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「ブラック企業論」注意報

2013122801■「ブラック企業論」に抜け落ちているもの

 ここ数年で「ブラック企業」という言葉が広く世間に浸透し、その言葉が示す通り、完全に「ブラックな存在」として定着した感がある。
 しかし、一口に「ブラック企業」と言っても、その定義は極めて曖昧だ。ブラック企業の程度(ランク)を示す“ブラック度”はピンからキリまであり、数えあげるとキリがないが、一応、広義には次のように定義されている。

 『入社を勧められない過酷な労働搾取企業

 世の中には実際に、労働者を使い捨てにすることを前提に雇用しているような悪徳企業が存在することは確かであり、そういった企業を社会悪として「ブラック企業」と呼称することに何ら異論はないのだが、世に蔓延っている「ブラック企業論」をつぶさに観察していると、どうも、前提条件として、すっぽりと抜け落ちているものがあるような気がする。それは何なのかと言うと、労働者側の資質(生産性)というものが無視されていることである。

 労働者側の資質(生産性)に全く無関係な生粋の「ブラック企業」なら仕方がないが、最近のブラック企業論の中には、特に「ブラック」とは言えないような普通の企業まで「ブラック企業」扱いされつつあるような気がするのは私だけだろうか?
 別な言い方をすれば、「ブラック企業」という言葉の陰に隠れて「ブラック労働者」という存在が見落とされていないか?ということである。

 「ブラック企業」に対する「ブラック労働者」の定義は、簡単に言えば、以下のようになるだろうか。

 『退社を勧めたくなるほどの過剰な給料奪取労働者

■「ブラック企業だ」と言える資格を満たしていない人々

 日本では、端から「労働者は善人」で「企業は悪者」という、マルキスト的な左翼思想が未だに幅をきかせているためか、どうしても、企業悪玉論に傾きがちだが、労働者側の善悪論というものを抜きにした一方的な「ブラック企業」批判論は、素直に納得できないものが多い。「ブラック企業」批判に便乗して、まともな企業にも「ブラック労働者」を量産するシステムを暗に構築しようとしているかのようですらある。

 簡単な例で示そう。
 例えば、ある企業の給料が月給20万円として考えると、その企業の中には、1ヶ月間に20万円分の仕事ができる人の他に、10万円分の仕事しかできない人もいれば、30万円分の仕事ができる人もいる。

 ・・・1ヶ月間に10万円分の仕事ができる。
 ・・・1ヶ月間に20万円分の仕事ができる。
 ・・・1ヶ月間に30万円分の仕事ができる。

 この場合、この企業に対して「ブラック企業だ」と言える資格が有るのは「」だけである。こんなことは子供でも解ることだと思うが、現在のブラック企業論には、そういった雇用する側から見た視点というものが、あまりにも無視され過ぎているのではないかと思われる。
 実際、上記の例はかわいいもので、30万円分の仕事をして20万円の給料が貰えるなら、文句を言う人はほとんどいないだろうと思う。本当のブラック企業であれば、100万円分の仕事をしても20万円しか給料が貰えないという場合も有り得る。
(注:ここでは総人件費としての間接的な経費は考えないものとする)

 ブラック企業の定義が「過酷な労働搾取企業」と言うのであれば、対象となる労働者は搾取されるだけの仕事をしている(利益をあげている)ことが前提となる。もしそうでないなら、少なくとも、その労働者にとってはブラック企業とは成り得ない。なぜなら、搾取するべきものが存在しないからだ。
 10万円分の仕事しかしていない労働者が、20万円の給料を貰い、「ブラック企業だ!」と言っても、残念ながら筋が通らない。厳しい言い方かもしれないが、それは搾取されているのではなく、逆に企業から利益(他人の給料)を奪っている駄々っ子の姿だということを知る必要がある。

■「ノーブレス・オブリージュ」で成り立っている日本の企業

 曲解する人が必ずいると思われるので一応、お断りしておくと、私はブラック企業を擁護しているわけではない。安直なブラック企業批判が放置されたまま拡大していくと、結果として、ブラック労働者が増殖することになり、そのブラック労働者によって、まともなホワイト企業までブラック企業化していくのではないかと危惧している。

 現在の日本企業は昔と違い、生産性を上げれば必ず報われるというような労働環境を構築できているとは言えないので、生産性を上げたからといって、ブラック企業が無くなるわけでもない。しかし、だからと言って、生産性を全く無視すれば良いというものではない。
 誤解を恐れずに本音で言えば、日本のサラリーマン社会とは、基本的には仕事のできる人(生産性の高い人)が仕事のできない人(生産性の低い人)の分も文句を言わずに仕事を行ない、ほとんど一方的にカバーしている(助けている)という屈折した互助社会でもある。
 先の例で言えば、Aが休めばCが助け、Cが休んでもAには助けてもらえないという、歪なリスクヘッジ(互助になっていない)が罷り通っている社会でもある。
 それが良いか悪いはともかくとして、そういった稀な互助社会が機能しているのは、未だ日本には「勤勉の精神」というべきものが存在しているからに他ならない。「ノーブレス・オブリージュ」と言って、仕事のできる人間が文句を言わず、割りの合わない給料にも愚痴をこぼさずに黙々と働いているからこそ、企業はその他多くの人を雇用できているという現実がある。

■「給料が安い」と言う人々の共通点

 私もこれまで同じ労働者の視点から、いろんな労働者を見てきたが、「給料が安い」というような言葉(愚痴?)を人前で平気で口にするのは、給料分以上の仕事をこなしている人よりも、給料分の仕事を満たしていない人の方が圧倒的に多かったと記憶している。これは推測で述べているのではなく、実際に経験した個人的な統計結果であるので、敢えて本当のことを書かせてもらうが、仕事ができる人に限って、なぜか自分の給料が安いとは言わない。これは面白いほどにその通りだった。
 「それは、それだけの給料を貰っている人だからだろう!」と反論する人がいるかもしれないが、実際は仕事に見合うだけの給料を貰っていようがいまいが同じだと思う。

 仕事ができる人は、真面目に仕事をしていれば、そのうち評価されると前向きに考える傾向にあるが、仕事ができない人は、真面目に仕事をすることよりも先に、「給料が安い」という不満感を抱いているためか、給料が上がらなければ真面目に仕事はしない、だから給料も上がらず、仕事もできないという悪循環思考に陥る傾向にある。
 まるで「引き寄せの法則」そのまんまだが、これは実際にその通りだったので、心当たりのある人は、1度、自分自身の考え方をチェックした方が良いかもしれない。

 話が少し横道に逸れたので、元に戻そう。

 労働者に優しい企業は「ホワイト企業」
 労働者に厳しい企業は「ブラック企業」

 このような中身の無い表面的なステレオタイプな考え方が流布されると、その意に反して、労働条件はますます悪化していくことになる。労働者の生産性を無視した堕落思想が広まると、真面目に働いている人間がますます馬鹿をみる社会になってしまう。日本型資本主義の精神である「勤勉の精神」が破壊されると、誰も真面目に働かなくなってしまう。それは、給料分の仕事ができない人にとっても決して良い社会ではないということを知らねばならない。

 あなたが目にする「ブラック企業論」の中に、労働者の資質(生産性)というものが全く書かれていない論文があれば、少し疑った方が良いかもしれない。「ブラック労働者論」に言及しない「ブラック企業論」には注意しよう。

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