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ハリウッドのリベラル化を憂う

■「リベラル・コレクトネス」の猛威

 最近のハリウッド映画を観ていて、よく感じるのは、創作(フィクション)であるはずの映画の世界にまでポリティカル・コレクトネス(以下「ポリ・コレ」)の影響が及んできているのではないか?ということ。

 「ポリ・コレ」というものはアメリカのリベラル思想と密接な関係があることはよく知られているが、オバマが大統領になってからは、特に深く浸透してしまったと言えるのかもしれない。

 有名なところで言えば、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』という映画があった。本作はトランプ氏が大統領になる前の映画だが、大規模なテロを防ぐために一般市民を犠牲にすることの問題性を提起し、アベンジャーズを国際連合の管理下に置くという、およそ、これまでのヒーロー映画では考えられないような非現実的(と言うよりも現実的)なドラマが描かれていた。

 当時、映画館でこのシーンを観た時、非常な違和感を感じたことを記憶しているが、あの違和感の正体は、映画の世界に入り込んだリベラル思想そのものだったのだろうと思う。映画の中に「ポリ・コレ」思想というものが混入していたのだな…ということが今になって分かったような気がする。

■壮大な悲劇を演じているハリウッド

 2年前にもアカデミー賞で黒人俳優が全くノミネートされず、「白人ばかりのアカデミー賞」と揶揄した批判が問題になり騒がれたことがある。
 「ポリ・コレ」のことを知らない人がこんな話を聞くと、条件反射的に「黒人差別だ!」と憤るのかもしれないが、公平な判断の上で本当に黒人俳優にノミネート者がいない場合はどうするのか?ということも併せて考える必要があるのではないかと思う。

 個人的にはアカデミー賞自体が元々、権威主義に傾いていると思われるので、それほど高く評価しているわけでもないのだが、そのことは於いておくとしても、ハリウッド映画に出演している俳優の比率は黒人よりも白人の方が圧倒的に多いわけだから、たまには黒人が受賞できない年度があっても、それはそれで仕方がないことだとも言える。実際、出演比率の低い黄色人種もアカデミー賞にノミネートされるようなことは全くと言っていいほど無いが、誰も文句は言っていない。

 この騒ぎがあったこととも関係しているのかもしれないが、現在のハリウッド映画(海外ドラマも同様)には、どんな映画にも一定数の白人以外のキャストが出演する場合が多くなっているように感じられる。同時に、同性愛者を演じる俳優が多く登場するようになったとも感じられる。マイノリティの認知度を上げるという目的でそのようなことが行われているのかもしれないが、実社会における同性愛者の割合を考慮すれば、明らかに過剰な扱いになっているという違和感は拭えない。

 こういった特別扱いをすること自体が、実は差別そのものであると思われるのだが、「ポリ・コレ」を厚く信奉する人々には、そのことが見えなくなっているのかもしれない。どれだけ建前を飾ったところで、特別扱いしなければならない存在を自ら作り出し、腫れ物に触るかの如くタブーを作り出すことが、差別をより根深いものにするということが解らないというのは悲劇そのものだとも言える。

 ハリウッド映画の内容ではなく、ハリウッド映画界そのものが壮大な悲劇を演じているということが多くの人々に理解される日は訪れるのだろうか? もし、その日が来れば、それはアカデミー賞ものの栄誉ある瞬間だろう。

【追記】 『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の間違いでした。訂正してお詫びいたします。

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