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今、既にある「行き過ぎた監視社会」

■クレームを煽る第3者の存在

 最近の日本の政治を観ていると、「政治家の能力」よりも「政治家の言葉」だけが重要視されているような気がする。これを企業に置き換えて考えれば、「仕事をする能力」よりも「顧客に対する言葉遣い」の方が重要だというようなことになるのだろうか。仕事はできても、顧客に誤解されるようなことを一言でも言えばクビになるような企業があれば恐ろしい社会だが、政治の世界ではそういう恐ろしい社会が実際に出来上がってしまっている。

 もちろん、企業の場合でも、従業員の言葉が原因となり顧客からのクレームが有ればクビになる可能性はあるだろうけれど、政治の世界では、わざわざ顧客のクレームを焚き付ける第3者が存在している。従業員の言葉遣いを逐一監視し、その言葉が悪い場合は、わざわざ顧客からクレームが出るように煽る勢力、それが、善意(悪意?)の第3者マスコミである。

■「行き過ぎた監視社会」を実践するマスコミ

 政治家の言葉は基本的に全てリアルタイム発言であり、公の場で話す言葉は全て記録される。ゆえに、その話す内容に少しでも齟齬や矛盾があれば、ここぞとばかりに「言葉狩り」が為される。1時間の話の中に1つでも問題点(ミス)があると、その1つの問題だけを殊更、針小棒大に報じ、残りの話の内容はまるで無かったかの如く扱いになる。これでは、予め話す内容を書面に書いて推敲を重ねた上で読むようなことでもしない限り、恐くておちおち喋ることもできなくなる。

 これも企業に喩えれば、100の仕事で99の仕事を無事にこなしても、1つのミスがあればクビになるというような感じに近いと言える。そんな企業があれば、ミスすることばかりに気を遣い、恐くておちおち仕事もできない。
 ミスが人の命に関わるような仕事(例:医療)であれば、1つのミスでもクビになる場合はある。しかし、政治家の言葉1つが国民の命に関わるようなことはないだろうし、況して、誤りを認めて謝罪を行っている政治家を殊更に責め立てるのは行き過ぎだ。
 政治家の言葉のミスで国民の命に関わるようなことがなくても、政治家の能力次第では国民の命に関わるようなことになる場合は有り得る。日本の防衛問題にしても、舵取りを誤ると多くの国民の命を危険に晒す事態になる可能性は大いにある。言葉のミスなら謝罪で済むが、防衛問題の選択ミスは謝罪では済まない。

 マスコミの行うべきことは、政治家の言葉のミスを責めることではなく、政治家の本来の仕事を監視することだ。政治家の言葉のミスを責めることに躍起に成り過ぎて、政治家が本来の仕事をできなくなるのでは本末転倒だろう。

 特に左派のマスコミは、共謀罪がどうたらこうたらと言っていたと思うが、その建前は「行き過ぎた監視社会」に反対というものだったのだろう。しかし、その左派のマスコミが政治家に対して行っていることは、まさしく「行き過ぎた監視社会」(密告社会)の実践に他ならない。

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