形骸化している『ハッピーマンデー制度』
■16年を経過した「ハッピーマンデー制度」
2000年から始まった「ハッピーマンデー制度」も実施されてから既に16年目を迎えるに至った。2000年の段階では「成人の日」と「体育の日」のみが対象だったが、2003年には「海の日」と「敬老の日」が新しく追加されることになり、1年間に4回のハッピーマンデーが人工的に創設され、既に10年以上も運用され続けてきたわけだが、本当に多くの国民にとってハッピーな制度になっているのだろうか?
3年前にもハッピーマンデー制度についてのブログ記事(下記参照)を書かせていただいたが、多くの国民が直接的に影響を受けているはずの制度であるにも拘らず、この制度の賛否についての話題はほとんど聞かれない。国が決めたことだからという理由で盲目的に従っている人が多い。
当初は試験的に設けられた制度であったはずだが、特に問題視されていないということは、本当に有り難いハッピーな制度として認識されているということなのだろうか?
【関連記事】『ハッピーマンデー制度』は機能しているか?
■労働者にとっては「アンハッピーマンデー制度」
Wikipediaで「ハッピーマンデー制度」を調べてみると、以下のように書かれている。
>公務員や中規模以上の企業を中心に週休2日制が浸透したため、月曜日を国民の祝日とする事によって土曜日・日曜日と合わせた3連休とし、余暇を過ごしてもらおうという趣旨で制定された。
この趣旨からすると、「現代の多くの日本企業では週休2日制が根付いたので、たまには3連休の週も作って、労働における疲労を癒してもらおう」ということなのだろうけれど、元々休日だった日を月曜日にズラしただけの3連休で、本当に疲労が回復するのだろうか?
個人的には週の半ばに休日があった方が精神的にも楽だし、肉体的な疲労回復にも役立つと思うのだが。
今年(2016年)を例に挙げれば、9月15日(木)と9月22日(木)が本来の祝日だが、わざわざ前週の祝日を今週に持ってきて、9月19日(月)を休日にする必要性は無いようにも思える。むしろ、9月12日(月)を休日にしてくれた方が有り難い。労働者の立場からすれば、毎週、定期的に祝日があった方がハッピーな気分になれる。
優先順位で言えば、15日 > 12日 > 19日となるだろうか。(「敬老の日」の優先順位)
労働者の疲労・ストレスの原因が「連続勤務」や「長時間勤務」にあると考えれば、ハッピーマンデー制度は、逆に連続勤務を助長することになり、有り難迷惑な「アンハッピーマンデー制度」と化しているとも言える。
■「3連休」という言葉が齎す錯覚
一口に「週休2日制」と言っても、世の中には「完全週休2日制」と「週休2日制」というものがある。さらに細かく言えば、「完全週休2日制」には祝祭日を含む場合と含まない場合があり、「週休2日制」には1月に1回の場合もあれば、数回の場合もあることはよく知られている。
祝祭日を含まない「完全週休2日制」でない限り、ハッピーマンデー制度を適用しても、土曜日が出勤日になるケースが多いので、3連休になってもメリットがそれほど感じられず、逆にデメリットを感じる人の方が多いのではないかとさえ思える。
週休2日制が根付いたことで、たまには息抜き的に3連休も必要ということなら、個人で有給休暇を取得して3連休にすればいいだけの話だと思われるのだが、その3連休化を政府がわざわざ先導しなければならない背景には、有給休暇を取得できない(取得しづらい)という日本の労働者事情が関係しているのかもしれない。
「ハッピーマンデー制度」は「日本人は働き過ぎ」という諸外国からの非難が発端となり設けられた制度でもあるらしいが、祝日を月曜日にズラしたところで休日が増えるわけではないので、実質的には「働き過ぎ」の緩和にはなっておらず、単なる見せかけのトリックで休日が増えたかのように取り繕っているだけとも言える。
政府には、「3連休にすれば休日が増えたように錯覚する」というような心理的なトリック政策ではなく、本当に「働き過ぎ」を是正できるような実のある制度を提案していただきたいものだ。
小池百合子氏のクールビズ政策同様、政府が音頭を取らなければ改善できないということ自体が可笑しいのだが…。
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