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2016年9月

BOOK『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』を読んで。

■「日本の歪んだ常識」のカラクリ

 親日家として知られるケント・ギルバート氏の新刊『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』を読み終えた。
 『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』、『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』に続くPHPシリーズ3作目となる本書は、非常に興味深く示唆に富み、知的好奇心を刺激してくれる本だった。
 『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』と言うよりも、現状では『いよいよ歴史戦のカラクリを発信したケント・ギルバート』という段階かもしれないが、非常にフランクに正論を語られているのが印象的だった。

 例えば、共産主義に関して、ケント氏は以下のように述べられている。

>人間に欲望や個性が必ず存在するかぎり、結果の完全平等とは、悪平等にしかなり得ないのです。共産主義者は、根本的な人間理解に欠けています。人間のことを、大量生産の歯車と同じだと考えているからです。共産主義とは、有能な人間のやる気を失わせ、無能な人間はますます無能な怠け者になるという仕組みです。人間の精神面を確実に腐らせ、社会を後退させます。だから、ソ連や東欧諸国は破綻したのです。

 まるで、日本の多くの会社にもそのまま当て嵌まりそうだが、私も同じようなことを書いたことがあるので共感を覚えた。上記のような認識は、まともな先進国では常識なのだろうけれど、日本だけは随分と違うらしく、ケント氏は40年前に来日した時から違和感を感じられていたらしい。

 GHQの影響を受けなかったアメリカ人の目から冷静に観察した戦後の日本社会の様相が具体的に書かれており、読む人によっては、スパイドラマを観ているかのような錯覚を覚えるかもしれない。歴史の裏に隠された真相を知ることで、世界の常識から乖離した日本の歪んだ常識を形作ってきた巧妙なカラクリの一部が垣間見えるかもしれない。

■「戦争は情報戦から始まる」カラクリ

 永世中立国であり国民徴兵制度のあるスイスの国民は、以下の2点を常識として認識しているらしい。

 「軍事力によってこそ国の独立は守られる
 「戦争は情報戦から始まる

 日本では「はあ?」と言うような人も多そうだが、残念ながら、「はあ?」などという言葉が出てくること自体、「私は平和ぼけしています」と白状しているようなものだろうと思う。ケント氏も日本人の「平和ボケ」と「知的怠慢」を嘆かれている。

 スイス政府が冷戦時代に出版し一般家庭に配布した『民間防衛』という本の中にある「武力を使わない情報戦争」の手順とは、次のようなものであるらしい。

 第1段階
  工作員を政府中枢に送り込む。

 第2段階
  宣伝工作。メディアを掌握し、大衆の意識を操作する。

 第3段階
  教育現場に入り込み、国民の「国家意識」を破壊する。

 第4段階
  抵抗意志を徐々に破壊し、「平和」や「人間愛」をプロパガンダに利用する。

 第5段階
  テレビなどの宣伝メディアを利用し、「自分で考える力」を国民から奪っていく。

 最終段階
  ターゲット国の民衆が無抵抗で腑抜けになったとき、大量植民で国を乗っ取る。

 ケント氏は、この文章を読んで、これは日本のことを書いたものではないか?と戦慄を覚えられたそうだが、なるほどな…と考えさせられる。

 本書は、現代の日本が置かれている状況というものを正しく認識し、再確認する上でも重要な位置付けの本になると思う。興味を抱いた方には是非、読んでいただきたいと思う。

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形骸化している『ハッピーマンデー制度』

■16年を経過した「ハッピーマンデー制度」

 2000年から始まった「ハッピーマンデー制度」も実施されてから既に16年目を迎えるに至った。2000年の段階では「成人の日」と「体育の日」のみが対象だったが、2003年には「海の日」と「敬老の日」が新しく追加されることになり、1年間に4回のハッピーマンデーが人工的に創設され、既に10年以上も運用され続けてきたわけだが、本当に多くの国民にとってハッピーな制度になっているのだろうか?

 3年前にもハッピーマンデー制度についてのブログ記事(下記参照)を書かせていただいたが、多くの国民が直接的に影響を受けているはずの制度であるにも拘らず、この制度の賛否についての話題はほとんど聞かれない。国が決めたことだからという理由で盲目的に従っている人が多い。
 当初は試験的に設けられた制度であったはずだが、特に問題視されていないということは、本当に有り難いハッピーな制度として認識されているということなのだろうか?
【関連記事】『ハッピーマンデー制度』は機能しているか?

■労働者にとっては「アンハッピーマンデー制度」

 Wikipediaで「ハッピーマンデー制度」を調べてみると、以下のように書かれている。

>公務員や中規模以上の企業を中心に週休2日制が浸透したため、月曜日を国民の祝日とする事によって土曜日・日曜日と合わせた3連休とし、余暇を過ごしてもらおうという趣旨で制定された。

 この趣旨からすると、「現代の多くの日本企業では週休2日制が根付いたので、たまには3連休の週も作って、労働における疲労を癒してもらおう」ということなのだろうけれど、元々休日だった日を月曜日にズラしただけの3連休で、本当に疲労が回復するのだろうか?
 個人的には週の半ばに休日があった方が精神的にも楽だし、肉体的な疲労回復にも役立つと思うのだが。

 今年(2016年)を例に挙げれば、9月15日(木)と9月22日(木)が本来の祝日だが、わざわざ前週の祝日を今週に持ってきて、9月19日(月)を休日にする必要性は無いようにも思える。むしろ、9月12日(月)を休日にしてくれた方が有り難い。労働者の立場からすれば、毎週、定期的に祝日があった方がハッピーな気分になれる。

 優先順位で言えば、15日 > 12日 > 19日となるだろうか。(「敬老の日」の優先順位)

 労働者の疲労・ストレスの原因が「連続勤務」や「長時間勤務」にあると考えれば、ハッピーマンデー制度は、逆に連続勤務を助長することになり、有り難迷惑な「アンハッピーマンデー制度」と化しているとも言える。

■「3連休」という言葉が齎す錯覚

 一口に「週休2日制」と言っても、世の中には「完全週休2日制」と「週休2日制」というものがある。さらに細かく言えば、「完全週休2日制」には祝祭日を含む場合と含まない場合があり、「週休2日制」には1月に1回の場合もあれば、数回の場合もあることはよく知られている。
 祝祭日を含まない「完全週休2日制」でない限り、ハッピーマンデー制度を適用しても、土曜日が出勤日になるケースが多いので、3連休になってもメリットがそれほど感じられず、逆にデメリットを感じる人の方が多いのではないかとさえ思える。

 週休2日制が根付いたことで、たまには息抜き的に3連休も必要ということなら、個人で有給休暇を取得して3連休にすればいいだけの話だと思われるのだが、その3連休化を政府がわざわざ先導しなければならない背景には、有給休暇を取得できない(取得しづらい)という日本の労働者事情が関係しているのかもしれない。

 「ハッピーマンデー制度」は「日本人は働き過ぎ」という諸外国からの非難が発端となり設けられた制度でもあるらしいが、祝日を月曜日にズラしたところで休日が増えるわけではないので、実質的には「働き過ぎ」の緩和にはなっておらず、単なる見せかけのトリックで休日が増えたかのように取り繕っているだけとも言える。
 政府には、「3連休にすれば休日が増えたように錯覚する」というような心理的なトリック政策ではなく、本当に「働き過ぎ」を是正できるような実のある制度を提案していただきたいものだ。
 小池百合子氏のクールビズ政策同様、政府が音頭を取らなければ改善できないということ自体が可笑しいのだが…。

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「図書館有料化」のススメ

■図書館業務における「官製貧困」

 先日、図書館で働く女性の貧困問題を扱った『月収13万円、37歳女性を苦しめる「官製貧困」』という記事をネットで見かけたので、それとなく読んでみた。その女性は公共図書館に非正規雇用の図書館司書(嘱託職員)として勤務されており、年収は200万円程度と書かれていた。細かいことを言えば、月収17万円×12ヶ月=204万円ということらしい。(タイトルの13万円は税引きの手取り収入)

 この記事のタイトルにある「官製貧困」という言葉は、「一般的な正規雇用の公務員」と「非正規雇用の公務員(公共図書館司書は一応、公務員扱いになるらしい)」との間にある収入格差を表現したものだと思われるが、正規の地方公務員の平均年収が669万円ということなので、実に3倍以上の収入格差があることになる。ちなみに、図書館司書の7割位は非正規雇用であるらしい。

 この記事のコメント欄も読んでみると結構率直で辛辣な意見も書かれている。
 「そもそも正規公務員の給料が高過ぎるのではないか?」という意見もあるかもしれないが、今回は敢えてそのことには触れず、両者間の格差を無くすことだけを目的として思考実験的に話を進めてみようと思う。

 「公務員の世界にも同一労働同一賃金制度の導入を!」などと書いても、民間企業と同様に実現性は極めて乏しそうなので、全く違う観点から意見を述べてみたいと思う。その違う観点とは何か? ズバリ、「図書館の有料化」である。
 もっとも、「図書館法」というものによって公共図書館利用における対価は徴収してはいけないことになっているので、その法律自体を変えることを前提とした話になる。

 「図書館の有料化」と言っても、別に図書館を民営化せよというわけではなくて、高価な専門書の類いや児童書以外の本は、全て市販価格の数%の料金を手数料として徴収すればいいのではないかということ。書籍発行年度によって貸し出し料金の差別化を行ってもよいと思う。
 新刊の貸し出しについては以前にも書いたことだが、1年間貸し出し禁止にして、1年経過すれば10%、2年経過で5%、3年経過で3%という具合に徴収金額を徐々に引き下げていき、本の賞味期限が切れた頃(5〜10年)に無料にすればいい。
 その手数料収入の一部を非正規図書館司書の収入に当てればいいのではないかと思う。
 ついでに、その手数料の中に著作権料も含ませればいい。これまで蔑ろにされてきた著作権者への報酬も少しは発生することになるので一挙両得だ。
【関連記事】図書館に新刊本を置くことの意味とは?
      続・図書館に新刊本を置くことの意味とは?

■図書館の有料化で「官製貧困」と「官製不況」を軽減

 公共の電車やバスでも利用者に運賃を請求しているわけだから、公共の図書館が本を貸し出すサービスを全て無料で行わなければならない必要性も無いと思う。市販価格の10分の1以下で読めるだけでも十分な公共サービスだと言える。元々、公共の電車やバス、そして図書館というインフラは国民の税金で作られたものだが、本は違う。本は基本的に税金に頼ることなく、個人や民間企業が作り出した商品なので、本来ならば、無断・無料で貸し出せるアイテムではないと言えるかもしれない。

 こんなことを書くと、「法律で決められているのだから図書館の本は全て無料にするべきだ!」と反論してくる人がいるのだろうけれど、先に皮肉を言わせてもらえば、そういう融通の利かない人や時代にマッチしない法律が正規公務員と非正規公務員との間にある収入格差を生み出している一因ではないかと思える。
 たとえ、荒唐無稽であろうと、具体的な解決策を提案する方が、何の打開策も考えずに感情論だけで反論するよりも建設的だと思える。

 「図書館の本の貸し出しを有料にすれば、書店や古本屋の売上が落ちるのではないか?」と心配する人もいるかもしれないが、残念ながら、それは杞憂だろう。現在のように図書館が全て無料で本を貸し出していることの方が書店や古本屋にとっては有り難くないはずだから、有料にすれば、書店や古本屋の売上は上がり景気も幾分かは良くなると思う。

 図書館が無料で本を貸し出していることで書店の売上が落ちているのなら、図書館が有料で本を貸し出せば書店の売上は上がる。これは自明の理である。そして、図書館が無料で本を貸し出していることで「官製貧困」と「官製不況」が発生しているのなら、図書館が有料で本を貸し出せば「官製貧困」も「官製不況」も幾分か抑制することができる。これもまた自明の理である。
 
 公共図書館が国民の税金によって運営されているのであれば、現行のままでは無条件に収入を引き上げることは難しいと思う。現代のように街の書店が減少の一途を辿る中で、図書館だけがどんどん増加しているということ自体、よくよく考えれば不自然なわけで、本来であれば、書店の減少とともに図書館も減少しなければ、歪な社会構造となり、その歪みは必ずどこかにしわ寄せされることになる。
 非正規雇用の図書館司書もその中の1つに含まれるのかもしれないが、公共図書館のシステム自体を抜本的(法的)に変えることができれば、そのしわ寄せを幾分かは解消することができる。「図書館の有料化」こそが「官製貧困」を是正する最も有効で現実的な解決策だと思う。

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