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2014年5月

「原発停止」判決から派生する「いつか来た道」

2014052401■「原発停止」と「思考停止」

 漫画「美味しんぼ」の風説の流布問題では、どういう風の吹き回しか、意外にも冷静な判断をしている世論に驚かされた。これでようやく非科学的な放射能(放射脳)問題も収束に向かうかもしれない…と安堵していた矢先に、冷や水を浴びせられるかのように大飯原発の再稼動中止の判決が出され、またまた(悪夢のような)現実に引き戻される格好になってしまった。

 この判決が出たことで、「司法は生きていた」と書かれた垂れ幕が大々的にテレビに映されていたが、個人的には「司法は思考停止だった」と書いた方がよいのではないかとさえ思えた。まさか地裁の段階でのリップサービスというわけでもないだろう。
 関西電力側は判決を不服だとして控訴したそうだが、これは至極もっともな判断だろうと思う。

 原発の近隣住民からすれば、多少、電気代は騰がっても原発を停止してくれた方が安全で有り難いという気持ちも人情的には理解できなくはないが、本来、原発停止の是非は国単位で考えるのが基本であって、地域単位で考えるべきものではない。

 こう書くと、「では、お前が原発の横に住んでみろ!」とかいう非論理的な批判が返ってくるかもしれないが、その言葉はそっくりそのままお返しする。「では、あなたは原発の横に住んでいるのですか?」と。
 もし本当に住んでいるということなら、こう返答しよう。「私なら引っ越しますので、原発の横に住むことはありません。」と。

 ということで、そのような批判は不毛な水掛け論にしか成り得ず、お互いに時間の無駄だと思われるので、ご遠慮願う。それでも水掛け論に拘るというのであれば、自分自身でブログでも立ち上げて、自らの考えを世に問うてみることをオススメする。

■掛け捨て型の「地震保険」に強制加入させられている日本国民

 よく知られているように、原発が停止していることで失っている国富は毎年3兆円をゆうに超えている。それを原因とした電気代の高騰により、企業を除いた一般家庭の電気代負担増加額は既に年間2万円を超えており、このままいくと今後も増え続けることが確実視されている。

 これは、ある意味、日本全国の国民が無条件で掛け捨て型の「地震保険」にでも加入させられているようなものである。しかも、地震で家が潰れても保障されないというオマケ付きだ。(「掛け捨て」ではなく「無駄金」という意味)

 世の中には様々な保険制度というものが有るが、「地震保険」などというものは起こる確率から考えても基本的に「任意保険」であるべきものである。

 現在、「原発を稼動して電気代が騰がらないようにしてほしい」という意見は、おそらく全国民の過半数を大幅に超えていることは疑いの余地がない。そんな状況を無視し、全国民に高騰した電気代を支払うことを義務付けるような判決が簡単に出てしまうということは、完全に民主主義に反しており、「司法は思考停止だった」と思われても仕方がないと言える。

 こう書くと、「電気代の方が命よりも大事なのか!」というようなお門違いな批判が返ってくるかもしれないが、「命よりも電気代の方が大事」などと本気で思っているような人がいるわけがないだろう。
 大体、「ほんの少しでもリスクが有れば保険は必要だ」と言うのであれば、その人物は、お金の許す限り、ありとあらゆる保険(生命保険、医療保険、障害保険、火災保険、盗難保険 etc.)に加入しなければ辻褄が合わなくなるが、本当にそんなことをしているのだろうか?

■「兵糧攻め」の危機に気が付かない平和主義者達

 民主主義というものは基本的に多数決で物事が決まるという制度であるので、愚かな国民が過半数を占めると間違った判断が為された場合にもそれに甘んじて従うしかないという不完全な代物だが、現在の日本の現状は、国民の過半数が原発を稼動することを望んでいる状況であるにも拘わらず、原発が稼動できなくなっている。これでは、もはや民主主義ではないことは言うまでもないが、衆愚政にすらなっていない。

 現在は、中国が東南アジア諸国にチョッカイを出していることが報道され騒がれ出しているが、もし、中東から日本へ石油等の燃料が運ばれてくる海路(所謂、シーレーン)を中国に封鎖されてしまうようなことがあれば、日本には化石燃料がまともに入って来なくなるという危険性がある。その場合、原発が命綱になるだろうことは、少し考えれば解りそうなものだが、この国では、そんな簡単なことにも全く気付かない善意の破壊者(テロリスト)が跋扈している。

 日本の原発を止めて喜ぶのは日本近隣の反日国家であることは言うまでもないところだが、既に水面下ではプロパガンダを利用した思想戦が始まっているということにこそ危機感を持つべき時代だ。

 簡単に言えば、「原発停止」は反日と無関係ではなく「兵糧攻め」に直結している。

 「兵糧攻め」とは戦国時代の兵法の1つだが、中国を舞台にした漫画にもよく出てくる。一昔前なら『三国志』、現在なら『キングダム』を読めば、「兵糧攻め」というものがどういうものか分かると思うが、シーレーンを封鎖し、原発を止めてしまえば、日本は完全に「兵糧攻め」に追い込まれることになる。この場合、食料の「兵糧攻め」ではなく、電気の「兵糧攻め」である。
 先に「命」と「電気代」の話をしたが、「兵糧(=電気)」が無ければ「命」は救えない。このロジックを無視した意見は、ただの詭弁でしかない。

 中国がシーレーンを封鎖するまでもなく、中東で戦争でも勃発すれば、石油やガソリンがまともに入ってこなくなる可能性もある。その場合、当然、ガソリン車は動かなくなるが、電気自動車は動かせる。しかし、頼みの原発が無ければ、電気自動車すら不動資産と化し、日本経済は直ぐさま三流国家に堕することになり、嫌が上にも戦争に突入しなければならなくなる。その道は、まさしく「いつか来た道」である。

 大地震の起こる万が一のリスクよりも、人為的であれ地政学的であれ「兵糧攻め」という、今そこにある危機にこそ目を向ける必要がある。原発稼働停止で喜んでいるのは原発近隣の住民や平和主義者だけではないという現実が見えれば、「司法は生きていた」などとは到底言えない。「原発稼動停止」=「兵糧攻め賛成」と考えれば、まさしく、「司法は思考停止している」と言える。

 戦争を否定し「平和」を叫んでいる人々が、実は戦争を招き寄せているという皮肉な現実にこそ気が付くべきなのだ。

【追記】2014.5.25

 文中、「原発のに住まない」と書いたことで、「原発の近隣に住まない」と勝手に拡大解釈している人がいるようなので補足しておきますが、私が言っているのは「近隣」ではなく「真横」です。原発が自宅の隣にできれば引っ越すという意味なので曲解のないように願います。

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「すき家」の誤算【見えない付加価値】

2014051601■英断とはならなかった「すき家」の賭け

 消費税の増税によって、あらゆる業界の様々な商品が値上げされる中、一部の企業は勇敢にも値下げに踏み切った。この逆張りで功を奏した企業も一部には有ると思われるが、残念ながら功を奏さなかったかに見える企業も出てきつつある。その典型的な一例が、牛丼の「すき家」を経営するゼンショーホールディングスだと言えるだろうか。

 ゼンショーの場合、多角的な経営を行っていることもあり、「すき家」が失敗しただけで直ぐさま経営難に陥るということもなさそうだが、他の牛丼メーカーが値上げする中にあって、独り、値下げに踏み切った判断は、残念ながら英断とはならなかったようだ。

 消費税の増税を機に、価格を改訂する場合には、基本的には以下の6つのケースのどれかを選択しなければならない。

 1、商品に付加価値を付けて値上げする。
 2、商品はそのままで値上げする。
 3、商品価値を下げて値上げする。
 4、商品に付加価値を付けて値下げする。
 5、商品はそのままで値下げする。
 6、商品価値を下げて値下げする。

 「値下げする」という心意気は評価されるべきかもしれないが、時代的背景を鑑みれば、この6つのパターンで最もリスクが高く失敗する可能性が高いのは「」である。

 「吉野家」が「1」を選択したことはよく知られているが、「すき家」は「5」を選択したように見えて、実質的には「4」を選択していた。

■「すき家」に存在した目に見えない付加価値とは?

 では、「すき家」が値下げと共に付けた付加価値とは何だったのか?
 それは、調理オペレーター(従業員)の能力向上(能率化)という見えない付加価値だった。
 昨年あたりから、各牛丼メーカーは試行錯誤の末、牛丼以外の商品を数多く投入し、調理作業が複雑化していたこともよく知られている。
 「すき家」の場合、夜間勤務は1人(ワンオペ)で行うというコンビニ的な運営をしていたので、従業員からは「1人では切り盛りできない」という苦情も出ていたらしいが、なぜか消費税増税直前に、図ったかのように多くの従業員が退職してしまったらしく、全国に2000店舗以上もある「すき家」の実に1割近い180店舗が未だに営業停止中(パワーアップ工事中)になっている。

 3月・4月は卒業・入学のシーズンなので、もともとアルバイトの入れ替えが激しい時期だとはいえ、いきなり1割近くもの店舗が営業停止に追い込まれるという事態は尋常ではなく、他に事情が有るだろうことは誰でも容易に想像がつく。
 消費税が増税されても「牛丼価格をなお下げる」という発表を目の当たりにした彼ら従業員の脳裏に浮かんだことは、「仕事がどれだけ合理化されても待遇は変わらない」という虚しい諦観だったのかもしれない。

 消費税が増税されると、消費者はより安価な商品に向かうという発想、これはこれまでのデフレ思考が定着した日本社会のお決まりの姿だった。
 しかしながら、少しは景気が良くなってきた(?)というマスコミ報道も手伝ってか、消費者の趣向はほんの少しづつ変化してきつつあり、それがここ最近、消費者の牛丼離れを齎していた1つの原因でもあった。

 ファストフード的な感覚でマニュアル的に手早く調理できる牛丼であれば、多少、お客の増減があっても素早く対応することができたが、手間のかかるすき焼きなどがメニューにどんどん追加されていくと、調理する側も、待たされる客もストレスを感じてしまい、その悪循環が積り積れば、客離れ、あるいは従業員離れという負の現象が生じてしまうことになる。

■着目すべきは「時間給」ではなく「仕事量」

 既に結果論だが、「すき家」が行うべきは、他店に倣って素直に商品価格を上げた上で、浮いた資金(今回、値下げした分の資金)で従業員を追加補充することだったのではないかと思う。「(好)機を見るに敏(感)」という言葉があるが、今回の場合は、「(景)を見るに敏」になるべきだった。景気を見るに敏感であってこそ、値上げする絶好の機会を活かすべきだった。

 現在は店舗のアルバイト募集広告に手書きで時給がアップされているそうだが、退職した従業員達が願っていたことは、単に目に見える時給を上げることではなくて、仕事量を減少させるという意味での改善であり、目に見えない待遇アップだったのではないかと思う。換言すれば、仕事量に見合った勤務体系をこそ期待したのだろうと思う。

 先日、巷では「ファストフード店の時給を1500円以上にせよ!」というデモが行われたそうだが、時給を1500円にしたからといって問題が解決するわけではない。このデモに「すき家」の元店員が混じっていたのかどうか定かではないが、今回、退職を決断した人々が単に時給を3割程上げれば戻ってくるか?というとかなり疑わしいと思う。仕事が忙し過ぎることが原因で辞めた人が、忙しい環境はそのままの状態で、単に時給を上げれば仕事に復帰するかというと、そうはならないだろう。

 もっとも、時給が3割上がれば、商品価格もある程度上げざるを得ないので、その結果、客数は減少して仕事が暇になるということは充分に起こり得る。そこまで考えた上で時給を「1500円にせよ!」と言っているのであればまだ納得できる。しかし、逆に暇に成り過ぎたせいで今度は失業の憂き目にあう可能性も否定できないということも併せて考える必要がある。

 そもそも、時間給というものは、働こうか働くまいが結果(給料)は変わらないという極めて不合理な給料制度である。客がどれだけ来店しようがしまいが、結果(給料)は同じ、これでは、繁盛すればするほど従業員がやる気をなくすのは目に見えている。

 「すき家」にも、能力や経験に応じて昇給するという制度があるそうだが、実際にこれだけ多くの退職者が出たということは、退職した従業員にとっては「割に合わなかった」ということの証左なのだろう。
 すき家従業員の「ボイコット」だったと言えるのかもしれないが、世間を騒がせたこの負の現象がデフレ思考脱却のターニングポイントになってくれれば、日本全体としてはデフレ病が緩和される過程で生じる好転反応だったと言える日が来るのかもしれない。
(注意)ここで述べた「デフレ」は、一般的な「デフレ」のことではなく、「デフレ思考」という日本特有の「精神的デフレ」を意味する。

 個人的には特に「すき家」に怨みが有るわけでもないので、少しだけフォローも書いておこうと思う。
 最近の「すき家」批判に便乗してか、誤解を招くような姑息な便乗批判も行われているようだ。例えば、5月15日に掲載された朝日新聞の記事に対してゼンショー側がホームページ(ゼンショーニュース)で遺憾の意を表明している。

【ゼンショーニュース】本日の朝日新聞記事について

 読めば判る通り、これなどは、マスコミお得意の言葉狩り(印象操作)とも言えそうだが、もし、わざと書いているのであれば悪質極まりない。批判をするにしても、もう少し真っ当な批判をしていただきたいものだ。

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「STAP細胞は無い」と判断した理化学研究所の未来

2014050901_2■敵対関係にあるようにしか見えない理研と小保方氏

 小保方氏の会見から早1ヶ月が経過したが、この問題で迷走していた理研は早々に結論を出してしまったようだ。曰く「STAP細胞論文問題の再調査はしない」と。
 これを聞いた小保方氏は絶句したと伝えられているが、そのショックの程は察するに余りある。

 山梨大の若山氏の突然の論文撤回宣言から始まった今回のSTAP細胞疑惑問題だったが、同じ理研という組織に所属する研究者に対する扱いがこれ(あまりにも強引な責任逃れ)では、不自然を通り越して疑念を抱いた人も案外多いのではないかと思う。
 傍から観ていると、理研と小保方氏は同一の組織の人間というよりも敵対する組織の人間という感じだ。

 小保方氏やバカンティ教授が「STAP細胞は有る」と言っている状況下で、これだけ早く、しかも、ろくに検証もせずに結果を出すというのは、常識的に考えても不自然極まりないが、見方によっては科学者の姿勢そのものを捨ててしまったようにも見える。
 同じ組織の人間を守るというような姿勢も全く感じられず、非常に冷酷で融通の利かない組織という印象を受ける。

 「理研の研究費用は国民の税金で賄われているので、無駄な研究費用は使用できない」というもっともらしい意見も聞かれるが、もし本当にSTAP細胞が存在した場合、理研は一体どう責任を取るつもりなのだろうか?

■日本での科学研究が不要になる危険性

 聞いたところでは、アメリカのバカンティ教授は小保方氏に「アメリカに戻って来なさい」と伝え、中国の科学者などは水面下で小保方氏にラブコールを贈っているそうだが、もし、小保方氏が日本を出て行き、他国でSTAP細胞の特許が認定された場合、日本は、みすみす何兆円(あるいはそれ以上)もの国富を失うことになる。そして、重要なことは、そうなる可能性は「」とは言えないということである。

 もし本当にそんな事態になると、それこそ理研という組織に国民の税金を注ぎ込むこと自体が無駄だということになってしまう。理研という組織は国民の税金(今年度は844億円)によって成り立っている組織であるが、それは、科学的な研究を通じて国民生活の向上に貢献してくれるだろうという暗黙の了解で国民は無条件に投資を行っているわけだ。

 もし、その組織が、研究論文の体裁にこだわるあまり、国富を増大させる可能性を持った世紀の大発明を無視し、その特許権を海外に手渡してしまったということになれば、当然、その組織の存在自体が問われることになってしまう。科学研究は海外でやれば事足りるということになり、日本の科学者は誰もいなくなったということになってしまいかねない。
 そうならないという絶対的な確信(証拠)を持って今回の判断を行ったのかどうかは、これまでの推移を見る限りでは非常に疑わしい。時間的なことを考えても、単に、これ以上、騒ぎが大きくなることを避けるという理由で判断したのではないか?とさえ思える。

 今回の騒動を観て、日本に愛想を尽かして出ていった青色発光ダイオードの中村修二氏のような結果になりそうな予感がするのは私だけだろうか? 個人的には、小保方氏は海外で成功した方が良いような気もするが、国民感情としては日本で成功してほしいという複雑な気分だ。

■あるラーメン店の喩え話

 世間一般の人々は、今回の騒動を見て端から“小保方氏は嘘を付いている”という前提(思い込み)で批判しているように見受けられるが、残念ながら小保方氏が嘘を付いているということが証明されたわけではないし、STAP細胞自体も存在しないことが証明されたわけでもない。あくまでも現時点では、どのように正論っぽく見える批判であろうと、全ては推測の域を出ていない批判であるということを忘れてはいけない。もちろん、擁護する側の意見も推測を域を出ていないのは言うまでもない。

 しかし、「STAP細胞の再調査はしない」というような結論を早々に出したということは、理研側は「小保方氏が不正を行い、嘘を付いていた」という判断をしたということになるわけだが、そうなると、先月の笹井氏の会見は一体なんだったのか?という疑念が生じてしまう。理研は笹井氏の発言はデタラメな詭弁だったということを認めてしまうことになるが、本当にそれで良いのだろうか?

 ところで、今回のSTAP細胞報道では、何度か「レシピ」という言葉を耳にした。STAP細胞の作成には、秘伝のスープの如く、特別な「レシピ」が有るというようなことが伝えられていた。
 小保方氏が会見の場でSTAP細胞のレシピを明らかにしなかったことで大きな疑惑が生じてしまったわけだが、喩えは悪いかもしれないが、このレシピ問題をラーメン店に置き換えて考えてみると、面白いかもしれない。

 ●注意:以下の喩え話は、あくまでもフィクションです。

 ある若いラーメン店の店主が、世界中の人々の舌を唸らせる絶妙なスープ作りに成功した。

 そのラーメン店の店主は、その「レシピ」が他人に盗まれるのを避けるため、極力、「レシピ」の内容は記載しないように努めていた。
 ところが、別のラーメン店の店主が、「そんなレシピもスープも存在しない。有るというなら、その証拠(レシピの詳細)を見せてみろ」と言ってきた。

 店主は困った。レシピの全てを公にしてしまうと、他店にレシピを盗まれてしまい、自分の店の商売が成り立たなくなってしまう。
 そのため、ラーメン店の店主は少しだけレシピの説明を書いたメモ書きを皆に配った。
 多くのラーメン店がそのメモ通りにスープをこしらえたが、誰も同じ味にすることはできなかった。
 すると、人々はこう言った。

 「あの店主はやっぱり嘘を付いていたのだ。レシピの研究日記や具材の詳細が書かれたメモが無いというのもおかしい。やっぱり、あの店主は嘘付きだったのだ。」

 突然、そういった批判が出てきたため、店主は会見を開くことになった。
 その場に集った人々はこう言って詰め寄ってきた。

 「あのスープが幻で無いと言うなら、レシピの詳細を全て提出してくれませんか?」

 店主は困った。レシピは覚えているが、詳細はどこにも書いていない。まだ賞も受賞していないのに、その内容を全てこの場で発表すれば、今までの努力が水泡と化し、レシピを盗まれてしまいかねない。取り敢えず、今は黙って謝罪しておくしかない…。

 その店主は言うに言えないジレンマのため心労で入院することになったが、1ヶ月後、ラーメン協会からこう言われた。

 「あのスープが本物であるのか偽物であるのかの調査はもうしません。」

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