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「多数決」至上主義の愚(「民主主義」の曲解)

■「民主主義」が「衆愚政治」にならないために政治家は存在する

 「民主主義」の定義は時代とともに変化してきたものであり、その概念は現代に至っても未だに固定的なものとしては定義されていない。
 仮に「民主主義」に対するものが「反民主主義(=独裁主義)」とするなら、民主とは、単純に「民が主役」のことを意味し、独裁者ではなく民衆が意思決定するものと定義することができる。
 では、独裁者を除いた民衆が「多数決」で物事を決めることは「民主主義」と言えるだろうか? 民衆と民衆が多数決を採り、過半数を占めた意見が絶対とされるのであれば、なぜ、それが民主主義になるのだろうか? 仮に100人が多数決アンケートに参加したとして、その結果が51人と49人に分かれた場合、51人の意見を正しいとし、49人の意見は間違いだとバッサリ切り捨てるのであれば、それは民主主義と言うよりは、ただの優勝劣敗主義、または、勝てば官軍主義と言った方がピッタリする。51人側も49人側も民衆には違いないのだから、「多数決」を「民主主義」と言うのは言葉の定義上も無理がある。

 しかし、そうは言っても、民衆は物事を多数決で決定するしかない、ここに「民主主義」の矛盾がある。民衆が物事を決めると言っても、その方法論が「多数決」であるのであれば、少数派の民衆の意見は無視されるという矛盾が生じる。この矛盾に気付かずに、「多数決」で決定することが「民主主義」だと曲解している人は大勢いる。特に、リベラルと称する人々は、優勝劣敗主義と相性が良いのか、その傾向が強く見受けられる。それはどこか、戦勝国が敗戦国の文化を変えても構わないとする独善的な思考と似ている。
 
 古代ギリシャ以降、「民主主義」が「衆愚政治」と言われ続けてきたのは、結局、民衆だけに任せても、正しい選択解が得られるわけではないという皮肉が込められている。それゆえに現代では、間接民主制(議会制民主主義)が採用されている。民衆だけで多数決を行っても、結局、弱者を切り捨てる「優勝劣敗主義」「勝てば官軍主義」になってしまうだけなので、別の誰かが審判役を務め、負けた側の意見にも耳を傾け、出来得る限りの折衷案を模索する。それが政治家の仕事であり、存在価値(レゾンデートル)というものだ。

■直接民主制に手を出したキャメロン首相

 EU離脱の話題は尽きないが、イギリスのEU離脱がここまで世界的な大問題になるとは当のキャメロン首相も考えていなかった…と言うよりも、大問題になることは解ってはいたが、まさか離脱派が過半数を占めるとは思っていなかったのだろうと思う。ゆえに、その重責(世界中からのバッシング)に耐えることができないと判断して即座に辞任することを決意したのだろう。
 今回のEU離脱劇で最も肝を冷やしたのは、キャメロン首相自身だったに違いない。間接民主制(議会制民主主義)の代表者であるはずの政治家が直接民主制に手を出すことの恐ろしさを嫌というほどに味わったことだろう。

 本来、直接民主制の恐さを知るがゆえに、間接民主制(政治家という存在)というものが有るはずなのだが、何を勘違いしたのか、絶対的な自信からか「国民投票」という禁じ手(タブー)に手を出してしまったのがキャメロン首相の間違いだった。

 前回の記事の追記にも書かせていただいたが、私は「残留派」でも「離脱派」でもないので、「国民投票」の結果が「残留」であれ「離脱」であれ、この考えは変わらない。

■「多数決」主義は似非民主主義

 「国民投票」を行うのであれば、その結果を参考にして、EUに対する政府の姿勢を考えるという風にするべきだったと思う。それが間接民主制(議会制民主主義)というものの基本であり、それを無視するなら、政治家など必要ないということになってしまう。

 それに、「国民投票」が1回こっきりというのも間違っている。スポーツの試合(例:バレーボール)などでも、セット制というものがあるが、なぜセット制というものが有るのかと言えば、1セットだけでは、本当の実力が計れないからだろう。
 「国民投票」もこれと同じで、たった1回だけでは、本当の民意というものを判断するのは難しい。時期的なタイミングによっても、結果は少し変わってくる。特に今回のような僅差の場合は、キャメロン首相の不人気(パナマ文書問題など)だけで、離脱派有利に傾いたということも有り得る。

 日本を例にしても、5年前の東日本大震災が発生した直後に「脱原発か否か?」というような国民投票を行えば、ヘタをすると脱原発を選択する人が過半数を占めたかもしれない。しかし、5年経った現在、同じような国民投票を行えば、結果は全く違ってくる。タイミング次第で、国民投票の結果は大きく違ってくるので、1回こっきりの国民投票では、正確な解答など得られるはずがないのである。

 だから、せめて、半年おきに3回行うとか、3分の2を占めればそこで決定とか、もう少し慎重に細かい条件を設定するべきだった。これは、仮に残留派が過半数を占めた場合でも同じことであり、僅かな差であれば、どちらも民意に近いという柔軟な姿勢を崩してはいけない。僅か1票の差で、負けた方は全て間違いなどという短絡的な発想は、およそ民主主義では有り得ないからだ。たとえ、1票の差でも厳粛に受け止める。それは勝者だけに限った話ではなく、敗者に対しても同じ姿勢を貫かなければならない。それが本来の民主主義の基本理念というものだ。「勝てば官軍」が民主主義だと思っている人が多く見受けられるが、それでは単なる「多数決」主義であり、個人の意見を尊重するという意味合いからは遠く離れた似非民主主義であるということを知らねばならない。

【関連記事】イギリスEU離脱劇にみる「民主主義」の脅威

 

【追記】2016.06.29

(BLOGOS転載記事のコメントに対する反論になります)

>筆者の方は英国のEU離脱が正しくないと結論づけちゃってるわけね ちょっと結論を急ぎすぎてない?

 繰り返しになりますが、「EU離脱が正しくない」と言っているのではなくて、「方法論が安易過ぎるので認め難い」と言っているだけです。投票の結果が「EU残留」でも言うことは同じだと本記事内にも書いています。

>結果として過半数の賛成を得た意見を実行する方が、国家にとってより良い結果をもたらすものと見なす、そういう判断を下すプロセスだ。

>どうして、こうも革命論者が多いのかねぇ・・・ 民主的プロセスに則り行われた票決を否定できるのは 票決のみだよ・・・例え、それが49対51でも

 仮に、ある事柄についてYesかNoの国民投票を行った結果、たった1票の差でYesが票決された場合を考えてみてください。その際、Noに投票するはずだった、ある夫婦が運悪く交通事故に遭い、投票できなかったとすれば?

 その場合、その夫婦が投票できなかったことで票決が逆の結果になったことになります。

 その場合でも、「1票の差は重い、どんな事情があったにせよ、それが民主的プロセスであり民意だ!」と言い張るのであれば、それこそが民意を無視し、数字だけに囚われている姿であり、異論を一切認めようとしない独裁者の発想と言えます。

 「直接民主制」がなぜ危険なのかと言えば、一歩間違えば、独裁者に代わって多数派が独裁者に成り得る危険性が有るということです。多数派の民衆が、融通性を失い、異論には一切耳を傾けないということになってしまえば、何のための民主主義か分からなくなってしまいます。

 そもそも、今回のEU離脱問題の場合、現状維持派であるはずの「残留派」がなぜ革命論者になるのかが理解できません。

 ここでもう1度、繰り返しますが、私は「離脱派」でも「残留派」でもありませんので、誤解のないように。

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コメント

追記しました。

投稿: 管理人 | 2016年6月29日 (水) 22時37分

手間ヒマがかかり、誤った結論になったとしても、そして最後の最後は51対49であっても多数意見に従いましょう、というのが民主主義。
独裁よりかマシで、納得できる仕組みなんですよ。

投稿: そうなんですが | 2016年6月30日 (木) 18時18分

今井何とかが当選、議会の多数決に加わることを考えると、民主主義はダメかもしれない。

投稿: 今回の参院選 | 2016年7月12日 (火) 08時50分

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