« 「月給制」の矛盾と「能力時間給」 | トップページ | 「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だったことになる」という奇妙な論理 »

「同一労働同一賃金」という言葉を都合よく利用する人々

■「正社員」と「アルバイト」の「同一労働同一賃金」は可能か?

 「同一労働同一賃金」という言葉がある。既に耳馴染みの言葉であり、良い意味での市民権を得た言葉でもあるが、どうも世の中には、未だにこの言葉の意味を正確に理解していない(考えていない)人が少なからずいるようなので、少し述べておこうと思う。

 「同一労働同一賃金」で真っ先にやり玉にあげられるのは、「正社員」と「アルバイト」との違いであり、「正社員であろうとアルバイトであろうと同じ仕事をしているのであれば同じ賃金にするべき」という意見がよく聞かれる。
 確かにこれは正しい意見である。しかし残念ながら、「正社員」と「アルバイト」という立場をそのままにした状態では完全な同一労働同一賃金を実現することはできない。

 例えば、正社員の場合、給料以外にも賞与や退職金や企業年金など、その場の賃金にカウントされない副次的なプラスアルファが存在する。こういったもの全てを考慮した上で同一労働同一賃金を実現するとなると、額面収入は正社員よりもアルバイトの方が高くなければ辻褄が合わないことになる。つまり、正社員とアルバイトの額面的な給料を同じにしても同一労働同一賃金にはならないのである。

 「正社員」と「アルバイト」を同一労働同一賃金にするというのは、その計算自体が極めて複雑になるため、あまり現実的とは言えない。先に述べた正社員の福利厚生と言っても、現代のような不安定な時代では、退職金や年金などというものも将来的に確実に受け取れるとは言えないような不確定要素なので、カウントすることが本当に正しいかどうかも判らない。前回の記事でも述べた通り、正社員というのは時給ではなく月給(24時間×30日=720時間会社に拘束される)なので、時給換算するのは難しいという問題もある。

 ゆえに、「同一労働同一賃金」を実現するためには、「正社員」と「アルバイト」という立場の違いを無くす、それが前提条件になる。その場合、まずは労働者全員を正社員にするか、労働者全員をアルバイトにするかという判断が要求される。

■「日本経済の破綻」or「ワークシェアリング」?

 しかし、現代日本において「労働者全員を正社員にする」というのは、「労働者全員を公務員にする」と言っているに等しく、もしこれが実現されるとなると、企業の求人数が激減することになるので、世の中には膨大な数の失業者が溢れることになる。
 逆に労働者全員をアルバイトにすれば、収入が減少する人は多くなるが失業者は大幅に減少するだろう。
 単純化して言えば、前者は「日本経済の破綻」を齎すが、後者は「ワークシェアリング」を齎すことになる。

 どちらの実現も現実的には不可能に近いが、前者を採用した場合、日本経済が破綻してしまうのだから、「同一労働同一賃金」どころか「無労働無賃金」になってしまう人が大勢出てくることになる。
 そうなると、「同一労働同一賃金」を実現するためには、後者を採るしか手段はないことになるが、この国では、なぜか「労働者全員の正社員化」と「同一労働同一賃金化」を同時に叫んでいる人々がいる。
 この2つが実現した社会とは、有職者と無職者との間に圧倒的な開きがある超格差社会となる可能性が極めて高い。有職者(正社員)は「同一労働同一賃金」を目指せるが、無職者は「無労働無賃金」というような完全に二極化した社会になってしまう。それは、仕事の有る者同士は同じ賃金に成り得ても、仕事の無い者同士も同じ賃金(無賃金)になるという倒錯した「同一労働同一賃金」社会を意味している。「同一労働同一賃金」とは万人に仕事が有ってこそ活きる概念だということがスッポリと抜け落ちてしまっていることになる。

■「同一労働同一賃金」の本質は「平等 < 公平」

 常日頃、「格差は悪」と言っている人に限って、「労働者全員の正社員化」と「同一労働同一賃金化」を同時に叫んでいるというのは、とんだ皮肉である。
 そもそも、日本国内においての同一労働同一賃金論争とは、特権的に守られたかに見える正社員の優遇制(身分制)を批判したものであるのに、その同一労働同一賃金の実現のために正社員化をセットで謳うというのは明らかに矛盾している。

 結論として言えることは、アルバイトを正社員にすることのみを考え、正社員をアルバイトにすることは一切考えないというような甘えた思想の持ち主に「同一労働同一賃金」を語る資格はないということだ。

 以上、完全な同一労働同一賃金を実現するための方法論を皮肉を込めて書かせていただいたが、実際のところは、少し緩い同一労働同一賃金なら立場を変えずとも可能だと思われる。
 少し話がややこしくなるかもしれないが、同一労働同一賃金を真に求めている人々というのは、待遇の平等性を求めているのではなく、評価の公平性をこそ求めているのではないかと思う。
 同じ正社員でも大企業と中小企業では待遇が大きく違うわけだから、正社員になれば誰も彼もが待遇が良くなるというわけでもないので、そういった現実が見えている人からすれば、待遇よりも評価の方が重要視されるのは当然だろう。「正社員」という身分に執着するのではなく、評価が同じ程度であればアルバイトでも構わないというリアリストは案外多いのではないかと思う。

(注記)本記事は日本国内に限定した「同一労働同一賃金」を述べたものであり、世界全体としての「同一労働同一賃金」は考慮していません。

にほんブログ村 経済ブログへ

|

« 「月給制」の矛盾と「能力時間給」 | トップページ | 「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だったことになる」という奇妙な論理 »

社会問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/60626485

この記事へのトラックバック一覧です: 「同一労働同一賃金」という言葉を都合よく利用する人々:

« 「月給制」の矛盾と「能力時間給」 | トップページ | 「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だったことになる」という奇妙な論理 »