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サスペンスドラマのような『STAP細胞』騒動

2014041901■二律背反する笹井氏の謝罪会見

 小保方氏の会見から1週間後、キーマンとされる理化学研究所の笹井芳樹氏が記者会見を開いた。3時間にも及んだ笹井氏の会見を二言に要約すれば次のようになるだろうか。

 「STAP論文は撤回が適切
 「STAP現象は合理性の高い仮説として検証する必要がある

 一見(一聴)、当たり障りのない真っ当な謝罪っぽいのだが、「STAP論文は撤回が最も適切」と言っておきながら、「STAP現象は最も有力な仮説なので検証する必要がある」と言うのでは、どっち付かずの玉虫色会見だったと揶揄されても仕方がないような気がする。

 上記の2つの認識を持った人物であれば、普通なら上司として以下のように言うのが妥当ではないかと思う。

 「STAP論文の撤回はやむを得ないが、STAP現象は合理性の高い仮説なので、小保方氏に検証するチャンスを与えてやってください。」

 あるいは、

 「論文の発表過程は不適切だったが、そのことがSTAP現象を否定することにはならないので、小保方氏による今後の研究結果をお待ちください。」

 こういう風に言えば納得できたかもしれないが、今後の検証過程に小保方氏の名前が出てこないのでは筋が通らず素直に納得するわけにはいかない。小保方氏以外の人間がSTAP現象の再現ができるという保証はどこにもない(実際に誰もが「できなかった」と言っている)わけだから、当の本人を無視した検証作業で、真偽が判明するとは思えない。
 これでは、始めから「STAP細胞は無い」という前提での検証作業にしかならないのではないか?と疑いたくもなる。

 もし、笹井氏が端から“STAP細胞は無い”と認識しているのであれば、今回の謝罪会見は、理化学研究所員としての言い訳として成立するかもしれないが、笹井氏本人がSTAP細胞の存在を明確には否定していないわけだから、明らかに不自然だと言わざるを得ない。
 
■一般常識を無視する非常識な「推定有罪論者達」

 「科学者なら科学的な証拠を出さなければ話にならない」という批判もよく耳にするが、実際にその通りであり、一番てっとり早い方法は、小保方氏本人に実際に検証してもらい、真偽のほどを直接確認すればいい。
 ところが、今回の会見でも「検証は必要」と言いながら、小保方氏の名前が出てこなかった。まさか、論文にミスが有ったから検証させるわけにはいかないということなのだろうか?

 テレビで批判している科学者や評論家などを見ていると、なにやら、STAP細胞の発見よりもSTAP細胞の論文の方が大事だと言わんばかりの人もいる。
 しかし、重要なことは小保方氏本人は論文の不備は認めながらも、STAP細胞の存在は否定していないということである。本人が「嘘は言っていない」と述べているにも拘わらず、まるで既成の事実であるかのように嘘つき呼ばわりすることは、「推定有罪論」に他ならない。

 本人が罪を認めていないのだから、「推定無罪」として扱うのが民主主義の基本原則であり、その科学以前の一般常識を無視している科学者があまりにも多く見受けられる。後にも述べるが、科学者が無視して許されるのは、「科学の常識」のみである。
 「推定有罪論」が「魔女狩り思想」に結び付くことは言うまでもないところだが、「無辜の民を罰してはならない」とする「推定無罪」の原則を無視したせっかちな人々が多いことには呆れてしまう。

■『STAP細胞』は『パンドラの箱』?

 今回の一連の出来事を観察していると、まるでよくできたサスペンスドラマのようですらある。扱われている題材からして、WOWOWのテレビドラマ『パンドラ』シリーズを彷佛とさせるものがある。

 『パンドラ』シリーズは、「がんの特効薬」を発見した医者や、「奇跡の遺伝子組替食料」を発明した科学者など、一瞬にして世界を塗り変える大発見をしたことによって、主人公に齎される様々な禍いを描いたドラマであり、その画期的な発明品をギリシャ神話の『パンドラの箱』になぞらえて製作された井上由美子原作の傑作ミステリードラマだ。
 今回の一連の騒動を見ていて、ドラマ『パンドラ(STAP細胞編)』でも観ているかのような気分になったのは、きっと私だけではないと思う。

 フィクションドラマ的な視点で今回の『STAP細胞』騒動を眺めてみると、全く違ったストーリーが浮かび上がってきそうで面白い。案外、「現実はテレビドラマより奇なり」というような感じかもしれない。

 こう書くと、「テレビドラマと一緒にするのは非科学的だ!」と言うような人がいるかもしれないが、時にはそういった融通性も併せ持たないと、物事の真相というものを遠避けることもある。
 科学者でもない私が言うのも変な話だが、古今東西、科学の進歩というものは常識(一般常識のことではない)との闘いだったわけで、既存の常識に囚われた科学者ほど滑稽なものはない。

 常識の蚊帳の外に目を向けることができない科学者は、もはや科学者であって科学者ではない。理化学的な知識を有していることだけが科学者の必要条件ではないはずだ。未知なるものを素直に探求する姿勢を持っていることこそが最も重要な科学者としての資質だろう。
 STAP細胞の真偽に関係なく、そんな当たり前のこと(=科学の本質)にも気が付かず、一般常識のみを都合よく無視する似非科学者の存在にも目を向けるべきかもしれない。

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コメント

「推定有罪論」は、一見もっともなようだが、「もんじゅ」も「理論上はできる」として既に2蝶千億円も投じられ何の成果も無い。税金である。理研も税金だ。一個人だけが「見た」というからと、世界中の科学者が再現できないのを、いくら迄投資すれば「無い」と納得できるのか。未熟な本人が間違いと認める迄か。既に騒動になった時点で笹井丹波両氏と小保方本人が実験して、再現できなかった、この事実はどうなる?

投稿: ヨウカワ | 2014年4月30日 (水) 14時15分

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