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「日本的経営」と「裁量労働制」の関係性

■頓挫した「裁量労働制」の導入

 厚生労働省の発表データが杜撰だったということで、「働き方改革」の目玉政策の1つだった「裁量労働制」の導入が頓挫するという事態になってしまったらしく、連日のように「裁量労働制」という、一般人にはあまり聞き慣れない言葉が耳に入ってくる。

 「裁量労働制」とは、一言で言えば、「仕事が(時間に囚われずに)労働者の自由に委ねられる」というものであり、主に時間で計ることが難しい仕事に適用される制度のことである。
 例えば、デザイナーやプログラマーや弁護士や税理士など、時間ではなく個人の能力によって成果を計る方が合理的な仕事に適用される制度である。無論、労使間の合意が必要となる制度であり、経営者や労働者の一方が独断で採用できる制度ではない。

 そう考えると、昨今、問題になっている日本企業の「労働生産性」を向上させるためには、かなり有効な手段だとも思えるのだが、なぜか日本では、受け入れ難いという人が多いようだ。
 しかし、反対している面々を観察していると、どうも、「裁量労働制」が適用されるような職種に就いている人ではなくて、「裁量労働制」とはあまり関係が無いような人が多いように見受けられる。この辺のところは、年収1075万円以上を対象とした「ホワイトカラーエグゼンプション」に反対していた人と共通しているとも言える。

■「裁量労働制」は「能率給」に近い制度

 「裁量労働制」が適用されると困る人というのは、結局のところ、能率給で給料を貰うよりも、時間給で給料を貰った方が得だという人なのだろうと思う。
 これは別に「裁量労働制」に限らず、単位時間当たりの仕事量と比較して、自らの給料が「高い」と思うのか、「安い」と思うのかということと密接な関係にあり、前者なら「反対」、後者なら「賛成」という単純な図式になるのだろう。

 企業に雇用されていないフリーランスなどは、必然的に「裁量労働制」を採用していることになる。しかし、企業に雇用されている場合は、そうはいかない。
 例えば、デザイナーやプログラマーを例に挙げると、8時間分の仕事を4時間でできる能力を持っていたとしても、企業に属している限り、時間に縛られることになる。4時間で仕事が終わっても、8時間分の給料を貰うためには、残りの4時間も仕事をしなければならなくなる。ここで重要なことは、“仕事の有無”に拘らず仕事をしなけれないけないということである。

 そこで、「その残りの4時間は自由にしてもよいですよ」というのが、「裁量労働制」の基本理念だと言える。企業に属していながら、フリーランスのような働き方ができるので、無駄な労働時間が無くなり労働生産性は飛躍的にアップする。

■「裁量労働制」で「得をする人」と「損をする人」

 しかし、8時間分の仕事ができないデザイナーやプログラマーの場合は、「裁量労働制」などを導入されると、逆に今まで以上に働かなければならないということに成りかねない。そうはならなくとも、仕事の早い人がさっさと仕事をこなして自由を満喫しているのを横目に、嫉妬を抱えて悶々と仕事をするのは精神衛生上もよろしくない。
 ちょうど、小学生時代の給食を食べるのが「速い生徒」と「遅い生徒」のようなもので、食べるのが速い生徒は、食べるのが遅い生徒が食べ終わるのを待たなければいけないという具合に…。

 …というような理由から、仕事の早い人には、犠牲になってもらう(自由な時間を犠牲にするという意味)のは仕方がないというのが、日本的経営(共産主義的経営)の負の側面でもあるので、「裁量労働制」はなかなか根付きそうにない。
 「水」と「油」の関係のように、本来、能率給である「裁量労働制」は、時間給である「日本的経営」と分離して浮かぶものであるはずだが、それを掻き混ぜることによって帳尻を合わしている。

 「労働時間」を絶対とするのは、マルクス(リベラル)思想の影響かもしれないが、そうした方が得だという人がそれだけ多いということを意味している。
 「8時間労働」に縛られて「得をする人」と「損をする人」がいる。この部分をクリアしない限り、残念ながら日本での「裁量労働制」の導入は難しいのかもしれない。

【追記】2018.3.4
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>筆者は、「フリーランスは裁量労働制」などと言っており、裁量労働制の意味が理解できていないのだろう。
裁量労働制とは、「企業(実際には上司)と労働者がノルマ・目標を定めて合意し、それを達成できていれば達成にかかる労働時間は問わない勤務評価制度」のことだ。

  言葉足らずだったのかもしれませんが、ノルマを達成した後の“残った時間”の過ごし方がフリーランスのようなものだと言っているのです。

>自由人さんは『問題になっている日本企業の「労働生産性」を向上させるためには、かなり有効な手段だとも思えるのだが』と書いてますが、需要を抑制したのでは、生産効率は向上しても生産性(付加価値生産性)は向上しないわけですね。

 あなたの言っていることは、ある条件下でマクロ的に観れば正しいのかもしれませんが、仕事における“個人の能力”というものが全く考慮されていないように感じられます。人一倍、真面目に仕事をしている人間が正しく評価されなくても、全体(マクロ)における総需要が増加すればそれでよいという発想は、実現不可能な理想論と思えます。仕事をしていようが、遊んでいようが、トータルでプラスになればそれでいいというのでは、人間個人の労働には意味が無いという国家社会主義になります。

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追記しました。

投稿: 管理人 | 2018年3月 4日 (日) 22時31分

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