« 「北のミサイル」は忘れた頃にやってくる | トップページ | 「戦争を知らない子供たち」はいなくなる »

「ヒトラー」と「ミサイル」のどちらが重要か?

■「ミサイル」よりも「言葉」に敏感な国

 今週は北朝鮮のミサイル発射問題が騒がれる中、麻生氏の失言(?)が飛び出し、マスコミからは総バッシングを喰らっていた。
 しかし、北朝鮮から発射されたミサイルよりも、麻生氏の口から発せられた言葉に対する批判の方が大きいように感じられるのは気のせいだろうか?

 麻生氏の口から飛び出した言葉は以下の通り。

>「いくら動機が正しくても何百万人殺しちゃったヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもダメなんですよ

 この言葉で問題となっているのは、「いくら動機が正しくても」という言葉を2回も繰り返しているところだろうと思われる。中には「ヒトラー」という言葉を使用したことだけで(頭の中で)批判アラートが鳴った人もいるのかもしれないが、常識的に考えると「いくら」という言葉に引っ掛かった人が多かったのだろうと思う。
 麻生氏は「動機が正しかった」とは一言も言っていないのだが、「いくら」という言葉からは、「否定」よりも「肯定」のニュアンスが強く感じられるので、運悪くバッシングに繋がったのだろう。

 もし、この「いくら」の部分を「仮に」とすればどうなるだろうか?

仮に動機が正しくても何百万人殺しちゃったヒトラーはダメなんですよ

 これだけで随分とイメージが変わってしまう。「いくら」という言葉を繰り返さずに「仮に」という言葉を使用していれば、あくまでも仮定の話ということで、言葉狩りに遭うことも無かったかもしれないし、弁解することも充分に可能だったと思う。(常識人に対しては、という条件付きで)

■注目すべきは「ヒトラー」ではなく「金正恩」

 ただ、まさか副総理の立場にある麻生氏が、ヒトラーやナチスを礼賛するようなことを公の場で話すわけもなく、講演における単なる言葉の齟齬だったと考えるのが普通だと思う。文章として書く場合は推敲ができるので、言葉の齟齬も発生しにくい。しかし、リアルタイムでのトークであれば、こういった言葉遣いのミスが発生するのは仕方がないことでもあるので、いちいち揚げ足取りをしてもキリがないと思う。
 問題は、本人の意思はどうなのか?ということであって、麻生氏はきちんと釈明会見を開き謝罪しているのだから、批判の矛を鞘に収めるのが大人の対応というものだろう。

 ところで、もし、麻生氏の口から以下のような言葉が発せられた場合を考えてみよう。

いくら動機が正しくても何百万人も殺しちゃうかもしれない金正恩は、やっぱりいくら動機が正しくてもダメなんですよ

 この言葉に対して、批判するような人は誰もいないだろうけれど、「いくら」という言葉を使用しても特に違和感が感じられない。それはなぜだろうか?
 この言葉の場合、「殺しちゃうかもしれない」という仮定の言葉が既に入っているため、動機の是非には目が行かない。それは、ヒトラーに置き換えても同じで、

いくら動機が正しくても何百万人も殺しちゃうかもしれないヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもダメなんですよ

 ということで、既に起こってしまった悲劇的な過去の事件に対しては「いくら」という言葉は使用するべきではなかった。そういう意味では確かに失言の部類であったことには違いはないと思う。

 しかしながら、マスコミや野党は、批判の矛先を「言葉」から「ミサイル」に置き変えるべきであり、過去の独裁者「ヒトラー」ではなく、現代の独裁者「金正恩」に目を向けるべきである。


----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

|

« 「北のミサイル」は忘れた頃にやってくる | トップページ | 「戦争を知らない子供たち」はいなくなる »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

北朝鮮のミサイルよりマシだから〜
そう言う問題では無いですね。あの発言はネ。
そんな基準で判断するのなら・・・
不倫や秘書へのパワハラも許されちゃうよ!

投稿: | 2017年9月 2日 (土) 22時15分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/65741222

この記事へのトラックバック一覧です: 「ヒトラー」と「ミサイル」のどちらが重要か?:

« 「北のミサイル」は忘れた頃にやってくる | トップページ | 「戦争を知らない子供たち」はいなくなる »