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日本のリベラルの「自由」とは?

■「社会自由主義」としてのアメリカの「リベラル」

 以前のブログ記事で、「リベラル」とは「化粧言葉」だと書いたことがある。これは日本のみの話ではなく、アメリカでも同様で、元々、「社会主義」や「共産主義」という言葉を使用することが憚られる場合に用いられる仮面のようなものだと言える。

 戦前(1930年頃)はアメリカでも日本でも大不況の波に呑み込まれたので、当時の経済システム(資本主義)ではダメだとする風潮が世を覆った。ちょうどその頃、「ソ連では景気が良い」という話が飛び交っていたため、「ソ連は理想の国」だと思い込んだ人々が大勢いた。この辺のところは、近年、「北朝鮮は地上の楽園」と思い込んだ人々とよく似ていると言える。

 当時のアメリカでは、それまで日陰の存在だった「社会主義」という言葉を使用するのに抵抗があったので、「社会自由主義」という意味合いで「リベラル」という言葉を使用し、ニューディール政策が推し進められた。一見すると「自由な政策」というイメージがするが、実質的にはソ連の経済システムを模した「社会主義政策」そのものだったため、その失策が祟って、第二次世界大戦に突入していった。

■「リベラル」と「リバタリアン」の違い

 アメリカには「リバタリアン」という人々がいることもよく知られているが、「リバタリアン」と「リベラル」は似て非なるものである。もし「リバタリアン」と「リベラル」が同じ「自由」を意味するものであるならば、「リバタリアン」はリベラル・パーティーである民主党にこそ属しているはずだが、実際はその逆で、「リバタリアン」は基本的に共和党に属している。「リバタリアン」が「リベラル」を標榜する民主党ではなく、「保守」を標榜する共和党に属していることが、「リバタリアン」と「リベラル」が同一のものではないという証拠でもある。

 「リバタリアン」とは、極論すれば「国家はいらないという考えを持った人々」を意味している。国家は必要最小限のことを管理するだけで、後は全て個人の責任で人生を管理することを理想(合理的)とする人々のことでもある。
 「リバタリアン」には独りで自活していける自信を持った有能が人が多い。国に頼らなくても独りで生活していけるだけの充分な能力と資産を有している人であれば、わざわざ高額な税金を支払っても意味がないと考える人がいてもなんら不思議ではない。日本で言えば、ホリエモンのような人物がリバタリアンに近いと言えるかもしれない。
 「リバタリアン」は「無政府主義者」とも言われるが、「共産主義者」のような「国家破壊主義者」ではない。

 アメリカの「リベラル」というのは、民主党のオバマケアを見れば分かる通り、国家に依存することを是とする思想を持つ人々である。ただし、アメリカの「リバタリアン」も「リベラル」も、国を憎んでいるわけではなく、愛国者であることには違いはない。

■リベラルであってリベラルではない「日本のリベラル」

 一方、日本のリベラルというのは、GHQの占領政策によって生まれた特殊な存在(人々)を意味している。本来、自由には責任が伴うものだが、日本のリベラルには責任感が欠如しているという特徴がある。

 日本のリベラルの自由とは、以下のようになっている。

 リベラルの自由=義務を果たさずに権利だけを要求する「自由」

 リベラルの言論の自由=好き勝手なことを言う「自由」

 リベラルの表現の自由=他人の意見を罵倒する「自由」

 本記事冒頭で「化粧言葉」と述べたが、日本のリベラルには化粧している時の顔と化粧していない時の顔があるため、その時と場合に応じて、言葉も巧みに使い分けられる。「二枚舌」という言葉通り、言っていることに統一性がなく、言行不一致が多く見られるのも日本のリベラルの特徴だと言える。

 国に依存しながら国を批判する。その姿は、税金を納めずに税金の使い道をあれこれと詮索するようなものであり、まさしく、義務を果たすことなく自らの権利のみを要求する姿勢とピッタリと重なる。自己中心的で自分勝手、他人の物は自分の物、自分の物も自分の物、好き勝手な放埒さを「自由」だと錯覚している大人に成り切れない空想主義者、それが日本のリベラルの実相である。

【追記】2017.10.16
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>そんなことはない。「リバタリアン」は自ら書かれている通り「無政府主義」なので、「国」という概念は無きに等しく、よって「愛国者」であるはずがない。

 「リバタリアン」にも程度の差というものがあります。「無政府主義」というのは極度なリバタリアンのことを指した言葉であり、全員がそうだというわけではありません。「リバタリアン」であっても母国であるアメリカ人であることを誇りに思っていないわけではありませんので、愛国者であることには変わりがないということです。

>むしろ「共産主義」の方が「愛国者」であるだろう。財産の私有制を否定して全財産を国家管理に置くことを目指しているなら、愛国心がなければ、到底、受け入れられまい。

 私有財産を否定することが、なぜ愛国者になるのか理解できません。共産主義者が私有財産を否定するのは貧富の差が我慢ならないという嫉妬心が有るからであり、国(?)が財産を管理すれば、誰もが(働かなくても)平等にお金を受け取れると思っているからだと思います。

>この人、全体主義者なのに、なぜ自由人と名乗ってるのか、不思議ですね。

 BLOGOSのプロフィールにも「自由に考える人」と書いています。「自由に考えること」に全体主義者も自由主義者もありません。

>誰も指摘しないのですが、筆者の知識が無さすぎなのにはあきれます。
「無政府主義者」は「アナーキスト」と称し、一般に言う「リバタリアン」はそれとはかなり違います。

 「リバタリアン」は「無政府主義者」だと断言はしていません。文中、“「リバタリアン」は「無政府主義者」とも言われるが、”と書いた通り、「無政府主義者」だと言う人も少なからずいるということです。先のコメントにも書きましたが、「リバタリアン」にも程度の差があり、その定義にも幅があるということです。

>リバタリアンとして無政府など真っ平ごめんです。

 誰も無政府が良いなどと書いていません。私もリバタリアンではありませんので誤解のないように。

>ニューデール政策の効果もあって、1935年から、米国経済は回復に向い、1939年には、何とか大恐慌の始まる前の水準にもどりました。

 1933年にニューディール政策が施行されてから数年間は失業率も下がり続けましたが、その後、また失業率が上昇に転じました。1937年には15%以下まで下がりましたが、1938年には20%近くまで上昇しています。翌年(1939年)から、戦争特需で景気が回復していったというのが実際のところです。
 ソ連の5カ年計画を見ても分かる通り、社会主義政策は最初は上手くいくのですが、数年経てばボロが出て行き詰まることになるというのが定説です。アメリカの場合、皮肉なことに公共事業等に反対する人々が多かったため、ドイツと違って全体主義的な経済政策はそれほど上手くいきませんでした。ケインズ自身、「ニューディール政策では不況を脱することはできない」と述べていますし、「戦争でも起こらない限り目的は達成できない」とも予言(?)しています。

>文章から読むに、あなたが言う「国」とは、「自民党」という事なのだろう。自民党は国じゃないですよ。 あと、自民党もまた国に依存する存在だよ。

 一体どこから「自民党」が出てくるのか疑問ですが、一言だけ言っておくと、国民も「国」に属しています。「国」をテーマにするなら、「自民党」という「枝葉」ではなく、「国民」という「」に目を向けてください。


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追記しました。

投稿: 管理人 | 2017年10月16日 (月) 20時27分

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