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「もし、アベノミクスが無かったら?」を考える

■「歴史のif」としての「アベノミクス」

 「歴史にifはない」という有名な言葉がある。よくよく考えてみるとこの言葉自体が謎でもあるのだが、世の中には「歴史にifはない」と言わんばかりの御都合論を唱えている人々がいる。
 例えば、「もし、アベノミクスが無かったら日本経済はどうなっていたのか?」 これも歴史におけるごく最近のifだが、この問題はあまり論じられていないようなので、今回はこの「もしも」を考えてみたいと思う。

 安倍総理と同様、「アベノミクス」という言葉は、ある種の人々からは蛇蝎の如く忌み嫌われている言葉でもある。しかしながら、「アベノミクス」を否定している人々には、ある奇妙な共通点が見られる。それは、「歴史にifはない」という言葉を盾に取り、「アベノミクスが無かったら?」という、もしもの発想が綺麗さっぱり抜け落ちていることである。

 世間には「アベノミクス」を肯定する意見もあれば、当然、否定する意見も有る。そのことは別に構わないのだが、なぜか、多くの否定論者達は「アベノミクス」に対抗する代替案というものには言及しないという不思議な共通点を抱えている。その姿は恰も、「脱原発」と叫びながら、現実的なエネルギー代替案を示さない人々、あるいは、「反戦平和」を唱えながら、世界一危険な軍事国家である中国に対しては黙りを決め込んでいる人々と同じように見える。

■「もし、アベノミクスが無かったら?」

 「アベノミクスが無かったら?」という言葉は、「民主党政権が続いていたら?」という言葉と半分は同義語になるのかもしれないが、時計の針を当時に戻してシミュレーションしてみよう。

 時は2012年、急激な円高を背景に、大手輸出企業の経営難が伝えられていた時期だ。ソニー、パナソニック、シャープの3社が空前の赤字企業に転落し、大々的なリストラ案とともに、経営破綻の噂すら飛び交っていた時期だ。
 もしあのまま、急激な円高と株安が続いていれば日本経済は一体どうなっていただろうか? それは考えるだけでもゾッとする未来である。ひょっとすると、先に挙げた3社の企業は全て経営破綻という最悪の事態に陥っていた可能性もまんざら否定できない。
 新聞の一面記事に大手企業の倒産ニュースがデカデカと載ることのインパクトは極めて甚大であり、そのマイナスイメージも手伝って関連企業や下請け企業が連鎖倒産し続け、職を失い行き場も失った多くの失業者が街中に溢れ、日本経済の頭上には巨大な暗雲が覆い被さっていたはずだ。まさしく、日本経済は出口の見えない暗闇の中を破綻まっしぐらに突き進んでいたことだろう。
 このこと(金融緩和を行わなければ日本経済は破綻するということ)は、ジョージ・ソロス氏も述べていたことであり、世界中の有識者達が声を揃えて警告していたことでもあった。
【参考文献】世界が日本経済をうらやむ日(浜田宏一・安達誠司著)

 そんな中、暗雲を切り裂くかのように「アベノミクス」は突如出現した。全てが「アベノミクス」の恩恵ではないとはいえ、大胆な金融緩和の実施を発表することによって急激な円高と株安にストップがかかり、1ドル80円程度だった為替は120円になり、9000円台だった日経平均株価は20000円まで上昇した。さすがに、この現象が「アベノミクス」と全く無関係だったと言えるような人はいないと思う。消費税の増税という最大のミステイクや、様々な矛盾点やマイナス点も抱えていたとはいえ、総じて言えば、プラスの政策だったと言える。

 2年前にポール・クルーグマン氏が述べていたように、「アベノミクス」の金融緩和政策は、国民の「期待」に働きかけることに成功したとみるのが妥当な判断だろうと思う。「これで日本経済は良くなる」「景気がよくなるまで金融緩和は出し惜しみなく行われる」という「期待」を国民に抱かせることができるか否か、それが金融緩和政策の成否を分けるたった1つの理由だったことが証明されたとも言える。
【参考文献】そして日本経済が世界の希望になる(ポール・クルーグマン著)

■歴史に「if」はあっても、経済予測に「絶対」はない

 リフレ派と反リフレ派は相変わらず犬猿の仲のように言い争っているが、この2年間の成果を見る限りでは、ひとまずはリフレ派の勝利だったと見て間違いないと思う。ただ、リフレ派であれ、反リフレ派であれ、全くの誤解をしている人がいる。それは、「お金の量」だけに囚われている人々だ。

 アベノミクスの金融緩和政策が成功したのは、お金の量とはほとんど無関係であり、どれだけの金額なら成功して、どれだけの金額なら失敗したというような単純なものではない。金額の多寡に拘らず「期待」、つまり人間の心理的な感情を動かすことができるか否か、これが最も重要な要素であり、その要素なくして、成功も失敗もない。

 例えば、民主党時代に誰かが同じような金融緩和政策を行ったとしても、それがアベノミクスと同じような結果を齎したのかどうかは分からない。その場合は、円安にも株高にもならず本当にハイパーインフレになっていたかもしれない。
 その政策を実行に移す人物の人間性、例えば、楽観的な人物か悲観的な人物か、あるいは実行力のある人物か否か、信用のおける人物か否か、そんな小さな違いだけでも、結果は変わってくる場合がある。だからこそ、予測するのは難しい。いくら頭脳明晰で経済学に明るい人でも、人の心に疎い人には経済予測はできない。この現象は経済学と言うよりも心理学の領域だからである。

 安倍総理は、このデフレ下で「携帯電話料金は高い」などという発言(これは取り消した方が良いと思う)をするなど、経済的な意味での失言も目立つが、非常に引きの強い(=運の良い)人物であることは多くの人々が直観的に感じているところだと思う。「安倍総理ならやってくれるかもしれない…」という期待感(または信用)が経済を動かすことに繋がったのだろうと推察する。

 経済を変える力を有していたのは、お金の量ではなく人間の感情だった。そんなごく当たり前のことが証明されたというだけの話なので、こんなことでどちらが正しいかなどを言い争っても不毛なだけだと思う。

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