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憲法論議をもっとシンプルに。

■「憲法」を守ることは、なぜ重要なのか?

 この度の衆議院選挙では「立憲」という言葉を使用する政党も現れたので、憲法論議がこれまで以上に盛んになりそうな気がする。しかし、元々、憲法というものに関心を持っていない世間一般の人々は、「立憲」などという小難しい言葉を聞いても何のことか分からないのではないかと思う。
 「立憲」とは「憲法に立脚する」の短縮語だが、「立憲主義がどうのこうの…」と言われても、自分達とは別世界の話だと思って馬耳東風で聞き流してしまう人も大勢いるのではないだろうか。こういったあまり馴染みのないアカデミックな専門用語を使用せずに、もっとシンプルに憲法というものを考えた方が分かり易いかもしれない。

 周知の通り、日本には憲法を変えることを頑に拒否する人々がいる。世界でも例を見ないこのての人々は、なぜ、そこまで憲法を護持することに拘るのだろうか? この点をシンプルに考えてみよう。

 現代における「自由」とは、基本的には「国家権力からの自由」を意味している。そして、国家権力から個人の自由を保証するために憲法がある。それゆえにこそ、憲法を守ることは重要と成り得るのだが、この国で行われている憲法論議は、「個人の自由を保証することの重要性」はそっちのけで、ただ単に、憲法を変えるか変えないかというような方法論的な話だけが論じられる傾向にある。

 憲法がなぜ重要なのかと言えば、非力な個人を強大な国家権力から守ってくれる決まり事が書かれているからだ(注:字義通りに書かれているわけではない)。国家権力が暴走し、好き勝手に財産を没収されたり、恣意的に拘束されたり逮捕されたりするようなことを防ぐために憲法は存在している。だからこそ、憲法は国民が主導して、より良いものに変えていくことが必要となる。そのより良きものに変化していく過程において民意を体現した憲法になるからこそ、それを守ることが重要となる。

■「憲法」はコンピューターのOSのようなもの

 少し喩え話をしよう。コンピューターの基本OSは、時代や環境の変化とともに、どんどん便利に進化していくが、時にバグが発生したり、より非効率になったりすることがある。その場合、次のOSにアップデートする時に、非効率だった部分に改良が加えられる。ユーザーから「不便になった」という声があがれば、その要望を聞き入れて、改良を加える。それがユーザーの利便性を考慮した対応というものだ。
 もしそこで、「たとえ非効率になっても、一度、決まったものは変えることができません」というようなことであれば、ユーザーから苦情が出るはずだ。「改悪されて不自由になった部分をなんとかして欲しい」と。その意見が多くのユーザーの真の願いであるならば迷わず変更する、それが民意を反映するということである。

 憲法もある意味、OSと同じであり、国民が不自由だと思っている部分は時代とともに変えていかなければいけない。もはやインターネットを利用できなくなっているようなWindows95MacOS8をいつまでも使い続けなくてはならないということであれば、誰もが不満を抱えて文句を言うはずだ。

 例えば、「北朝鮮の軍事的脅威が我々の生活を不自由にしている」ということであれば、その不自由を齎しているシステムを部分的に変えるように努力する。それが政府の仕事であり役割でもある。そういった不断の努力によって更新を重ね、現在進行形でブラッシュアップされていく憲法を守っていく姿勢こそが重要なのであり、一切、更新もせず民意が反映されない旧いままの憲法を、神様が創った十戒の如く護っていくことが重要なのではない。こんなことは、少し考えれば誰にでも解ることだと思う。

■屈折した「国家権力からの自由」とは?

 先に「憲法は国家権力からの自由を保証するためにある」と書いた。この言葉における「自由」とは普通の一般人には当たり前の自由だが、国家権力を良しと思っていない人々には、全く毛色の違った「屈折した自由」に変化する。
 例えば、テロリストのような人々の場合は、テロを起こすためには国家権力が邪魔になるので、「不完全な憲法こそが国家権力から我が身を守る最大の武器」になってしまうことになる。現在の日本国憲法は国家権力を縛り過ぎているため、テロリスト達にとっては都合が良いということになる。だから、旧いままの憲法を護持することに全精力を傾ける。国家を打倒し、革命を起こそうと夢想しているような勢力にとっては、憲法を変えられて国家権力(警察や軍隊)に力を付けられては困るので、現状の憲法を護ることが至上命題になってしまう。
 そもそも憲法というものは国家が有って初めて機能するものなので、国家を破壊することを目的としている人々が憲法を護るということ自体、矛盾していると言える。
 
 正しい憲法であるか、間違った憲法であるか、あるいは、完璧な憲法であるか、不完全な憲法であるかによって「立憲主義」というものは全く違ったものに変化してしまう。「憲法に立脚する」ことが無条件に正しいのではなく、立脚するべき憲法を民意によって正すことこそが重要なのである。

 憲法というものは国家権力を縛るものであるが、その「縛る」という行為も人によっては認識が異なるものであり、憲法を変えるというごく当たり前のことが、ある人々にとっては、絶対に譲ることのできない代物と化してしまう。
 しかし、憲法が大多数の善良な国民のために存在するのであれば、一部の人間の革命思想のために利用されることは避けなければならない。一部の人間が「国家権力からの自由」を盾にして、どれだけ憲法を変えることに反対したとしても、大多数の国民が憲法をより良く変えることを望んでいるのであれば、憲法を変えることこそが正義と成り得る。なぜなら、それが真の民意だからである。

(注)文中、「守る」と「護る」を使い分けています。
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