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「社会正義のために戦う戦士」の正体

■「戦争できない」と「戦争しない」の違い

 現代のアメリカでは、社会正義のために戦う戦士のことを、文字通り「Social Justice Warrior」と呼ぶらしいが、日本にもこういった人々は大勢いる。例えば、有名人の不倫を暴くことを絶対的な社会正義だと思い込み、徹底的に叩くことを生き甲斐としているような戦士達もいる。不倫行為は法的にも「不貞行為」であるので、不倫をすることは決して褒められたことではないが、個人の不倫行為を万民に暴露することが必ずしも正義になるとは限らない。

 自らを正義のヒーローだと錯覚し、他人の人生を破壊しても恬として恥じない、そんな独りよがりの独善者は数多いが、「憲法を変えないこと」を正義だと思い込み、改憲論を徹底的に叩くことを生き甲斐としているような戦士達もいる。

 憲法を変えると「戦争できる国になる」と言い、まるで「戦争できない国」が正義であるかのように思っている人もいる。しかし、国家としての理想は「戦争はできるが戦争をしない国」であって、単なる「戦争できない国」ではない。「できない」と「しない」は全く違う。

 喩えて言うなら、人間は誰しも窃盗(泥棒)をすることはできる。「盗もうという気持ち」と「盗みを行う手」があれば、窃盗行為を行うことはできる。しかし、多くの人は理性があるので、法律で禁止された窃盗行為をしない。窃盗行為を行うことはできるが、理性的に「しない」という選択をする。
 もし、人間の「しない」という理性を無視して、人間が窃盗できないようにするためには、両手を動かないようにする(切断する)ことが正義だということになってしまう。これが、「しない」と「できない」の違いだ。

■迷惑な「社会正義のために戦う戦士」

 北朝鮮のような独裁者が牛耳る無法国家には、人間の本能を縛る法律が無いようなものなので、人間の理性には期待できない。独裁者の鶴の一声で「しない」という選択肢は吹っ飛んでしまう。ゆえに「戦争できない国」にすることは彼らにこそ必要な施策だと言えるのだが、どういうわけか日本では、どの国よりも理性的だと思われる国民に「戦争できない国」を適用しようとする人々が存在している。

 本能的に動く他国が「いつでも戦争できる国」であるにも拘らず、理性的に動く自国を「いつまでも戦争できない国」にすることを生き甲斐にしている。これぞ、まさに独りよがりの独善であり、自らを社会正義のために戦う戦士だと勝手に思い込んでいる「Social Justice Warrior」そのものだと言える。

 社会正義のために戦う戦士が、自国の国民の理性を信じず、両腕を動かないようにすることを正義だと思い込み、自ら国家を破壊していることに気が付かない。彼らにこそ自らの行動を縛る「理性」が必要だと言える。

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