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2016年5月

有給休暇が取りづらい日本社会のお家事情

■有給休暇制度の改善を望む人々の出現

 昨日、BLOGOSで有給休暇についての記事(転載元はキャリコネニュース)が出ていたので興味を抱いて読んでみると、なんと私の記事の紹介が書かれてあって驚いた。元々はキャリアパークというサイトの記事がメインであり、そのサイトに書かれてある記事の内容と私の3年前に書いた記事が同じような内容だったため、ご紹介に預かったらしい。

 実際にキャリアパークの記事を読んでみると、なるほど、内容的にも私の書いた記事と非常によく似ていて驚いた。
 「有給休暇 廃止」でググるとBLOGOSに掲載された私の記事がトップページの1番目に出てくるので、参考にして頂いたのかもしれないが、もし偶然だとすれば、シンクロニシティのようで驚きだ…と言うか、実際に現場で働いている人であれば、同じような感想を抱くということの証明とも言えるだろうか。

 3年前に「有給休暇」について書いた記事は、全国の有給休暇が取得できずに悩んでいる会社員の気持ちを代弁するべく大真面目に書いたつもりだったのだが、タイトルが釣り記事っぽくなってしまったためか、タイトルだけを見て批判していると思われる人が大勢いた(外部サイトも含む)。曰く「有給休暇の廃止を勧めている狂人がいる」という具合に。
 これにはさすがに面食らってしまったので、補足の弁解記事を書いて理解していただこうとしたのだが、はたしてどこまで理解していただけたのかは判らない。元々、内容を読まずに批判してくる人に弁解記事を読んでもらうことを期待すること自体、野暮なのかもしれないが…。

■嫉妬社会ゆえに生まれた有給休暇問題

 基本的に日本の会社(企業という言葉はあえて使用しない)は有給休暇が取りづらい。それは、仕事ができる、できないとは、あまり関係がなくて、仕事のできない人は負い目を感じて取得しづらいだろうし、仕事のできる人は、「自分は仕事ができる」と威張っているような感じがして遠慮してしまう。結局、周囲の人が自分をどう思うのか?ということに敏感な人(A型の人が多いかもしれない)ほど、有給休暇が取れなくなってしまう。
 「仕事ができる人間はどんどん有給休暇を取ればいい」というような意見も見かけたが、良いか悪いかはともかく、気配りができる人ほど有給が取れないと言えば、納得していただける人も多いのではないだろうか?

 日本社会は「嫉妬社会」とも言われる通り、日本の会社というものも“嫉妬”という感情とは切っても切れない関係にある。「出る杭は打たれる」とも言われるが、長い間、集団行動することを要求され続けてきた組織の中にあっては、多くの人々が、その社会の中で育まれてきた独自の文化を疑うことなく、当然のこととして受け入れているため、そのシステムが可笑しいと気付いた人間がいたとしても、組織の中では絶対的少数派となるため、なかなか声を大にしては言えないだろうし、そういった本音を言えなくする空気が日本の会社には確かにある。

 だから、組織の中における“嫉妬”という感情を避けて通る方法論として、「有給休暇を無くせばいい」という結論になってしまった。しかしそれは字義通り、有給休暇を無くせという意味ではなくて、有給休暇で取るべき日数分を初めから休日とし、それ以上に休んだ分は欠勤扱いにすればいいという、ごく当たり前の提案のつもりだった。

 現代の多くの会社では、かつての高度経済成長時代のように、年中、四六時中仕事が多忙なわけではないだろうし、オートメーション化やIT化により仕事自体もより多様化・複雑化しているため、個人の能力によっても仕事の生産性が大きく違ってくるようになった。
 そんな時代では、どうしても仕事と休暇の線引きは曖昧に成りがちだ。しかし、だからこそ、その線引きは個人個人が責任を持って管理するべきであり、有給休暇を取るか取らないかも個人でマネージメントするべきだと思う。組織の事情がどうだのというような理不尽な理由で、暇な時ですら、休みが取れないというような状況は明らかに不自然だ。

 忙しい時には文句を言わず残業や休日出勤もし、逆に暇な時は遠慮なく休暇を取る、それが自然な労働の形だと思うのだが、現代の日本の会社では、前者は意識されても後者は無視されがちという歪な労働環境になっているように思われる。その本来の姿から乖離した労働システムの歪さが、多くの労働者のストレスに繋がっているではないかと思う。
 それもこれも、正社員制度というものが招いた悲劇だと言えるのかもしれないが…。

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携帯電話料金化した「消費増税先送り」

■無意味な消費増税「2年縛り」

 案の定、伊勢志摩サミットを切っ掛けとして、安倍総理は消費増税再延期の事前意思表明を行った。この間、民進党までが消費増税の「2年先送り」を言い出したこともあってか、時期的には既に遅きに失した感は否めないが、昨晩、ようやく「2年半先送り」が決定したらしい。

 伝えられていたところでは「最低でも1年半先送り」ということだったが、民進党が「2年先送り」と言ったために「2年半先送り」になったのかもしれない。皮肉なことに民進党の発言が消費増税再延期の後押しをした格好だろうか。

 少しでも増税時期を引き延ばすことには賛成だが、前回と同じ轍を踏まないためにも、今回は時期的な明言は控えた方が無難かもしれない。
 携帯電話の料金制度ではないのだから、増税のタイミングに「2年縛り」などを設ける必要性は全くない。景気を良くする目標として「2年」というスローガンを掲げるのであればまだ理解できるが、目標そのものを無視して「2年」などと言い切ることに意味が有るとは思えない。
 本来、増税をするかどうかは、景気が良くなった後で問うべきものであり、景気の先行きが全く判らない状況下で増税時期を明言するのは間違っている。景気予測というものは、天気予報や地震予知のように当てずっぽうで時期を言い当てるものではない。

 そもそも「先送り」という言葉が出てくること自体が可笑しいと思えるのだが、「増税先送り」や「増税凍結」という増税をベースにした政策だけでなく、「減税」という考えも少しは取り入れるべきだ。
 「減税しますので、国民の皆様も消費量を増やす努力をしてください。」というような、双方向的な政策を掲げるべきだと思う。

■消費減税4%という折衷案

 もし、消費税を減税する場合、元の5%に戻したとあっては、「なぜ8%にしたのか!?」と批判されることになるので、いっそのこと現在の半分の4%にすればどうかと思う。
 「8%の増税は明らかに失策でしたので、今度は半分の4%に減税してみます。それで消費税収率が上がるか下がるか2年間、様子を見てみます。」と言えばいいのではないかと思う。

 消費税は1%の増減で税収が約2兆円違ってくるので、税率を半分(4%)に下げて、税収が現在の半分以下まで下がらなければ税収率は上がったことになる。そういう試験的な意味も込めての「2年縛り」なら、国民も納得するだろう。
 大体、消費を伸ばすことが政治的な至上命題になっているにも拘らず、なぜ消費税を上げなければならないのか? 一体、どう考えれば、「消費不足→消費増税」というロジックになるのか、さっぱり解らない。
 消費が大幅に増えれば消費税収も増加し、消費増税を行う必要も無くなるわけだから、消費を促すために、ありとあらゆる方策を考え、実施することが政治家の役割だろう。国民に対しても「消費を増やしてください。」と協力を仰ぎ、閉塞した空気自体を変えていく努力をするべきだ。
 そういった努力の甲斐なく税収が上がらないのであれば増税も止む無しだが、お世辞にも、そこまでの努力をしているとは思えない。
 現在の政治を観ていると、「消費税収不足→消費増税」というような国民不在の「」のみのロジックしか見えてこない。国民の「消費」を伸ばすことではなく、「消費税収」を上げることだけが自己目的化しているようにさえ見える。

 以前の消費増税先送り発表時に安倍総理が「1年半先送り」することを国民に詫びたシーンが思い出される。
 しかし、消費税を上げることを国民にお詫びするのであれば筋が通るが、なぜ増税を延期することを納税者である国民にお詫びしなければならないのか不思議に思えた。 商品価格を値上げすることをお詫びする商売人はいても、商品価格の値上げを延期することをお詫びする商売人がいるだろうか?

 1年半前の演説時、安倍総理の虚空を見つめる視線の先には、見えない権力者がおり、まるで、その総理大臣以上の権力にお詫びしているかのように感じられた。「先送りしても消費増税は必ず行いますので、私の政治活動の邪魔はしないでください。」と言わんばかりに…。

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ギブ&テイクの経済学

■デフレが生み出した拝金主義者

 景気が良くなっているのか悪くなっているのか、本当のところがイマイチよく分からないこの国では、相も変わらず1円でも安いモノを欲しがるというデフレ思考が蔓延している。
 仕事にしても、買い物にしても、食事にしても、兎にも角にも1円でも安い方に重きを置き、品質の高低よりも先に価格の高低だけに注目が集まる。多くの消費者は生産者から1円でも多くの富を奪うことをもって良し(=生産者は儲けてはいけない)とする価値観を盲信しているかに見える。
 最近、取り沙汰されている車の燃費不正問題も、車の性能やデザインよりも、まず、燃費(1円でも安いお金)に重きを置く社会であるからこそ発生した不正問題だとも言える。

 よくよく観察していると、どうも、かつてマルクス思想に嵌った人ほど、デフレを好む傾向にあるようで、マルクス主義から脱したと思っている人の中にもデフレを好む人が多いのは偶然ではないような気がする。

 “お金儲けは悪いことだ”という貧しい思想を内包したデフレ教(拝金教)に身も心も被れてしまった人々がそこかしこに跋扈しており、逆に生産者に1円でも多く儲けてもらうことを喜びとするような気前の良い消費者は、この失われた20数年来、どんどん減少しているかのようにも感じられる。

 デフレ思想は、利益という名の空気を真空に近付ける役目を果たした。それゆえに、その薄くなった空気の中で窒息しそうになった人々は、我れ先にと空気を奪うことに専心し、自分さえ良ければ他人はどうでもよいという利己主義者を数多く生み出した。その歪んだ思想が日本経済に必要以上のダメージを与えてきただろうことは想像に難くない。

■「Give and Take」思考のススメ

 Give and Take(ギブ・アンド・テイク)という言葉は有名で、ギブ(与える)とテイク(得る)は一対のものと考えている人は案外多いのではないかと思う。しかしなぜ、Give and Takeとは言うのに、Take and Giveとは言わないのか?と不思議に思わないだろうか?

 経済的に考えると、
  Take only(テイク・オンリー)とは、「泥棒」を意味し、
  Give only(ギブ・オンリー)とは、「ボランティア」を意味する。

 では、Give and Take と Take and Give の違いとは何だろうか?

 Give and Takeは、「持ちつ、持たれつ」とか「お互いに譲り合う」というような関係だと思われがちだが、実際のところは、「与えよ、さらば与えられん(与えよ、さらば得られん)」という宗教的な意味合いの言葉が込められているらしい。

 ここで重要なことは、単に「与えたから得られる」というような意味ではなく、「見返りを求めずに与えた人間だけが、自然と(見返りを)得ることができる」という意味になる。だからこそ、Take and Give(与えられたから与える)という見返りを含んだ言葉は使われないのかもしれない。

 先のデフレ思考に話を戻すと、現代の日本で幅を利かせている安値競争に重きを置く人々などは、まさしく「見返り」を求める人々だということがよく分かる。 
 「1円でも安くしなければ、お金を払わない」という考えは、Take and Give思考であり、Give and Take思考とは言えない。そもそも、「お客様は神様だ」というような思い込みがどこかに有る場合、それは端から対等の立場にないということだから、Give and Take思考では有り得ない。

 Give and Take思考とは、「1円でも多く儲けてもらうことで巡り巡って富が返ってくる」という原因結果の因果を理解したマクロ思考のことであり、これが足りないがために、日本経済はいつまで経ってもデフレから脱却できないのかもしれない。

 念のため、お断りしておくと、ここで述べているのは「消費者が生産者にお金を恵まなければならない」というような意味ではないので、誤解のないように。(無論、品質を無視せよという意味でもない)

【追記】2016.05.23

(BLOGOS転載記事の反論コメントに対する反論になります)

>燃費はクルマの性能そのものだ。

 「燃費性能」という言葉もある通り、それはその通りなのですが、車にはその他にも様々な性能があります。交通事故が起こった時の安全性や、長時間ドライブする時の快適性など、数え挙げればキリがないほどの比較するべき性能があります。しかし、そういった価格として判定するのが難しい性能よりも、目先の燃費性能ばかりに目がいくのは、明らかに全体的な品質よりもお金に囚われている証左ではないでしょうか?ということ。

 「燃費はクルマの性能そのもの」と言われても、車種によって燃費は大きく変わってきますし、燃費の安い軽自動車が最も性能が良いというわけでもありません。車の価値を計る1つの指標に過ぎない燃費性能だけに拘ることに不自然さを感じるというだけの話です。

>拝金主義者がデフレを生み出すのであって、デフレが拝金主義者を生み出すわけではない。

 拝金主義者なんていうものは、古今東西を問わず何時の時代にも存在しています。もし「拝金主義者がデフレを生み出す」のであれば、いつの時代も世界中が永遠にデフレということになってしまいます。

 私が述べているのは、「デフレ思想が生んだ拝金主義者」という限定的な意味なので、「デフレ思想」が存在しなければ生まれない拝金主義者という括りになります。よって、論理的には「拝金主義者がデフレを生み出す」とはなりません。

 卵が先か、鶏が先かの話になってしまいますが、デフレ思想が拝金主義者を生み出し、その拝金主義者がデフレを生み出す。問題はその無限ループが生まれる背景にあるのであって、どちらか(拝金主義者 or デフレ)一方だけに問題があるわけではありません。これは「企業」と「消費者」の間でも言えることです。

>企業の利益率は上昇し、企業の内部留保は増え続けている。

 日本全体としての企業の内部留保が増加しているのは間違いありませんが、それは景気の良い企業(主に大企業)に限った話であって、大部分の中小企業では今時、内部留保などという概念とはほとんど無縁だと思います。内部留保どころか採算ギリギリで経営している中小企業は山のようにあります。

 「企業の内部留保」というより、「一部の景気の良い企業の内部留保」としなければ、あまりにも大雑把過ぎて現実味が感じられません。と同時に、一部の景気の良い企業が内部留保を取り崩しても、日本全体の給与所得者の給料が上がるわけでもありません。

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ブックオフで考えるリユース経済

■「デフレモデル」から「リユースモデル」へ

 最近、車で街中をドライブしていると、リユース系のショップが随分と増えてきたなと思う。全国的には「ハードオフ」、都市部では「トレファク」などが有名だが、その他にも地域密着型のリユースショップをよく見かけるようになった。
 ブックオフなども、古本の買取・販売だけでなく、家電や衣類まで取り扱うようになり、モノが売れない(お金を使わない)時代を象徴するかのような現象を目の当たりにしているかのように感じられる。(ちなみにハードオフとブックオフはグループ企業ではなく、別会社)

 しかし、ブックオフの中古家電の買取は流石に伸び悩んでいるようで、現状では、あまり芳しくないらしい。私もよくブックオフの店舗を巡って古本は買うのだが、さすがに中古家電(パソコンは除く)まで買おうとは思わない。単価の低い古本よりも単価の高い家電を売買した方が儲かるのかもしれないが、新品家電が安価に買えるようになった現代で、故障リスクの高い中古家電を購入することにメリットを感じる人が果たしてどれだけいるのかは正直、疑問ではある。

 家電は本のように何度も回転売買するような代物ではないので、需要があっても、1回の売買で完了してしまう場合がほとんどだろうと思う。家電の場合、新品で購入したオーナーが売って、セカンドオーナーが購入、そのまま故障するまで使い続けるケースが多いのではないかと思う。土地転がしならぬ、家電転がし(所謂“せどり”)がいれば話は別だが。

 本やゲームの場合、薄利多売ならぬ薄利回転売ができるが、家電の回転売買は期待できない。
 「リユース革命」を謳うブックオフ&ヤフオク!(ヤフーはブックオフの筆頭株主)は、古本をヤフオク!のシステムを利用して併売できるようになったことで奏功(売上アップ)したが、中古家電の場合は、ブックオフを経由せずに、直接、ヤフオク!で売買する人の方が多いのかもしれない。

 古着の場合も、個人的にはあまり買いたくないアイテムだが、需要は結構あるらしく、多くの衣服が陳列されている。中国で生産して日本で売るという物価格差を利用したデフレモデルが一時的に行き詰まっていることもあり、ユニクロを利用していた客層の一部がユニクロ商品が値上がりしたことを背景に、リユースショップに流れているのかもしれない。

 デフレモデル自体は、もう随分前から中国から東南アジア等の発展途上国へシフトしつつあるので、今後も生産地を転々として続いていくことが予想されるが、安価な商品を入手できるデフレモデルから生まれた商品でも満足できない人々の足は、更に1円でも安いモノを買おうとリユースショップへと向かう。

 消費モデルは、「デフレ」から「インフレ」ではなく、「デフレ」から「リユース」へと向かっているのかもしれない。そんな時代に消費税を更に上げるなどという愚策は勘弁して頂きたいものだ。

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BOOK『さよならパヨク』を読んで。

■脱原発運動終焉の足音が聞こえる

 あまり話題になっていないが、現在、隠れたベストセラーとなっている「チバレイ」こと、元祖電脳アイドル千葉麗子氏の実録ノン・フィクション『さよならパヨク』を読んでみた。ちなみに「パヨク」という言葉は、最近、ネットでよく見かけるが、「劣化した左翼」という意味らしい。

 大阪生まれで福島県で育った千葉麗子氏は、東日本大震災を契機に「福島をなんとかしなければいけない」という使命感から、反原発運動に参加することになる。元アイドルということもあり、反原発のシンボルとして担ぎ上げられるが、反原発活動を続けているうちに疑問と違和感を感じて、脱パヨクに至る。その数年間の経緯が短いながらも赤裸々に述べられている。

 かなり際どい内容なので、ここではあえて説明は省略させていただくが、個人的には「やっぱりな…」というのが正直な感想だった。「虎穴に入らずんば子を得ず」という諺の通り、反原発運動の真っただ中に潜入した千葉麗子氏の、その活動の中に我が身を置くことによってしか手に入れることのできない生の体験談は、実に興味深く面白かった。元アイドルの歯に衣を着せずの語り口は意外にも新鮮で斬新だった。

 右も左も分からなかった女性が、単身で反原発運動に身を投じるのは、さぞ勇気がいったことだろうし、また、このような暴露本を出すのも更に勇気がいったことだろうと思う。そう考えると、元々、天真爛漫で純粋無垢なタイプなのかもしれないが、現在は、逆に右翼的な活動の方に傾斜されているらしい。

 千葉麗子氏と同じように、さすがに原発事故から数年も過ぎると、熱が覚める…と言うよりも真実に気付き、反原発運動から逃げ出す人は多いらしい。その足音はどんどん大きくなり、本書を通じて遂に我々一般人の耳にも聞こえてくるようになったというところだろうか。

 物事の両極端を知らなければ中道は解らないと言われるが、左も右も体験すれば、中道がよりハッキリと見えるようになるかもしれない。両極を体験した女性としての中道(保守)論を上梓される日を楽しみに待ちたいと思う。

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暴言王トランプの強かな選挙戦略

■「黒船」としてのトランプ氏

 「暴言王」の異名を持つ次期アメリカ大統領候補者であるドナルド・トランプ氏に再び熱い注目が集まっている。当初は泡沫候補の1人と目されていたトランプ氏だったが、共和党候補指名が確実となった時点で、彼が大領領の椅子に座るという、およそ現実味の無かった未来像が、朧げながらイメージできる程に現実味を帯びてきたというところだろうか。

 トランプ問題に関して、現在、日本で最も話題になっているのが「在日米軍撤収論」だ。トランプ氏が、どこまで本気で言っているのか判らないが、在日米軍の存在を損得勘定で考える辺りは実に実業家(不動産王)らしい発想だと言える。
 ここ数年で日本でも、日米安保条約による安全神話の不確実性が議論されるようになってきつつあったが、ここにきて次期アメリカ大統領候補者の口から発せられた言葉が持つ意味は想像以上に重い。

 もし、これが本気の発言だとすれば、日本の防衛上、由々しき事態だと言えるが、現状では、選挙戦で注目を集めるためのブラフ(ハッタリ)という可能性も否定できない。無名の政治家が世間の注目を集め、大領領までのし上がっていくためには、それなりの選挙戦略が無ければ不可能に近いことなので、トランプ氏にとっては「暴言」こそが注目を集める最大の武器だったとも考えられる。実際のところ、トランプ氏が他の候補者と同じように当たり障りのない常識的な発言ばかりしていれば、本当の泡沫候補者で終わっていたことだろう。
 常軌を逸脱した破天荒な暴言の数々も選挙に勝つためには必要なことだったとは考えられないだろうか?

 しかし、仮にトランプ氏の暴言がデフォルメされた誇張を多分に含んだ言葉であったとしても、堂々と本音を述べる大領領候補者が出てきたことは、国内外に大きな波紋を呼ぶに十分な破壊力を秘めている。トランプ氏の開けっ広げな本音トークは、平和ぼけした日本の「太平の眠り」を覚ます黒船の役割を果たすことになるかもしれない。

■反米論者にとってトランプ氏は「獅子身中の虫」

 アメリカ側から「在日米軍を撤収する」などと言われると、これまで米軍の撤退を声高に叫んできた反米左翼陣営の人々は歓喜の涙を流して喜ぶのかと思いきや、そういった声は全くといっていいほど聞こえてこない。本来なら、トランプ大領領熱烈歓迎デモ応援ビラ配りでも行うのが筋だと思えるのだが、どういう訳か、今回に限り感情的にはならず、冷静に事態を見守っているかに見える。

 思うに、彼らにとっては、思想や理想がどうのと言うよりも、単に本音を述べる人物が煙たいだけなのではないだろうか?
 たとえ、彼らにとって米軍撤収が喜ぶべき事態(実際は最悪の事態を招くトリガーになる危険性が有るのだが)だったのだとしても、将来的に、自分達の矛盾した行動を本音でズケズケ糾弾するような権力者が出現することは問題だと察しているのかもしれない。味方だと思っていた人物が敵になる可能性を秘めているという意味では、トランプ氏の姿に「獅子身中の虫」的な恐怖を潜在的に感じているのかもしれない。
 現状を観察していると、そういう意味合いで沈黙を守っているのではないかと勘ぐりたくもなる。

■暴言から生じる「嘘から出た実」

 アメリカにとって、米軍が日本に駐留していることは、損得勘定だけでは評価できないことであり、それなりの軍事資金が必要になったとしても意味のあること(=投資)だからこそ維持されてきたという側面がある。
 その主な理由は、日本の共産主義化を防ぐためであり、中国や北朝鮮から日本を守ることは、自国(アメリカ)を守る思想戦という意味でも大きな意義があった。自腹を切って駐留費を支払ってもお釣りが出るくらいに割に見合った軍事投資でもあったわけだ。
 今、在日米軍が本当に撤収してしまえば、高い確率で日本は共産主義勢力に呑み込まれてしまうことになるので、これまでの投資がパーになってしまう危険性がある。
 アメリカで実業家として成功した投資家のトランプ氏が、そんな単純なことを知らないとは思えないので、おそらく無知な有権者を鼓舞するためのリップサービスで大言壮語している可能性が高いと思う。

 どんなハッタリや嘘であったとしても、人々は本音を述べることができる大統領を待望しているのであり、その風潮を敏感に感じとったトランプ氏の強(したた)かな選挙戦略として「在日米軍撤収論」が浮上したと考えた方が理に適っていると言える。

 しかし、たとえ嘘や誇張であったとしても、顕在化した本音が齎す影響は軽いものでは済まないかもしれない。日本側は、落としどころとして、在日米軍駐留費として幾分かの追加資金を本当に用意しなければならなくなるかもしれない。
 このままいくと、投資家トランプ氏は、投資した資金と冒したリスク以上の利益と名誉を回収することになりそうだ。まあ、それで日本の安全が保障されるのであれば、安い買い物と言えるのかもしれないが…。

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1000兆円刷っても大丈夫な日本経済

■株式市場における政府の役割

 4月28日(木)に行われた金融政策決定会合にて、日銀は追加緩和の実施を見送った。そのせいもあるのか、株価は急落し、追加緩和の実施を織り込みつつあった円相場も112円手前から一気に急騰し、現在、106円台をつけるに至っている。
 少し前に、円が108円を切った辺りで麻生財務相は「急激な円高を牽制する」との姿勢を見せていたが、107円を切っても同じように、「必要とあれば為替介入を行う」と述べるに留まっている。

 現時点では、安易に追加緩和や為替介入を行うべきではないと言う人は多いと思う。そういった批判やリスクを避けるという意味でもヘタには動けないというのも理解できるのだが、口約束だけではなく、言ったからにはやるべき時にはやるという姿勢も見せないと、投機筋の好き勝手が罷り通る博打相場になってしまう。
 株式市場においては多くの投機筋が暗躍しているので、その行動に一定の暗黙の縛り(ルール)を設けるためにも政府の意見というのは非常に重要になる。政府というのは、ある意味で、最大の投機筋であり最大の仕手グループと成り得る存在だ。ゆえに株式市場というカジノ場で、ある程度の安定性を担保する(睨みを利かす)のは政府の役割だとも言える。

 株式市場というのは、体裁上は“健全な投資家が集う場所”であるわけだから、その投資家が逃げ出すような不安定な場所にしないように最低限の監視は必要であり、それができなければ、投機筋から“無能政府”の烙印を押され、恰もイジメが罷り通るような無法市場と化してしまう。中国のような過剰な市場監視は大問題だが、日本のような放任し過ぎる姿勢も問題だと言える。実際、現在の日本の株式市場の値動きは中国のそれよりも不安定になっている。

■1人200万円ではインフレにすらならない

 ところで、「金融緩和すればハイパーインフレになる」という言葉が流行したことは記憶に新しい。結果的には200兆円程度の金融緩和ではインフレにすらならなかったことも記憶に新しい。
 では一体いくら金融緩和すればハイパーインフレになるのか?ということだが、おそらく1000兆円の金融緩和を行ってもならないと思う。なぜそう思えるのかを具体的に説明してみよう。

 200兆円の金融緩和を行ったとして、そのお金が個人個人に等しく行き渡る(実際には行き渡らないが)と仮定するなら、国民1人辺りの資産は(200兆円÷1億人=)200万円増えることになる。(注:1億人というのは単純化した数字)
 仮にあなたが4人家族だとすれば、1人200万円で計800万円だ。では、あなたの家族に800万円のお金が入ってきたとして、あなたやあなたの家族の心境は大きく変わるだろうか? 「大金がタナボタで入ってきた。これで将来の心配をすることなく何でもバンバン買えるぞ。」となるだろうか?

 残念ながら、答えは「ノー」だと思う。

 800万円では、マイホームは買えず、せいぜい高級車が買える程度だ。その程度のお金で将来の安定をイメージできる人は、ほぼいないだろうから、その800万円を将来のために貯金して終わりという人が大半だろうと思う。元々、お金に心配の無い人だけが、その800万円を景気良く使い、一時的に景気が良くなることは間違いないだろうけれど、大部分の人々が「景気が良くなった」とイメージするには遠く及ばない。
 お金をどれだけ刷っても、そのお金が景気良く動かない限り、死に金であり、景気に与える影響は無いに等しい。

■然るべき時に追加緩和するべき

 もの凄く極端な喩え話をすると、あなたが甲子園球場に1人でいたとして、目の前に1000兆円の札束が現れたとしよう。高さ1000mに達する札束が100列×100列で1万束出現したとしよう。
 その1000兆円と現在の国民の金融資産1500兆円を足せば、合計2500兆円のお金が日本国内に存在することになる。では、それでハイパーインフレになるかというと、ならない。ハイパーインフレどころかインフレにすらならない。
 なぜなら、そのお金は金融資産としてカウントされておらず、そこに存在するだけで全く動いていないからだ。
 
 もの凄く単純で滑稽な喩え話だが、実は金融緩和の効果もこれと同じ理屈であり、刷った金額などはほとんど関係が無い。要は、動いているお金、これがどれだけあるかが重要なのであり、国民の多くが将来に対する不安を払拭できるだけのお金を刷らない限り、ハイパーインフレになどは成りようがないのである。
 景気を動かすキーはお金の量ではなく、その手段としてのお金の量が、人々の思考にどれだけの影響を及ぼすか、それこそがキーと成り得る。

 では、1000兆円刷ればどうなるか? 1人辺りの資産は1000万円増えることになる。4人家族では4000万円だから、これならマイホームも買える計算になる。将来的に家のローンを支払わなくてもいいようになるので、かなり大胆な消費も行えるようになるだろうし、インフレになる可能性も高くなる。しかし、これでもハイパーインフレにはならないと思う。

 もし、政府が、ハイパーインフレになるという危惧から金融緩和をできずにいるのなら、幸か不幸か、その心配は、限りなく0に近いと思われる(国民の財布の紐はそれほど緩くならないため)ので、口約束通りに、然るべき時に追加緩和すればいいのではないかと思う。

 余談ながら、本来、金融緩和の果実を国民が等しく受け取るためには、アメリカのように大部分の国民が株式市場に参加することで市場から受け取るというのがベストだと思われるのだが、株式投資の人口比率が低い日本では、そういった方法論すら現実味のない夢物語となってしまう。だからこそ、「ハイパーインフレになる」というような心配も、全くの杞憂、全くの夢物語になってしまうのである。

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