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テレビドラマで考える「靖国参拝」問題

2014010501■靖国神社の参拝客増加が意味するもの

 昨年(2013年)末に突然、安倍総理が靖国神社に参拝したことで物議を醸しているが、皮肉なことに、今年(2014年)の靖国神社の一般参拝客は例年よりも増加したらしい。
 これだけ話題になれば、一度は行ってみたいという人が増えるのは当然の成り行きとは言え、国民全体としては、安倍総理の靖国参拝を肯定的に捉えている…と言うよりも、特に問題視していない人が多かったということの証左なのだろうと思う。少なくとも世間一般の人々は、中国や韓国が大騒ぎするほどの重大事とは捉えていないということなのだろう。

 安倍総理が靖国神社を参拝したことでアメリカが「失望」したと伝えられており、世界的にもあまり良い評価は聞こえてこないが、アメリカを始めとした、その他各国の意見はおそらく、現在のように中国との緊張関係が高まっている中で、挑発的な行為と受け取られかねないような行動を安倍総理が採ったことに対するリスク論なのだろうと思う。
 彼らは、人道的な善悪論として安倍総理を否定しているのではなく、リスク論として批判していると考えるのが妥当な判断だろうと思う。中国と韓国を除く世界各国の人々にとっては、日本の内政問題などは特に興味もなく、関心が有るのは自国の経済にも悪影響を与えかえない国際(アジア)情勢の悪化のみである。

 また、今回の安倍総理の行動によって「失望売りで一時的に株価が下がった」と言っている人もいるが、実際のところは、中国との外交リスクが一時的に高まったことにより、リスク回避のために株式を売却(空売りも含む)した人がいただけであり、人道的な意味での評価ではないことは言うまでもない。

■サスペンスドラマのような日中・日韓関係

 中国は今回の安倍総理の行動に対して、殊更に「平和」という言葉を使用しているが、よくもまあ、「平和」などという言葉が出てくるものだと感心してしまう。相次ぐ尖閣への挑発行為や、防空識別圏の設定など、どう考えても「平和」と対極にある行動をとっていると思われる国が「平和」とはお笑いである。

 そもそも日本の総理大臣が靖国神社に参拝せずに大人しくしていれば、日中・日韓関係は良くなっていくのだろうか?
 日本は未来永劫、中国や韓国に謝罪していれば、それで本当にお互いの平和が維持されるのか?と考えると、疑わしいと言わざるを得ない。

 もう1つ、そもそも論として言うなら、中国には、日本のような謝罪すれば全てを水に流す(=許す)という文化が無い。テレビドラマ『半沢直樹』にあったような土下座は、中国では「許し」ではなく「服従」を意味する。一言で言えば、「謝罪は美徳とは映らない」のである。ゆえに、1度、謝罪した者が謝罪しなくなるということが受け入れられないということになってしまうわけだ。(現実にそうなっている)
 つまり、謝罪することが友好関係を築くということにはならず、謝罪することが隷属関係を深めることになってしまうのである。
 友好関係を築く上で必要なものとは何だろうか? それは「許容(寛容)の精神」だ。それはお互いを正しく知ろうとする姿勢からしか生まれてこない。しかし、現在の日中・日韓関係に有るのは「怨恨」と「謝罪」だけであり、これではいつまで経っても、「怨恨」と「謝罪」の無限ループに陥るだけである。

 よくテレビのサスペンスドラマなどを観ていると、「強請(ゆすり)」のシーンを見かける。例えば、窃盗や不倫行為を目撃した人物(ヤクザ者)が、初めは「100万円で黙っといてやる」ということで済まそうとするが、味をしめた目撃犯は、何度も強請を迫る。これはサスペンスドラマの王道だ。
 現在の中国や韓国を観ていると、そういったサスペンスドラマのシーンを彷彿をさせる。中国や韓国が言うところの、歴史的な『虐殺事件』や『強姦事件』が本当に伝えられているような規模で有ったのかどうかも未だ確たる証拠も無い状況下で、必要であるかどうかも不明な謝罪を何度行っても許す気が無いということであれば、何十年、何百年経っても、何の解決にもならず、「お互いの平和など未来永劫訪れない」と自ら表明しているようなものである。

■謝罪外交によって齎される不条理な暗黒社会

 少しオーバーかもしれないが、例えば1000年後に日本政府が中国政府に謝罪している姿を思い浮かべてみよう。20世紀に有った戦争について30世紀の人が未だに謝罪しているシーンを思い浮かべれば、その姿はあまりにも滑稽に映ると思う。
 しかし、無条件(無期限)に謝罪外交を続けることは、そういった不条理で暗黒的な未来を現実にするということに他ならない。

 国内でも「靖国参拝は是か非か?」という意見が百花繚乱状態になっているが、賛成論と反対論が真っ二つに分かれているのはもとより、賛成論の中にも、否定論の中にも微妙な違いが有るようだ。
 私は基本的に「賛成」の立場だが、この問題をいくら論理的に述べても無駄だと思われる。論理的に諭しても理解できない人は、自分の目で見なければ納得しないという人がほとんどだろうから、タイムマシンにでも乗せて、過去に起こった現実をその目で確認させるようなことでもしないと納得させることは難しいのではないかと思う。
 現代人である我々がタイムマシンを見ることは、まず有り得ないだろうから、説得するのは限りなく不可能に近いということになる。
 だからと言って、議論する必要が無いと言うわけではなく、議論してもなかなか解決に向かわないというところが実に嘆かわしい。こんな不毛な議論の元を作り出した人が誰であれ、その罪は海よりも深いと言わざるを得ない。

 最後に一言、言わせていただくと、左翼の人々がなぜ靖国神社の参拝の是非に言及するのか不思議で仕方がない。中国政府よろしく、生粋の左翼であれば、神社仏閣に参拝することは全て悪(無用)のはずなので、特定の神社の参拝に拘ること自体が自己矛盾とも言える。この国の左翼の人々は、この皮肉が理解できるのだろうか?

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