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2017年11月

「平等」と「公平」の経済学【日本の給与制度編】

■平等思想に根ざした「月給制」

 日本の多くの企業では、基本的に「月給制」が採用されている。「月給制」とは、1ヶ月間の決められた労働時間内(残業時間は含まない)にどれだけの仕事をしてもしなくても結果は変わらないという制度である。
 その月の所定労働日数が20日間であろうと25日間であろうと結果は同じ、つまり、時間単位の労働価値が曖昧な制度とも言える。
 これに対し、時間給制(パートタイム制)というのは、時間単位の労働価値がはっきりと定められた制度だと言える。8時間働けば8時間分の労働価値(=給料)が支払われる。20日間働けば20日分の給料が支払われ、25日間働けば25日分の給料が支払われる。残業時間もこれに倣っている。
 そう考えると、前者は「平等」、後者は「公平」に根ざしているとも言える。ミクロ的に見れば「時間給制」も「平等」に根ざしていると言えなくもないが、ここではマクロ的に見た考察を述べている。

■多義性を持った「給料が安い」という言葉

 時間給制で働いている人が言う「給料が安い」は、概ね自らの仕事の質量に対する評価を意味したものになるが、月給制で働いている人の言う「給料が安い」は、仕事の質量ではなく、他者との比較を意味したものに成りがちで、実際にそういった光景を目の当たりにすることもある。

 例えば、1ヶ月間に25万円分の仕事をこなして20万円の給料をもらっている人【A】と、1ヶ月間に10万円の仕事をして15万円の給料をもらっている人【B】がいたとすれば、この両者のどちらが「給料が安い」と言えるだろうか?

 仕事の質量に関係なく額面だけで判断すれば、15万円の給料をもらっている【B】よりも、20万円の給料をもらっている【A】の方が「給料が高い」ことにはなる。しかし、本来、給料の高低は、仕事の質量というものを抜きにしては考えられないものである。
 【B】が言う「給料が安い」は、あくまでも【A】との比較においての「安い」であり、【A】の言う「給料が安い」は、自らの仕事の質量においての「安い」を意味することになる。

 「給料が安い」という言葉には、多義性があり、一義牲で受け取ることができない代物だが、なぜか日本では「給料が安い」という言葉は、仕事の質量はあまり考慮されず、字義通り、給料の額面だけでの判断に成りがちだ。その原因は「月給制」というものが、「平等」思想に根ざしているからである。

■「年功序列給与制」は有り難い制度か?

 前述の例の場合、【A】が「給料が安い」というのはその通りかもしれないが、【A】から見れば【B】の「給料は高い」。25万円分の仕事をして20万円の評価(80%)をされている人と、10万円の仕事をして15万円の評価(150%)をされている人のどちらが高給取りかと言えば、考えるまでもなく【B】である。【B】は【A】の2倍近い高給取りだと言える。この当たり前のことが、平等思想が根付いた空間では、当たり前で無くなってしまう。

 日本のサラリーマン社会において、「給料が安い」と言うべきなのは【A】なのだが、実際は声の大きい【B】に属する人々が「給料が安い」と言ってきた。
 【A】は【B】の仕事の足らざるを補ってきたにも拘らず、スポットライトはいつも声の大きい【B】に当たってきた。

 年々、給料が少しずつ上がる年功序列給与制というものも、【B】にとっては有り難い制度でも、【A】にとっては有難迷惑な制度だということも無視され続けてきた。

 例えば、初任給20万円で年々5千円ずつ昇給する給与制度であったとすれば、40年勤めれば40万円ということになるが、初めから40万円以上の仕事ができる人であれば、全く意味を為さない有難迷惑な制度になってしまう。しかし、元々20万円の仕事しかできない人が年々給料が上がって遂には40万円になるのであれば、これほど都合の良い給与制度もない。

 正社員の年功給与制を外から否定する向きもあるが、実のところ、正社員の中にも年功給与制を否定したい人は大勢いる。昔から正社員の年功給与制は、全ての正社員にとって有り難い制度とは言えなかったのだが、この辺の声も全く無いものとして扱われてきたフシがある。
 なぜそうなったのかと言えば、戦後の日本社会が「公平」よりも「平等」に重きを置いてきたからに他ならない。

 なお、本記事は「終身雇用制」は無いものとして述べています。
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コンテンツビジネスは「奉仕ビジネス」と化している

■ますますデフレ化が進むコンテンツビジネス
 
 先月から「TSUTAYAプレミアム」なるものが開始された。今更、説明するまでもないかもしれないが、一応、書いておくと、【月額1,000円で旧作DVD借り放題&ネットで旧作動画配信見放題】というサービス。

 コンテンツビジネスにおける低料金化(デフレ化)の波はとどまることを知らず、ここ数年でますます加速化しつつある。しかし、エンタメ系のコンテンツビジネスの進化は、消費者にこの上ない利便性を与える反面、消費者の使用するお金の量がどんどん減少するという諸刃の剣を抱えている。ネット社会に功罪は付き物だが、現在のような、お金が動かなくなりつつあるインターネット経済は、「功」よりも「罪」の比率の方が大きくなってきているような気がしないでもない。

 かくゆう私も、最近、アマゾンのプライム会員になり、フルHD対応になったKindleタブレット(FireHD10)を購入した。当初の目的は、電子書籍でしか読めない本を入手するためだったが、実際に使用してみると、付随サービスであるプライムビデオの便利さに圧倒されてしまった。パソコンディスプレイでも観ることができるが、タブレット用アームを取り付ければ、横になって寝ながらでも映画が観れるので、非常に便利だ。

 私の場合、年間に100本以上の映画を観るので、本当にすぐに観たい映画は映画館で観て、あとはDVDレンタル(新作)で観るようにしている。そのため、Hulu、NETFLIX、U-NEXT、プライムビデオ等のVOD(ビデオ・オン・デマンド)は、新作であれば追加料金が発生するので特に必要性を感じていなかった。しかし、レンタルし損なった旧作等については、わざわざ旧作をレンタルせずとも、プライムビデオで観ることができる商品が意外にも多いことが判った。昔に観て、もう1度観たいような映画や名場面シーンもデータベース感覚で観ることができるので重宝する。月額325円(年換算)で多くの旧作が観れるとなると、レンタルDVD店の旧作の価値は限りなく低下していかざるを得なくなる。

 そういった現状を鑑みて、アナログ世代もデジタル世代も取り込める「TSUTAYAプレミアム」のようなサービスが誕生したのかもしれないが、大画面・大音響の映画館で観たいとか、新作DVDをすぐに観たいという欲を持たない人であれば、映像系のエンタメ消費は限りなく無料に近い料金で楽しむことができるようになっている。これはもう、コストパフォーマンスが良いとかいうレベルの話ではなく、ほとんど奉仕ビジネスに近いとも言える。

 ちなみに、アマゾンのプライム会員は日本では全会員数の20%にも満たないらしいが、アメリカでは60%以上の人が加入している。料金も日本では年間3,900円だが、アメリカでは年間99ドル(1ドル113円で計算すると11,187円)もするらしい。
 こうやって比較してみると、アメリカの料金が高いと言うよりも、日本の料金が安過ぎるのだと思われる。ひょっとすると、プライム会員数が伸びないがゆえに、破格的な低料金のまま据え置かれているのかもしれない。日本のプライム加入者数が増加するに従って、プライム会員費も値上がりしていくのかもしれない。(プライム会員が増えれば増えるほど赤字になるという意味)

■インターネット技術とベーシックインカム制度の親和性

 映画館の客がレンタルビデオ店に奪われ、レンタルビデオ店の客がVOD配信企業に奪われる。それは時代の趨勢と言えなくもないが、1人の人間が一生に観れる映画本数には限りがあるので、コンテンツ自体が膨大な数に膨れ上がれば、旧い情報としての旧作コンテンツの価値が低下していくことは避けられない。1日に1本の映画を観たとしても、一生に内にせいぜい3万本観るのが限界だろうから、物理的にも世に出回っている映画のほんの一部しか観ることはできない。価値が高くなるのは、製作されたばかりの新作と、評価の定まった名作ぐらいのもので、その他は、情報の洪水の中に埋もれたまま、多くの人の目に触れることもなく放置されることになる。

 しかし、この問題の着眼すべき点は、そういった時代の栄枯盛衰ではなく、始めに書いた通り“お金が動かなくなってきていること”だと思う。インターネット技術の進歩は、当初の予想を遥かに超えて社会に急速な変化を齎しつつあり、多くの人々はその逆らいようのない巨大な波に呑み込まれている。
 最近、インターネットという怪物が巨大化した時のための保険的な緩衝材として、ベーシックインカム的な経済システムがまず存在するべきだったのかもしれないなと思う時がある。ベーシックインカム制度については、8年前にもブログ記事を書いたことがあるが、ここ数年の価格破壊ビジネスの台頭や、コピー商品が出回るアングラ経済の様相を見るにつけ、実際に必要な時代に既に突入しているのかもしれないという感じが強くなってきた。

 技術の進歩とともに、お金がどんどん動かなくなるのであれば、人々はこれからの将来、どうやってお金を稼いで生活していけるのだろうか?と考えざるを得ない。インターネット社会はデフレ社会の定義と同様、消費者にとっては天国かもしれないが、生産者にとっては地獄とも言える。一部の富裕層や年金生活者を除き、多くの人々は消費者であると同時に生産者でもある。その微妙なバランスの上に現在の経済(多くの人々の生活)が成り立っていることを考えると、急速な技術の進歩やサービスの無料化を手放しで喜んでばかりはいられないのではないか?と思えてしまう。お金が動かなければ雇用も生まれないという厳然たる事実にもっと目を向けて然るべき時代ではないかと思う。

 日本の政治家達には、国民の生活や幸福に全く寄与しない政治家同士の足の引っ張り合いを止めて、もっと将来を見据えた経済システムの構築に目を向け、経世済民的な視点を持って政治活動に精を出していただきたいものだ。
 それにしても、これだけ消費量が減退していく時代に、なおも消費税を上げるなどというのは、向かうべき方向性が全く見えていないと言わざるを得ない。


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日本の株式市場はバブルなのか?

■「空売り天国」から「空売り地獄」へ

 昨年の夏、日本の株式市場の空売り比率が40%を超えて、空前の50%に近付いているという記事を書いたことがあるが、トランプ氏が大統領になると決まってからは、アメリカだけでなく日本も、これといった調整もないまま、一本調子でうなぎ登りに株価は上昇してきた。
 昨年の11月、トランプ氏が大統領に選ばれた時には、「NYダウは2万ドルに向かう」という予測を書いたが、実際に大統領に就任した時点で、あっさりと2万ドルを突破し、現在、2万3000ドルを超えている。

 昨年の「空売り天国」から一転、今年は「空売り地獄」とも呼べるような株価上昇が続いているとも言えるが、株式投資(投機)で最も恐いのは「空売り」だ。
 現物で株を買っている分には、株価が0になることはあってもマイナスになることはない。しかし、空売りの場合、株価が青天井になった場合、どんどんと損失が膨らみ、場合によっては借金を抱えることになってしまう。特に新興市場の人気銘柄等は、株価が10倍とか20倍になることもあるので、そのまま放置すると、10倍、20倍の借金を背負うことになる。
 昔から世間でよく言われる「株で破産した」というのは、そういう「空売り」(信用取引)の危険性を言い表したものだと思われるので、かなりの誇張が入っていると言える。

■NYダウは3万ドルに向かう

 マスコミでは、トランプ大統領の実像はあまり伝えられていないが、トランプ大統領は確りとした減税路線を打ち出しており、経済にも極めて明るいタイプの人物だと言える。有言実行力と国民の支持が伴えば、株価が上昇することは明らかなので、このまま行けば、トランプ大統領在任中に3万ドルを突破すると言っても言い過ぎにはならないと思う。
 日本でも、民主党時代から株価が2倍になったわけだから、アメリカでも、民主党のオバマ時代の2倍になっても別段、不思議でもない。

 しかし、これも以前の記事で書いたことだが、地政学的リスクがあるため、大きな調整が入ることは十分に考えられる。今年から来年にかけて、北朝鮮有事が起これば、一時的に大きな調整が入ることは避けられない。
 ただ、先日の米中会談を観た限りでは、少し様相が変わりつつあるようにも感じられた。中国がアメリカ寄りになったことを金正恩がどう思っているのか定かではないが、たとえ中国側のブラフであったとしても、見かけ上、北朝鮮包囲網がより完全になったことは間違いないので、先読み判断がより難しくなってきたと言える。

 北朝鮮からミサイルが飛んできた夏頃に手持ちの株式を一旦処分した人も多いと思われるので、結果的にかなり儲け損なった人も多いのかもしれない。まさか、これだけ地政学的にリスキーな時期に、バブルの如く株価が上昇し続けるとは予想できなかった。

■日本の株価はアメリカ次第

 現在の株価上昇は「官製相場」とも言われているが、日本の株式市場は株価収益率(PER)的にも、まだバブルとは呼べない水準なので、アメリカの株式市場次第では、まだまだ上昇する余地はあると思われる。
 一昨年に読んだ藤野英人氏の『日本株は、バブルではない』には、日経平均2万円の心理的節目について書かれていたが、現在は、確かにバブルではないという実感が多くの投資家に浸透しつつあるように思う。

 昨年まで、日経平均株価が2万円以上になるというような大胆な予測をしているエコノミストはほとんどいなかったが、このままいくと、楽観論の大御所、長谷川慶太郎氏の「2万5000円超え」もまんざらでもなくなってきたと言える。

 しかし、なんといっても、日本の株価は、結局、アメリカ次第かもしれない。現在のところ、今年のNYダウの最高値は11月7日につけた23,452ドルだが、日本もそれに倣うかのように(超えないように?)11月9日に23,382円で下落に転じている。ドルと円なので単位も価値も違うのだが、“日本はアメリカの数値を超えてはいけない”という暗黙の了解(忖度)でもあるのではないか?と疑いたくなる。この奇妙な一致は偶然なのだろうか?



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