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たとえ話で解るマクロ経済学

■抽象的に成り過ぎている経済用語

 「マクロ経済」と「ミクロ経済」というものの定義は、専門書を読んでも具体的に述べられているようで述べられておらず、「国家」や「個人」、「市場」や「企業」といった言葉で説明されている場合がほとんどであり、どこか抽象的に成り過ぎて、その線引きがややこしいと感じることがある。

 ケインズ経済学の「有効需要」や古典派経済学の「セイの法則」などという言葉で語られても、経済用語に明るくない世間一般の人々は、そういう専門的な言葉を聞いただけで耳を塞いでしまい、結局なにも解らないということになってしまう。
 専門家というものは得てして、簡単なことを難しく説明することで成り立っているものなので、端から万人に理解してもらうことを目的としていないのかもしれないが、経済理論というものは、本来はもっと簡単に説明できるものだと思う。

 ケンブリッジ大学の経済学者も次のように述べている。

配管工事であれ薬学であれ少しでも技能を要する業界の用語は、部外者を怖じ気づかせる。さらに皮肉を言うなら、どんな専門職も実態以上に複雑に見せかけ、高い料金を正当化したいものだ。そのうえで言うが、経済学ほど一般人をうまく敬遠させているものはない。」【『経済学の95%はただの常識に過ぎない』より】

 「木を見て森を見ず」という有名な言葉の通り、マクロ経済は「森」を見て、ミクロ経済は「木」を見る…と言っても、具体性に欠ける。ゆえに、ここではもっと具体的な例を用いて、説明してみたいと思う。

■あなたはマクロ経済派 or ミクロ経済派?

 例えば、あなたが昼食のパンを買うためにコンビニに立ち寄ったとしよう。どこのコンビニでも、パンを陳列している棚があると思うが、その棚には同じパンが複数個重ねて並べられている。あなたは買いたい(食べたい)と思うパンを見つけるが、そのパンが3つ並んでいたとしよう。
 急いでいる時は何も考えずに一番手前のパンを手にすると思うが、その日のあなたは時間に余裕があったので、その3つのパンを手に取りじっくり見比べてみた。すると、あなたはそのパンの製造日付(消費期限)が違っていることに気が付いた。手前から奥に行くに連れ、製造日付が1日ずつ違っていた(無論、奥に行くほど新しい)。

 さて、この時、あなたは、どのパンを選択するだろうか?

 この質問に対し、「1番奥のパンを選択する」という人は、ミクロ経済派だと言える。

 こう言うと、「1番消費期限が長い商品を買うのは消費者として当然の行為だろう」という反論があるかもしれない。
 確かに出来立てのパンの方が新鮮な感じがして味も良いかもしれない。新しいパンの方が価値は高いかもしれないが、タイムサービス品のように売価に差があるわけではないので、ここでは消費期限が切れるまで(食えなくなるまで)は同じ価値を有したパンだと仮定する。

 逆に「(意識的に)1番手前のパンを選択する」という人は、マクロ経済派だと言える。なぜそう言えるのか? それは、生産者側のことも考えて消費活動を行っているという点にある。

 どこのコンビニでも陳列されているパンが全て残らず売れることを目的として製造日付の新しいパンを奥に並べるという商行為を行っている。消費者からすれば、より新しいパンを買いたい(食べたい)と思うのは当然かもしれないが、全ての消費者が奥に並べられているパンばかりを購入するようになると、パンが売れ残り廃棄になる可能性が高くなる。そうなると、コンビニ経営にマイナスの影響を及ぼすことは言うまでもないところだが、もっと視点を大きくすると、コンビニの親会社やパンの製造会社や諸々の関連会社の経営にも打撃を与えることになり、延いては日本経済全体の景気にも悪影響を及ぼす結果になるかもしれない…否、実際にそうなるだろう。

 コンビニでのパンの購入(選択)の仕方だけで、最終的には日本経済自体に悪影響を及ぼし、その悪影響は、パンの値上がり等による負の悪循環によって、そのパンを購入した個人にも及んでしまう可能性がある。
 仮にそこまで考えている人がいたとしても、実際には1番奥のパンを購入するかもしれないが、少なくとも、自らの消費行動自体が自分自身にブーメランの如く跳ね返ってくるかもしれないという考えに至ることのできる人が、マクロ経済派だと言える。

■ミクロ経済だけでは経済は成り立たない

 ミクロ経済学とは、先の例で言うなら、「価値の高いパンをいかに安く手にいれるか」を学ぶ学問であり、マクロ経済学とは、「どのようにパンを売れば、市場が効率化するか(景気が良くなるか)」を学ぶ学問でもある。

 消費者に任せると、手前のパンは売れ残り(前者)、生産者に任せると、手前のパンしか取れなくなる(後者)。

 ケーキ屋などは、ガラスのショーケース内にケーキが置かれているので後者を採用していることになるが、これも古い商品から順番に販売するという知恵なのかもしれない(この場合は新しいケーキが前面に置かれている)。
 高価で消費期限の短い食品ほど、消費者には任せられないということなのだろう。この1点だけでも、ミクロ経済の未熟さとマクロ経済の必要性がよく解る。このことは、マクロ経済を理解しない個人の合理性(あるいは欲望)だけに任せると、経済は悪化する可能性があることを意味している。

 ここで専門用語に切り換えて説明すると、経済用語で言うところの「神の手」は大部分の人々がマクロ経済を理解しているという条件下でしか上手く機能し得ないということであり、このことは民主主義についても当て嵌まる。大部分の人々が個人主義を超えたマクロな倫理観を有しているという条件下でしか民主主義も正しく機能しない。

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