発再稼働路線を歩みつつあるので、野党はこぞって反発している。こういったものもアメリカの民主党と共和党のようなガス抜きの茶番であれば、まだ救いがあるのだが、そうとも言えないのが日本の哀しい現実である。
 日本では最近、小泉元総理が「脱原発」と言い出したことで騒がれているが、どうも小泉元総理は大真面目に「脱原発」を訴えているように見える。
 
■平和を希求しながら平和を破壊する人々

 「脱原発」の危険性というものは、原発そのものに有るのではなく、「脱原子力エネルギー」と結び付いていることに有る。
 世界中の先進国が戦争回避のために核を保有する中にあって、独り、日本だけが「核」を保有するという可能性そのものを放棄することは、極めて危険な賭けになる。
 ゆえに良識ある政治家であれば、せめて「核の保有と脱原発は別問題」と言わなければならない。それが政治外交的な最低限のリスクヘッジというものである。
 
 個人が自宅を留守にする時には施錠をする。それは、泥棒が入る危険性を避けるためだ。アメリカが銃を携帯するのは、武器を持った犯罪者から身を守るためだ。
 では、国家が核を保有するのは何のためか? 無論、他国からの侵略や戦争を回避するためだ。
 個人が自宅に鍵をかけるのは、泥棒になるためではなく、アメリカ人が銃を持ち歩くのも、犯罪を犯すためではない。同じように、国が核を持つのは戦争を起こすためではない。全ては安全のためであり、平穏な日常を保持するためだ。つまり、「平和」という目的のために行っている至極当然の行為なのだ。(注:共産主義国家は除く)

 その当たり前の行為を否定することは、一見、平和を希求しているように見えながら、その実、平和を壊そうとしていることにも目を向ける必要がある。

 「泥棒なんて入らないから、自宅に鍵をかける必要はありません
 「銃を乱射する犯罪者はいませんから、銃を持つ必要はありません
 「核兵器を使用する国はありませんから、核を持つ必要はありません

 このような平和ぼけした意見に素直に納得できるだろうか? このような意見はどれも、この世の中に「泥棒」も「犯罪者」も「核兵器」も存在しない場合にしか成り立たない理想論(空想論)でしかない。
 しかし、このうち、最も危険な3つ目を平気で口にしているのが、現在の日本の政治家達だ。そして、その言葉に疑念を抱くことなく素直に従っているのが多くの国民達の姿だと言える。

 こういうことを書くと必ず反論してくる人がいるのも、現在の日本が限りなく平和であることの証左でもある。しかしその平和ぼけのツケは限りなく高くつく可能性があることも併せて考えなければいけない。
 マスメディアも、「アメリカがデフォルトする」というような非現実的な心配をするよりも、自国の繁栄と平和がデフォルトする可能性があることにも目を向けるべきだ。

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『ハッピーマンデー制度』は機能しているか?

2013101401■有り難迷惑な『ハッピーマンデー制度』

 先月(9月)にも3連休が2回有ったばかりだが、今月(10月)にも来月(11月)にも3連休が有り、「妙に3連休が多いな」と改めて感じている人は多いのではないかと思う。今年は偶然、祝日や振替休日が月曜日に当たっている日が多いとはいうものの、『ハッピーマンデー制度)』というものが制定されてから、3連休というものがさほど珍しい(有り難い)ものではなくなった。

 (国民の祝日の一部を従来の日付から特定の月曜日に移動させた制度)

 私の場合、ハッピーマンデーの週の土曜日はほぼ間違いなく出勤日になるので、『ハッピーマンデー制度』にあまり有り難みを感じない…と言うか、逆に有り難迷惑な制度に感じられてしまう。休日を月曜日に固定するよりも、週の半ばに休日が有った方が有り難いと思う。3連休にしたからといっても実質的な休日数が増えるわけではないので、単に休日の先食い(後食い)をしているだけとしか感じられない。

 『ハッピーマンデー制度』ができた理由は、連休を増やすことによって国民が旅行などに行く機会を増加させるという、経済政策的な側面が有るそうだが、果たして本当に旅行する人々が増加したのだろうか? 3連休時に旅行する人は増えたかもしれないが、それは単に3連休時に旅行する人が増えたというだけで、年間を通した旅行人数はそれほど増えていないのではないかと想像する。
 現在は、株式投資や投資信託で儲けた人などが不労所得で旅行に行くという人が増えているかもしれないが、それは『ハッピーマンデー制度』とは関係が無いかもしれない。

■旅行とマッチしない『ハッピーマンデー制度』

 個人的な感想を書かせていただくと、私の場合、ハッピーマンデーの3連休を利用して旅行に行こうなどとは全く思わない。国民の大部分が3連休の時を選んで旅行に出かけても、道路が渋滞する可能性は高くなるし、旅館やホテルは予約で一杯だし、観光地も混雑しているので、のんびり羽を伸ばすという本来の旅行の目的とは完全に逆行してしまうことになる。
 道路が渋滞していれば、せっかくの旅行時間が無駄になるし、3連休に旅行するとなると3ヶ月以上も前からホテルの予約をしなければいけないし、宿泊料金も割り増しになる。自動車ではなく、電車や飛行機で行く場合でも、基本的にはあまり変わらない。

 私もたま(2年に1回程度)に旅行に出かけるが、あまり混んでいない平日を利用して行くことにしている。例えば、平日の金曜日を有給にして出かければ、旅館は空いているし料金も安く、比較的にのんびりできる。ちなみに私が有給休暇を取得するのは、法事を除けば、旅行の時と運転免許の更新日くらいしかない(念のため)。

 しかし、「3連休だから旅行に出かけるようになる」という発想は、あまりにも短絡的な考えだと思える。3連休だからといって、全員が全員同じ発想で旅行に出かければ、旅館やホテルの数は限られているので、「椅子取りゲーム」ならぬ「旅館取りゲーム」となってしまい、座りたくても(行きたくても)座れない(行けない)という人々が大勢出てきてしまう。(海外旅行の場合は除く)
 実際、3連休の1ヶ月位前に宿泊ホテルを探しても既に満室で旅行に行くことを諦めたという話はよく耳にする。

■『ハッピーマンデー制度』と『ハッピーフライデー制度』

 「3連休だから旅行に出かける」というのは、あくまでも自分だけが3連休の場合の話であって、「国民の全てが3連休だから旅行に出かける」とはならない。むしろ「空いている平日だからこそ旅行に出かける」と考える方が理に適っていると思う。
となると、休日は月曜日固定にするより、バラバラにした方が良いことになる。

 旅館側からしても、年間を通じて均一的な集客が理想であるはずで、3連休時だけ満室になっても残りの日がガラ空きでは、あまり有り難みがないのではないかと思う。

 ところで、『ハッピーマンデー制度』ができたのは、自民党時代の2007年のことで、2012年には民主党が『ハッピーマンデー制度』の廃止を訴えていた。その改善案というのが、「土曜日が祝日である場合、前日の金曜日を振替休日にする」というもので、単なる『ハッピーフライデー制度』だった。これでは、どっちもどっちだと言える。

 祝日を「月曜日にする」とか「金曜日にする」などというセコい経済政策を行うよりも、いっそのこと、祝日を増やせばいいのではないかと思う。以前に書いた有給休暇制度の話ではないが、有給休暇が取得できないような社会的風潮を改善するためにも、国民の休日(祝祭日)を新しく増やせばいいと思う。言わば、『ハッピーホリデー制度』だ。
 政府が休日を利用した観光経済政策を本気で考える気が有るのならば、『ハッピーマンデー制度』や『ハッピーフライデー制度』よりも『ハッピーホリデー制度』の導入こそが望ましい。(あくまでも比較論だが)

【お詫びと訂正】
 『ハッピーマンデー制度』ができたのは、自民党時代の2007年と書きましたが、正しくは2000年の間違いでした。訂正してお詫びいたします。(文中はそのまま)

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「失われた消費税8%期間」脱出のススメ

2013100601■独裁者(?)になれなかった安倍総理

 案の定と言うべきか、10月1日、安倍総理の口から「消費税を8%にする」という言葉が発せられた。安倍総理の独断で「消費税の増税を延期する」という言葉が出ることに微かな期待もしていたのだが、やはり難しかったというところだろうか。
 アメリカのように「金融緩和を縮小する」と何度も言いながら、結局は「金融緩和を継続する」との判断になる国とは、ある意味で対照的でもある。

 ひょっとすると安倍総理は、8月に行われた有識者会議なるもので消費税増税反対が過半数になることを期待していたのかもしれないが、なぜか民意とは裏腹に消費税増税に賛成の意見が圧倒的多数を占めたことで増税せざるを得なくなってしまったのかもしれない。
 アベノミクスの指南役とも言われている浜田宏一氏が現時点での消費税増税に難色を示していることからも、安倍総理自身、消費税を上げることに大賛成というわけではないだろうし、それなりの抵抗感も感じていたフシがある(5兆円規模の経済対策はその表れとも言える)が、結局、良い意味での独裁者(賢人)には成れなかったというところだろうか。

■ナンセンスな法人税減税論

 その安倍総理の精一杯の罪滅ぼし感から生まれたリスクヘッジ政策としての「5兆円の景気浮揚対策」にプラスして「法人税の減税」というものが実施されるそうだが、正直、かなり無理があるかなという気がする。これで本当に万事上手く行くようなら、オリンピックのウルトラC級並の離れ業だとも言えるが、少々、読みが甘過ぎるのではないかと思える。
 『アベノミクスを殺す消費増税』という本にもあるように、時期尚早な消費税の増税はアベノミクスにとっての自殺行為でもある。
 自殺行為というのは言い過ぎだとしても、危険なスタントをするようなものである。ビルから飛び降りるという危険なスタントをするために落下地点に置いた緩衝材の1つが『法人税の減税』では心許ないと言わざるを得ない。

 よく「法人税を下げれば、税金を納めてくれる海外企業が日本に来てくれる」というような話を耳にするが、これも少しは効果が有るかもしれないが、よく考えると少々疑わしい話である。
 法人税を下げることが悪いことだとは言わないが、単に「法人税が安いから」という理由だけで海外企業が日本に来るとは思えない。いくら日本の法人税が高いと言っても、日本では『節税行為』というものが立派(?)に機能しているので、法人企業の場合、支払う税金は合法的にいくらでも低く抑えることができる。そんな抜け道が用意されている状況下で法人税の高い低いなどという議論はナンセンスだとも言える。

■木(税率)を見て、森(景気)を見ないミクロ税収論

 実際、日本企業の7割程度は法人税を納めていないことはよく知られたことであり、それは節税行為によって敢えて赤字にしている企業の数がそれだけ多いことを意味している。海外から来た企業だからといって節税ができないというわけでもないだろうし、法人税がべらぼうに高いと思うのであれば、意図的&合法的に利益が出ないようにすればよいだけの話なので、法人税を少し下げる程度では海外企業誘致にそれほど効果があるとは思えない。(利益が出なければ投資家に愛想を尽かされる上場企業であれば話は別だが)
 海外企業が日本を敬遠する理由は、法人税が高いということよりも、むしろ、その他の規制が多過ぎることだろうと思う。

 企業が「税金を支払ってもよい」と考えるようになるのはいつ如何なる時か?というと、それは必ずしも税率の低い時ではない。ではいつなのか? それは景気が良い時だ。もっと正確に言えば、景気の先行きが明るいという見通しが立つ時だ。来年も再来年も景気が良くなるという見通しが立てば、わざわざ節税行為などに精を出す必要はなく、内部留保をする必要性も薄れるので、税収は上がり、設備投資も雇用も増えるという好循環が生まれる。税収を上げる最も効果的で間違いのない方法は、景気を良くすることであり、素直に考えれば、これほど道理に適ったこともない。

 税収を上げるためには、「税率を弄る」というようなミクロ政策ではなく、「景気を良くする」というマクロ政策を採らなければならない。ミクロ政策を行うのはマクロ政策が成功してからの話である。
 「税率を下げれば税収が上がる」という理屈は、消費税には適用できたとしても、法人税には適用できない。法人税収を上げるためには、景気を良くするのがベストな選択だ。
 つまり、「法人税を下げれば景気が良くなる」のではなく、「景気が良くなれば法人税収が上がる」のである。政府がやろうとしていることは残念ながら、前者の方であり、アベノミクスとも真っ向から対立してしまうことになる。
 早い話、税率という名の「」ばかり見て、肝心の景気という名の「」が見えていないのである。

■消費税増税から派生する「便乗値上げ」によるインフレ懸念

 しかし、既に「消費税増税」という賽は投げられてしまったので、今更後悔しても遅い。どうにか景気の腰が折れないように頑張ってもらうしかなさそうだが、今後、消費税8%にしたことによって景気が悪化したという見立てが立てば、再度、国民に信を問うて、消費税を10%にするのではなく、5%(あるいはそれ以下)に戻すという選択肢を用意することをオススメする。消費税8%は2年間のテストだったということにすればいい。その間は「失われた消費税8%期間」ということになってしまう可能性があるが、それは甘んじて受け入れるしかない。

 今後は消費税増税による便乗値上げによって本当にインフレになる可能性が高くなってきた。金融緩和だけならインフレにならなかったかもしれないが、皮肉にも政府が全く予期していなかった消費税増税から派生する「便乗値上げ」がインフレを招いてしまう可能性が出てきた。
 原発停止による電気代の高騰を原因とした悪性インフレと、消費税増税による便乗値上げによる悪性インフレ、このダブルパンチを食らって日本経済、もとい国民がダウンしないことを願うばかりだ。
 消費税の増税は「政権の鬼門」とも言われているそうだが、「5兆円規模の経済対策」が少しでもお祓いの役目を果たしてくれることを祈りたい。鬼門に手を出した政権(為政者)だけでなく、我々国民(納税者)にまで障り(祟り)が有っては堪らない。

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