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2016年4月

『平成28年熊本地震』で消費増税延期

■地震予知に無力な地震学者達

 気象庁は4月14日に九州で発生した震度7の大地震を『平成28年熊本地震』と名付け、その後の余震に注意を呼びかけていた。
 しかしながら、16日未明に発生した大地震によって、14日に発生した地震は本震ではなく“予震(前震)”だったことが判明した。
 テレビで注意勧告を行っている地震学者や専門家達は「今後の余震に注意してください。」と言うばかりで、「これは予震(前震)である可能性がありますので、厳重注意してください。」と言っていた人間は(私の知る限り)皆無だった。

 こういう皮肉な事態を観ていると、結局、現代の人間は天災には無力だということを、嫌というほどに思い知らされる。地震学者が地震に詳しいと言っても、それは地震の知識を一般人よりも豊富に持っているというだけのことであり、地震の予知については、老若男女を問わず一般人と全く同じ認識力しか持ち併せていないということを、嫌というほどに思い知らされる。

■大震災の有無に関係なく消費増税の凍結化を

 ところで、安倍総理は3月末に「リーマン・ショックや東日本大震災級の事態が生じない限り(消費増税は)実施する」と語ったことは周知の通りだが、まるで、その言葉の真偽を確かめるかのように、阪神・淡路大震災級の巨大地震が九州を襲った。
 幸い、原発事故には至っておらず、津波を伴った東日本大震災に比べれば、被害の大きさでは比較にならないかもしれないが、既に多くの被害が出ており、地震の規模的には「大震災」と呼んでもおかしくないレベルに達している。

 今後、このての議論(熊本地震で消費増税延期)は多く出てくると思われるが、安倍総理にとっては悩ましいところだろうと思う。
 個人的には、地震の有無や大小に関係なく、消費税の増税は無期限延期(理想は消費減税)が望ましいと思われるので、不謹慎を承知で書かせてもらうと、今回の大地震を消費増税延期の理由の1つとするべきだと思う。

 現状、本震とされている大地震が、阿蘇山大噴火の予震だったという事態『九州大震災』にならないことを祈るとともに、消費増税が凍結化(休火山化)されることを切に願う。

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アンタッチャブル教育が齎した「体罰・暴言事件」

■感情的な怒りは「体罰」とは言えない

 大阪市の市立小学校で起こった37歳の男性教諭による体罰及び暴言事件が波紋を呼んでいる。
 放課後、居残り学習(補修授業)中に席に着かずウロウロと立ち歩いていた児童(小学5年生)に対し、男性教諭が「座りなさい」と注意したものの、指示に従わなかったので、児童のアゴを掴み壁に頭を押し付けたというものらしい。

 「児童のアゴを掴み壁に頭を押し付けた」という行為のみを見れば、確かに「体罰」に該当するのかもしれないが、どうも違和感があり釈然としない。この事件の場合、「体罰」とは少しニュアンスが違うのではないかと思う。
 この教師は、予め「体罰」だと称して生徒に掴みかかったわけではなく、「座りなさい」と注意しても座らなかったので、「早く座れ!」とキレてしまっただけではないかと思う。一時的に怒りの感情が爆発してしまったことによる暴力行為と暴言を「体罰」とは言わないだろう。
 この生徒が教師の言うことを聞かなかったのは今回が初めてだったのか、それとも、これまでにも何度も教師の言うことを無視し続けてきたのか、そういった違いによっても判断は変わってくると思われるので、ただ単に結果だけを見て「体罰」と決めつけてしまうのは無理があると思う。

 キレてしまった教師にも問題があるとはいえ、注意しても言うことを聞かなかった生徒側には全く落ち度が無かったのだろうか? 何もしていない生徒に手を出すのは問題だが、口頭で注意しても言うことを聞かない生徒に対して教師はどうすればよかったのだろうか?

 「いかなる理由があろうと生徒に暴力を振るってはいけない」と言う人はいるだろうけれど、そういう人達に「生徒は教師の言うことを聞かなくてもいいのですか?」と問えば、どう返答するのだろうか?

 なにやら、最近読んだベストセラー本の『幸せになる勇気』に書かれていた「教師と生徒の関係」とダブってしまうような話だが、この生徒の場合もアドラー心理学に照らせば「注目喚起」に該当するのだろうか?

■「先生がクビになったら」という言葉の意味するところ

 伝えられているところでは、この教師は生徒に対して「これで先生がクビになったら、一生許さへんからな」と暴言を吐いたことになっているが、当人の事後釈明では「一生をかけても男児を指導するという意味だった」とも弁解している。
 この苦しい言い訳では批判されても仕方がないと思われるが、怒りの感情から発した「これで先生がクビになったら、一生許さへんからな」という間引かれた言葉を、そのまま字義通りに受け止めるのもどうかと思う。おそらく、この言葉の中には以下のような意味が込められていたのではないかと想像する。

 「生徒に手を出せば、体罰として問題になることは承知しているが、お前が素直に言うことを聞かないので、先生は仕方なしに手を出した。お前が先生の言うことを聞かなかったことを悪いと思うのなら、黙って従って欲しい。これで先生がクビになったら、お前も俺も一生後悔することになる。

 実際の暴言の中にも「先生がクビになったら」という言葉を使用しているということは、本当にクビになるかもしれないという危険性は充分認識していたということだから、単なる感情的な脅し文句だったと受け取るのは短絡的過ぎるような気がする。少なくとも「体罰」を意識している人間の口から出る言葉ではないと言える。

 ネット上では案の定、「教師が悪い」vs「生徒が悪い」という具合に賛否が分かれているようだ。
 今回の事件を起こした教師の人柄は全く分からないので、ここでは、あくまでも「暴力を行使するに至った教師」という括りで一般論を述べるに止めたいと思うが、生徒に触れてはいけないという現在の教育環境では、今後も、言うことを聞かない生徒に対してキレる教師が出てくることは避けられないと思う。

■生徒が“アンタッチャブル”化したことによる悲劇

 事件の後、この小学校の校長が生徒宅に出向いて謝罪したそうだが、教師の言うことを無視した生徒の行動は全くお咎め無しでスルーなのだろうか? 結果的には暴力を振るった教師が悪いということは理解できるが、その原因を作ったのは他ならぬ生徒の方なのだから、生徒の方にも少なからず謝る必要があるのではないのだろうか?

 この事件を傍から観ていると、暴力を伴わない精神的ないじめに遭っている生徒が、我慢の限界を超えて、いじめっ子に暴力を振るえば、そのいじめられっ子が加害者として非難されるというような理不尽な光景が浮かんでしまう。ある意味で、生徒による教師いじめが許される教育環境が出来上がってしまっているようにすら感じられる。冒頭で述べた「釈然としない違和感」の正体は、まさにその部分だと思う。
 ここでもう1度、お断りしておくと、私はこの教諭を擁護しているのではなく、あくまでも「暴力を行使するに至った教師」(キレる教師すべてが対象)という仮定の括りで一般論を述べている。そこは誤解のないように。

 結果的に、当の教師は戒告処分【別の学校へ異動】で済んだということだから、幸いクビにはならなかったようだが、もしこれで、マスコミが必要以上に騒ぎ、本当に懲戒免職【教師をクビ】にでもなっていれば、この教師だけでなく、生徒の方も後悔する日が訪れることになっていただろうと思う。「自分が教師の言うことを聞かなかったという下らない理由で、1人の教師の人生を狂わせてしまった…」と。
 まさか、「俺は教師を無視したことで体罰教師をクビに追い込んだヒーローだ」などとは思わないだろう。

 現代の日本の教育現場では「体罰」がいけないという理由から、教師と生徒間のスキンシップまで全廃されることになり、生徒が神聖な“アンタッチャブル”と化してしまった。
 この事件は、そんな行き過ぎた過保護な教育環境が齎した悲劇だったと言えるのかもしれない。あるいは、これまで生徒間のいじめ行為を見て見ぬふりをする事勿れ環境にどっぷりと漬かってきた教師達が、皮肉にも、自らも理不尽な環境に追いやられることになってしまったという意味での悲劇なのかもしれないが…。
 いずれにしても、なにか「嫌なものを観てしまった」かのような違和感が拭えない。

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アベノミクスと消費増税問題の本質【経済政策とは何か?】

■「増税しなければアベノミクス失敗」という詭弁

 先月中旬から下旬にかけて各新聞の一面に「消費増税先送り」という文字が踊った。産経新聞に至っては「消費税10%再延期へ」と、既に決定事項であるかのようなタイトルが掲載されていたが、真偽のほどは未だ判っておらず、ガセネタだったというような意見も聞かれた。

 政府の公式発表では「リーマン・ショックや大震災のような事態が発生しない限り、予定通り消費増税を行う」ということになっている。
 しかしながら、「火の無い所に煙は立たない」という前提に立てば、おそらく消費税の増税延期を匂わせるようなやり取りがどこかで有ったのだろうと推察する。
 わざわざ、スティグリッツ氏やクルーグマン氏に相談するまでもなく、日本経済の現状を鑑みれば、誰が考えても増税延期は止むを得ないと思えるのだが、凝りもせずに2年前の増税延期時と同じような批判が出ているようだ。曰く、「約束通り、増税しなければアベノミクスの失敗を認めたことになる」と。

 2年前にも指摘したことだが、この批判は、ただのレトリック(論理の摺り替え)でしかない。しかも、増税しようが増税しまいが、どちらに転んでも批判ができるという悪知恵を忍び込ませたレトリックだ。

■最善策(経済政策)と次善策(消費税増税)

 そもそも、経済政策(この場合はアベノミクス)とは何だろうか? 経済政策が成功する場合と失敗する場合とは如何なる状況のことを指すのだろうか?

 「経済政策」とは、読んで字の如く「経済的な策を講じること」であり、その目的(景気を良くすること)を達成するために最善の策を練り不退転の決意で実行することが重要となる。ゆえに、政策を実行するにあたっては、目的達成を阻む1点の曇りも無視してはいけない。消費税増税などというものは、まさにその目的を阻害する最大要因であり、1点の曇りどころの話ではない。

 経済政策が成功した暁には、国民の生活がより良くなることは言うまでもないことだが、逆に失敗した場合には、万策尽きたという意味で国民に負担を強いることになる。消費税増税は、言わば、万策尽きた場合の次善策であり、決して最善策と同時に実施するような代物ではない。

 ここで先の文章(詭弁)に戻ってみよう。

 「増税しなければアベノミクスの失敗を認めたことになる

 上記に照らせば、この言葉が如何に間違っているかが解ると思う。
 正しく言うなら、
 「アベノミクスの失敗を認めれば、増税しなければならないことになる
 言い換えると、
 「増税すれば、アベノミクスの失敗を認めたことになる

 このように言わない限り、経済政策の批判としては成り立たない。

■経済政策は10年スパンで考えるべき

 アベノミクスと消費増税問題の本質は、経済政策(アベノミクス)の成功・失敗にあるのではなく、経済政策の読み間違い(認識不足)にこそあると思う。
 アベノミクス肯定派とアベノミクス否定派の双方に言えることは、“経済政策が2〜3年で結果が出る”というような考えに基づいていることだと言える。しかしながら、2〜3年で出るのはせいぜい“兆し”のみであり“結果”ではない。まず、この考えを改める必要があると思う。
 経済政策の結果が2〜3年という短期間で直ぐさま出るようなら誰も苦労はしない。日本が現在のような経済状態になるには数十年という長い年月がかかっているのだから、その重病を治すには10年単位でじっくり腰を据えるのが本筋というものだろう。2〜3年で成功するとか、2〜3年で失敗したというのは、あまりにも視野が狭過ぎると言える。

 人間の精神状態も、悪くするのは簡単だが、良くするのは難しい。
 「経済政策が成功する・失敗する」というのは、「国民の思考が変わる・変わらない」と同義語であり、人間の心が2〜3年で簡単にコロコロ変わるという考えが可笑しいのと同様に、景気が2〜3年で簡単にコロコロ変わるという考えも可笑しい。
 まず、このせっかちな考え方を改めない限り、いつまで経っても堂々巡りの無意味な論争に陥るだけだろうと思う。

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