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2016年1月

「老女パンドラ」となったイエレン氏

■イエレン氏は現代のパンドラか?

 2015年12月16日に米国FRB(連邦準備制度理事会)のイエレン議長がゼロ金利解除(通称:利上げ)に踏み切ってから、まるでギリシャ神話の少女パンドラが「パンドラの箱」を開けたが如くに世界経済にはゴタゴタが続いた。

 日本でも当初は「利上げすれば円安になる」と言われ続けてきたものの、実際に蓋を開けてみると、円高になってしまった。
 これは結局、利上げするまでは「期待」で円安が続いたが、いざ利上げをすると材料出尽くし感で一時的に円安にストップがかかったということなのだろうと思う。株式投資の世界でも、期待で買われて、いざ好決算が出ても材料出尽くしで売られるということはよくある。
 あるいは、円が一気に130円に向かうよりも先に120円以下に向かう可能性の方が高いと市場が判断したのかもしれない。長期的に円安に向かうことが判っているのであれば、一度、円高にした方がボラタリティー(値動きの大きさ)が高くなるので、投機筋にとっては都合が良かったのかもしれない。

■市場は「投機筋の思惑」と「投資家の心理」で動く

 しかし、市場(投資家心理)というのは不思議だ。「原油安」というものがクローズアップされれば、3000元を切っている中国の株式市場には目が行かなくなり、それほど問題視されなくなっているのだから不思議としか言い様がない。
 5ヶ月前に3500元を切った辺りから騒ぎ出し、3000元にタッチした時は「2000元になる」とか「紙くずになる」とか大騒ぎになったというのに、あの時の感情は一体どこへ行ってしまったのだろうか?
 「人間は同時に2つのことは考えられない」というが、より巨大なリスクが眼前に現れると小さい方のリスクには目が行かなくなるということなのだろうか?
 もっとも、現在の上海市場の下落は「大株主の株式売却解禁」が原因だろうから、想定の範囲内と認識されているのかもしれないが。
 
 なんにせよ、「株式市場は投機筋の思惑と投資家心理で動くもの」ということだけは今回も例外ではなかったと言えそうだ。

■日米共通「パンドラの箱を閉じる」という選択

 現在、イエレン氏は株式界隈で「市場の疫病神」とも「空売りの女神」とも揶揄されているらしい。市場が大きく揺れたのは彼女のせいではないにしても、利上げ後にこれだけ市場が荒れたことを考慮すれば、3月の利上げはまた延期になる可能性も出てきた。

 しかしながら、市場を動かすのは実際の利上げや利下げではなく、「利上げするかもしれない」あるいは「利上げされないかもしれない」という思惑が優先されるので、あまり焦らすような真似事はせずに毅然とした態度で市場の不安感を払拭することの方が重要だろうと思う。

 個人的には、利上げではなく、「利下げするかもしれない」と思わせた方が良いような気もするのだが、一度開けてしまったパンドラの箱を閉じるという選択は、さすがのイエレン氏でも難しいかもしれない。

 日本でも、一度上げてしまった消費税をまた上げるのではなく、今度は「下げるかもしれない」と思わせた方が良いと思えるのだが、現在の安倍総理を観る限りでは、そこまでの英断は期待できそうにない。
 日本の消費税増税の場合、「パンドラの箱」と言うよりは「玉手箱」に喩えた方がよいのかもしれないが、今の日本に必要なのは「消費税を上げるか維持するか?」という議論ではなく、「消費税を維持するか下げるか?」という議論だと思う。

 日米ともに「パンドラの箱を閉じる」という選択肢も有り得るという「期待感(希望)」を国民に抱かせる政策こそが、市場を安定させる最良の妙薬となるに違いない。

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 「原油安パニック」の行方

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「原油安パニック」の行方

■原油安パニックという悲喜劇

 原油価格が1バレル30ドルの大台にタッチしたことで、市場が大きく揺れている。
 7年前に原油価格の高騰によりガソリン価格が1リットル180円を超えた時も、燃料コストが跳ね上がり「不況だ、大変だ」と騒がれたことがあったが、今度は逆に、原油価格の急落により「不況だ、大変だ」と騒がれている。
 ここ40年来のガソリン価格の底値は1リットル100円程度(最安値は97円)なので、チャート的には現在の価格は底値に近いとも言える。
 今回の原油価格の急落劇には、なにやら裏事情が有るとか無いとかの噂も囁かれているようなので、まだオーバーシュート局面を脱していないのかもしれないが、いずれにせよ、騒ぎ過ぎではないかと思える。

 原油価格が急騰すればパニックとなり、急落してもパニックとなる。価格以前に値動きが激しすぎることがパニック要因になっているのだろうと思われるが、原油が高ければ良いのか、安ければ良いのかという本質的なことはあまり意識されていないようだ。
 特にマスコミは不安を煽ることのみに執着しているかに見える。なぜ原油価格の急落が悪いことなのかという説明もせずに、闇雲に危機を煽る姿は、かつての「豚インフルエンザ」のパニック報道を彷彿とさせる。

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■ガソリン価格100円は悪いことか?

 客観的に考えると、産油国でもない限り、原油価格の低下は良いことだと思われるのだが、無資源国の日本という国で、なぜこれほどまでにパニックになるのかが不思議だ。全てのエネルギーを輸入に頼っている(原発も未だにほぼ停止している)国にとって、輸入エネルギー価格の低下は、大局的に観れば、どう考えてもプラス要因であるし、メリットの方が多いことは疑いの余地がない。

 例えば、「あなたは、ガソリンが1リットル200円になるのと、100円になるのとでは、どちらが良いですか?」と質問すれば、ほぼ全ての日本人が後者を選択すると思う。ガソリン価格が200円まで急騰すれば「商売にならない」と嘆く人が大勢出てくるはずだが、ガソリン価格が100円になって「商売にならない」と嘆く人が一体どれだけいるというのだろうか?

 実際、私の周りでもガソリン価格が1リットル105円程度で販売されているが、ガソリン価格が安くなったと喜んでいる人はいても、嘆いている人は1人もいない。

■50%を超えたガソリン税率

 ガソリンが安くなれば、これまで自動車に乗らなかった人でも自動車を購入するかもしれない。日本の場合は、ガソリンに課される税金がベラボウに高いので、原油がどれだけ安くなってもそれほどガソリン価格には反映されないが、アメリカであれば、原油価格がガソリン価格に大きく反映されるので、日本車の販売台数も爆発的に増加する可能性も高くなる。州によってガソリン税率は異なるが、現在のガソリン価格を基準に考えると平均20%以下の税率になる。一方、日本の場合は現在のガソリン価格で計算すれば、ガソリン税率は50%を超えている。消費税を加えれば更に高くなる。

 ガソリン税(本則税28.7円+暫定税25.1円)+石油税(2.54円)
 =56.34円(1リットル当たりの税金)

 しかし、このまま原油価格が安値安定となると、日本の自動車メーカーには追い風だ。多少の円高になったとしても充分なプラス要因だ。
 自動車関連株などは、本来ならこの局面で買われてもおかしくないはずだが、実際は、パニック売り(投げ売り)が出ている有様だ。相場に敏感な人は、その投げ売りされた株を黙って買い増しているのではないかと思う。

 「株式投資は1割が勝者、9割が敗者」と言われるのは、こういうパニック的な急落局面で買えるか売るかの差なのかもしれない。底値を見極めるのは難しいが、ここで怖じけずに買いに向かえる人が1割の勝者なのだろうと思う。

 ※毎度のことですが、株式投資は自己責任&余剰資金でお願いします。

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「最低賃金1500円」は格差拡大政策

■最低賃金を上げると格差は拡大する

 多くの人は最低賃金を1500円にすると格差は縮まると思っているのかもしれないが、最低賃金が1500円になって起こることは「格差の拡大」である。これだけは絶対に避けられない理由を誤解を恐れずに率直に書いてみようと思う。

 「最低賃金を1500円にしろ!」と叫んでいる人々の中には、大きく分けると2種類のタイプの人が混在している。

 1つは、時給1500円以上の仕事ができる人

 もう1つは、時給1500円以下の仕事しかできない人

 例えば、1時間に2000円以上の価値の仕事をしている人(以下A)が、時給1000円しか貰えていないなら、「最低賃金を1500円にしろ!」と言うのは納得できるし、そうするべきだと思う。
 しかし、1時間に500円以下の仕事しかできないにも拘らず、時給1000円もらっている人(以下B)が「最低賃金を1500円にしろ!」と言っても誰も素直には納得できないのではないかと思う。

 世の中には時間で計れない仕事も多々あるので、最低時間給をどうするべきかというような話はあまり現実味がないとも言えるのだが、思考実験的に最低賃金を1500円にすれば、どうなるかを考えてみよう。

■時間給の存在理由

 時間給というものがなぜ存在しているのかというと、その理由の1つは格差を固定するためにある。この格差とは正社員とアルバイトの間にある格差のことではなく、アルバイト間にある格差のことである。
 先の説明に出てきた通り、AとBの2種類の労働者の給料制度を完全な能率給にしてしまうと、Aは時給2000円、Bは時給500円になるかもしれない。これでは大きな給料格差が生じることになる。無論、それがアルバイト間における公平な同一労働同一賃金であるわけだが、公平よりも平等に重きを置く日本の会社では、これでは上手くやっていけない。そのため、両者の平均的(実際は平均以下になる)な時間給というものが暗黙の了解的に決められることになる。(ここではその平均的な時間給を1000円として考えるものとする)

 その暗黙の了解を破って時間給を1500円に上げるとなると、AかBのどちらかが、より多くの仕事を行い、平均値を底上げしなければならなくなる。となると、常識的にはAではなく、Bが生産性を上げなければいけなくなる。それが可能であるなら問題ないが、もし無理であるなら、Bはその会社を辞めなければならなくなる可能性が高くなる。
 会社を辞めたBは、よその会社に行っても、1500円分の仕事ができないという理由で仕事に就けなくなる可能性も高くなる。
 今まで、500円以下の仕事量でも時給1000円で雇用されていたBは、今度は1000円どころか1500円以上の仕事をしなければ雇用されなくなる。
 それは結局、Bにとっては時間給の崩壊であり、徹底した能率給への移行を意味する。Bにとって、その絶望感が如何ほどのものかは想像するに余りある。普通の能率給であれば時給500円で雇用されることは可能だが、実体と乖離した最低賃金というものが設定されると、雇用機会すら失うことに繋がってしまう。それは、Aにとっては公平な社会の到来を意味するが、Bにとっては圧倒的な格差社会の誕生を意味している。

 最低賃金を無闇に1500円に上げても、1000円で買える商品が1500円に値上げされれば意味がないわけで、物価を固定したまま、最低賃金のみを上げるためには、残念ながら生産性を上げるしかない。それができなければ、その代償として格差が広がるのは避けられない。

■昔とは真逆になった格差是正運動

 産業革命以前の格差否定とは、ろくに仕事もせずに高給を得ている人々を否定するためのものであり、同じ仕事をしているにも拘らず、給料格差が有ることはおかしいという主張だった。当時の単純な仕事では、1人当たりの生産性はそれほど変わらなかったので、格差が有るのはおかしいというのは筋が通っていたとも言える。

 これを現代に置き換えると、正社員と同じ仕事をしているアルバイトやパート従業員が、「正社員は不当に利益を得ている」と否定しているのと同じ構図になる。
 しかし、構図は同じでも、求めているものが全く逆になってしまっていることに目を向けよう。
 かつては、「ろくに仕事もしていない人の給料を下げろ!」だったはずだが、現代では、「我々も、同じだけ給料を上げろ!」になっている。ここに大きな違いがあることを見落としてはいけない。

 同一労働同一賃金論争は、昔は給料の安い方に合わせろという論争だったが、現代では給料の高い方に合わせろという論争になっている。この矛盾点を指摘する人はほとんど(誰も)いない。
 格差是正運動でも、昔と今とでは目的が逆さまになっているという矛盾、この矛盾をまず見直さない限り、同一労働同一賃金論争はどこまでいっても絵に描いた餅になる。

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「トリクルダウン」の理想と妄想と現実

■理想のトリクルダウン図

 前回の記事では少しだけ「トリクルダウン」について触れたものの、文章だけでは説明するのもイメージするのも難しいと思われるので、今回はイラスト入りでもう少し具体的に説明してみたいと思う。

 まず、次の図を見てほしい。

Wine001_2

 この図は、一般的なトリクルダウン図…と言うよりも、経済の理想的な循環図をも表している。
 シャンパングラスの中に入っている赤いワインは「お金」を意味し、シャンパングラスから外に流れ出たワインは「消費」に変化し、下のシャンパングラスに流れ入った時点でまた「お金」に姿を変える。
 人々が必要以上にお金を貯め込むことなく、消費(および投資)を滞りなく行うのならば、この図のようにお金は無駄なく循環する。

 仮に、1つのシャンパングラスに100ml入ると考えると、15杯全てのシャンパングラスを満杯にするためには計1500mlのワインが必要ということになる。その1500mlを効率よく循環させるためには、もう少し余分なワインが必要になる。それが最下部のお盆に溜まったワインであり、ワインボトルの中のワインでもある。その余分なワイン量が1000mlだと考えれば、合計2500mlのワインがあれば、延々と循環は繰り返されることになる。これが、理想的な経済循環の姿でもある。
 もし、このような理想的な経済状況であるなら、そこに追加でワインを足す必要はない。そんな状況でワインを追加すれば、せっかくの好循環に水を差す(支障をきたす)ことになる。

 勘の鋭い人なら、もうお気付きだと思うが、これは金融緩和の是非を説明する場合でも重要なポイントとなる。もし、本当にこのような理想的な経済状況が実現されているのであれば、金融緩和は必要ないということになってしまうが、実際はそうはなっていない。

■現実のトリクルダウン図

 前回の記事では言葉だけで説明させていただいたが、日本のトリクルダウン図は、実際は次の図のようになっている。

Wine002

 この図はよく見ると、最も上のシャンパングラスは小さく、下側に行くに連れてシャンパングラスのサイズは大きくなっている。各々のシャンパングラスに入っているワインの量は「資産」を意味し、シャンパングラスの大きさは、どこまで資産を貯め込めば消費に向かうかという人間の貯蓄欲の大きさを表している。

 元々、資産の多い人々はシャンパングラスを満杯に満たすのも早く、ワインが滴り落ちるのもアッという間だが、資産を持たない(あるいは借金のあるような)人々のシャンパングラスを満杯にするのは容易ではなく膨大な時間を要することが分かると思う。1番下にあるシャンパングラスを満たし、そこから流れ出たワインがお盆を満たし好循環サイクルを形成するに至るのは非常な難題であることは誰にでも理解できると思う。

 その好循環に至る1つの方法論(苦肉の策)が、金融緩和であるわけだが、いくら国が金融緩和しても(=ワインの量を増やしても)、国民の側が金融を引き締めている(=シャンパングラスが満杯にならないと思っている)ような状態なので、トリクルダウンは起こらないように見えてしまう。

■妄想のトリクルダウン図

 「トリクルダウン」を否定している人々が思い描くのは、おそらく次のような図だろうと思う。

Wine003

 「一部の富裕層だけが富を独占している」というようなことを言っている人々が頭に描いているのが、ちょうどこんな図になるのかもしれない。
 「アベノミクスは富裕層優遇政策だ」と言っているような人々の頭の中にも、このような図が浮かんでいるのだろうと思われるが、金融緩和が予想通りに機能しないのも、トリクルダウンが発生しないように見えるのも、原因はアベノミクスにあるのではなく、本当の原因は、先行きが見えないという不安から必要以上にお金を貯め込み、消費(や投資)をしようとしない人々(つまり、シャンパングラスの大きい人々)の心理状態にある。
 これを変えることができない限り、経済の好循環は生まれない。

 「景気が悪い」「景気が悪い」と言いながら、自らは率先してお金を使わず、誰かが大々的にお金を使ってくれることを待っている。本当は「景気が悪い」と言っている人々も、同じようにお金を使っていかなければ景気が良くなっていかないということは、子供が考えても解ることだと思われるのだが…。

 経済のグローバル化、インターネット化、デジタル化によって、ただでさえデフレ圧力の強い社会環境であるにも拘らず、多くの人々が進んで消費や投資を行わない。だから、国が率先して金融緩和しなければならなくなるのだが、そのお金も底無し沼のような巨大なシャンパングラスに吸い込まれてしまえば、どれだけお金をバラまいても(=ワインを増やしても)効果は乏しいということになってしまう。
 国が金融を緩和しても、国民の側が金融を引き締めているわけだから、一般庶民が景気が良くなったというような実感を感じられないのは至極当然の帰結だとも言える。
 消費意欲の強い上側のグラスだけでトリクルダウンが発生し、下側のグラスはその光景を眺めているだけということになってしまう。

 以上のように考えると、このような経済状況下で消費税を上げることの愚かさがよく解ると思う。
 国民がせっせと金融引き締めを行っている時に、同じように国が金融の引き締めを行えば、どうなるか? トリクルダウンが機能しないのは当たり前の話だ。しかし、それはアベノミクスが悪いのではなく、お金が動かない社会、ひいては国民の側の問題でもある。

 貯蓄欲だけが旺盛で消費意欲の減退した現在の日本の経済状況を根本的に変えない限り、どれだけお金を刷ってもハイパーインフレになどなるわけがない。なぜそう言えるのかは、この歪なトリクルダウン図(妄想図ではなく現実図)を見れば、理解していただけるのではないかと思う。

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朝生『激論!安倍政治 国民の選択と覚悟』を観て。

■「トリクルダウン」という言葉

 元旦に録画していた朝まで生テレビ!『激論!安倍政治 国民の選択と覚悟』を観てみた。今回はなぜか録画が途中で終わっていた(HDの容量不足ではなかった)ので、中盤からはネットのまとめサイトを利用して拝見させていただいた。

 今回の放送では、なにやら「やらせ」という言葉も飛び交っているようだが、その問題にはあえて触れずに、番組中に出た「トリクルダウン」という言葉についての感想を書いてみようと思う。
 番組中、小林よしのり氏が「トリクルダウン」という言葉を使用したこともあってか、竹中平蔵氏が「トリクルダウンは有り得ない」と述べられていたのが印象的だったが、どうも両者の間には「トリクルダウン」という言葉における認識が違っているのではないか?と思えた。

 「トリクルダウン」の定義をWikipediaから引用すると、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)」とある。

 これは要するに、「お金持ちがどんどん稼いでくれれば、貧しい人々にも富が分配されていく」ということを意味している。
 これは本当か?と言うと、本当でもあり嘘でもある。

■「トリクルダウン」は条件次第で有り得る

 「トリクルダウン」は、よくシャンパンタワーに喩えられることがある。1番上のシャンパングラスにワインが注がれた後、徐々に下に積まれたシャンパングラスにもワインが滴り落ちていくという説明が一般的だ。
 しかし、この喩えには1つ、大きな欠陥がある。それは、ワイングラスの容量には限りが有るが、人間の欲(この場合、お金を貯め込む欲のこと)には限りが無いということだ。
 シャンパングラスから流れ落ちるワインとは、人間の消費量を意味しており、ある一定の量を超えると必ず消費に向かうという約束事がなければ、この喩えは成り立たない。
 付け加えて言うと、このシャンパンタワーのワイングラスの大きさは、下に行くほど大きくなっている(あくまでも喩えです)ので、最終のワイングラスまではなかなかワインが届かないという難点がある。

 お金持ちがどんどんとお金を稼いだとしても、その稼いだお金の一部が必ずしも、貧しい人々に行き渡るわけではない。という意味では「」になる。
 しかし、この「お金持ちがどんどん稼いでくれれば」という言葉を「お金持ちがどんどんお金を使ってくれれば」という言葉に置き換えれば「本当」になる。

 解り易い例で言えば、中国政府が株価政策でお金をバラまき、そのお金を株式市場から間接的に得た中国の成金投資家(及び投機家)が、日本に旅行して爆買い(インバウンド消費)してくれれば、特に販売努力をしたわけでもない日本の生産者や販売者に特需的に富が分配される。これは、円安が招いた恩恵でもあると考えると、アベノミクスの恩恵とも言えるのだが、この現象はどう考えても「トリクルダウン」現象である。
 しかし、そのトリクルダウンで得たお金を日本の生産者や販売者が貯め込むだけでは、そこでトリクルダウン現象は途切れてしまう。

■「トリクルダウン」と「フリーランチ」

 おそらく、竹中氏は「トリクルダウン」というものを「フリーランチ」的な意味合いで否定されたのだろうと思われる。「富める者がどんどんと競争していくなかで得た富が、自動的に貧者に分配されるわけではない」 換言すれば、「努力した者が得た富が、努力しなかった者に自動的に分配されるわけではない」という意味合いで「トリクルダウンはない」と発言されたのだろうと思う。
 個人の自助努力は重要だということを戒める意味での「トリクルダウンはない」なら納得できるのだが、「世の中にはトリクルダウンは全くない」と言うのは、少々無理があると思う。
 トリクルダウン効果のみで一生働かずにフリーランチにありつけるというのは間違いだと思うが、先程、述べたような「爆買いで一時的にトリクルダウンが発生する」ことは有り得ることだと思う。

 「フリーランチ」と「トリクルダウン」は似ているようで少し違う。「フリーランチ」とは、その言葉が示す通り「タダ飯」という意味であり、何の努力もせずに他人の富を分捕ろうとする人々を批判する時に用いる言葉だが、「トリクルダウン」は、全体的な富の総量(動いている富の総量)が増加すれば、底辺が底上げされるという意味での言葉であり、自由競争を擁護する時に用いる言葉でもある。

 この世の中では、全員が全員、戦争や災害で貧しくなることは有り得ても、全員が全員、お金持ちになることは有り得ない。全員が全員、お金持ちになる社会というのは、結局のところ、全員が全員、平たく平等になる社会のことを意味するからだ。お金持ちもいれば、貧しい人もいるからこそ、「お金持ち」という概念が生じるわけで、全員が全員、同じレベルのお金持ちになる社会というのは、現実的に有り得ない。格差を認めた上での共産主義は有り得ても、格差を認めない共産主義は有り得ない。これは「トリクルダウン」は有り得ても「フリーランチ」は有り得ないという理屈とよく似ている。

 「トリクルダウン」とは、目には見えない現実的な格差是正システムである。そういう意味では、「トリクルダウン」とは、実は共産主義者が擁護するべき理論のはずなのだが、この国の(どこの国でも)共産主義者は「トリクルダウン」理論には否定的だ。
 格差を認めなければ「トリクルダウン」理論なんて成り立たないわけだから、当然と言えば当然かもしれないが…。

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