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世界同時株安で考える「株価」の重要性

■「株価」と「景気」のパラドックス

 かつての小泉政権時代でもよく聞かれた台詞だが、現在の安倍政権時であっても、よく聞かれる台詞に次のようなものがある。

 「株価は騰がっているが、景気が良くなっているように感じられない

 私自身もこの意見には同感だったが、最近、この言葉には大きな誤解があるのではないか?と思うようになった。

 まず、「株価が騰がる」というのはどういうことかというと、投資家達が、上場している数千社(日経平均株価の場合は225社)の企業の株式を買いたいか買いたくないか、言葉を変えれば、この先、その厳選された上場企業の株式が騰がると思うか下がると思うかの評価において、騰がると思う人が過半数を占めることが数値として現れたものだと言える。
 そう考えると、上場企業の株価が如何に上下に騰落したとしても、それは日本全国の一般企業の業績とはほとんど関係がないのは、むしろ当たり前の話ではないだろうか。日本全国には株式会社が100万社以上あることを考えれば、これは自明の理だとも言える。

 喩えて言うならば、全国から有能な競走馬を東京市場というレース場に集めて、どの競走馬が優秀な成績を修めるか(あるいは人気を集めるか)をめぐって賭け事を行っているようなものだとも言えるだろうか。その市場で行われている優劣合戦は、世間一般の小さなレース場における競走馬の成績とはほぼ無関係だ。

 別の喩えで言えば、甲子園で行われる全国から選抜された高校野球チームの勝ち負けがどんな結果であろうと、世間一般で行われている草野球チームや少年野球チームの実力や成果とは何の関係もない。

 極論するなら、その選ばれた少数の競走馬や高校野球チームの成績がどれだけ良かろうと悪かろうと、世間一般の競走馬や野球チームにはほとんど何の影響もないと言うことができると思う。
 ゆえに、東京市場、ニューヨーク市場、上海市場でどんな事件が起きていようとも、株式市場が、現在のその国全体の経済が良いか悪いかを占う判断材料には必ずしも成り得ないということである。

 曲解されると困るので一応、お断りしておくと、私は中国経済がバブルではないと言っているわけではない。中国経済は今回の上海市場が暴落するずっと以前からバブルのままだ。その中国経済のバブルと現在の上海市場のバブルは必ずしもリンクしているわけではないということ。現在の上海市場は騰がり過ぎた株式を誰もが挙って売ろうとしているので、パニックとなって売れなくなっているだけの話である。株式の価格は需給によって決まるので、売りばかりが殺到すれば値が付かずにストップ安(中国の場合は前日比10%下がればストップ安)となり、際限の無い負のループに陥る。その状態をもって、世界同時不況と言うのは無理がある。もし、現在の株価が真の実体経済を現すのであれば、中国の株価などははるか昔に暴落していなければおかしいことになる。

 こんなことを書くと、身も蓋もないかもしれないが、「一国の市場」=「一国の経済」と考えるのは、あまりにもオーバー(過剰)な思考なのではないかと思う。一国の市場の株価が暴落したからといって、それで一国の経済が破綻するなどと考えるのは、あまりにも過剰反応が過ぎるのではないかと思う。数百社の企業成績…と言うか、優劣合戦から、数百社の企業業績が正確に判断できるわけがないではないか。

■「株価」は「実体経済」を現すか?

 昔から「株式相場は半年先を行く」とも言われることがあり、この言葉は既に定説となっているが、よくよく考えてみると(世間一般ではどう受け取られているのか知らないが)、これも意味深な言葉だ。
 私の場合、かつてのバブル時代は株式投資とは全く縁が無かったので、持ち株がスルスルと騰がるというような経験はしたことがない。だから、「株式相場は半年先を行く」という言葉についてはそれほど深く考えたことがなかった。しかし、アベノミクスで持ち株が騰がる(含み損株が元値まで戻るという意味での騰がる)という経験をしてから、この言葉の意味を少し考えるようになった。

 多くの人々は、半年先の景気が良くなると思うから株式を購入するのではなく、現在の株価が騰がっているから半年後の景気が良くなると思うのではないだろうか?
 景気が良くなったという結果から株価が騰がるのではなく、株価が騰がるがゆえに景気が良くなっていくのではないか?ということである。
 となると、景気を良くするためには、まず株価を騰げる効果を持つ政策を発表するだけでよいのではないか? 「これから景気が良くなるかもしれない」という期待を国民に抱かせることができるのであれば、それが無から有を生み出すのではないか? 実際、アベノミクスでは、そうなったのではなかっただろうか?

 もちろん、先に述べた「株価は騰がっているが、景気が良くなっているように感じられない」という台詞の通り、株価は直ぐさま実体経済に影響を及ぼすものではない。しかしながら、株価というものが、未来の景気に影響を与えるだけの力を少なからず有しているのであれば、株価対策というものは極めて重要な政策と成り得る。

 実体経済と直接的には無関係(必ずしも企業業績を反映しないという意味)であるはずの株式市場での株価の下落に各国政府が躍起になるのは、その甚大な影響力を理解しているからではないだろうか? それゆえに株価対策ができない政府は経済音痴で無能だと言われるのではないだろうか?
 現在の株安を、ここぞとばかりにアベノミクスと強引に結び付けようとする人々も、ちらほらと出てきたようだが、はっきり言って、現在の株安はアベノミクスとは何の関係もない。

■「株価」とは未来を占う水晶に現れた「数字」のようなもの

 1990年代のバブル(繰り返すが私は経験していない)では、大蔵省の通達(=総量規制)によって株式市場がハードランディングし、国民の資産が1000兆円から2000兆円吹っ飛んだと言われる。この失策が「失われた20年」を生んだ元凶だとも言われることがあるが、未来の景気に影響を与える現在ただいまの株価を人為的に破壊した罪は重いと言わざるを得ない。(前回の記事では、さすがの中国でも、そこまでのことはしないという意味で皮肉を書いた)

 一見、実体経済とは無関係に見える株価だが、実際のところは、一国の経済の将来を左右するという意味においては物凄く重要な指標となっている。株価とは、ある意味、占い師が持つ未来を映す水晶の中に現れた数字のようなものだと言えるのかもしれない。そして、幸か不幸か、世界には、この占いが当たると信じ込んでいる人々が圧倒的多数を占めており、それが「信用」となり株式市場は成り立っている。

 占いを信じる信じないは別として、「株価は騰がっているが、景気が良くなっているように感じられない」という理由から、「株価なんて我々の生活とは関係がない」と言っている人々は、実は大きな誤解をしているかもしれないのである。

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