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朝日新聞社に訪れた「厄年」

2014091401■朝日新聞の謝罪行為はリスクヘッジ?

 このところのネット言論の話題の中心は、言うまでもなく「朝日新聞」であり、ネット用語で表現するなら、完全に「炎上状態」に陥ってしまったとも言えるだろうか。
 朝日新聞と言えば、ネット界隈では「報」とか「朝日(ちょうにち)新聞」とも揶揄されるほど中国寄りの反日新聞というイメージが定着した感があるが、慰安婦報道問題に追い打ちをかけるかのように吉田調書の誤報問題まで騒がれ出し、傍から眺めていると、まるで朝日新聞社にとっての厄年でも訪れたのではないか?という錯覚さえ覚える。

 これまで強大な権力を誇り我が物顔で言論界に君臨してきた朝日新聞社が公衆の面前でこれだけ大々的な謝罪を行うということはなかったことであり、時代の変化を感じざるを得ない。
 あるいは、大衆迎合ということで、時代の空気を敏感に感じ取った朝日新聞社がリスクヘッジの意味合いで、方針転換を計ったのかもしれないが、いずれにせよ、これ以上、嘘を付き通すことは得策ではないと判断したのだろうと思う。
 しかし、この事態に気をよくしたのか、普段は事勿れ主義で黙りを決め込んでいる評論家や学者達も、朝日新聞に対して批判的な意見を遠慮なく述べているように見える。これは言論の自由という意味でも実に良いことだと思う。

■朝日新聞を購読している人々の共通点

 私も子供の頃は親が一時的に朝日新聞を取っていたことがあるので、「天声人語」などは少し読んでいたことがあるが、現在でも一方向的で権力やスポンサーにベッタリの建前記事は読んでいても面白くないし興味も湧かないので、目を通す程度でほとんど新聞は読んでいない。

 昔から「朝日新聞」はインテリが読む新聞というイメージが強かったせいか、今でもクオリティペーパーとして隅から隅まで読んでいる人が大勢いるらしい。
 私は基本的にノンポリだったので、誰がどの新聞を読んでいるのかということには全く興味もなかったのだが、様々な人との出会いを通して気付いたことがある。それは、読んでいる新聞によって、その人物の思想信条が垣間見えるということだった。
 
 人生の途上で出会い、別れた友人・知人は何人もいるが、左翼系の人というのは必ずと言っていいほど朝日新聞派だった。私から「何新聞を読んでいるのか?」と聞いたわけではなくて、なぜか自分の方から、朝日新聞を読んでいることを自慢する人が多かった。不思議なことに若い頃にマルクスに被れたような人が多かったと記憶している。そういう経験もあってか、かなり前から「朝日新聞というものは、マルクス主義と非常に相性がよい新聞なんだろうな…」と勝手に推測していたのだが、その推測があながち間違いでなかったことは、そのうちハッキリと分かるようになった。

■朝日が先か、マルクスが先か?

 言わずと知れたことだが、中国や北朝鮮という国は、マルクス主義を信奉している国である。マルクス・レーニン主義という20世紀に全世界を覆い尽くしたカルト教はソ連の崩壊によって一度消滅したかに思われたが、中国の台頭によって急速に息を吹き返しつつあり、左翼の人々にとっては(絶対に口にはしないが)中国は“希望の星”と認識されているのだろうと思われる。
 中国がこのまま軍事拡張を続けていくと、日本にとっても脅威となり、もし日本が中国に呑み込まれるようなことになれば、イデオロギー的(実質は表面的に過ぎないが)にはマルクス主義の逆転勝利という図式になる。それゆえに左翼の人々は中国寄りの反日思想に傾倒しているわけだ。

 日本の場合も、ソ連が崩壊する前までは国民のほとんどが左翼思想に片足を突っ込んでいたとも言える。大部分のマスコミも大衆迎合という形で左寄りに傾かざるを得なかった。マスコミが先か、大衆が先かの判断は難しいが、戦後日本の思想界はGHQの影響も手伝ってか左翼思想1色だったとも言える。日本のマスコミが左翼に牛耳られてきた証拠として、テレビには保守系(日本的に言えば右翼系)の言論人は全くと言っていいほど登場しなかった。
 現在のようにインターネットも存在しないような時代にあっては、言論人はテレビや新聞に出てナンボという時代であったため、自らの主義主張を偽ってでも左寄りの言論に傾かざるを得なかったとも言える。

 しかし、現代に至って、ネット言論が勃興し始め、自らの主義主張を堂々と語れる時代に突入した。もしネット言論で生計が成り立つのであれば、本音を堂々と語る評論家や学者も大勢出てくることだろう。大衆迎合という名のポピュリズムの時代は遅かれ早かれ、いずれ消滅していくことになる。その時代の空気を敏感に感じ取った行動が、今回の朝日新聞社の謝罪行為であったと考えれば、非常に危険な賭けながら、まだ朝日新聞には存続する可能性が有ると言えるのかもしれない。

 朝日新聞が今年を境として自らの身に降り掛かった厄年を無事に乗り越えることができるのかどうか興味深く注視していきたいと思う。厄払いを実現するためには虚飾を排し、真実を報道する公正な言論機関に生まれ変わらなければならないが、これは至難の業だろうと思える。

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至極足も向かなくなるのはホントであり 確かにマックのつまらん接客 耳にする自体がストレスであり おのずと でも、それこそ それだけ寝首掻いてやろうっちゅう それだけの ...... [続きを読む]

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