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『脱原発論者』が感情的な理由【失恋脳という病】

2014021401■「放射脳」の別名「失恋脳」

 周回遅れの『原発選挙』となった『東京都知事選挙』は、多くの人が予想していた通り、舛添氏の当選ということで落ち着いたようだが、目下のところ、当選した舛添氏よりも、落選した側の小泉氏や田母神氏の方が世間の注目を浴びているかに見える。

 各メディアで本音の正論を堂々と述べていた田母神氏よりも、本音と建前を上手く使い分けていた舛添氏の方が万人受けしたということなのだろうと思う。逆に、建前のみに固執した候補者達はものの見事に総スカンを食らった格好となった。
 もし私が東京都民であったなら、(舛添氏が当選するだろうことはほぼ見えていたので)応援票として田母神氏に投票していたかもしれない。

 いずれにしても「即原発ゼロ」などという無責任極まりない妄想を支持する都民が多数派にならなかったことは幸いだった。もし本当に「即原発ゼロ」などというものが国是になってしまうと、日本の将来はお先真っ暗になるところだった。無論、「停電になる」という意味でのシャレではない。
 「そんなオーバーな…」と言う人がいるかもしれないが、まんざらオーバーな話でないことは、物事を理性的に考えられる人であれば素直に理解できると思う。

 「即原発ゼロ」を訴えているような人というのは、傍から眺めていても、理性的なタイプとは程遠いという印象を受ける。
 誰が考えたのか知らないが、ネット界隈では「放射脳」という言葉をよく見かける。理性的な判断ができない脱原発論者を揶揄した言葉であるらしいが、言い得て妙なネットスラングだと思う。私なりに別の言葉に置き換えさせてもらうと「失恋脳」ということにもなるだろうか。脱原発論者というのは、良く言えば、極めて女性的な傷つきやすいタイプの人なのだろうと思う。(注:意図的に脱原発を訴えている人は別)

■「恋愛感情」と似通った「原発感情」

 たった今、失恋したばかりの人に理性的な言葉で慰めても通じない。このことは(劇的な)失恋経験の有る人であれば、よく解るのではないかと思う。
 失恋して心に傷を負ったばかりの人に、「失恋なんて、5年もすれば何とも思わないようになりますよ。10年もすれば美しい思い出に変わりますよ」と言っても無駄である。なぜなら、傷心した人の心は感情が膨張し、理性が冬眠している状態に近く、「恋の病」という躁状態とは真逆の「失恋の病」という鬱状態に陥っているため、如何に正論であろうとも理性的な言葉は全く通じなくなる。
 失恋感情が暴走してしまうと、時には自殺するというような悲劇まで生まれてしまうことは周知の通りであり、数年経てば笑って済ませる話でも、現在ただいま失恋病を患っている患者にとっては、至って真面目な重大事となる。

 原発事故によって脱原発論者達が陥った心境も、「信じていた人に裏切られた」というような失恋感情と非常に似通っていたのではないかと想像する。
 「私を裏切った男を許せない」というような感じで、「私を裏切った原発を許せない」という感情が膨張し、ひどい場合は、その男(原発)が自分自身の前から永遠に姿を消さなければ気が済まないということになってしまう。それが「放射脳」もとい「失恋脳」というものの正体である。
 端的に言えば、妄想が膨張し理性を失っている精神的バブル状態なのだが、失恋者同様に“自分中心に世の中が回っている”という錯覚を抱いている状態に近い。そういう意味では、現代の天動説論者と言えるのかもしれない。

■「脱原発」バブルは必ず崩壊する

 福島原発事故から、既に3年が経過しようとしているので、軽度の「失恋病」を患った程度の人は病が癒えつつあるのか、最近は以前ほど感情的な意見は聞かれなくなってきた。私がたまに脱原発の批判記事を書いても、以前ほど感情的な反論は返ってこなくなったので、そのことは実感としても感じられる。

 「脱原発」バブルは、近い将来必ず崩壊すると思われるので、利口な人は、その未来の姿を本能的に感じ取っているようだ。原発論議のシロクロは徐々に明白になってくると思われるが、もういい加減に「失恋の病」(理性の冬眠)から目を覚ましてもよい頃合いだと思う。
 恰も大失恋者であるかの如く、悲劇の主人公を演じることで憂さを晴らすのも結構だが、その独りよがりの独善を他人にまで強要するのは間違っている。失恋感を持つに至らなかった理性的な人にまで、毎年1人数万円もの不必要な電気代を強要し、経済を衰退させることに目を瞑れと言う資格は誰にも無い。
 長期的な「脱原発」はともかくとして、「即脱原発」などと言っているのは、どう考えても多数派では有り得ないし、そのことは都知事選でも判明した。民主主義の基本原則から言っても、「即脱原発」を認める理由はもはや消滅したと言っても過言ではない。

 年間数兆円もの不必要な無駄金を垂れ流すぐらいなら、そのお金を生活保護や介護費用、または定額給付金としてバラまいた方がよっぽどましだと言える。実際、数兆円ものお金があれば多くの命を救うことができる。
 「即脱原発」などと言って、本当に救える命には目も向けずに、起こるかどうかも判らない危機を煽る人々とは、一体何が目的で行動しているのだろうか?

 「原発はいらない、経済成長もいらない、オリンピックもいらない」というような台詞は、本当に国の将来を憂いた言葉なのだろうか? 国民の将来ではなく己個人の将来しか考えていないのではないか?ということを自問自答してみることをオススメする。

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