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インターネットが齎した『合成の誤謬経済』

2013112501■「お金が動かない」経済システムの誕生

 時が経つのは早いもので、「ブロードバンド元年」と言われた2001年(平成13年)から早くも一回り(12年間)が経過した。長い目で観れば、この12年間は未だインターネット社会の黎明期の範疇にしか入らないのだろうけれど、ブロードバンド技術が国民生活(経済)に与える影響というものを、実に様々な功罪ドラマを通じて、まざまざと見せつけられた12年間だったと言える。

 インターネットが流行る以前からパソコン通信を行っていた私のような人間からすると、現在のデータ通信の高速化・大容量化は隔世の感どころの話ではなく、まさに異世界へ突入してしまったかのような錯覚すら覚える。
 昔(と言っても20年も経過していない)は、パソコン通信で電子メールを送信するだけでも、わざわざアナログの電話回線に接続し、通話料と通信料を従量制で支払うというシステムだったため、複数の人に電子メールを送信するような場合、全て書き貯めてから同時に送信するというセコいことを行っていた。それでも、手紙をパソコンから送れるというシステムに嬉々としたことを覚えている。
 そんな時代だから、添付書類を送る場合も、容量をできるだけ軽くするために、データ圧縮ソフトを比較検討し、パケット料金がいくらかかるかを計算しながら送っていた。(今考えると、それも良い勉強だったのかもしれないが)

 ところが現在では、画像どころか動画まで容量をほとんど気にすることなく誰でも送れるような時代になり、パソコン通信などは、もはや昔話に過ぎなくなった。
 あらゆるモノがデジタルデータ化され、それがストレスなく全世界に送信(配信)可能な時代が訪れることによって、経済の様相というものは激変していった。
 経済のグローバル化というものはインターネットのブロードバンド化と密接不可分の関係に有ると言っても決して間違いではなく、ブロードバンドの高速化・大容量化に伴って、グローバル化も(デフレ化も)進んでいった。
 この便利かつオープンなシステムが齎したものには当然、負の部分もあり、その最たるものが、「お金が動かない」という全く新しい経済現象だった。

■間接的な消費活動を抑制するインターネット経済

 人間は利便性を求める生き物であるが、人間が行うべき仕事というものの大半は、その利便性を追求する過程で生じるものでもあった。生産者が効率化を目指し努力するのは、消費者の利便性を追求するニーズに応えるためのものであったが、そのニーズが人間の手を煩わすことなく満たされるシステムが出来上がってしまうと、当然のことながら、人間が行うべき仕事も無くなっていくことになる。

 不便な時代だからこそ人間が行う仕事が有り、便利な時代になると人間が行う仕事が無くなるというパラドックスが将来的に起こるだろうことは誰もが想像してはいたが、まさかインターネット技術の解放によって、そんな社会が自らの生きている時代に現実になるとは誰も想像だにしていなかったのではないだろうか? しかし、インターネット社会は僅か20年程度で、そのパラドックスを現代人にいとも容易く教えてくれた。

 これまで欲しい物を手に入れるために、交通費(電車賃やガソリン代)や労力を使用して、その商品が売られている目的地まで買いに行っていたものが、交通費は必要なく、時間も労力も伴わず、パソコンやスマホの画面から1クリックで購入できることは、消費者にとってはこの上なく便利なことで、まさに消費スタイルの理想の実現とも言える素晴らしい進歩でもあった。
 しかし、その理想が実現することによって、これまで消費活動に付随していた間接的な消費活動は抑えられることになり、結果的には経済は縮小するという負の現象も生まれた。(これも一種の合成の誤謬と言える)

 一昔前であれば、クリスマスやお正月の時期ともなると、お年玉を握りしめて、電気街に買い物に繰り出す子供や若者がいた。電気街で買い物をするために、電車に乗れば、交通費を支払う、車やバイクで行けば、ガソリンがいる、自転車で行けば、のどが渇いて缶ジュースを買う場合もあるし、お腹が空けば、マクドナルドでハンバーガーを食べる場合もあるだろう。ところが、パソコンやスマホから1クリックで商品が買えるとなると、そういった間接的な消費活動というものがキレイサッパリ省かれてしまう。
 個人の経済活動の効率化として見れば、これは良いことなのだが、経済全体として見れば、手放しで良いことだとは素直に喜べない部分もある。効率化によって浮いたお金を別のものに使用するということならプラスとなるが、浮いたお金が貯蓄にまわるだけならマイナスとなる。

■「無料(タダ)ほど高くつくものはない」社会の到来

 かつては努力することによって効率化を追求すれば報われる(報酬アップに繋がる)という時代だったかもしれないが、現在のインターネット社会では努力して効率化を実現し、消費者に喜ばれたとしても、その努力が必ずしも報われるという時代ではなくなった。デフレの影響もあってか、便利になればお金がかかるという価値観が乏しくなり、便利になること、安価になることが当然で、その対価も無料に近付いていくことが当たり前という倒錯した価値観が蔓延り、労働における努力と効率化が比例しなくなった。労働における努力は素晴らしいが、効率化は無意味というアンバランスな労働環境が出来上がってしまったとも言える。

 それゆえか、努力そのものを否定する左派的な主張がもっともらしく聞こえるというような風潮も観てとれる。効率化というものがお金儲けに直結しないシステムが問題であることを知ってか知らずか、努力そのものを否定するという如何わしい思想も蔓延ろうとしている。
 ゆえに、インターネットの進歩と並行して、効率化の努力が報われるという新しい経済システムを創出していく努力も必要な時代だとも思われるのだが、そういった別の意味での努力は全く等閑(なおざり)になってしまっており、問題を提起する学者もほとんどいないという有り様だ。

 昔から「只(ただ)より高いものはない」と言われるが、インターネット社会の中で過当競争に陥っている生産者(企業)は、その言葉の意味を実感として噛み締めていることだろうと思う。
 しかしながら、労力なく商品を入手できる時代において、「無料(タダ)ほど高くつくものはない」という言葉を噛み締めるべきは、消費者の方でもある。

 果たしてこの先、インターネット社会は、努力による効率化が雇用を減少させるという矛盾を克服し、努力による効率化が報われる理想的な社会を築くことができるのだろうか? インターネット社会においても、レッセフェール(自由放任主義)は正しく機能するという前提で、ケ・セラ・セラ(なるようになる)と楽観視していても本当に大丈夫なのだろうか?
 少なくとも現時点では、インターネット経済というものは新たな「合成の誤謬」を生み出したかに見えるが、今後、その「合成の誤謬」をも呑み込むほどの巨大な経済システムに化けることを願いたい。

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コメント

インターネットを水道と読み替えてみました。
水汲みの苦労から開放されて。。。

ネットショッピングを鉄道と読み替えてみました。
東海道の旅で旅籠で散財したのがわずかな運賃で京都往復できる。。。

インターネットの出現は何もまったく未経験な現象ではありませんよ

投稿: | 2013年11月25日 (月) 12時48分

デフレのいったい何が悪いんでしょうね。
大いにけっこうな話としか思えませんけどね。

投稿: muu | 2013年11月25日 (月) 20時15分

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