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レジ打ち業務の不公平感を感じない社会の不思議

■セルフレジ化する社会

 少し前に、マクドナルドやジーユー等でセルフレジが試験的に導入されたと話題になったばかりだが、私が利用しているレンタルDVD店や映画館も今年から既にセルフレジが導入されている。
 始めは使用方法が解らないので店員からレクチャーを受けることになるのだが、2回目からは自分でセルフレジを使用することになり、すっかり扱いにも慣れてしまった。 
 DVDレンタルの場合、商品をバーコードリーダーにかざすだけで済む。昔のように金額をレジ打ちする必要も無いので、簡単に作業を進めることができる。セルフレジを利用したからといってレンタル料金が割引されるわけではないのだが、特に不満も感じない。

 セルフレジ化によって、今までレジ打ちしていたレンタル店員の仕事が無くなるか?というと、案外そうでもないようだ。現在のレンタルショップはレンタルだけでなく、ゲームの販売やスマホの買い取りなど多角的なサービスを行っているので、他にもやることが有るのかもしれない。
 以前までは、レジ業務が忙しくて返却されてきたDVDソフトを元の場所に戻す時間が無いのか、返却BOXが一杯になっている時があった。そのため、返却BOXに戻っているにも拘らず、新作がレンタル中になっていてレンタルできない(客を逃す)というケースも実際にあったのではないかと思う。そういった無駄が減少することは、利用客にとってもレンタルショップにとってもプラスなので、レンタルショップに限って言うなら、セルフレジ化はそれほど問題視する必要性もないのかもしれない。

 セルフレジ化によって、人間の仕事が減少するという問題についても考えなければならないが、その話はまたの機会に譲るとして、今回は、少し趣向を変えて、レジ打ちという仕事の不公平感について述べてみたいと思う。

■公平ではなく平等なレジ打ち業務

 レジ打ちの仕事というのは基本的に時給になっている。経験によって時給が上がることはあっても、能率給(歩合給)を導入しているレジ打ち業務というのは聞いたことがない。売上げ如何によってはボーナス的な支給が出る場合は有るかもしれないが、基本は時給であることに違いはない。

 しかし、考えるにレジ打ち業務というのは、実に不公平な仕事だと思う。例えば、ユニクロやドン・キホーテのような人気店ではレジも複数台あり、常時、客が並んでいるような状態だが、人気(ひとけ)の無い店のレジ打ちの場合、1時間に数人しか客が来ないというような所もある。
 1時間に100人のレジを賄う人がいる反面、1時間に数人のレジしか賄わない人がいる。しかし、レジ打ちとしての時給は同じようなものだ。客が少ない時間帯と客が多い時間帯で時給を差別化している所はあるが、それは同じショップ内での話であって、人気店と不人気店で時給が大きく違うということは無い。早い話、レジ打ち業務というのは、同一労働同一賃金ではなく、同一時間同一賃金になっていると言うことができる。

 仕事量が全然違うのに、結果(給料)は同じという意味では、どう考えても不公平だと思われるのだが、そういった疑問や苦情はあまり聞かない。
 「接客数が多い方がやり甲斐がある」とか、「仕事が暇よりも忙しい方が良い」という人もいるとは思うが、それにしても、数十倍の仕事量の差が有るのに、結果は同じということに、少し疑問を感じる人がいても不思議ではないと思うのだが…。
 これも前回の記事で書いたように、仕事における「時間の平等」が信仰になっているせいでもあるのだろうか?

 人間には誰にでも「1日24時間」という時間が与えられている。そういう意味では人間に与えられた時間は皆平等だろう。しかし、その与えられた時間をどう使うかは人によって大きく違う。その時間の使い方に差があるからこそ「時は金なり」という言葉も生まれた。それは言い換えるなら、「時間は公平なもの」ということであり、時間の使い方によっては人間には差が生まれるということでもある。

 時間は平等に与えられているが、時間の使い方によって生じた結果は公平に処遇される。それが本来の意味での時間の平等である。ところが、与えられた時間も平等なら、生じる結果も全て平等でなければならないというのが「時間の平等教」の悪しき特徴でもある。

 全国のレジ打ち業務が、セルフレジ化していくことによって、レジ打ち業務の不公平性というものにスポットライトが当たる日が来るのか、それとも完全に忘れ去られて風化していくのかもしれないが、「時間は平等なもの」ではなく「時間は公平なもの」という考えにシフトしていかない限り、日本人の働き方を変えていくことは難しいと思う。

【追記】2016.12.24
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>拘束時間に対して給料を払うのは当たり前だろう。最も価値があるのは人間の時間であって機械の稼働時間じゃあるまい。それにレジが暇なのは経営側の問題であって働く側が責任を取る事でもあるまい。

 レジ打ちの時間給というものは、基本的にお客が最も少ない水準に合わせた最大公約数的な給料制度になっています。これはレジ打ちに限った話ではなく、時間給(月給制も含む)で働く労働者が暗黙の内に受け入れ(させられ)ているリスクヘッジ給です。経営側がどんなに優秀であろうとも、景気が悪ければ、仕事の量(商品の売買数)は減少しますので、全ての責任を経営者に転嫁するのもどうかと思います。

>いずれにしても、最低賃金という制度もありますし、従業員の機会費用という観点から言っても、暇な店だからといってレジ打ちの給料を大幅に安くできるわけではありません。いかにも経済常識の乏しい人の感想という感じですね。

 無論、決められた時給や最低賃金を無視しているわけではありません。ここで述べているのは、仕事量が少ない人ではなく、仕事量が多い人を対象とした話です。どれだけ仕事をこなしても、収入の上限が変わらないのは可笑しいのではないか?ということを述べたまでです。
 仕事量の少ない人が、時間給に疑問を感じて「自分は給料をもらいすぎているので可笑しい」とは言わないでしょう。しかし、仕事量が時給に比べてあまりにも多い場合、普通なら「可笑しいのではないか?」と疑問を感じるということです。

>何が言いたいんだこの作者は。レジ打ちが不平等な仕事?

 「不平等な仕事」ではなく、「不公平(平等)な仕事」と書いています。

>時給をやめてアルバイトにも成果主義を導入せよと言いたいのか?

 成果主義を導入せよと言っているのではなくて、少しは成果も反映する方が公平だと言っているのです。(もちろん、決められた時給を下げろと言っているわけではありません)

>同じ1時間でも、Aさんは100人レジ打ちしたから給料1000円で、Bさんは10人しかレジ打ちしてないから給料100円ってこと? そんなんやったら社会が滅茶苦茶になるわ。もう少しましな文章書け。

 先にも書いた通り、最低賃金制度というものを無視しているわけではありませんし、常識的に考えてもレジ打ち業務に完全な能力給の導入は不可能です(大抵はレジ打ち以外の仕事もしているでしょうから)。
 時給100円にするなどという非現実的なことを本気で書いていると邪推されても困ります。

>与えられた時間も平等なら、生じる結果も全て平等でなければならない
今の日本で、誰がそんなことを言っている? 聞いたことない。

 仮に誰も言っていないとしても、給料制度自体が実際にそうなっているということです。同一労働同一賃金が全く実現できないことがそのことを証明しています。

>1時間に数人しかレジ打ちしない人は、レジ打ちしてないときは他の仕事をやっている。もし他の仕事が与えられてなかったらそれは経営側の問題。別にレジ打ちの人間が悪いわけではない。そんなことも分からんのか。

 解るけれど、書いていないだけです。議論(確かめ)もせずに短い文章だけで人を貶すのは御遠慮ください。

>ボクは、スーパーでレジ打ちの早い店員と遅い店員が同じ時給をもらっているのが納得できません。ただレジ打ちは早さだけではなく正確さも求められるので難しいところではあるのですが。

 1企業内におけるミクロ論ではそうなりますね。しかし私が述べているのはもっとマクロな話です。

>人間は、機械ほど純粋に「成果主義」で働くことはできません。

 それはその通りだと思います。しかし、全く成果が評価されないというのも不自然です。あなたの言葉に準えて言うなら、「人間は純粋に平等主義で働くことはできません」。一定の賃金は必要ですが、それを超えた労働を提供している場合、その超過労働に応じたプラス評価が無ければ、それこそが人間の機械(ロボット)化です。
 重要なことは機械の時間ではなく、人間の労働です。本記事で言いたいことは、現在のレジ打ち業務が、同一労働同一賃金ではなく、同一時間同一賃金になっていることを問題にしているのであって、完全な成果主義の導入など誰も望んでいません。誤解のないように願います。

【追記】2016.12.25
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>この筆者「自由人」氏の主張は、「1日8時間労働という制度にとらわれるべきではない」ということのようで、

 一応、お断りしておきますが、レジ打ち業務にそんなことは望んでいません。

>以前の別なエントリでも「早く仕事を終わらせることができる者は、8時間が過ぎるまで会社に拘束するべきではなく、早く帰ることができるようにするべきだ」と述べていました。

 「するべきだ」とは断定していません。そんなケースも有ってもよいと書いた程度です。

>それはそれで良いとしても、レジ係りも同じ発想で論じている点で、根本的に間違っています。

 間違っていると言われても、そんなことは考えていないわけですから。

>レジ係は、自分の意思や努力で“早く仕事を終わらせて帰る”ことは不可能な業種であり、さらにいえば、客が来た時にレジを打つだけではなく、客がいない時にずっと待機していることも仕事の範囲内だということが、筆者にはわかっていないようです。

 そんな当たり前のことを理解していないはずがないでしょう。勝手に決め付けられても困ります。

>レジ係は自分の時間の使い方を自分の努力や主観で決めることは一切不可能なのです。

 その通りです。そんなことは解っています。

>さらにいえば、店に来る客の人数が多いか少ないかは、レジ係の仕事の成果とは基本的には関係ないのであり、レジ係が客を増やすことも不可能です。

 当たり前ですね。ただ、評価制度があれば、モチベーションが上がり、その前向きさが客に好印象を与えれば、リピーターが増えるという場合はあるかもしれませんが。

>筆者の発想は基本的に「労働は、時間ではなく成果で報いるべきだ」という思想

 そこまで極論しているわけではありません。時間だけで仕事を計るのは無理があるということです。

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コメント

追記しました。

投稿: 管理人 | 2016年12月24日 (土) 20時35分

一ヶ月全く火事がなかった消防士と、出動回数が多かった消防士の給料が同じなのは不平等なのでしようか?
実際には出動に応じた手当があるのでしょうが。
同じ自治体の消防でも、地域によって出動に差があります。
それと、今回の事例では、レジ打ちのスタッフが来店客数をこなすことを成果とみると、わけが分からなくなります。これはレジ打ちで差配できない業務量です。人事制度上は同一労働です。業務量が多い時間帯はプラスアルファがあっても然るべき、なら分かります。

投稿: 不謹慎かもしれませんが | 2016年12月24日 (土) 23時02分

不謹慎かもしれませんが 様

>一ヶ月全く火事がなかった消防士と、出動回数が多かった消防士の給料が同じなのは不平等なのでしようか?

 その場合、不平等とは言えません。そもそも消防士の消火活動は営利目的で行われているわけではありませんから。
ただし、この場合も、あまりにも仕事が多過ぎる場合は、通常の給料以上に評価されるべきだとは思います。

>レジ打ちのスタッフが来店客数をこなすことを成果とみると、わけが分からなくなります。

 1人の客がレジで購入する物量も金額も違いますから、単に客数だけで評価するのは難しいでしょうね。

>人事制度上は同一労働です。

 レジ打ちにおける同一労働を職務給と考えると不公平な給与制度になります。A社とB社では販売されている商品も金額も利益率も違いますので、レジ打ちという同じ仕事をしているからといって、単純に同一労働と決めつけるのは無理があります。追記記事内にも書きましたが、レジ打ちに完全な同一労働同一賃金制度の導入はほぼ不可能なので、時給だけに囚われない何かしらの評価制度を追加するのが望ましいと思います。

>業務量が多い時間帯はプラスアルファがあっても然るべき、なら分かります。

 それも1つの評価制度ですね。

投稿: 管理人 | 2016年12月24日 (土) 23時41分

追記しました。

投稿: 管理人 | 2016年12月25日 (日) 10時11分

自由人さん

世の中には労働者の裁量で業務量の調整ができない仕事はたくさんあるのですよ。
レジだけではなく、多くの店員、来客の受付、人だけではなく、生産ラインの検品、そして消防とか。
ここで、同一労働同一賃金とかのコトバをいれるから、余計に訳が分からなくなるんですよ。
労働者の裁量で仕事量や成果が、変わる仕事と、そうではない仕事はわけて考えないと。
不公平だと思うだけなら、小学生でもできますよ。

投稿: あいかわらずですね | 2016年12月25日 (日) 12時43分

同一労働の問題は、同じ会社で同じ職務に就いているのに、雇用形態や性別で処遇に差をつけるのはおかしい、ということ。
A社とB社がどうのこうのという反論はまったく的はずれ。

投稿: 同一労働の意味を知らないらしい | 2016年12月25日 (日) 22時02分

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